♪1楽章 ボレロを叩いてみましょう
――卒業の数週間前♪
「ひがしかんとうたいかい…ぎんしょう?」
古びた壁に貼られた真新しい写真。彼はそれをまざまざと凝視していた。
「小倉くん。スネアを持ってってくれる?」
「あ、はい!」
少年、小倉優月は中学3年生だった。今は音楽の授業の前の休み時間。しかし、音楽教師の笠松明菜に呼ばれ、楽器室という平凡な生徒にとっては、未開の地へと足を踏み入れている。
「…優愛ちゃん」
写真に写ったひとりの女の子、打楽器奏者の榊澤優愛。彼女はツインテールの女の子と共に、スティックを構えて笑っていた。
いいな。カッコイイな。僕もやってみたい。
優月はそんなことを思いながら、スネアドラムと呼ばれる楽器を受け取る。
「…スネアって、ただの小太鼓じゃん」
優月が愚痴のようにこぼす。優愛から話しは聞いていたが、まさにその通りだった。
「それな」
気がつけば、親友の小林想大が前に立っていた。彼は少しイケメンだ。
「…重くないのか?」
「おめーよ」
優月が腰を痛めつつ言う。重すぎるのか、後方に腰を伸ばしている。持ち方が分からなくて、手探りだからこそ痛めてしまう。
「…こらこら、スネア様を落とさないでね」
その時、笠松の声が彼の背中を押す。
「は、はい!」
そして次に放たれた言葉。
「榊澤さんたち困っちゃうから」
それが優月の根性を大いに高める。
「は、はい!」
(えっ?これってわざと!!??)
「わ・ざ・と♪」
すると想大が顔を覗き込んできた。彼のほうが身長が高いからか、威圧っぽさを感じた。
「ひ、人の思考に入ってこないでよ…!」
「どーせ、優愛さんのこと、考えてたんだろ?」
そう言って彼は、優月からスネアドラムを取り上げた。
「あ、ありがと…」
優月はお礼の言葉を背に、楽器室へ再び踵を返す。まだまだ、持っていくべき楽器があるからだ。
「…ふぅう。中北先生にもバレてんのに、笠松先生にまでバレたら終わりだよ」
優月が小声で言う。
榊澤優愛は優月の幼馴染だ。しかし優月は、ひそかに優愛のことが好きだ。数学教師である中北楓には普通にバレてしまったので、今は絶賛警戒中だ。
「小倉くん、重いならボンゴ持って」
「ボンゴ…ですか?」
「そ。太鼓がふたつ付いてるやつ。これ」
「あ、はい!」
「落とさないでよ〜?」
慎重そうに笠松は、優月へ楽器を手渡す。茂華中学校は強豪校だ。楽器の扱いにもすこぶる厳しい。
「落としたらどうなります?」
すると想大が冗談交じりに尋ねた。
「…落としたらね、これからの授業全部リコーダーだよ」
「リコーダー!?」
冗談だとは分かっているものの、笑えない未来が見えてしまい、優月は渋い顔で苦笑してしまった。
「…ま、本当に楽器壊しちゃった子はいたけど」
「……!?」
笠松がボヤいた瞬間、想大の動きが急激に凍る。
(瑠璃ちゃん…!)
(古叢井さん)
ふたりは即座に分かった。その子が1年生の古叢井瑠璃だということを。
「さ、準備準備!!」
しかし笠松の叱咤に近い声に、ふたりは仕方なく追及を諦めた。
この日の音楽の授業は、ボレロのリズムを、スネアドラムでたたく授業だった。広い音楽室の前に、スティックで叩く太鼓系の楽器が並べられた。
「…スティックは親指と人差し指で持ちます」
笠松の指導に、優月たち生徒は実践せず、説明を聞くばかりだ。だが、優月は楽器を早くやりたくて太鼓類を凝視している。
(早く…やってみたい…)
結果、面倒くさそうな、詳しい説明をよく聞いていなかった。
「…ってことで、今日はボレロを叩いてみましょう!」
ちなみにボレロとは、18世紀後半のスペインで生まれた3拍子の舞曲であり、一定のリズムとテンポで、徐々に楽器が増えて音楽が盛り上がっていく構成が特徴である。
「…それでは、実際にリズムをやってみましょう」
そう言われて、まずは典型的に机をたたいてリズムが刻まれる。
「ちなみに、吹奏楽部の子は全員、これくらいはできるので、難しいなんてことはありません」
笠松の断言に、優月の顔が引きつる。
(…ぐ、そうなのか)
しかも打楽器を触るなど、小学校振りではないか。感じるブランクは随分と重いものだ。
「…では、やってみましょう」
タ,タタタタ,タタタタ,タタタ,タタタタタタタッ…
正確なリズムキープ力と、連打が試される。しかし優月は驚くほど、上手くできていた。
「…よし」
もう完全に覚えた、と味を占めた優月は、ニヤニヤと笑みを浮かべる。
……というか、簡単だなとさえ思った。
小学校のときも打楽器の腕は、学校トップクラスと囁かれていただけあった。ちなみに、出身の江坂小学校に吹奏楽部はない。
「…まぁ、元々……」
しかし彼の脳裏には、朝霞の如く昔の記憶が去来しようとしていた。
しかし、完全に思い出し切る直前……
「それでは前に出て、実際にやってもらいます」
笠松がそう言った。
先程、運ばされた打楽器の前に、優月たちは立つ。クラスメートの視線が一気に注がれる。しかし緊張はしなかった。
優月はスティックを手にする。手首が下がるような感覚がしたが、実感が沸いて気合が入る。
優月たちは、笠松の取る声に合わせてスティックを上下させる。しかし突然、速度に狂いが生じた。
「…ちょっと〜!?下手過ぎなんですけど〜!?」
笠松の声が、優月たちの動きを止める。何かいけなかったのだろうか?わざとらしく、優月は首を傾げる。
「…小倉くんは段々と速くなってる。声をよく聞いて」
「は、はい」
優月は注意されたことで、自然と集中状態に突入する。もうたたくことしか頭にない。
「……」
集中した彼の鳴らす音は、より正確な音となり響いた。
(…すごく楽しい!!)
優月は楽しそうに笑っていた。リズムを淡々と刻む感覚。なんだか絵を描いていたときよりも、集中できる。もしかしたら、自分は打楽器というものに触れることが、好きなのかもしれない。
今、優月は確信した――。
「……ほおほお」
熱心にたたく優月を見て、笠松は感心したように目を丸める。
リズムはズレても音は良い。まるで魂が籠っているようだった。笠松は、優月に僅かながら才覚を感じた。
もしかしたら…うまく磨けば…優愛や瑠璃以上かもしれない、と思うほどに。
「御本さんと小倉くん、いいですね」
(…優月くん)
想大もスティックを上下させながら、彼を見つめる。優月の少し嬉しそうな表情に、想大の頬も緩んでしまった。
「うまい。でも…まだまだだな」
しかし堀田俊樹だけはフフッと笑っている。彼は吹奏楽部の部長だった。
しばらくして、全員がボレロのリズムを体験すると、笠松が皆に話し掛ける。
「…では、リコーダーに合わせてやってみましょう。前に出てスネアやりたい人!?」
この話しに、優月は真っ先に手を上げた。
「小倉くんに、あと1人!」
「……」
「いいの?目立てるよ?」
要らんことを、優月はそう思いながら、スネアたちの並ぶ前へと歩み出す。
「…なら、堀田くん!」
「…え、」
「よろしくお願いします」
笠松の言葉に俊樹は、フゥとため息っぽい声を出す。
「仕方ない。やってやりますかねぇ〜…」
そう言って彼は、面倒くさそうにも腰を上げた。
優月と俊樹。ふたりがスティックを構えて並ぶ。笠松はその前で両手を差し出した。
「…うんうん。ふたりいれば問題なさそうね。楽しい時間になりそうです」
(無理矢理、俺を引っ張ってきて…)
俊樹は慣れぬ手つきで、それでも綺麗なフォームで、改めてスティックを構える。
ふたりは音符の並ぶ黒板を凝視する。その瞬間、笠松が「はじめます!」と合図をした。
刹那、スネアの切れ良い音と、リコーダーの陽気な音色が響く―――。
(優月のやつ……段々と安定してきてるな)
優月の友達、御本美咲もリコーダーを吹きながら、彼らを見つめる。ちなみに美咲は元吹奏楽部だ。
タタン!綺麗な残響に確かなリズムが乗っている。笠松は優月を横目に凝視する。
(いつもと…集中力が違うな)
普段、リコーダーなんて、すぐに投げ出していた優月。しかし今は違う。
いつもより表情が穏やかだ。リラックスしているような…普段よりも優しい顔。まるで本性を鏡に映すようだった。
(…!?)
しかしそれを見た次の瞬間、何故だか鳥肌が立ってしまった。
優月の穏やかな顔。打楽器の初心者ならば、失敗を怖がるはず。しかし彼は、即座にその役を買って出た。
失敗を恐れず、ただ黙々と楽しそうに演奏する姿。吹奏楽では必要なスキルだ。
彼女はそこに才覚を見いだした。
(…もし彼が…吹奏楽部に入って…打楽器をやっていたら…どうなっていただろう…?)
笠松は、楽しそうに演奏する優月を見る。更に技術を安定させれば、間違いなく恐ろしい奏者になっていただろう。
(…入っていたら…?)
引退したこの3年生。この姿の中に優月の姿が加わる。そうしたら…どうだったのだろう?
……才気溢れる奏者となっていただろう。
分からぬ疑問を抱えたまま、この授業が終わった――。
授業終わり、優月たちは再び笠松を手伝う。スネアドラムを、楽器室の奥まで運ぶ。
「それ、落とすなよー。優愛ちゃんたち困っちゃうから」
「わっ!」
俊樹の言葉に、優月は動揺で手元が狂いそうになる。
「ったく、言ったそばから…」
「ここで、優愛ちゃんの名前を出さないでよ」
「いいじゃん。告白すんの?」
俊樹は恋愛バナシが大好きだ。前のめりになって彼を見る。赤面する優月は「したい」と小声で本音を言う。
「…ふぅん。どうやって?」
しかし俊樹はニヤニヤ笑いつつ、そう返した。
「……」
ピキン!と優月の頭に、怒りマークが噴き出る。
「…そ、それは分かんない」
「呼んで告白すれば……、あ!瑠璃ちゃんがいたもんね」
「…ぐぐ、古叢井さん」
瑠璃という少女は、優愛に付きっきりなのだ。姉扱いまでするので、少し困ってしまう。
「…はぁあ」
想大もスティックの束を、抱えつつも溜息を吐き出した。俊樹は煽りすぎなのだ。
「…ホラホラ、榊澤さんのスネア、返してー」
「か、笠松先生…」
笠松にまで言われてしまい、優月は頬を更に赤らめてしまう。そして同時、優愛の使っているスネアだと知ってしまった。
「…はい」
優月はそのスネアを軽く抱きしめた――。
「…で、結局は吹部、はじめるの?」
廊下を歩きながら、俊樹はそう優月に尋ねた。
「…吹部。始めたいとは思ってる」
この問いの答えは、優月の本心だった。
「優愛ちゃんのことが好きで、じゃなくて、本当に吹奏楽を始めたいの?」
俊樹の問いは、単なる事実確認に過ぎなかった。
「…うん!」
それでも、優月は決意を込めて頷いてみせる。
「そっか。受験する高校は?」
心得たように彼は肩をすくめ、三度問いを投げる。
「…東藤高校」
しかし、その答えが返ってきた瞬間、俊樹は鼻で笑った。
「いいのか?あそこ弱小校だよ?コンクールとかやるんだったら、茂華高校とか御浦の方が…」
「…ううん。それで良いんだ」
「……」
俊樹はガチガチのコンクール勢だ。優月の気持ちが分からないらしい。
「…吹奏楽さえできれば、何でも、ね」
「ふぅーん…」
(彼なら…強豪の方が良いと思ったんだが……)
しかしこの選択が小倉優月の未来に、大きな影響を与えることになる。
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