♪13楽章 榊澤優愛 卒業の日
梅が咲き、桃色の花びらが風に煽られ、地面を鮮やかに彩る。まさに春の訪れのようだった。
瑠璃を支えた榊澤優愛。彼女は今日、茂華中学校を卒業するのだった。
「…3年生の為にも、今日はいつもより頑張って演奏しましょう!」
笠松は、朝の合奏の前にそう言った。
『はい!』
卒業式は何よりも大切な行事。笠松からそう何度も言い聞かされていた。
(…優愛お姉ちゃん)
瑠璃は、今日でもう優愛と会えなくなる。それが寂しくて、悲しくて仕方なかった。
一方、優愛は親友の白夜たちと話していた。教室を見るのも、今日が最後。そう思うと少し淋しい気持ちになる。
「優愛とお別れ、すごく寂しいんだけど…」
教室に入ると、白夜がそう言った。
「ごめんね。凛西の方に行くから、って」
優愛の進路先は私立高だった。白夜は茂華高校に行くので、必然的に進路は違ってしまう。
「…そうだよね」
白夜だって、そんな優愛を咎めたりはしない。
「新しい高校でも、お互い頑張ろう」
「…うん」
その時だった。
「…白夜!優愛!おはよ!」
「久奈ちゃん」
優愛がそう言って振り向く。すると、そこには新村久奈がいた。元オーボエ奏者だった彼女は、卒業式当日だというのに元気そうだ。
「久奈っちは相変わらず、元気だね」
「…うーん、茂華高校だったら、茂華中と近いしね」
久奈はそう言ってニコリと笑った。
「そうだよね…」
優愛は、ただひとりだけ進路が違う事が、少しばかり悲しくなった。吹奏楽を通して出会えた仲間と、中学校を卒業すると同時に別れる。
「…優愛?元気なさすぎ。春休みも遊ぼうね」
「う、うん!」
優愛は、泣きそうな気持ちを必死に押さえつけた。まだ未来を悲観して泣くには早すぎるから。
――体育館前 ♫
そんな優愛の気持ちもそのままに、卒業式が始まってしまった。扉の先では瑠璃たちが、演奏を始めようとしていることだろう。
「…はぁ」
「優愛、泣こうね」
その時、白夜が小さな声でボソッと言う。
「えっ…?」
「泣きそうな顔になってるよ」
白夜が優しそうに言う。恐らく白夜には見抜かれている。優愛の気持ちを。
「……」
優愛は小さく笑う。
「本当に楽しかったなぁ。友達もできて、後輩もできて…」
「そうだよね」
「流石に彼氏はできなかったけど」
優愛がそう言った瞬間、
『卒業生入場!』
教頭の声が扉越しに聞こえた。その時、前の扉が開かれる。そこから滲み出る重い静寂。
しかし吹奏楽部の音色が、その重みを打ち払う。卒業を祝す音楽。それは耳いっぱいに響いた。
一方で、瑠璃はチャイムをたたく。ハンマーを前後へと動かし、大きな音を鳴らす。
きーん!こーん!かーん…!
(…頑張らなきゃ)
瑠璃は震える手元を必死に押さえつけ、チャイムを奏で出す。その音は静寂を、完膚なきまでに裂いた。
雄成や澪子たちのトランペットが、美しく響き渡る。歩く卒業生たちに、最上級の演奏が贈られた。
美心乃のオーボエが美しく鳴り響く。優しい旋律が、体育館の空気を柔らかく震わせる。
(久奈先輩…)
美心乃の直属の先輩、新村久奈。彼女の顔を思い浮かべて吹くと、既に涙が溢れそうになった。
音がぴたりと止むと、再び重い静寂が取り戻される。
『国歌斉唱!指揮、笠松明菜。伴奏、鈴衛音織』
国歌斉唱が終わると、そのまま校長や来賓の有難い言葉へと移行した。
ご卒業おめでとうございます、この言葉は、瑠璃や美心乃、そして音織たちには重く突き刺さった。
みんな、今の3年生にお世話になった人たちばかりだったから。どのパートにも殆ど3年生はいた。だから絶対に思い出は脳裏から、くっついて離れない。
(…優愛お姉ちゃん)
卒業証書授与。そこでようやく、3組の優愛の名前が呼ばれる。
『香坂白夜!』
『はい!』
『榊澤優愛!』
『はい!』
優愛はそのまま、卒業証書を受け取った。そして何の躊躇いもなく、静かに壇上を去った。
(…行かないで)
覚悟なんて…彼女が引退した時からしていた。
でも、いざ…何の躊躇いもなく、卒業証書を受け取られると、少し悲しくなる。
だって、優愛と瑠璃との思い出は、並々ならぬものではないからだ。
『…優愛お姉ちゃんって呼んでもいい?』
『いいよ!そう言ってくれて嬉しい』
初めて『優愛お姉ちゃん』と呼んだ時から、今のこの瞬間まで、優愛との別れなんて一度もなかった。喧嘩なんて一度もしなかった。
だからこそ、ふたりの絆は、溶けた粘土のようにドロドロとしていた。それがふたりの誇りでもあった。
しかし…今思えば、それで良かったのか?瑠璃は考えさせられる。
少しでも我欲をもっと伝えていれば…、今この別れに対する思いは、変わっていたのだろうか?
一方、優愛は丸めた卒業証書を、丁寧に膝の上へと置く。後ろにいる瑠璃はどうしているだろうか?
(…はぁ、卒業…したくないなぁ……)
吹部だって引退したくなかった。
だが、時間には誰も逆らえない。引退も、卒業も、入学も、すべて生きるが故の定めなのだ。
(…でも、泣き過ぎないようにしないと)
それでも優愛は、とある決意を固める。
――それは愛を込めた手紙を渡すことだ。
『瑠璃ちゃんと、さっしーに手紙を書くの』
『…優愛ちゃんの後輩?』
私立受験の内定が出た直後、優月にそう言った。
『そうだよ。ふたりには…本当にお世話になったから』
『そうなんだ』
優月はその時、優しい顔をしていた。
『よかったね。いい後輩に巡り会えて…』
――その言葉は、今でも胸奥にしまってある。
「…瑠璃ちゃんっ」
優愛は泣きそうになりながら、肩を上下に震わせる。
「優愛、まだ早いよ」
白夜が眉をへの字にして言う。
体育館内には、卒業証書授与専用のオルゴールが鳴り響いていた。その音は優愛の涙腺を強く刺激していた。
だが、まだ泣けない。
瑠璃に"思い"を伝えるまでは。
優愛は何とか泣くことを堪えた。しかし白夜は瞼が赤く腫れていた。
『卒業生退場!』
そう言われた瞬間、再び聞き覚えのあるチャイムの音が鳴り響いた。瑠璃がたたいている。そう思った瞬間、思い出が湯水のように湧いてくる。
(………っ!)
優愛は前髪で目元を隠す。その表情は誰からも見えない。だが透明な雫が…静かに頬を伝う。
(瑠璃…)
嗚咽は耐えられても……落涙は耐えられなかった。またひとりだ、そう思うと辛くて、無意識に涙が溢れて止まらなかった。
――音楽室 ♫
しかし、楽器の片付けを終えた瑠璃は、まだ泣かなかった。というか、泣けなかった。
「…未久先輩」
「…澪子」
トランペットの澪子は泣いているのに、瑠璃は泣けなかった。それは希良凛が、静かに泣いていたから。
「…さっちゃん」
瑠璃は、希良凛を慰めることに必死で、泣くことができなかった。
――下校時間 ♪
「さっちゃん、泣かないで…」
「すみません…。先輩っ…」
希良凛はまだ泣いていた。希良凛だって、優愛のことが大好きだったのだ。
その時、優愛がこちらへ静かに手を振ってきた。それはこちらへ来い、だとすぐに分かった。
「さっちゃん、優愛お姉ちゃん」
「はい」
それだけ言って、ふたりは優愛の元へと行く。
「…ふたりとも、今までありがとう」
優愛はそう言って手紙を渡す。
「…優愛お姉ちゃん」
瑠璃が何かを言いたそうに、優愛を見つめる。すると彼女は瑠璃の頭を撫でた。
「…これからも、瑠璃ちゃんの妹として…いてもいいかな?」
そう言った時、静かに瑠璃の目元から涙が流れた。
「ふっ…はい」
「…ごめんね」
「ううん。私、最後に言いたいことがあったの」
すると優愛を、駐輪場の前へと連れ出した。駐輪場前は人がいない。
「…ごめんなさい。私のせいで、何回も辛い思いをさせて…」
「なんの…こと?」
優愛は、突然の謝罪が皆目理解できなかった。
「…私が…大太鼓をやってた時の力を…制御できなかったから、あんなティンパニを壊す事件が起きちゃった…」
それはティンパニ破壊事件について、だった。
ティンパニを破壊した忌まわしき力。それを瑠璃は今でも悔いている。
「…ティンパニを壊すことに力を使わなければ…あんな事件なんて起こらなかった……」
優愛の瞳がただただ震えた。
「…私が、優愛お姉ちゃんを縛り付けたも、同然だったよね?」
しかし瑠璃は、力なくそう言ったのだ。
「…ごめんね。私のせいで……色々と嫌な思いをさせちゃって…」
その謝罪に対して、優愛が返したものは……
「違うよ」
………強いハグだった。
「…えっ?」
「瑠璃ちゃんがいたから、私は孤独にならず済んだ。むしろ、それが瑠璃を孤立させちゃった…」
すると優愛は大きな声で、
「いいの!瑠璃に日常を壊されたって別にいい」
と言った。
「…えっ?」
「私はね、瑠璃がいたから頑張れた。私の悩みだって…瑠璃が全部吹っ飛ばしてくれた!」
「……」
「もう…充分なの…。それで」
その優しい気持ちが、瑠璃の心臓を完全に射抜いた。
「…ありがとうっ」
瑠璃は優愛の胸のなかで、静かに泣いた。
「――また会おうね」
別れたくない。
一緒にいたい。
でも…それは叶わず、新しい時代が来てしまうのだ。
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