私はホームの縁に立っていた
とにかく今年は大学生になろう。
それを一番の目標に、受験する大学も慎重に選び、お弁当も前夜のおかずの残りを入れたりして、前年とは異なり、私は堅実路線を敷いた。
大丈夫。私は、去年のように、浮ついてはいない。そう頷いてはみるものの、どうにも据わりが悪い。なぜなら、私は漠然と気がついていたのだ。恐ろしくて、決して認めたくはなかったが、一年間、ただ黒板を板書しただけで、大学に合格できる実力など、少しも身についていないことを。
けれど、私の辞書には『一浪してどこかの大学に入学』の文字しかなく、なんとしても、なんとしても、今年は大学生にならなければならなかった。だからとにかく気合いだけは入れて、受験戦争に飛び込んでいった。
その年、最初に受けたのが、私にとっては滑り止め(のつもり)のS大学だった。
開始の合図と共に問題用紙を見た瞬間、くらくらっとした。できないと、見た瞬間にわかった。急に心臓の鼓動が激しくなり、鉛筆を握る手がぶるぶると震えだした。要するに、『あがった』のだが、この事態がさらに私を動揺させた。
実はそれまで、ペーパーテストというものに、緊張したことがなかった。中学入試、高校入試、結果はどうあれ、どちらも全く緊張しなかった。リコーダーなんかの実技試験は緊張で震えるくせに、なぜかペーパーテストは平気だったのだ。誰に見られるわけでもないペーパーテストで、どうして緊張するのかわからない。ずっとそう思っていた。
だからこそ、上がっているという事実に、ひどく動揺した。私はパニックを起こし、完全に落ち着きを失った。頑張って問題文を読もうとするのだが、文字面をなでるばかりで、少しも頭に入ってこない。ジタバタしている間に、どんどん時間は過ぎてゆく。集中力がもたな~いとか、解らなすぎて暇、なんて暢気に思っていた去年の私は、どこにもいなかった。
心の落ち着きとか希望とか自信は、私を見捨てて、目の前で地下深くに潜って行ってしまった。そして、今や目の前にはっきりと姿を現した大きな不安が、ねっとりと背中に負ぶさってきた。私は息も絶え絶えになりながら、それでも必死に答案用紙を埋めた。
結局、全ての科目をしくじる形で、その日の試験を終えることになった。のろのろと帰り道を歩きながら、私は考えた。今日の出来がこれでは、この後控えるもっと難しい大学に合格することなど、奇跡でも起きない限り無理だろう。
もし、今年も全部落ちたら、そしたら・・・、そしたらどうしたらいいのだろう。どうすればいいのだ。どうしよう、わからない。色んな言葉が、頭の中でぐるぐると回った。
刺すような警笛に驚いて、顔を上げた。
気がつくと、私はホームのふち、ぎりぎりのところに立っていた。轟音を立てて電車が滑り込む寸前に、我に返って後ろに飛びすさった。自分が何をしようとしていたのか理解するのに、少し時間がいった。そもそも、いつ駅に着き、どうやって改札を抜けてホームまで来ていたのか、全く記憶がなかった。
ああ、私は線路に飛び込もうとしていたのだ、と理解したとき、強いショックを受けた。自分のしたことが信じられなかった。受験に失敗したくらいで死のうとすることを、軽蔑していたのに。それなのに。
何とか帰り着いた家の玄関で、私は堪えきれずに泣き出してしまった。そんなことをしたら、家族にどんな心痛を与えてしまうか解っていたけれど、堪えることが出来なかった。
一番許せなかったのは、一年もあったのに大して勉強をしなかったことでも、生れて初めて試験でばか緊張したことでも、試験をしくじったことでもなかった。
電車に飛び込もうとした、その事実が許せなかった。そんなことをした自分が許せなかった。やりきれなかった。
でも、と、少し泣いた後、私は思った。でも私は飛び込まなかった。私は生きて戻ってきたんだ。
私は顔を洗うと、夕食のテーブルに着いた。
「食べられる?」
と、母に尋ねられ。
「もちろん」
私は、力強く答えた。
食いしん坊の私が、病気でもないのに食事をとらないなんて、そんなこと絶対にしない。そんなかっこ悪いこと、絶対にやるものか。
心も胃袋も石のように重かったけれど、何を食べても、全く味がしなかったけれど、ただ意地だけで私は箸を動かした。もう落ち着いた、平気だ、と言う顔をして。
機械的に口を動かしながら、勇気をかき集めた。諦めるのは、まだ早い。未来は解らない。奇跡が起きることだって、あるかもしれない。とにかく、逃げ出すことだけはやめよう。
私は何とか気を取り直し、勇気をかき集めて、その後も何度もパニックになりながらも、その年の受験を全てこなした。そしてやっぱり、一校も受からなかった。




