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第8話 愛剣と妻と、子と友人と戦い

夜の村を、ひとり駆け抜ける。

木剣を握る手は汗で濡れていたが、動きに迷いはなかった。斜めに振り抜かれた木剣が狼型の魔物の頭蓋を打ち砕き、骨の軋む音が夜気に混ざる。返す一撃で別の魔物の顎を打ち砕き、喉奥に沈黙を刻む。

ただの木片にすぎないはずの剣が、オリヴァーの手では鋼をも凌ぐ武器と化していた。魔力ではない。純粋な技と力、それだけで命を屠る。


(ミレイユ……どうか、無事でいてくれ)


焦燥が胸を焼いた。

彼女は水の中級魔法の使い手だ。村の中でも屈指の実力を持つと誰もが知っている。だが今は――身に新しい命を宿している。まだそう大きくはないが、腹の子の命を抱えながら、前線に立てるはずがない。彼女ひとりを信じてよい状況ではなかった。


オリヴァーは迫りくる獣を蹴散らしながら、さらに速度を上げた。土を踏みしめるたび、肺の奥に冷たい空気が突き刺さる。足音が鼓動と重なり、夜のざわめきに混ざる。


途中、視界の端に燃え盛る家が映った。

隣家――コリン家だ。火に照らされた輪郭の中、村人が魔物に追い詰められているのが見える。短い悲鳴と、獣の唸り声。

「……!」

足が止まりかけた。だがすぐに歯を食いしばり、走りを戻す。


(済まない……。俺には、まず守らねばならぬ者がいる)


その瞬間、脳裏に浮かんだ。

リアムの父――ビルボ。

いつも冗談を飛ばし、臆病そうに笑う男。息子からは「父さんは頼りない」とからかわれ、尊敬の対象にはなれていない。だがオリヴァーは知っている。


(お前は、やるときはやる男だ。……エリアを救った時のように)


数年前、リアムの母エリアが暴漢に襲われた夜。相手は中級剣士に相当する凶悪な男。だが、木こりの斧を手にしていたビルボは、恐怖をものともせず正面から叩き伏せた。その光景を知る者は少ない。

村に根を張る木こりの家系。その腕力と胆力。斧を握った時の彼は、誰よりも頼もしい。

(リアム、お前はまだ分かっていない。あの陽気さの奥に潜む、本当の強さを)


オリヴァーは息を吐き、再び全身の力を走りに込めた。


やがて、クロフト家の姿が見えてくる。

戸口は開け放たれ、室内は水で濡れ、床一面に光を反射していた。その上に、魔物の死骸が三体。全身が水気で膨張し、肉の裂け目には氷の棘が残っている。


「ミレイユ!」

声を張ると、奥から足音。


現れたのは、息を荒げた妻だった。髪は濡れ、頬には飛沫の痕。だが、その瞳は確かな光を宿していた。


「オリヴァー……!」

名を呼ぶと同時に、彼女は胸に飛び込んでくる。細い体を抱きしめた瞬間、彼女の腹の膨らみが腕に触れた。

(……この命も、必ず守る)

強く抱きしめたい衝動を抑え、背に手を回す。


「怪我はないか」

「ええ……。数匹入ってきたけど、水魔法で何とかしたわ」

確かに床は濡れ、魔物の体には氷が突き刺さっていた。だが、彼女の指先はわずかに震えている。限界が近いことを、オリヴァーはすぐに悟った。


「これ以上は無理するな。お前は子を守れ」

短く言い切り、寝室に置かれた布袋を手に取る。中から、大剣を引き抜いた。


「……グラム」

呟いた声がわずかに震えた。

長らく振るっていなかったが、刃は健在。油の匂い、鉄の冷たさ。重量感は全身に馴染み、かつて戦場で振るった日々の記憶が蘇る。

木剣では決して得られない、確かな存在感。握っただけで体の芯に火が灯るようだった。


「やはり……これが俺の剣だ」

グラムを背負い、低く呟く。


「行こう。鍛冶場に皆が集まっているはずだ」


家を出ると、すぐ隣で声が上がった。

「おい、オリヴァー!」


ビルボだった。肩には大斧、隣には弓を構えたエリア。夫婦の顔は煤で汚れていたが、眼光は鋭い。


「無事か?」

「何とか、な。南はひどい……。だが、お前が来てくれりゃ話は別だ」

その声には、飄々とした仮面の奥に潜む本気が滲んでいた。


オリヴァーは頷き、ミレイユを背に庇いながら答えた。

「まずは中央へ向かう。村を立て直すんだ」


炎と煙の夜。鐘の音がなおも鳴り響き、泣き叫ぶ声が空気を震わせていた。

四人は並び立ち、燃え盛る道を鍛冶場へと駆け出した。


 オリヴァーは背負った愛剣グラムの重みを確かめながら、村の中央へと続く道を進んでいた。隣には妻のミレイユ、その肩を支えるように寄り添うエリア。そして先頭を大股で進むのはビルボだ。両腕で構える大斧は人間の胴よりも太い刃を持ち、その姿はまるで戦場の古兵のように頼もしい。


 「来るぞ!」

 前方の闇から、獣型の魔物が数匹、牙を剥き出して飛び出した。狼のような姿をしていたが、背丈は人と変わらぬほど。赤く濁った眼が月明かりを弾いた。


 ビルボは構えを取ることすらしない。踏み込みと同時に大斧を振り下ろした。

 「どけぇっ!」

 鈍い衝撃音。斧の刃は魔物の肩口から腰までを一息に裂き、血と骨の破片を夜空へ飛ばした。そのまま返すように横薙ぎ。別の魔物が両断され、断末魔の声を上げる間もなく地面に転がった。


 (……やはりだ)

 オリヴァーは目を細めた。普段は息子リアムにからかわれるほど気弱で、おどけた顔ばかり見せる男だが――斧を握ったビルボは別人だ。

 「さすが木こりの家系……」小さく呟く。

 斧の扱いに関しては、村の誰も敵わない。オリヴァー自身ですら、素手で対峙するならば勝てる保証はないと認めていた。


 「オリヴァー! 立ち止まるな!」ビルボが血に濡れた斧を振り払い、叫ぶ。

 「わかっている」

 返事をしながらも、オリヴァーは常に背後を振り返った。ミレイユが無理をしていないか、エリアが支えきれているかを確かめるためだ。


 ミレイユの腹はそれほど大きくはない。彼女は水の魔法で自衛できるはずだが、それでも戦場に連れ出すことへの不安は拭えない。

 「大丈夫か」オリヴァーは小声で問いかける。

 「ええ……少し、走れるわ」ミレイユは額の汗を拭いながら、わずかに微笑んだ。

 その笑みに、オリヴァーの胸は締めつけられるようだった。彼女と腹の子を、そしてテラを必ず守る。その誓いが剣より重く背にのしかかる。


 やがて、鍛冶場の火が視界に入った。赤く燃える炉の明かりが煙の中に浮かび上がり、鉄を焼く匂いが鼻をつく。


 「エド!」オリヴァーが戸口を叩くと、分厚い腕を持つ男が顔を出した。鍛冶屋エドだ。煤で汚れた顔には焦りと疲労の色が濃く刻まれていた。


 「無事か、オリヴァー! ――テラとリアム、それにペネロペは、カイルと共に南へ向かった!」

 「……そうか」オリヴァーは唇を結ぶ。彼らが戦場に立っていることを思い、胸の奥に熱と不安が同時にこみ上げる。


 「状況は?」

 「南が最も危ない。魔物の大群が押し寄せてる。西はカリーナが向かった。村長の家が狙われてるらしい」


 その言葉に、オリヴァーは即座に判断を下した。

 「俺は南へ向かう。テラたちと合流し、踏み止める」

 「なら、俺は西へ行こう」ビルボが大斧を肩に担ぎ、息を荒くしながらも笑った。「村長には世話になった。俺が行く」


 「待って、あなた……」エリアが彼の袖を掴んだ。だがビルボは首を横に振る。

 「心配するな。斧を持った俺は負けねぇ。リアムだってきっと無事だ」

 そう言って、わざとらしく肩をすくめて見せた。その仕草にエリアの目から涙がこぼれた。


 オリヴァーはミレイユとエリアを見つめ、言葉を選んだ。

 「二人はここに残れ。エドがいる。鍛冶場なら守りは堅い」

 「……わかったわ」ミレイユは頷き、腹に手を当てる。エリアも唇を噛み、無言でうなずいた。


 火床の熱が背を押す。

 「ビルボ、気をつけろ」

 「お前もな、オリヴァー。あの子たちを――必ず守れ」


 互いに短く頷き合い、二人はそれぞれの戦場へと駆け出した。

 南と西。村の命運を分ける道を、炎と血の匂いの中で分かれていった。




――オリヴァーが鍛冶場へ辿り着く、少し前のこと。

西の道を駆け抜けていたのはカリーナだった。隣には、剣士育成場の指導員ベルが並走している。


鐘の音が背後から絶え間なく響き、炎に照らされた村の影が歪み揺れる。その光と煙を背に受けながら、カリーナはひたすら前を見据えていた。


「急げ、村長宅は西の外れだ。あの辺りに魔物が流れている!」

ベルの声は短く鋭い。戦場を知る者の声だった。


カリーナは頷きながらも、胸の奥で別の光景を思い出していた。

――まだ小さかった頃。村長夫妻と一緒に、湖のほとりで石を投げて遊んだ日のことだ。

「カリーナは力があるね、三つも飛んだよ!」と笑ってくれた村長の声。

「ほら、もっと肩を入れて!」と優しく手を添えてくれた村長夫人の温もり。


(あの人たちは……私にとって、親も同然だ)

血は繋がっていない。それでも、自分を受け入れ、育ててくれた人たち。あの笑顔を失うわけにはいかなかった。


走る脚にさらに力を込め、カリーナはベルと共に夜の闇を裂いた。


村の西外れに立つ大きな屋敷――村長の家が見えてきた。

遠目にも、煙と炎の中で剣が交錯しているのが分かった。数人の訓練生たちが必死に戦っている。だが、その相手は普通の魔物ではなかった。


「……大きい」カリーナが息を呑む。


そこにいたのは、狼の魔物。だが体躯は常の二倍を優に超え、背丈は大人の胸ほどもある。灰色の毛並みは血と煤に汚れ、背筋に沿って逆立っていた。瞳は赤黒く光り、振るう爪は鋼をも断つかのように鋭い。


「大狼か……!」ベルの顔が険しくなる。

一匹でありながら数十の小型魔物に匹敵する力を持つ獣。その巨体は屋敷を背にした訓練生たちを押し潰さんばかりに迫っていた。


「持ちこたえろ!」訓練生の一人が叫ぶが、声は震えていた。

剣を振るうが、その刃は大狼の厚い毛皮と筋肉に弾かれ、逆に爪で深く肩を裂かれて吹き飛ばされる。血が夜気に散り、土に吸い込まれる。


「行くぞ!」ベルが叫ぶ。

カリーナは頷き、長剣を振り上げた。


炎が刃に宿り、彼女は大狼へ突進した。

「はああッ!」振り下ろした一撃が、大狼の頬を掠め、血を飛ばす。だが、それでも獣は怯まない。唸り声を上げ、跳躍した巨体がカリーナを押し潰そうと覆いかぶさる。


「避けろ!」ベルの声。

カリーナは身を捻って転がるが、爪先が肩を掠め、熱い痛みが走る。血が滲んだ。


ベルの剣が閃き、大狼の腹を狙う。だがその俊敏さは常軌を逸していた。跳ね退いた獣の爪が逆にベルの腕を裂き、鮮血が迸る。


「くそっ、速すぎる……!」ベルが呻く。


カリーナは荒い呼吸の中で歯を食いしばった。恐怖で体が竦む――だが、脳裏に浮かんだのは湖で笑う村長夫妻の姿。

(絶対に……守る。あの人たちは、私の家族なんだ!)


再び長剣を握り直し、立ち上がる。


瞬間、大狼の咆哮が空気を震わせた。

訓練生の一人が怯んだ途端、その鋭い爪が胸を裂き、鮮血が飛び散る。少年の体は宙を舞い、地面に叩きつけられて動かなくなった。


「っ……!」カリーナは唇を噛みしめる。助けに行きたいが、巨体が壁のように立ちはだかり、近づくことさえ叶わない。


「カリーナ、右だ!」ベルの声。

横薙ぎに振るわれた爪を、辛うじて長剣で受け止めた。衝撃で腕が痺れ、膝が折れそうになる。

「ぐっ……!」

炎を纏わせた刃が毛皮を焼くが、傷は浅い。厚い筋肉が衝撃を吸収している。


大狼は低く唸り、再び跳躍した。巨体が宙を舞い、屋根を砕く勢いで襲いかかる。

「避けろ!」ベルが叫ぶ。

二人は転がるように退避し、土煙が夜に舞い上がった。


訓練生の一人が恐怖に突き動かされ、背後から斬りかかる。だが、大狼は振り返りもせず尾で薙ぎ払い、少年の体を吹き飛ばした。背骨が折れる音が聞こえ、彼は呻き声もなく倒れ伏す。


「くそっ……!」ベルが吠え、渾身の突きを繰り出す。刃が大狼の肩に食い込み、血が飛び散った。だが次の瞬間、獣の顎が迫り、ベルの腕に食らいついた。

「ぐああっ!」鋭い牙が肉を裂き、血が滝のように流れる。


「ベル!」

カリーナが叫び、剣を振るう。炎が牙を焼き、大狼は唸り声を上げてベルを放す。しかし、彼の腕は血に濡れ、握力が失われていた。


「……っまだだ……!」ベルは歯を食いしばり、左腕一本で剣を構える。その背に、カリーナは並び立った。


(負けられない……! 私には、守る理由がある!)

脳裏に蘇る湖の情景。村長夫妻が笑いながら石を投げ、カリーナの肩を叩いてくれたあの温かい時間。

(あの人たちは……私の両親なんだ!)


「来い……!」カリーナが唸る。炎をさらに強く纏わせ、夜を裂くように振りかぶる。


大狼が再び飛びかかる――その瞬間だった。


地を割るような轟音。

「うおおおおおお!」


新たな影が戦場に飛び込んできた。

巨大な斧を振るう男――ビルボだった。


振り下ろされた大斧が地面を抉り、大狼の足元に土塊が弾ける。体勢を崩した大狼の巨体が宙に浮き、地面に叩きつけられた。


「待たせたなぁ!」ビルボが叫ぶ。

その声は豪快で、血の匂いの中に一瞬だけ頼もしさをもたらした。


「今だ!」ベルが叫び、カリーナが踏み込む。

長剣が燃え上がり、獣の首筋を狙う。

「はあああっ!」

炎を纏った刃が毛皮を裂き、肉を焼いた。


続けざまにベルの剣が腹を穿ち、鮮血が雨のように降り注ぐ。

「ぐおおおおおっ!」大狼の咆哮が響き渡り、家の窓ガラスが砕け散る。


「仕留めろぉ!」ビルボの叫びと共に、大斧が振り下ろされた。

刃は獣の頭蓋を粉砕し、骨が砕ける鈍い音と共に、巨体が地に崩れ落ちた。


赤い血が土を染め、熱い蒸気が夜に立ち上る。

静寂。咆哮も唸りも消え、燃える炎の音だけが残った。


カリーナは荒い呼吸を繰り返しながら、剣を支えに立ち尽くしていた。

ベルは腕を押さえながらも、血に濡れた顔で微笑んだ。

「……よくやったな」


ビルボが肩で息をしながら大斧を背に担ぎ、カリーナを見やった。

「お前も……もう立派な戦士だ」


しかし、カリーナの胸に、熱いものが込み上げた。

(まだ……守れた。あの人たちを……!)


夜の炎が揺らめき、戦場の血を照らし出す。だが、村全体の戦いはまだ終わっていない――。









カイルが串刺しにされ、地面に叩きつけられる音が耳を裂いた。

 土を赤黒く染める鮮血。頼もしかった背中が、今は無残に崩れていく。


「カイル……っ!」

 声が掠れる。喉が焼けつく。

 リアムは土壁にもたれたまま、呻き声を漏らしている。立ち上がれそうにない。

 ペネロペは目を閉じ、意識を失ったまま地面に横たわっている。


(逃げられない……誰も……! なら、俺が――!)


 テラは震える腕に力を込め、血で滑る長剣を握り直した。

 全身は痺れでまともに動かない。呼吸さえも苦しい。

 それでも心の奥底から、燃えるような叫びが突き上げる。


「俺が……! 俺が、やるしかないんだ!!」


 長剣を強く握り、魔力を叩き込む。火、水、そして雷。

 本来なら混ぜてはならない属性が、無理やりにひとつの刃に押し込まれていく。

 刀身が赤く、青く、そして紫に閃き、狂ったように軋んだ。


「人間……まだ立つか」

 バルグが嗤い、血塗れの大剣を構え直す。

「なら、まずは貴様を屠ってから、この娘を喰らってやる!」


 巨体が踏み込み、大剣が振り下ろされる。

 大地ごと割る一撃――。


「うおおおおおおッ!」

 テラは絶叫し、全魔力を込めた剣を頭上に掲げる。


 轟音。

 剣と剣がぶつかり、火花が爆ぜ、雷光が夜を裂いた。

 圧力に押し潰されそうになる。それでも踏みとどまる。


 刹那、雷が暴走した。

 全身を電撃が駆け巡り、喉が焼け、呼吸が詰まる。

 心臓が握り潰されるように鼓動を乱し、血の気が引いていく。


「ぐ……ぁぁあああ……ッ!」


 肺が空気を拒み、意識が暗闇に引きずり込まれていく。

 それでも剣だけは、離さない。

 ペネロペを、リアムを――守るために。


 バルグの大剣が止まっている。

 圧倒的な怪力を、少年の両腕が、命そのものを削って受け止めていた。


だが、その瞬間。


ピシッ……


嫌な音が耳を刺した。

テラの長剣に亀裂が走る。光を帯びた刀身が震え、さらに圧力が加わった瞬間――


バキィィィン!


刃が折れた。

破片が飛び散り、火花と雷光に混じって宙を舞う。

手に残ったのは、半ばから折れた剣身。


「……っ、まだ……だぁぁぁ!」

絶望を噛み殺し、テラは折れた剣の残りで必死に押し返す。

雷が暴走し、呼吸が奪われ、心臓が弱々しく沈んでいく。

視界が赤黒く揺らぎ、今にも意識が途切れそうになる。


それでも――

(守るんだ……俺が……!)


ペネロペも、リアムも、倒れて逃げられない。

ここで自分が止めなければ、すべてが終わる。


「……チッ、小僧が」

 バルグの牙が唸る。次の瞬間には、押し潰されるだろう。


 その時――。


「よく……持ちこたえたな、テラ」


 背後から聞き慣れた声。

 振り返る余裕はない。それでも、全身に安堵が広がった。


「父さん……!」


炎よりも赤く輝く刃――グラムを掲げる男、オリヴァーが立っていた。


刃は刀身以上に膨れ上がる紅蓮の炎を纏い、轟音を立てて燃え盛っていた。


バルグの目が赤黒く光り、牙を剥いた。

「ほぉ……人間の中にも、まだ骨のあるのがいたか!」


オリヴァーは一歩前に進み出る。その足取りは重くも揺るぎがなく、圧を放っていた。

まるで誰も動くな、と言わんばかりの圧を


やがてバルグとテラの間に割って入り、

「後は任せろ。お前たちは、よく耐えた」


そう告げると同時に、グラムにさらに魔力を注ぎ込む。

刀身が炎に飲み込まれ、形を失うほどに膨れ上がっていく。熱気が周囲を焼き、地面の草が瞬時に黒焦げになった。


「滅却――」


大剣の炎が天を裂き、火柱のように燃え上がる。

次の瞬間、オリヴァーは一気に振り下ろした。


「――ッッ!!!」


轟音と共に炎が奔流となって地を這い、村の南一帯を飲み込んだ。

爆ぜる熱風、白く焼け爛れる大気。目を覆う暇もなく、すべてを焼き尽くす。


バルグは嘲るように吠え、剣を振り上げて受け止めようとした。だが――


「ぐ……ぬぉぉぉおおっ!!!」


大剣ごと炎に呑まれ、皮膚が焼け、毛が燃え、角がひび割れて砕ける。

紫に輝いていた魔力の角も、最後には黒く砕け散った。


「ば、馬鹿な……俺が……!」


その声も熱に掻き消され、肉体は骨すら残さず灰となる。

燃え盛る嵐の中に呑まれ、魔人族(デモニカ)バルグは――跡形もなく消滅した。


炎が収まり、ただ焼け焦げた地面だけが残る。

血と煙の匂いの中に、あの嘲笑も、恐怖を呼び込む咆哮も、もうなかった。



オリヴァーはグラムを地に突き立て、荒い息を吐く。

背後では、テラが折れた剣を握りしめたまま、土に膝をついていた。


「……はっ、……はぁっ……!」

呼吸が浅く途切れ、肺が痙攣するように苦しい。心臓の鼓動が弱々しく、遠くから響く太鼓のように乱れていた。

雷の暴走が全身を蝕み、視界の端は暗く染まっていく。


「テラ!」オリヴァーが振り返る。

だが彼が駆け寄る前に、テラは力尽きるように横倒しになり、意識を失った。


オリヴァーは眉を寄せ、荒く息を吐いた。

「……命を削ってまで耐えたか。よくやった……」


燃え残る火の粉が夜空に舞う中で、英雄の言葉だけが静かに落ちた。



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