第4話 剣士育成場
剣士育成場は、村の中央から小高い丘をひと登りした先にある。朝露を吸った草が足首を濡らし、柵で囲われた広場には、もう木剣の音が乾いた空に弾けていた。
テラは背に長剣を模した木剣を負い、門柱に手を触れてから一歩中へ入る。背負う位置は肩甲骨の少し下。まだ腰に差せる体格ではないから、帯ではなく背負い紐で固定するのが彼のやり方だ。隣ではリアム・コリンが弓袋の口を確かめ、ペネロペ・スティッチは細い腰帯に短剣型の木剣をちゃり、と鳴らして差し直した。
「おはよう、全員集合!」
よく通る声で場が締まる。父、オリヴァー・クロフトだ。粗布の稽古着に木剣一本。飾り気のない姿なのに、立っているだけで視線が集まるのは、剣を生きてきた人間の重さのせいだとテラは思う。
「まずは体だ。腕立て二十、腹筋二十、背筋二十、からの腿上げ百。冬が来ても土台は裏切らん。さあ、数えるのは自分だ。誤魔化した回数だけ弱くなるぞ」
号令が落ちると、一斉に地面が擦れる音が広がった。
腕が焼ける。腹が呻く。背中に汗が走る。テラは噛みしめる歯の隙間から息を吐いた。横目に、リアムが弓手の指先のマメに布を巻いているのが見えた。ペネロペは静かに数を刻むタイプで、呼吸も乱さない。三人三様のリズムが、同じ朝の中に並んでいるのが心地よい。
基礎が終われば構え、足さばき、素振り百本。足の親指で地面を感じ、膝を割り、腰を据える。木剣が空気を切る音は軽くて、まだ頼りない。だが、その軽さに回数が宿れば芯が生まれると、オリヴァーはいつも言う。
「ペネロペ、手首で振らない。肘から肩だ。刃物は腕で運ぶと危ないが、木剣は体で運べ。……そう、その線のまま腰を乗せる」
「はい」
「リアム。足、半歩近い。弓でも短剣でも、間合いを測る目は同じだ。踏み込みの幅を身体に覚えさせろ」
「うん、もう一回」
午前の仕舞いに、的場が用意された。円を描く白い板に、赤い中心が塗られている。リアムが弓を引くと、育成場のざわめきがすっと薄くなった。弦が鳴る。矢羽が空を切り、赤の真上に突き立つ。思わず歓声が起き、リアムは耳まで赤い。
「弓は呼吸で当てるもんだ。いい息だった」
オリヴァーが短く褒める。ペネロペはその傍らで、短剣型木剣の抜き差しを丹念に繰り返した。鞘はないが、腰帯の角度、指の掛け方、抜くときの肘の高さ――指導された通りに何度もなぞっている。彼女は、細かい積み重ねを蔑ろにしない。
昼を回り、皆が水を飲みに集まったところで、オリヴァーは木の枝を手に取った。地面に丸く大きな円を描き、四点を等間隔に打つ。
「通過儀礼も済んだ。お前らは自分の“色”を知った。だが“どう強くなるか”は、まだ分からんだろう。だから基礎の座学だ。剣の合間に、頭も鍛えるぞ」
枝先が、円の四点を順に叩く。
「ここが火、風、水、土。これで円環だ。世間じゃ“向かい合う属性は相性が悪い、隣り合う属性を学ぶほど強くなる”と信じられている。おおむね、それで喧嘩せずに済む理屈にはなってる」
子どもたちから笑いが漏れる。オリヴァーは片目をつむって肩をすくめた。
「だがな。机の上の理屈が、野の風と土の上でそのまま通じるかは、わからん。……まあ、俺は火で、妻のミレイユは水だが、相性は最高だ! この理屈だけは絶対だ」
「ええー」と誰かが笑い混じりに声を上げ、場の空気が柔らかくほどけた。テラは笑いながらも、父の言い回しに引っかかりを覚える。“わからん”と言った。否定ではなく、留保。直感で感じ取っていながら、あえて言い切らない父の癖だ。
オリヴァーは円の中心に点を打つ。
「で、雷。雷はここだ。円環の中央に位置し、どの属性とも結びつけられる。橋になることも、刃になることもある。扱いがいいか悪いかは、お前しだい。覚えておけ」
テラは無意識に背筋を伸ばした。雷は“特別”と呼ばれない。ただ中央にあって、結び目になる。――その言葉のほうが、胸にすんなり落ちた。
「もうひとつ。光と闇」
枝の先が、円の外に二つの小さな丸を描いた。
「光は“癒し”や“創造”を象徴する。形のないものを形にし、傷んだものを繋ぎ直す。闇はその逆、“破壊”や“分離”に長ける。結び目を断ち、境を引き直す」
ペネロペがわずかに肩を強張らせるのを、テラは横目で見た。通過儀礼のあと、教会の神官が擦りむいた膝に白い光で手をかざし、皮膚が綺麗につながっていくのを、三人で固唾を飲んで見ていた。あの光が、今、ペネロペの中にある――その事実は誇らしく、同時に重い。
「いいか、光も闇も、希少だからといって怖がるな。怖がって手を離したら、力は牙を剥く。手を添え続ければ、道具になる。……剣と同じだ」
ペネロペは小さく息を整え、静かに頷いた。
「属性の話はここまで。次、世界の住人の話だ。相手を知らなきゃ、いらない喧嘩もする」
オリヴァーは円の外に、簡単な人物の記号をいくつも描く。
「まず、俺たち人間族。数が多く、町を作り、畑を耕し、鍛冶もする。器用だが、寿命は長くない。だから急ぐ。急ぐぶん、失敗も多い」
ひとつ置いて、
「竜血族。長命で頑強、体の芯に“熱”を宿してる。戦に強い。瞳の色は赤い、頬に鱗のような模様、立ってるだけで圧がある。近づけばわかる」
次に長い耳を一本線で描いた。
「長耳族。森と親しく、弓と魔術が得意だ。精霊と語らう者もいる。時間の流れが俺たちとは違うから、焦らない。焦る俺たちと揉めることも多いが、根は嘘を嫌う」
続けて、影の尾のようなものをさらりと描き足す。
「影人族。**魔人と人間**の混血だ。姿を隠すのが上手い。夜目が効いて、足が軽い。街では普通に暮らしてるが、表に出たがらない。噂話が先に歩くせいで、無用に怖がられたりもする」
最後に、四足に近い塊を大きく描いた。
「魔人は、言葉を話す“人”だ。角が生えてたり、肌の色が濃かったり、姿は本当に様々だ。昔は“魔族”とひとくくりに呼んだが、今は違う。“魔族”はこの世界じゃ竜や魔物の類いのことで、言葉は通じない。間違えて呼ぶと、面倒が増える。覚えとけ」
言葉を区切るたび、子どもたちの顔に「知らなかった」が浮かぶ。テラは地面の絵を目に入れ直す。名前がある。区別がある。線を引き間違えると、争いが生まれる。それは剣の間合いと同じだ、と頭のどこかで繋がった。
「剣を持つってのは、切るためだけに持つことじゃない。間違って切らないためにも、持つんだ。今日の話は、そういう話だ」
短い昼の講義は、そこでお開きになった。
午後は対人の基礎――当てない打ち合い。相手の木剣に、自分の木剣を“置く”感覚から始まる。テラは相手の肩線、腰の高さ、軸足の向きに目を配りつつ、置く、払う、打ち込む、をゆっくり繰り返した。ペネロペは刃筋の通りが美しく、当てない距離を正確に測る。リアムは間合いを詰めるときだけ一瞬、獣みたいに速い。
そこへ、カリーナが現れた。
赤い髪で、瞳は赤。背丈はテラとそう変わらないのに、立つ場所を選ばぬ自信が身体の端々から匂う。名乗らない。視線だけで「打つ相手」を求め、木剣を取った。
打ち合いは、重い一手から始まった。テラの木剣に乗った重さに、腕が痺れる。踏み込みの音が短い。地を叩く足が体幹の真下に落ちる。右の打ち下ろしから左の横薙ぎへの繋ぎが速い。力強く、受け流しても体勢を崩される。荒い攻撃だ。
十合。二十合。木剣の縁が乾いた音を連ね、最後、彼女は一歩引いて小さく頷いた。口は開かない。けれど「また」と言ったように見えたのは、テラの都合のいい解釈かもしれない。カリーナはそのまま踵を返し、広場の外へと去っていった。
練習が再開されると、リアムが弓を取ってもう一度的に向かった。先ほどより遠い位置に立つ。息を三つ。引き分け、放つ。矢は、中心から指二本分だけ上に刺さった。
「風、左から半分」とリアムが自分で言う。
「なら、半分返せ」オリヴァーが短く返す。
次の矢は赤をかすめて白に触れた。リアムは悔しそうに笑い、ペネロペは短剣の柄頭を指で弾いて響きを確かめる。テラは打突の最後の一寸をもう一度見直す。刃が止まる場所で、相手の動きが“止まる”のではない。“選べなくなる”だけだ――カリーナは、その選ばせない一寸を、当たり前にやってみせた。
夕方、片付けの時間。束ねた木剣の束を担ぎながら、テラは父に尋ねた。
「父さん。今日の話……向かい合う属性は相性が悪い、って、村の教本にも載ってた。でも、父さんの言い方は“まあそう信じられてる”だった。どっちを信じればいい?」
オリヴァーは束を肩から降ろし、しばし空を見た。雲間から薄く光が落ちている。
「信じるのは自分だ。教本は“争いが減る”ように書いてある。俺の言い方は“生き残る”ためにある。……どっちも間違いじゃない。違う場の理屈だ。お前が剣を抜く場は、どっちだ?」
テラは答えず、問いを胸にしまった。
オリヴァーは笑い、今度は軽口に戻る。
「それに、さっき言ったろ。俺は火、ミレイユは水。――相性は最高だ。これだけは世界の真理だ」
「母さんに言いつける」
「やめてくれ、晩飯が減る」
笑い合い、テラとリアム、ペネロペは育成場を後にする。夕暮れの風が汗に触れて、少し冷たい。
下りの坂を半ばまで来たところで、教会の鐘が一度だけ鳴いた。誰かが転んだのだろう。白い法衣の神官が小走りに出てきて、泣きじゃくる子の膝に手をかざす。ふわりと柔らかな光が生まれ、血の筋が消えてゆく。ペネロペが立ち止まり、胸に手を当てた。
その横顔を見ていると、テラの胸のどこかで、朝の父の言葉が反芻された。“怖がって手を離したら、力は牙を剥く。手を添え続ければ、道具になる”。
「……明日も、来よう」
誰に言うでもなく呟くと、リアムが「当然」と肩を並べ、ペネロペが「うん」と頷いて続いた。
家に帰れば、ミレイユが通過儀礼のパーティをしてくれる。父は今日の稽古の反省を三つだけ言い、ミレイユが笑って窘める。寝る前、背の木剣は壁に立て掛けず、布を巻いて丁寧に紐で縛る。剣を大事にすることは、明日の自分を大事にすることだ――オリヴァーの口癖を、テラもいつの間にか真似するようになっていた。
布団に潜る。腕と肩がじんじんする。まぶたの裏に、木剣の軌道と、あの無駄のない踏み込みが残像のように流れる。
明日、少しだけ近づけるだろうか。
そう思ったところで、眠りの底がすっと広がった。
夜。家の外では、丘の上を風が撫で、木々がわずかに鳴る。遠くの教会から、遅くまで灯りが漏れていた。誰かの小さな傷が、白い光で繕われているのだろう。
それは、誰かの明日のための光だ。切るためだけでなく、切らないために剣を持つように――結ぶためにも、解くためにも、世界には手が要る。テラはまだ、その意味を言葉にできない。ただ、身体の奥で、確かにそう感じていた。




