幕間2「ダリウスとセリウス:ヤーン大陸の伝承」
王城の中央塔から、さらに下へ。
冷えた石段が延々と続く。壁に埋め込まれた封呪の灯が、青白い光の輪郭だけを残して揺れ、足音は吸い込まれるように小さかった。最後の踊り場で、黒鋼の扉が二重三重の錠前を外し、鈍い拍動のような解錠音を立てる。
「――開けるぞ」
先に立つセリウスが掌を軽くかざすと、封蝋の紋がほどけ、門扉が内へ沈む。地下の空気は乾いているのに、どこかで雷の匂いがした。
「まず報告を済ませる」ダリウスが低く言う。「ミレイユ・クロフトの出自、確定した。生まれはルミナス台地の魔法都市エーテリアス。旧姓はミレイユ・ノクターン。ノクターン家は、あの台地に連なる『三大名門』のひとつだ」
セリウスは短く顎を引いた。青い瞳が、静かに熱を帯びる。
通路の先、円形の広間に出る。中央に低い石壇、周囲に封呪の柱。ここが王城の最奥――
「記録を整える」セリウスが続ける。「……およそ1500年前。アルテナスがまだ『ひとつの大陸』だった頃、今のヤーン大陸の近辺に最初のダンジョンが突如、出現した。溢出――オーバーフローだ。魔物が世界へ溢れ、ヤーン近辺は人の踏み入れぬ魔の巣窟となった」
ダリウスは黙って頷いた。セリウスの語りは淡々としているのに、音の一つひとつが重い。
「そこへ踏み入ったのが、アルテナス史上唯一の巨人――トール・クロフト。彼は巨大な槌を“ダンジョン”に振り下ろし、叩き砕いた。周囲の魔は霧散し、地は大きくうねり、ダンジョンのあった場所には大きな湖が生まれた。……代償として、トールは力尽きたと伝わる」
セリウスは石壇を一歩よけ、視線だけで合図する。
目の前に“それ”はあった。
巨大な槌――だが、誰もが想像するそれとは異質だった。柄が異様に短い。両手で握っても余るほどの短さで、あたかも握力と膂力だけで雷を抑え込めと強いるような不遜な寸法。金属でも岩でもない質感の頭部には、雷の古い痕が網の目のように走り、近づくだけで皮膚の内側がぴりつく。
「ミョルニル」ダリウスが息を飲むように名を置く。
「ああ。ここでトールは力尽きた」セリウスが静かな声で続ける。「最初にこれを見つけたのが、初代ファブリカ王だ。彼はこの“槌”を国の核と定め、王国を築いた。以来、王家はこれを国宝として秘匿してきた」
しばし沈黙。石と雷の匂いだけが広間を満たす。
やがて、セリウスは苦笑に似た薄い陰りを唇に載せた。
「試したことがある。触れず、気で撫でるほどに魔力を流そうとした。――一瞬で魔力が吸われ、枯渇寸前になった。俺の魔力量と出力では扱える代物ではない。もちろん筋力もだ。柄のこの短さは、選ばれた握力と体躯を前提にしている」
「選ぶ器、か」ダリウスが呟く。「……テラは」
「あの魔力量と瞬間出力、そして“雷”。――伝承のトールをも超える可能性を秘めている。この王都だけで生涯を過ごさせるには、あまりにもったいない」
セリウスの声は淡く、しかし確信を孕んでいた。「だから旅に出させた。王都の『教え』より、外での『遭遇』が先に来る子だ」
ダリウスは頷き、視線をわずかに落とす。「……それで、あの夜の“折損”と“雷の反動”は?」
「簡潔に言う」セリウスは石壇から半歩離れ、言葉を刻むように続けた。
「折損は――火と水の流れに“雷”が重なり、刃の内側で力がねじれて、材料の限界を超えた。エドの鍛えは本物だが、『名剣級構造』でもなければ受け止め切れない局面がある。
呼吸・心拍の落ちは――雷が溢れ出た反動だ。胸の神経が痺れ、肺が一時的に動きづらくなる。心拍は雷の反動で沈み、意識は落ちる。……よく戻った。戻したのは、あの子の生命力だ」
言い終えたところで、セリウスはふっと笑むように目を細める。
「クロフトとノクターン――。血筋が“噛み合う”音がした。……オリヴァーのやつ、知ってか知らずか、やはり“とんでもないもの”を作ったな」
「……王へは?」ダリウスが問う。
「当然、王は知っている」セリウスは視線を広間の天井へ向け、王城のさらに上――玉座の方角へ言葉を運ぶように言った。
「国は守る。未来は国境の外で育つ。王はそう言える人だ。備えはわたしたちが担う。だが、歩くのは子らだ。テラも、リアムもセリーヌも」
セリウスが踵を返す。青い視線が最後にもう一度、ミョルニルへ落ちる。
異様に短い柄の根本、触れていないのに掌が痺れた。
石の空気に、細い雷の匂いがまた走る。
「行くぞ、ダリウス」
黒鋼の扉が再び軋み、重い音で閉まっていく。
最後の隙間がぴたりと塞がれた瞬間、広間には**“柄の短い雷槌”**だけが無言で立ち続け、古い雷の気配だけが微かに残った。




