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第12話 アラクネーラ

冒険者ギルドは、王都の大通りを一本外れた石畳の先にあった。黒い楯の紋章が掲げられた二階建ての石造り。太い梁と鋲だらけの扉、上階の連窓には依頼票の木箱がいくつも吊られている。昼の喧噪の芯みたいに、金具の触れ合う音と笑い声、紙の擦れる乾いた気配が、厚い扉の隙間から漏れていた。


「……ここだな」テラは掌の汗を拭い、銀色の糸の腕輪を一度だけ親指でなぞる。隣でリアムが息を吐き、肩を回す。フードを深く被ったセリーヌ・ファブリカ――いや、今日からは“セリーヌ・フランシス”が、小さく頷いた。


扉は重かった。三人で押すと、軋む低音とともに、熱と匂いが押し返してくる。革と油、鉄と炭、酒とスープ。広間は吹き抜けで、正面に長い受付台、右手に依頼掲示壁、左手には待合の長卓がいくつも。板床に刻まれた靴跡が幾筋も交差している。


「登録の方は、こちらへ」

受付で声がした。灰色の髪を後ろで束ねた女性職員が、慣れた手つきで羊皮紙と羽根ペンを用意する。白い腕にギルド紋の腕章が光る。


「三名、です。新規登録を」テラが言う。


「はい。氏名、年齢、出身地。魔力印の刻印、誓約の朗読、手数料一人銀貨一枚。保護者の許可は不要ですが、未成年は規約の遵守に厳格です。違約時は依頼停止・罰金あり。よろしいですね」


「問題ないです」リアムが先に財布を出し、銀貨を置く。テラとセリーヌも続いた。


「お名前からどうぞ」


「テラ・クロフト。13」

「リアム・コリン。13」

セリーヌは一拍置いてから、少しだけ顎を引いた。「セリーヌ・フランシス。13」


女性職員は迷いなく書き留め、顔を上げる。「魔力印を。それぞれ、ここに手を置いて、意識を流してください。痛くはありません」


台上の黒い石板に、テラが右手を置く。呼吸を整え、ほんの少しだけ火と水を混ぜない“ただの自分”を流す。石板の縁がぬるく光り、細い紋様が一瞬、掌の下で花開いた。リアム、セリーヌも同じように続く。セリーヌの光は澄んでいて、静かな水面みたいだった。


「誓約文を読み上げてください。『依頼の虚偽報告・横取り・無断放棄をしないこと。秩序を乱さないこと。仲間と依頼主の安全を第一とすること』」


三人は順に声を重ねた。声が終わると、受付の奥から小さな木箱が運ばれてくる。蓋が開く音、金具の触れる澄んだ鈴音。

「冒険者板札。材は硬樫、縁に鉄。表に名と等級、裏に魔力印。」


板札が手渡された。掌にしっくりと収まる厚み。刻まれた文字は素朴で、しかし強い。

テラは思わず裏を確かめる。淡い線が掌の紋様と呼応するように輝き、また消えた。


「初期等級は全員“初級”。ここから依頼と実績で上げて行ってください。討伐・護衛・採集・運搬・探索が基本です。依頼は受付でご案内します」


受付の女性が薄い小冊子を差し出した。表紙には『迷宮初歩――ギルド標準要覧』の押印。


「初登録の方には、まず“ダンジョン”の基礎から。」


「ダンジョンって……何です?」テラが訊く。


「一言で言えば魔力の結び目。地脈が絡み合って“異常地形”ができ、内部に階層と魔物、資源、罠が育つの。生き物じゃないけど、侵入者に反応するわ」


 彼女は冊子を開き、指で項を叩く。

•構造:入口 → 螺旋/枝道 → 階層主→ 次層。

コア:奥深くに“迷宮核”があり、周囲の魔力を吸って形を保つ。

•資源:鉱石・薬草・迷宮木・魔獣素材――大きな稼ぎはたいていここから。

•危険:罠・地形崩落・毒霧・魔息まそく。油断すると危険度に関係なく死ぬ。


「危険度?」リアムが身を乗り出す。


「ダンジョンに限らず、依頼はE → D → C → B → A → Sの六段階で危険度を表すの。

 E・Dは初級者向け。C・Bは“中級以上”の同行推奨。A・Sは“上級以上”の同行推奨――単独突入は論外ね。ちなみにA・Sのダンジョンでは稀に“宝具”が出るわ。」


「宝具って?」セリーヌが首をかしげる。


「簡単に言えば、特殊な力を宿した魔道具。持ち主や条件を選ぶものが多く、“世界の法則”を一時だけ押し曲げると記録されるのもあるの。だから扱いを誤れば命取り。」


「初級の俺たちは?」

「E〜Dまで。三名以上で依頼を受けてね。ダンジョンでは導糸どうしの携行が規定。導糸は道に張って戻り道を確保するための銀糸よ。自作派もいるけど、最初は配給品を使って」


 セリーヌが小声で胸を張る。「わたくし、結び方は得意」


「もうひとつ。“溢出オーバーフロー”――俗にスタンピード。核が飽和して迷宮が外へ魔物を吐き出す現象。溢出したら避難、近隣ギルドが封じ込める。……最近は頻度が読みにくいの」


 受付は冊子を閉じ、広間の奥を顎で示した。


「基礎は以上。次は世界の“強者”を示す板――『アラクネーラ』を見ておくといいわ。右奥の青白い光、案内するわ。」


 人だかりの向こうで、光の板が脈打っていた


「『アラクネーラ』。世界基準の“いま最も危険で強い存在”を、勝手に――ええ、本当に勝手に――1位から10位まで並べる古代魔導具よ。誰にも操作できないし、申請も不要。名前だけが載るの」


「勝手に……?」リアムが目を丸くする。


「王都だけじゃないわ。各地のギルドにも同じ板があって、どれも同時に更新される。どうやって計っているかは誰にも分からない。討伐記録や目撃証言、戦場での影響……そういう“世界の出来事”を拾っていると言われるけれど、推測の域ね」


 光る面を指で示す。「見て。これが今のアラクネーラ」

1.アラクネウス・カロニス

2.オルド・ホーエン

3.ヴァン・ゴルドウィン

4.アーシャ・リュミエル

5.ドロゴ・ドラコニス

6.ボルドール・イフリート

7.ニーア・フェルド

8.ライオネル・ヴェントス

9.セリウス・ナイトヴェイル

10.ユルゲン・クロウ


「順位はたまに入れ替わるけれど、5位以上の顔ぶれは滅多に変わらないわ。冒険者にとっては“世界の天気予報”みたいなものね。嵐が誰であるかを示すの」


 テラは9位に目が吸い寄せられた。わずかに息を呑む。


「……団長、ファブリカ王国で最強どころじゃないじゃん」

 言いながら、自分の声が小さくなる。「“世界基準”でも上位なんだ」


 受付の女性が肩をすくめる。「王都の人間は皆、あの方に守られてるって思ってる。でも、このアラクネーラは時々それ以上を教えてくれるの。世界は広いわ。――怖くもあり、面白くもある」


 リアムは拳を握り、板札を胸に当てた。「いつか……いや、まずは初級をちゃんとこなす、だな」


 セリーヌはフードの陰で小さく頷き、「わたくし、がんばる」とだけ言った。

「その“わたくし”だけ強いな」とリアムが笑い、受付の女性もくすっと笑った。


「規約要覧、ちゃんと読んでね。初級のうちは無茶しないこと。――それと、アラクネーラの十人に会ったら逃げること。生き延びるコツよ」


 テラは「はい」とだけ答え、もう一度アラクネーラを見上げた。青白い文字が淡く揺れ、現実味のない遠さと、手の中の板札の重さが同時に胸に落ちる。


 受付の鐘が一度鳴る。依頼掲示壁に新しい羊皮紙が貼られていく音がした。

「行こう。昼飯を食べて、依頼を見よう」

「賛成」リアムが笑い、セリーヌは「言い換えの練習も」と真顔で付け加えた。


 重い扉を押し出すと、陽の匂いが戻ってくる。遠くで黒い紋章楯が揺れ、テラは板札を握り直した。


昼飯を露店で軽く済ませ、広場の噴水の縁に腰かけて一息。パン屑をついばむ小鳥と、石畳を流れる水音。セリーヌは外套のフードを少しだけ下ろし、深呼吸してから言った。


「じゃ、言い換えの練習をしましょう。庶民寄りに」


リアムがニヤつく。「はい王女様、じゃなくて“セリーヌ・フランシス”さん。まずは“ご機嫌よう”」


「調子はどう?」即答。

「“感謝いたします”」

「ありがとう」

「“承知しました”」

「わかったわ」

「“存じ上げません”」

「知らないわ」

「“お手数をおかけします”」

「手間かけるわね」

「“申し訳ありません”」

小さく間があいて、「ごめん」――声はほんの少し照れていた。



テラが合いの手を入れる。「“ご機嫌よう、皆さまに感謝いたします”」


セリーヌは目を細め、口角を上げる。「調子はどう? ありがとう」


「合格だな」リアムが親指を立てる。セリーヌは得意げに腕輪をきゅっと直し、外套のフードを目深に被った。


「よし、依頼を受けに行こう」テラが立ち上がる。



ギルド広間は相変わらず賑やかで、板札が打つ木の音、羊皮紙の擦れる音、鎧の金具の触れ合う音が重なっていた。掲示板の“初級”の欄はびっしりだ。護衛、素材採取、失せ物探し、伝令――色とりどりの文面のなか、ひときわ目を引く太字。


【護衛】復興物資運搬/目的地:シルク村/危険度:D(街道沿い)

人数目安:3〜6 等級:初級可 日数:1日

内容:荷馬車2台(木材・麻布・乾燥食)を護衛して村へ搬入。

報酬:一人当たり銀貨8枚+歩合(被害ゼロで+2)

出発:明朝 第二刻 集合:南門外 集積場

備考:ギルド側よりベテラン2名同行。野盗警戒、狼群れ注意。


「これだ」テラが指先で示す。

リアムがうなずく。「帰り道ができる。顔を出して、出発」


セリーヌがフードの陰で小さく拳を握る。「行きましょう。――依頼は受付でね」


三人は受付へ向かった。午前に応対してくれた女性が、また柔らかく顎を引く。


「依頼の申し込み? 札と依頼票をどうぞ」


板札と紙を差し出すと、彼女は内容を確認して頷いた。


「シルク村の復興物資。初級の方には少し長めですが、街道沿いで危険度はD。明朝 第二刻出発、集合は南門外。ルールの確認、よろしい?」


「わかったわ」セリーヌが即答する。


受付は微笑し、さらに要点を続けた。


「編成はこうなります。荷馬車2台、御者2名、ギルド手配の護衛(中級)2名。そこにあなたたち初級3名で計7。隊列は先頭に中級の“ラウド”が立ち、二列目右にテラさん、左にリアムさん。中央線の後方にセリーヌさん、魔法は後衛支援が基本。最後尾にもう一人の中級“マルタ”。道中の合図は笛の短一・短二・長一――“停止・警戒・退避”。狼は火と音で散ります。野盗は……中級の方が対処します」


リアムが手を挙げる。「狼のときはどう動く?」


「先頭の合図“短一”のあと、馬車を道の左に寄せて車輪止め。前衛二、側面二、後衛二。矢は合図後に。セリーヌさんは水で足場を整えるか、視界の埃をさばいて。――それと、自己紹介を現地で隊長に」


「任せて」セリーヌが胸を張る。


受付は必要事項を書き込み、三人の板札に依頼印を刻む小さな焼き鉄を押した。じゅっと金属の匂いが立つ。


「これで参加確定。今日中に装備の点検を。ダンジョン用の導糸は受付脇で配ります。水袋は多めに。」


テラが柄に手を置く。「ありがとう」


受付はふっと笑って、帳面を閉じた。「良い旅を。――」



ギルドを出て、南門へ向かう石畳。露店の湯気が流れ、陽が傾き始める。セリーヌは歩きながら小声でぶつぶつ。


「ご機嫌よう……調子はどう? 感謝いたします……ありがとう。ご容赦ください……勘弁して。畏まりました……わかったわ。お心遣い感謝します……気遣いありがとう。恐れ入ります……助かるわ。では、失礼いたします……じゃあ、失礼」


リアムが笑う。「完璧。あとは間だな。言う前の、一拍」


テラは前を向いたまま言う。「名前、言ってみて」


セリーヌはフードの影で、ほんの少し声を落とす。「わたくしは、セリーヌ・フランシス。よろしく」


三人は顔を見合わせ、同時にうなずいた。




南門の外、明朝の集合場所を下見しておく。柵で囲われた集積場に、すでに木材の束や麻布の俵、乾燥肉の箱が積まれている。荷馬車の影で、灰色のマントを羽織った大柄な男が斧の柄を点検していた。中級護衛“ラウド”だろう。もう一人、小柄な女性が弦を張り替えている。こちらは“マルタ”。


ラウドがちらりとこちらを見る。テラは軽く会釈だけして、距離は詰めない。明朝の初対面で整えればいい。


「編成、頭に入れよう」テラが小声で確認する。「先頭ラウド、そのすぐ後ろ右が俺、左がリアム。真ん中あたりにセリーヌ。殿はマルタ」


「俺は矢と合図。間合い入られたら双剣で受けて、また距離を取る」

「わたくしは水で足場と視界。必要なら氷で“射る”――でも無駄撃ちはしない」

テラは短く頷く。「俺は前で受ける。押し切らず、流す」


風が草地を渡る。荷の匂いに、ほんのわずかに麻と木の香りが混じった。テラは胸の内で数を数え、息を整える。吸って、吐く。火は小さく長く。水は流す。


「じゃあ、一度戻って準備。明日は第二刻だ」リアムが伸びをして、空を見上げた。


セリーヌが小さく手を上げる。「ありがとう、今日も。……調子はどう?――あ、違う。これは挨拶じゃない、じゃあまた明日。」


二人が吹き出し、緊張が少しだけほどけた。


石畳を戻りながら、テラは手首の銀糸の腕輪に触れる。涼しい手触りが指先に絡み、ペネロペの横顔が胸の奥で静かに笑った。


――明日、シルク村へ。護衛として、そして告げるために。自分の足で、これからの道を。


夜明け前、薄紫の空がほどけていく。第二刻の鐘がひとつ、ふたつ――南門外の集積場に、荷馬車二台が横付けされていた。木材の束、麻布の俵、乾物の箱。馬は鼻を鳴らし、白い息を揺らす。


「来たな、初級組」

斧の柄で肩を小突きながら近づいてきたのはラウド。大柄、顎に無精髭。

「先頭は俺。殿はマルタ。あんたらは真ん中。合図は笛、短一・短二・長一だ。忘れるな」


「わかった」テラとリアムが同時に頷く。

マルタは小柄で、背に短弓。澄んだ目で三人を順に見て、小さく指を二本立てた。

「矢は温存。初動は“音”で散らして、受けは前衛。――セリーヌさんは、舞い上がる砂を落として“見える”地面にして。足が止まれば、だいたい勝てる」


「任せて」セリーヌはフードを深め、長杖を握り直す。「わたくし、やれるだけを」


列が組まれる。先頭ラウド、二列目右にテラ、左にリアム。中央に荷馬車二台、御者が手綱を握り、左右をセリーヌとマルタが固める。ラウドの笛が短一、軽く鳴る。出立。



街道はやわらかな起伏を繰り返し、朝の光が草にほどけていた。車輪が敷石を離れて土に入ると、荷の軋む音が深くなる。テラは右前で、草むらと林の境を睨む。リアムは左で、弓の弦を一度だけ鳴らして指先の感覚を確かめた。セリーヌは荷と荷のあいだで、杖先をそっと地面へ。


低い唸り――狼だ。三、四、数えきる前に、影が横から走る。ラウドの笛が短二。

「警戒」マルタの声が小さく飛ぶ。


短一。列がぴたりと止まり、馬車が左へ寄る。右の草陰から一匹が跳ねた瞬間、テラは長剣に水を纏わせて受け流し、牙の軌道をずらす。間髪入れずに火を刃へ移し、逆袈裟で頸の後ろを断つ。血が土に散っても、呼吸は切らない。

「右、射る」リアムが低く囁き、二連で矢を放つ。矢羽が唸り、別の狼の肩と喉に二点。

後衛、セリーヌは長杖を横に向け、小声で「レイン」。杖先から細い水の糸がさらりと降り、乾いた砂煙をすうと沈めて視界を開く。「前、見える!」


ラウドの斧が一閃。丸太のような腕から落ちた刃は草を抉り、一匹、二匹と連続して背を割った。短い鳴き。

「退避――なし。前進」ラウドが長一に口をつけるのをやめ、低く言った。


息をそろえ直し、列は再び動き出す。初陣の緊張とは違う、稽古で刻んだ呼吸が、さっきより自然に体を動かしていた。

「今の短二→短一、反応良し」マルタが後ろから淡々と評価する。「セリーヌの視界処理も早い。上出来」

「ありがとう」セリーヌは外套の陰で握った拳を一度だけ開いた。



昼。道脇の里木の陰で、簡単な食事。干し肉、黒パン、浅いスープ。

「言い換え、最後に軽く確認だけ」リアムが笑う。

セリーヌはパンをちぎりながら頷いた。

「……“ご機嫌よう”は“調子はどう?”、“感謝いたします”は“ありがとう”。“よろしくお願いします”は“頼みます”。」

「十分だ」テラが水袋を渡す。指先が触れ、銀糸の腕輪が小さく冷たく光った。


午後、丘を越えると見慣れた稜線。胸の奥がわずかに熱くなる。村の北門が近い。


焦げた土の匂いはまだ薄く残り、北門には臨時の柵と詰所。槍を持った王国の兵が見張る。布標の青が夕風に鳴った。

「止まれ。所属と目的を」

ラウドが依頼票を差し出す。「王都ギルド依頼、復興物資の搬入。御者二、護衛四。同道の中級二」

兵長は札を見て頷く。「通れ。南の焼け跡周辺が集積所だ。中央広場を抜けて南へ」


荷馬車が村へ入る。北から中央へ、そして南へ。焼けた地面の縁に、新しい材が積み重なっていく。人々の顔に疲れはあっても、手は止まらない。


中央広場の手前で、声が飛んだ。

「テラ!」

エドが片手を上げる。煤けた顔、相変わらずの胴。テラは駆け寄って短く頭を下げた。

「よく戻ったな。荷は南で下ろせ」

「はい」


その隣から、ペネロペが歩み出る。細い手首の銀糸が光る。彼女の視線がテラから、フードを深めたセリーヌへ移り、わずかに戸惑いが走る。

「……その人、だれ?」

セリーヌはフードを軽く上げ、会釈した。「セリーヌ・フランシス。王都から、一緒に――3人で旅を」

ペネロペはテラを見、問いは重ねない。ただ、ほんの少しだけ目を細めて「そっか、いいなー旅」とだけ言った。


「これ――預かって」

ペネロペは掌を開き、銀色の糸の腕輪をもうひとつ、テラに右手に結ぶ。

「カリーナの分。……彼女、村を出た。両親を探す旅に、って。旅先で出会うことがあったら渡して」

胸の奥がきゅっと疼く。テラは強く頷いた。「そうだったのか.........必ず渡すよ」

「セリーヌさんも、気をつけて」

「うん、ありがとう」セリーヌは短く笑い、言葉を選ぶように付け足す。「あなたも気をつけて」

なんかピリついてる?




荷はそのまま南の焼け野原の縁へ。梁、板、食糧、布。人が集まり、次々と受け渡しが進む。日が傾き、作業がひと段落したところで、ラウドがこちらを振り向いた。

「搬入、完了。俺たちは詰所に戻る。あんたらは?」

「俺は家へ」テラが言う。「父さんと、母さんに報告する。リアムは――」

「親父とおふくろのとこ」リアムが手を振る。

「わたくしは南門で待機してる。合流は――日暮れの鐘で」セリーヌが頷いた。


テラは足を早め、自宅の戸を叩いた。

開いた戸の向こう、ミレイユが立つ。手が自然に腹へ触れる仕草。

「おかえり」

「ただいま」


すぐに、オリヴァーが出てきた。

「よく戻った。……王都では、セリウスや陛下には会ったのか?」


「うん。報告は済んだ。団長には“魔力の通し方”を少し見てもらって、当面は火と水を軸に、雷は短く制御して1日1回使え――くらい。それから、俺、2、3年くらい冒険に出るよ。セリウスとダリウスにも勧められた、世界を見て回れって」


「冒険か」オリヴァーは短くうなずく。

「世界を知れば、自分を知れる。強くなるためには必要なことだな。」


ミレイユが湯を差し出し、湯気の向こうで微笑む。

「私から大事な報告。……六か月後くらいに、弟が生まれるわ」


胸の奥がぽん、と跳ねる。「……本当に?」

「本当」ミレイユは頷いた。「だから、あなたは兄。食べて、寝て、無茶しすぎないで。強くなるの賛成。でも、倒れたら意味がないわ」


「気をつける。ちゃんと、守れるようになる。

それから生まれる時には一度帰って来るよ!」


オリヴァーが腕を組む。

「俺も少ししたら修行に出る。やることがある。だが生まれる前には戻る。約束だ」

「どこへ?」

「寒い方にな。昔の縁をたどる。詳しくは、帰ってから話す」


テラは頷き、息を整えた。

「今日、道中で修行の手応えがあった。俺は受け流しと間で崩して最後に切る。リアムは風で速さを作る。……それと、セリーヌは」


「セリーヌって誰だ?」オリヴァーの眉がわずかに動く。


テラは一瞬だけ言葉を選び、「……新しく合流した水の魔法使い。セリーヌ・フランシス。事情があって一緒に旅に出ることになった」とだけ告げた。


しばしの沈黙。オリヴァーはテラの目をまっすぐ見てから、短く息を吐く。

「わかった。仲間扱いに差をつけるな。背を預けるなら、責任も半分背負え。」


「うん。約束する」


「いい子」ミレイユが柔らかく笑い、テラの額の髪を直した。「帰ってきたら、抱っこの練習をさせてあげる」


「任せて」テラは照れ笑いを浮かべ、立ち上がる。戸口へ向かいかけて振り返った。

「――行ってくる。強くなって、戻る」


「行ってこい」

「いってらっしゃい」


短い抱擁。体温が離れる。夕風。南の空に赤が沈む。テラは腕輪を二つ確かめ、家を出た。


南門の影。セリーヌが門柱にもたれ、茶色い髪を指先で遊ばせていた。

「待たせた」

「ううん。わたくしも、いろいろ考えてた」セリーヌは髪を直し、まっすぐにテラを見る。

まもなくリアムも駆けてくる。「親父、相変わらずでさ。でかい声で“ちゃんと食え”って」

三人は顔を見合わせ、同時に笑った。


村の南端、焦げた地面の向こうに、新しい道が一本、まっすぐに伸びている。

夕日が長い影を引き、銀糸の三つの腕輪が、同じ色できらりと光った。


振り返れば、人の手で立ち上がる村。槍と布標、鍛冶の火、糸の音。衛兵。

前を見れば、知らない丘と、知らない風と、名前のない地平。


――旅立ち。ここから先は、地図の白を自分たちで埋める番だ。

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