第11話 冒険の匂い
王都・騎士団訓練場。砂を薄く敷いた石畳に、淡藍の結界札が円を描いて立つ。致命の直前で衝撃を抜く護陣だが、実剣の重さは嘘をつかない。
テラは新剣を抜き、浅く中段。向かいに立つセリウスは、長剣を半寸だけ抜いたまま、構えとも無構えともつかぬ静止――いや、“場”だけがそこに張りついている。
「始める」
合図とともに、テラは一拍で前足を寄せ、火で線を割る。切先は胸前にまっすぐ、終わりを水で曖昧にして二の手へ繋ぐ――はずだった。
キィ、と乾いた音。セリウスの剣は受けていない。腹で撫でただけなのに、テラの刃の芯が砂にこぼれる。半足、彼の靴が沈むだけで“そこ”が消える。
「刃で問うな。足で問え」
低い助言。テラは呼吸を細らせ、寄り足を“前”で寄せる。肩を落として水へ移行、火で押し出す――また、未来を足で消される。
二合、三合。セリウスは刃を立てない。線、間、体の向き。それだけで、当たる可能性を根ごと抜いていく。
砂縁でダリウスとリアムが見守る。ダリウスが短く言う。「目を追うな。腰を見る」
リアムはごくりと喉を鳴らした。
五合目。テラは“置き”に切り替える。押さない。刃を一点に置き、相手の重みを待つ。わずかに当たる感覚――そこで水を一本通し、摩擦を抜く。切先が滑り、角度が返る。
セリウスの顎が、半分だけ肯った。「今の一手。次は“置き”の前で勝つ」
さらに一合。セリウスがふっと半身をずらし、切先がテラの胸前に浮く。結界が透明に鳴った。斬っていない。だが、斬られた感覚が確かに残る。
その時、門がざわめく。護衛が二列に割れ、王セルバンと王女セリーヌが入った。白紗のケープが朝光を返し、凛とした瞳が土区画を射抜く。
「続けよ」
王のひと声で、場の空気が張り直る。
「あと三合だ」
セリウス。テラは頷き、火は短く、水を長く。“間”を先に触る。三合目、長剣が鞘へ戻った。「終い」
「私とも、一本」
セリーヌが一歩、砂に踏み入る。指輪に触れた瞬間、足元に薄い水紋が走り、空気の温度が落ちた。湿り気が寄り、白い息が細く立つ――水の魔力を高密度で操り、周囲の熱を奪った“凍み”だ。
「王女殿下」
セリウスが穏やかに制すが、王は肩をすくめる。「よい。刃は護陣が抜く」
結界札が二重に増える。テラは握りを問い直し、セリーヌと向き合った。
「行くわ」
掌から放たれたのは、霧を瞬時に凝らした細氷の矢――水の圧で形を保ち、奪った熱で刃になる。三本、扇状。
避けは遅れる。テラは刃に薄い水膜を沿わせ、角度だけで逸らす。氷が石に弾け、結界が小さく鳴った。頬を掠めた冷気が、逆に熱い。
二射目。足元の砂に水が這い、瞬時に薄氷。引き寄せられるように足が止まる“引き”。
テラはわざと重い側へ半歩。逆側の抵抗が抜ける瞬間、水で流し、足を自由にする。
「……やるのね」
セリーヌが口角を上げ、両手を返す。散弾のような細氷。
テラはしゃがまない。前へ出る理由を自分で作る。右へ“見せ”、左へ寄る。左の壁は薄い。押さない。“置く”。刃と氷の間に水を一本通し、摩擦を断って滑らせる。裏側の温度差が鳴り、霜がひび割れる。
距離が詰まった。二歩。呼吸が触れそうな間合い。
セリーヌの指が小さく弾け、喉元に霜の鉤が立つ――
火を一拍、踏みに載せる。テラの実剣の切先が、喉元の手前で止まった。結界が澄んだ音を立てる。
「勝負あり」
セリウスの宣言。光糸が消え、冷気が砂へ吸い込まれる。
セリーヌの肩がわずかに震え、唇が尖る。「ずるいわ。距離を取らせないなんて」
「距離を否定されても届く刃が、剣だ」セリウスは淡々。
ダリウスが横から一言。「二射目の足止めは良かった。重ねを変えろ。同じ引きは読まれる」
王女はふいっと顔を背け、裾を返す。護衛が慌てて続いた。去り際、ほんの一瞬だけ振り向き、テラと目が合う。何か言いかけて飲み込み、そのまま角を曲がる。
王は小さく笑い、テラへ。「ようやった」
それから横目でセリウスに。「稽古を止めてすまん」
「いえ」セリウスは会釈し、テラの刃先を人差し指で軽く弾いた。澄んだ金属音が跳ねる。
「今の“置き”は悪くない。押せば砕ける壁もあるが、押せば押すほど厚くなる壁もある。見極めろ。――水相手はなおさらだ」
「はい」
砂縁でダリウスがリアムに声をかける。「午後、お前は俺だ。風は自分に巻くな。味方に貼れ。足も目も速くなる」
「はい!」
セリウスが結界札を見やり、短く告げる。「明日は“間合い”をやる。魔法使い相手の踏み込みと、外す足。来い」
青い瞳は澄んで冷たいが、刃の冷たさではない。テラは深く頷いた。胸の奥で小さな火が持続し、水がその周りを循環する。雷は遠い雲の向こう、眠らせておく。
銀糸の腕輪が脈と同じ速さで、微かに鼓を打った気がした。ペネロペの手の温度が、柄の内側に戻ってくる。
塔の影が伸び、砂に冷たさを落とす。門の先では、まだ見ぬ外の風が鳴っていた。
午後、陽が高くなったころ。訓練場の砂は靴底にだけわずかに湿り気を残し、熱気は石壁に吸われている。
ダリウスが片手に大斧、もう片手に鉄環をぶら下げて歩み出た。鉄環には薄い布が結わえてあり、風を掴むと鳥の羽のように震える。
「リアム、来い。——短く、速く、味方へ」
リアムが二本の短剣を逆手に取り、前へ。ダリウスは鉄環をテラの手首にひとつ、リアムの足首にひとつ通すと、掌で土を撫でた。鈍い色の魔力が砂粒の間に滲み、空気の層が薄くなる。
リアムの足首の環が、風を孕んで鳴った。ふ、と世界の抵抗が剥がれる。次の一歩で、土が音を立てて遠ざかる。視線も、指先も、速くなる。
「風は自分に巻くより、味方に貼れ」
ダリウスは斧の腹でテラの刃を軽く押す。「前衛を半歩、先に送る。お前はその半歩の“返り”で斬る」
「やってみる」リアムが短く答え、テラの右裾へ風を貼った。重心が自然に前へ滑る。
テラは火で線を割り、水で終わりを曖昧にして、返す手を早める。リアムはその背を舐めるように走り、空いた側面に二連の切り上げ。
砂が弾け、結界札が柔らかく鳴った。
「もう一度。風の貼りは呼吸と一緒だ。息を吐くとき、味方の骨盤に薄く巻け。言葉で指示するな、重心で教えろ」
ダリウスは相変わらず表情を変えない。だが言葉は要点だけを射抜く。
三度目、四度目。リアムの“貼り”が、言葉から手応えへと変わっていく。テラの刃はその半歩に乗り、線の「置き」が早くなる。
最後にダリウスが大斧を水平に差し入れ、二人の連携を止めた。「よし。今日はここまで。——リアム」
「はい!」
「風を“速さ”だと思うな。“軽さ”だと思え。軽いものは遠くまで届く。仲間の“遠く”に触れろ」
リアムは眉を上げて頷き、額の汗を拭った。テラと目が合う。言葉はないが、腕輪の銀糸がひときわ明るく脈打った気がした。
夕刻前。訓練場の裏手、屋根のかかった薄暗がりに、セリウスが立っていた。壁に油と革の匂い、床は乾いた砂。
「“通し”をやる」
低く、簡潔な声。セリウスは一歩だけ近づく。「火でも水でもいい。お前の“素”を、真っ直ぐ刃に流せ。――俺が止めるまで」
テラは剣を胸前に水平に置き、吸って、吐く。背の内側にひと筋の圧が灯り、柄から刃の芯へ沈んでいく。金属が低く唸り、鞘鳴りに似た高音が混じる。肩口に痺れが寄り、掌の温度が上がった。
「まだ」
セリウスの声は揺れない。
テラはもう一段、深く押し込む。刃の肌理が白く浮き、芯が硬く、すぐ柔らかく“懸垂”を始める。視界の縁が細くなる――
「そこで止めろ」
テラははっと息を抜き、余剰を呼気に溶かす。膝がわずかに笑うのを、足裏で押さえ込む。
セリウスは刃の背に指を置き、余韻を確かめた。
「通し方は悪くない。だが呼吸が先行しすぎだ。腹で吸って、吐きの後半に芯へ落とす。腕で押すな、背で押せ」
彼はテラの握りに触れ、親指の角度を半分だけ変える。「ここ。柄の角を“摘む”な、“預けろ”。そうすれば刃が勝手にまっすぐになる」
テラが頷くと、セリウスは短く続けた。
「日課を出す。“素”の通し、三呼吸だけ、毎日。量ではなく、芯のまっすぐさを聞け。刃の音が一つになったらやめろ」
一拍置いて、視線がわずかに深くなる。
テラが息を呑む。セリウスはさらに問う。
「オリヴァーは、雷を封じろと言ったそうだが、俺は“慣れろ”と言う」セリウスは空の一点を見た。「怖さは消すな。怖さを知ったまま細く扱え。細ければ、いつでもやめられる」
「……はい」
「よし。今日はここまでだ」
セリウスは砂に一度だけ靴音を落とすと、振り返りざまに言い足した。
「明日は“間合い”。魔法使い相手の踏みをやる。」
短い言葉の尾だけが、金属のように澄んで残った。テラは剣を納め、胸の中で数を数える――吸って、吐く。音は一つ。まっすぐ。
翌朝、中庭脇の専用訓練場。砂は細かく均され、薄く水が撒かれている。陽はまだ高くないのに、刃の線だけがくっきり明るい。セリウスは実剣を佩いたまま、砂に一本の線を引いた。
「“魔法使い相手の踏み”だ。――正面の線は術の射。ここをまっすぐ行くな。斜め、八の字、半身。出入りで“間”を切り取れ」
テラは頷き、呼吸を整える。新しい剣の重さはもう手に馴染んできた。
「来い」
セリウスが片手で長剣を抜く。力みはない。踏みも音を立てない。だが斜めに置かれた刃の気配だけで、近寄る角度を身体が拒む。
テラは一歩、砂を滑らせる。正面から外し、斜めに。水の意識で肩から肘、そして刃へ。セリウスの切っ先が僅かに揺れ、誘いの隙を作る――ように見える。踏み込むふりで止め、八の字に抜ける。距離が縮むたびに、セリウスの剣が“そこ”に現れて、進路を塞ぐ。
「悪くない。だが遅い。術者は詠唱で“間”を作る。詠唱の前半は餌、後半が刃。狙うのは後半に入る一拍目だ」
セリウスが低く言い、足の形を示す。踵を微かに内へ、膝を割らず、股関節で角度を作る。テラが真似ると、視界の奥行きが半寸だけ伸びた気がした。
「もう一度」
今度はセリウスが先に動く。詠唱のまね事のように息を区切り――その“二つ目の息”に合わせてテラが斜めに差し入る。刃は合わせず、切っ先だけを相手の心へ置きにいく。届く、と思った瞬間、セリウスの剣は糸のように角度を変え、テラの切っ先を撫でて外へ捨てた。
「いなされた……!」
「そう。いなされる前提で踏め。いなされても次の一歩が勝つ“間”に入っていろ。――三手先まで“居る”つもりで」
何度も踏む。斜に入って、外し、半身で詰め、切っ先を置く。セリウスはほとんど動かず、指先と刃筋だけで受け、ずらし、いなす。重さがない。なのに、向かう角度すべてが潰される。
「初級魔法使いまでなら、今の間合いで対応できる。よし、今日はここまでだ」
一礼して剣を納めると、背中にほどよい疲労が落ちてきた。ダリウスがいつの間にか櫓陰にいて、短く言う。
「午後は休め。息抜きに街を見て来い。――戻る刻は日暮れ前だ」
「了解です」
テラとリアムは銀糸の腕輪を確かめ、王都へ出た。
王都は音で満ちていた。石畳を車が鳴らし、露店の商人が声を張る。焼きパンの香り、革油の匂い、路地の影の冷たさ。城の白石の輪郭が遠くになり、建物は色を増やす。赤い屋根、青い庇、洗い張りされた布が風に踊る。
「……でかいな」リアムが見上げる。矢束は持っていないが、癖で背に手が伸びる。「全部、絵の中みたいだ」
「いや、匂いがちゃんとある。生き物みたいだ」テラは笑った。
王立市場を抜け、運河に出る。橋を渡ると、広場の端に、ひときわ目を引く建物が現れた。厚い梁と石の壁、正面には大きな盾の紋章。扉は半ば開き、内側からざわめきが漏れる。
「冒険者ギルド……王都支部」リアムが呟く。
掲示板には羊皮紙がぎっしり貼られ、討伐、護衛、探索、採集――文字の列が風に揺れる。窓越しに、色とりどりの装いの者たちが笑い、怒鳴り、杯を打ち合わせているのが見えた。剣、槍、杖、弓。見たことのない装備も混じる。
「いつか、あそこから世界に出る」テラが無意識に呟く。銀糸の腕輪が夕光を吸った。「南の森も、東の砂漠も、海の向こうも。……全部見たい」
「俺は高い山に登って、雲より上で弓を引く」リアムが笑う。「それで、ペネロペに自慢する」
二人が冒険者ギルドを眺めていると、近くの路地から転がるように果実籠が飛び出した。続いて小さな子どもが慌てて追い、さらに、その籠を掴もうとして足を滑らせ――。
「危ない!」テラが踏み出しかけたその瞬間、影が横合いからすっと入った。長い外套の若者が片手で子を抱き上げ、もう片方で籠を拾い上げる。動きに無駄がない。子どもを地に降ろし、頭をぽんと叩いた。
「気をつけろ。王都の石は、お前の頭より硬い」
若者は笑って言い、籠を渡す。子の母親が駆け寄って頭を下げると、彼は軽く手を振っただけで背を向けた。
「……今の、すご」リアムが目で追う。
テラも知らず見入る。若者は二人の前を通り過ぎ、立ち止まった。目が合う。歳はテラたちより少し上、十七、八か。目元に柔らかい光があり、どこかで見た規律の匂いがする。
「君たち、城の人間だな」若者が穏やかに言った。「訓練生か」
「はい。王都は、今日が二日目です」テラが答える。
「そうか。じゃあ、迷ったら赤い屋根を探すといい。城に戻りやすい」若者は軽く笑い、「良い目をしてる」とだけ言って歩き出した。
その時、遠くから数騎の近衛が駆け寄ってきた。「殿下!」と声が飛ぶ。若者は肩を竦め、振り返らずに手を上げただけだった。
「……殿下?」リアムが固まる。
「王子、だったのか」テラは小さく息を吐く。若者は振り向かない。だが、ほんの一瞬、斜め後ろに手を上げて見せた仕草に、軽いおどけが混じっていた。
「なあ、テラ」リアムが肩をつつく。「王都って、いろんな“強さ”が歩いてるんだな」
「うん。俺たちも、ああやって“ただ”助けられるようになりたい」
「その前に、セリウスの稽古、死なないようにしないとな」
二人は笑い合った。笑いは短く、でも確かだった。
運河沿いを戻る。パンの香りが濃くなり、焼き場の前で足を止め、硬い外皮の小さなパンを二つ買って割る。熱が指に移り、腹の底が温かくなる。遠くで鐘が一度鳴った。日暮れ前の合図だ。
城へ向かう帰り道、テラはふと腕輪を触る。銀糸は冷たく、確かな重さでそこにある。ペネロペの手の温度が一瞬、よみがえる。
(明日も踏む。間に入る。いなされても、三手先まで“居る”)
石の階段に城壁の影が伸びはじめ、旗が夕風に鳴った。
それから2週間が経過した。
詰所の二階、窓の外に白い城壁と旗の影が落ちる小部屋に通されると、セリウスとダリウスが待っていた。机の上には地図が広げられ、赤い小旗がいくつか打たれている。空気は簡潔で、余計な飾りがない。
「座らなくていい。短く済む」セリウスが切り出した。澄んだ青の視線が、テラとリアムをまっすぐ通り抜ける。「結論から言う。――もう、俺たちが教えられる“型”はない。あとは実戦でしか身につかない」
ダリウスが腕を組み、続ける。「提案だ。二、三年――世界を見て回れ。冒険者としてだ。剣の磨き方も、魔力の扱いも、敵の種類も、旅にしか転がっていない」
リアムの目がぱっと明るくなった。「冒険者……!」
セリウスは淡く頷く。「俺もダリウスも――そしてオリヴァーも――昔は世界を歩いた。ほこりをかぶった道の数だけ、強くなる。王都にいても鍛錬はできるが、“遭う”ことはできない」
「まずは手続きだ」ダリウスが机脇の革筐から板札を取り出して見せる。「冒険者ギルドで登録する。戦闘等級の査定も同時に受けろ。依頼の範囲、報酬、危険度がそれで決まる」
リアムが首を傾げる。「戦闘等級って、具体的には?」
「六段階」ダリウスは無駄なく指を折る。「初級・中級・上級・英雄級・聖域級・神話級。初級は単独での小型討伐が安定してできる者。中級は集団戦・護衛で主力を担える者。上級は群れを裁ける指揮と力がある者。英雄級は――領域を変える。戦の流れを一人でひっくり返す。聖域級は国をも動かす。神話級は……世界の歴史に跡を残す。英雄級より上の階級とは、敵対したら逃げろ。隙を作って、だ」
リアムが真顔になる。「どうやって英雄級以上か見分ける?」
セリウスは一拍も置かずに答えた。「俺と同じ空気を感じたら、戦うな。近づくな。――そういうものは、理屈より先に身体が察する」
テラは喉を鳴らした。この前のセリウスとの稽古、刃が触れる前に進路を失うあの感覚が、胸の奥で生き返る。
「装備は今のままでいい。だが、油断するな」ダリウスが締めるように言ったその時――
「話、終わった?」
軽い声と一緒に扉が開き、王女セリーヌがひょいと顔を出した。後ろから、少し遅れてセルバン王が入ってくる。王はこめかみを指で押さえながら、娘の肩を軽く引いた。
「セリーヌ――」
「わたしも行くわ」セリーヌは言葉を被せる。水色の外套に旅靴、腰には細剣、手には長杖。準備の良さがむしろ恐ろしい。
「駄目だ」セリウスとダリウスが同時に言った。二人とも眉一つ動かさない。
「いいではないか」セルバン王がため息まじりに苦笑した。「言っても聞かぬ。ならば、頼む――テラ、リアム。無茶はさせるな。……娘は、王都の窓から世界を見ていられる子ではなかったのだ」
リアムが肩を竦め、あっさりと笑う。「いいですよ。人数は多い方が面白い」
「おい、リアム……」テラが目だけで抗議する。が、セリーヌはもう満面の笑みだ。
セリウスの視線が鋭くなる。「護衛ではない。同行するなら、同じ規則に従う」
「わかってるわ」セリーヌは胸を張る。
ダリウスが現実的な調子で割って入る。「まず身なりと名を変える。王女の身で名簿に載るわけにはいかん」
「名前は――」セリーヌは一瞬だけ考え、すぐ指を鳴らす。「セリーヌ・フランシス、で」
「安直だな」セリウスが小さく呟き、ダリウスは目を閉じて「……それでいい」とだけ言った。王は「はぁ」と短く息を漏らす。
セリーヌがくるりと回ってテラとリアムの前に止まる。「よろしくね、相棒たち」
「……よろしく、セリーヌ・フランシス」テラは渋々と手を差し出す。握手。掌に伝わる力は軽くない。リアムは「相棒か……悪くない」と笑って握り返した。
セリウスが机の端を指で叩く。「出発の前に登録だ。ギルドに行け。今日の午後、窓口が開く」
テラは無言で頷いた。銀糸の腕輪が袖口で冷たく光る。リアムが肘で小突く。「行こうぜ。あの重たい扉をくぐるんだ」
セリーヌが外套のフードを目深にかぶり、王は最後にもう一度だけ念を押す。「無茶はするな。命を軽んじるな」
「承知しました」テラとリアムが同時に頭を垂れ、姿勢を正す。部屋の空気が一度だけ引き締まり、次の瞬間、扉が開かれた。
白石の階段を降り、城門を抜ける。昼の光が市街に満ち、冒険者ギルドの紋章盾が遠目にも黒々と見えた。人のざわめき、金具の触れ合う音、羊皮紙の擦れる乾いた音が、風に乗ってくる。
「登録して、等級をもらって、世界へ」リアムが息を弾ませる。
「強くなるために、行く」テラは小さく言い直した。
セリーヌが前に出る。「さ、案内して。今日から“セリーヌ・フランシス”のデビューよ」
三人は目を見合わせ、同時に笑った。
――冒険者ギルドの重たい扉が、目の前にある。今度は、自分の手で開けにいく番だ。




