第10話 団長セリウス・ナイトヴェイル
出立の朝は、薄い霧が村の焦げ跡にまとわりついていた。灰の匂いはまだ抜けない。東の雲が少しだけ裂け、洩れた光が屋根の影を長く引き伸ばす。
テラは鍛冶場へ向かった。まずは、折れた剣を返すために。
扉を押すと、火床の赤がまだ息づいている。槌音はない。奥から出てきたエドは、煤に黒い顔のまま、無言で折れた刃を受け取った。柄元から斜めに割れ、刃は途中で途切れている。
「……よく、守ったな」
短く言うと、壁の掛け棚から布にくるまれた一本を取り出す。鞘は地味な茶。鯉口を切って半寸抜けば、刃文が朝の色をひと筋返した。心持ち厚めの峰、重心は鍔寄り――力任せにも、流しにも付いてくる造りだ。
「重いか」
「……少し。でも、振れます」
「ならいい。覚えとけ。刃は“込めた分”だけ応えるが、“もらった分”だけ折れる。剣のせいにだけはするな」
エドは折れた剣に目を落とし、ため息をひとつ。「返すな、とは言わん。だが帰ってきたら“話”をしよう」
「はい」
剣を背負うと、重みが真っ直ぐ落ちた。前の剣とは違う鼓動が伝わる。
鍛冶場を出て南門へ向かう途中、教会脇の小径で足が止まった。白い壁の陰に、ペネロペがいた。灰に近い黒の外套、三つ編みを短く束ね直している。目の下の影は濃いが、背筋はまっすぐだ。すぐ後ろに、肩で息を整えたリアムの姿もある。
「……来てくれたんだね」
「行く前に、顔を見ておきたかった」
言うと、彼女は小さくうなずいた。視線がテラの背の新しい剣に落ち、ふっと、ほとんど分からないくらい口元がやわらぐ。
「渡したいものがあるの」
ペネロペは外套の内側から、小さな布包みを取り出す。布をほどくと、細い銀色の糸で編まれた腕輪が二つ。光を吸って淡く返すその糸は、ただの飾りではない張りを帯びていた。
「この銀糸は、うちの蔵にひと綛だけ残ってた“月蚕の糸”。祖母が“めったに使うな”って大事にしまってたやつ。……昨夜、祈りながら撚り直して、三つ編みにした。結び目は“帰還結び”。ほどけにくいかわりに、自分で切らないと外れない」
テラとリアムは息をのむ。ペネロペは腕輪の一つをテラの左手首へ、もう一つをリアムの左手首へ、やさしく通した。ひやりとした感触が肌に落ち、すぐに体温で馴染む。
「私も、同じのをつける」
そう言って、外套の袖を少し捲る。彼女の左手首にも、同じ銀糸の腕輪が光っていた。細く、強い光。
「戻ってきたら、三つを並べよう。……それで、ちゃんと“戻った”って思えるから」
「必ず戻るよ」
テラは腕輪にそっと指を触れ、言葉を結ぶ。
「なんなら、王都の話を山ほど持って帰る。知らない匂いとか、風の色とか」
ペネロペは小さく笑った。「うん。私も、ここで覚えた“光の手当て”のことを、山ほど話す」
リアムが腕を上げ、銀糸を光に透かす。「……すげぇな。軽いのに、切れそうにない。ありがとう、ペネロペ」
「ううん。――二人とも、気をつけて」
別れ際、ペネロペは一瞬だけテラの外套の袖をつまみ、糸端を結ぶみたいにそっと離した。
「……戻ってきて」
「戻る」
短い約束。けれど、その一言で胸の奥の何かが固く結ばれた。
白壁が角に隠れる。――カリーナには会えなかったな、とテラは思う。村長宅を守り切った、とだけ聞いた。言葉も視線も交わさないまま、それぞれの朝を迎えた事実が、小さな重石のように胸に残る。
南門には、オリヴァーとミレイユ、そしてダリウス率いる小隊が待っていた。鎧の鳴りと馬の鼻息が、朝の冷気を押しのける。
「行ってこい」
オリヴァーの手が肩に置かれる。「戻ったら、稽古を付けてやる」
「気をつけてね」
ミレイユの声は自然で、強い。視線が一瞬だけお腹へ落ち、すぐ戻る。その一瞬が、テラの胸をそっと熱くした。
列が動く。ダリウスの号令は短い。「前衛2、側衛左右1。偵騎10。発声、最低限。――出るぞ」
村外れに差しかかると、ダリウスが片手を上げる。土が低く唸り、切れた柵の口に沿って地面がぐぐっと盛り上がった。人の背丈ほどの土壁が連なり、村に残る者たちへの即席の盾となる。
「残る者の盾だ。ないよりましだ」
言葉は少ない。背中で語る男だ。
森へ入る。鳥はまだ戻らない。焼けた枝と湿った土が混ざり、踏むたびにわずかに滑る。先頭の巨体――ダリウスの馬は樹間を縫い、枝一本鳴らさない。重いのに軽い歩法。踏みの寸前で重さをどこかへ預け、置くように進む。その背を追いながら、テラは左手首の銀糸に触れた。冷たさはもうない。心臓の鼓動と同じ速さで、微かな脈を返してくる気がした。
森は静かだった。静かすぎて、各々の呼吸よりも先に、馬の鼻息が葉裏を揺らす音が届く。濡れた土を蹄が踏み、革鞍の軋みが微かに続く。先頭のダリウスは大盾を背に斜め掛けし、片手で手綱、片手で斧の柄を軽く寝かせている。巨体なのに、騎座は低く安定し、枝一本鳴らさない。
「三馬身、空けろ。風下につけ」
振り返らずに落ちる声。低いが、よく通る。
「はい」
テラはリアムと目を合わせ、馬体を外側へ寄せて距離を調整する。新兵用の小柄な栗毛は素直で、脚の合図にすぐ応えた。左手首の銀糸が微かに脈を返し、鼓動と歩調が合っていく。
列が樹間を縫って進むうち、ダリウスが片手を上げ、ぴたりと速度を落とした。先頭の馬が耳を立てる。落葉の上に黒ずんだ染みが点々と続き、鞍上の鼻先に鉄の匂いが届く。血だ。ダリウスは馬上から降りて指先を伸ばして土に触れる。返ってきた温もりを確かめるように、そのまま掌で土を揉み、風へかざした。
「一刻も経っていない」
短く断じると、手綱を二度、指で鳴らす。「小型の獣。二、三。俺が処す。お前らは止まれ。騎脚を締めて見ていろ」
言葉と同時に、先頭馬が地を蹴った。踏み込みは浅いのに、伸びが出る。茂みが撓み、灰色の小獣が三つ、矢のように飛び出す。牙が光り、喉が鳴る。最初の一頭が馬の首を狙って跳ね上がる瞬間、ダリウスは大盾で鼻面を打ち下ろし、その反動で半身をひねって鞍上から斧の背を落とした。鈍い音とともに獣の脚が折れ、次の一頭が鞍下へ潜ろうとする。彼は馬の腰を軽く詰め、前躯を浮かせて躱し、斧の腹で首筋を掠める。骨が割れ、体勢を崩した獣を馬の前肢が踏み砕いた。最後の一頭は逃げに転じたが、ダリウスの掌が獣へ向けると地面が低く隆起し、逃げ脚を刈った。小さな土壁に躓いたところへ、馬体を捩って喉を断つ。
すべて一息。鞍上の斧には、ほとんど血が残っていなかった。
「……あんなの、俺たちじゃ無理だな。動きが最小限すぎる」
リアムが小さく呟く。ダリウスは聞こえたのか、聞こえないのかという声量で要点だけ落とした。
「牙に合わせるとき、刃を立てるな。面で受けろ。馬上でも同じだ。刃で受ける稽古は、刃がある時だけにしろ。生き残る稽古をしろ」
寡黙な男――そう思っていたが、言葉は必要分だけ落ちる。余計を言わないだけで、黙っているわけではないのだとテラは思う。
流れの細い小川に出ると、合図一つで全員が常歩に落とし、水際で輪状に停止した。兵は順に水袋を満たし、鞍上から馬の口を湿らせる。頭を下げさせすぎない手綱捌きが流れるように揃っている。
「飲め。喉は渇く前に湿らせろ。腹に入れすぎるな。騎座が崩れる」
ダリウスは自分の馬の首筋を叩き、水袋の口を濡らすと、短くこちらを見た。「胸の圧はどうだ」
「……だいぶ楽になりました」
「なら良い。息は刻め。深く吸って深く吐くと、乱れる。細かく、切って並べろ」
うなずき、テラは左手首の銀糸をそっとなぞった。冷えはもうなく、皮膚の延長みたいに馴染む。「戻る」という結び目の感触が、胸の奥を静かに支える。
ふいに、喉から言葉が落ちた。自分でも唐突だと思うほどに。
「……団長は、どれくらい強いんですか」
ダリウスは迷わなかった。
「ファブリカ王国で最も強い」
即答。水面のさざめきが一拍、止まった気がした。
「最も、ですか」
「俺だけの言だと思うな。剣を持つ者で、否というやつは少ない」
水袋の口を締め、鞍に腰を落ち着け直す。「理由はいくつもあるが、一つ挙げるなら、“負け方”を知っていることだ」
「負け方……?」
「勝ち続ける者は、いつか折れる。あの人は折れない。折れないように“退く”。退いた先で、勝つ。――それができる者を俺は他に見ない」
言葉は短いのに、重さが残る。テラの頭に、稽古でオリヴァーが見せた“間”の作り方が重なった。押して、流し、引く。勝つために、引く。胸の内で何かが腑に落ちる感覚。
「……会えるんですよね」
「会う。話す。見られる。――覚悟しておけ」
ダリウスの口元が、ほんのわずか動いた。微笑と呼ぶには小さいが、確かな温度の揺れだった。
「発て」
号令一つで、列は常歩から速歩に移る。鐙に均等に体重を落とし、鞍に沈みすぎない座を保てと、ダリウスの短い指示が続く。「走るな。歩幅を延ばせ。鞍に沈むな。腰を立てろ」
ほどなく、森が切れて緩やかな丘に出た。遠く、街道の白い線が見える。前衛の二騎が丘陰から手信号を送って戻る。ダリウスが頷くと、全体の歩調が自然にそろう。
「道は安全だ。速度を上げる。――駈歩は使わない。馬を残せ」
統率は見惚れるほどだった。鎧の音が一拍だけ重なり、すぐ均される。テラの胸に、また別の熱が灯る。あの焼け跡に新しい秩序を持ち込んだ朝のように、確かな流れがここにはある。
午後、小さな宿場の外れで短い補給を受け、再び出る。道すがら、ダリウスはぽつりぽつりと口を開いた。
「王都に入ったら、まずは詰所で報告だ。俺が先に出る。お前たちは名乗りと礼だけできればいい。決して、勝手に語るな。問われたことに、正確に答えろ」
「はい」
「王に会うこともある。恐れるな。恐れは言葉を濁らせる。濁った言は信頼を落とす。一度落としたら、あとで返せぬ」
説教ではない。必要なことだけが通る声で置かれる。テラは一つ一つ、胸に仕舞い込むように頷いた。鞍の中で背筋を伸ばすと、左手首の銀糸が陽を拾い、小さく瞬く。
日が傾きはじめた頃、森の切れ目から、遠い城壁が薄紫の空に線を描いた。白い石が帯のように延び、塔が点々と立っている。風が運ぶ匂いが変わった。鉄と油、焼いた麦、人いきれ。
「見えたか」
ダリウスの問いに、二人は「はい」と声を揃える。
「ファブリカ王国――王都だ。着けば少しは休める。だが楽だとは思うな。ここからが、お前らの“戦い”の別の形だ」
彼はゆっくりと首を回し、肩を鳴らす。「王都は“見る”。“量る”。お前らが何者かを、だ」
テラは頷き、無意識に左手首の腕輪に触れた。銀糸の結び目が、指の腹に確かに当たる。あの朝、交わした約束の手触り。
――戻る。語って、戻る。そのために、進む。
夕光の中、隊列は城壁へ伸びる街道に乗った。城門へ向けて各隊が速度を落とし、歩度が一段緩む。最後尾まで合図が渡る速さに、テラはまた小さく驚く。ダリウスは最後に一言だけ付け加えた。
「王国内では剣は“見せびらかす”ために持つな。抜かずに済むなら抜くな。――抜いたら、終わらせろ」
短い言葉が、背骨に一本通る。テラは小さく「はい」と答え、鐙の上で踵をわずかに返した。空は赤く、城は白く、風は涼しい。
王都は、すぐそこだった。
城門は近づくほどに大きく、冷たい石の匂いが風に混じった。門楼の上で槍先が傾き、番の兵が合図を送る。騎馬の列が速度を落とし、門前で半円に広がった。
「ファブリカ王国騎士団、副団長ダリウス・モルデイン。緊急報告、並びに二名の証言者を伴う入城だ」
名乗りだけで、空気が変わる。槍が持ち替えられ、鎖が鳴って閘門が上がった。門内の影が深い。涼しい。
くぐった瞬間、世界の匂いが切り替わる。鉄と油、焼いた麦、果物、革。人の声が幾重にも重なり、石畳に蹄鉄が乾いた音を刻む。白い石の家並みが折れ曲がり、路地は細く、空は四角い。
騎士団の詰所は城壁沿いの石造りで、門からまっすぐの大通りを三つ数えて右。中庭に入ると、号令一つで馬が次々に繋がれ、水桶と飼葉が用意された。ダリウスは下鞍の一拍で地に降り、手綱を部下に預けると、空いた石場を靴で二度、軽く打った。
地面が、少しだけ盛り上がる。輪郭だけの低い土壁が四方に伸び、外の喧噪を柔らかく遮った。
「風を切る。ここで聞く」
簡易の卓と椅子が運ばれる。今度の書記は二人。羊皮紙の束が揃えられ、鉄筆の先が新しく削られる音がした。テラとリアムは椅子に座ると、浅い呼吸を刻んで整える。ダリウスは立ったまま、影を落とした。
「道中の異常は報告済みだ。――出発から門前までで、何か見落とした痕跡は」
短い問いに、二人は首を振る。
「よし。ではこれより王城へ。まずは俺が先触れ(さきぶれ)を入れる。お前たちは無用に口を開くな。問われたことにだけ、正確に答えろ」
詰所から王城へは、坂を一つ上って石橋を渡る。橋の下で水が光り、遠くに白い塔が刺さっていた。内門を抜ければ、騎乗のまま進めるのは中庭まで。そこからは下馬。手綱を舎人に渡し、石段を上がる。
黒鉄の扉に、深い紋が彫られている。扉が開く。広間は天井が高く、柱がいくつも立っているのに、影が少ない。窓が多く、光が均されているせいだ。床の磨かれた石に、足音が淡く返る。
最奥の小広間――壁に余計な飾りのない、実務の匂いのする部屋で、黒い外套の男が静かに立っていた。長身。腰に二本の長剣。金の髪は短くまとめられ、瞳は深い青。冷たいというより、澄んでいる。
そして綺麗な顔立ちだ。
「ようこそ、王都へ」
声は低く、よく通る。抑揚が少ないのに、言葉の端が柔らかい。
「団長セリウス・ナイトヴェイルだ。」
ダリウスが半歩前に出て膝を折る。
「副団長ダリウス、ただいま帰城。南辺境のシルク村における襲撃の件、第一報をもって参りました」
「聞こう」
ダリウスは必要な順で、短く並べた。
「襲撃は夜半。獣型多数。統率者魔人族――名あり、『バルグ』。角二本、熊に似た体躯、人語を解す。非戦闘員を優先して殺害。意図的な混乱と拡散。村の南域は壊滅」
「……ふむ」
「なお、南が焼け野原になった主因は、人為の炎。剣士オリヴァー・クロフトによる技です。被害を止めるための終止。魔力残穢から見て、上級の域ではありません」
セリウスの青がわずかに細くなる。
「オリヴァー、か」
「加えて――彼が携える愛剣『グラム』は名剣21のうちの1本。鍛えはシルク村の鍛冶師、エド・スミス。現地で確認済みです」
「証言者は」
「ここに」ダリウスが半身を引き、二人を示す。「テラ・クロフト、リアム・コリン。ともに13。現場での接触、交戦経験あり。テラは統率者の剣を正面から受けて剣を折損。その後、四日間にわたり寝込みましたが、現在は行動に支障なし。――訓練場で指導をお願いしたく存じます」
セリウスの視線がテラをかすめる。痛むわけでも怯ませるわけでもない。ただ、見た。
「……よく来た。怖かったろう」
「……はい」
「怖いと思え。思えなくなったとき、人は死ぬ」
言い切ってから、ふっと息を落とす。「今日はここまでだ。身体を休めろ。正式の聴取は明日、王前で行う」
ダリウスが一礼し、控えめに付け足した。
「団長。訓練場にて。魔力の通し方を確認したい」
「良い」セリウスはテラの背の新剣に一瞥を落とし、短く頷く。
「テラ。明日の王への報告後、訓練場に来い。剣に魔力をどう通すか、俺が見る。」
言葉の意味を測りかねて、テラはただ頷いた。
広間を辞すとき、ダリウスがわずかに肩を竦める。
「よく喋った方だ、あれでも」
「そう、なんですか」
「俺が言う。あれで“歓迎”している」
詰所に戻る途中、石廊の格子から夕陽が斜めに差し、床に四角い光が並んだ。ダリウスが歩幅を落とし、ぽつりと言う。
「……テラ。折れた剣はどうした」
「村で、鍛冶屋のエドさんに返しました。」
「そうか。折れた剣をよく見たか?」
「いえ、何故ですか?」
彼は少し考えた仕草をした後、黙ってしまった。
宿舎に案内され、粗末だが清潔な部屋を与えられる。寝台に腰を下ろすと、全身の疲れがようやく形になって出てきた。窓の外で、詰所の鐘が一度だけ打たれる。明日の刻限の合図だ。
翌朝。城中庭の噴水が一度だけ高く上がり、朝番の角笛が短く鳴る。詰所の扉が叩かれ、ダリウスの副官が無言で案内の手を示した。
通されたのは白石の長廊を抜けた先、半球天井の謁見の間。紅絨毯が真っ直ぐ玉座に伸び、左右には槍を立てた近衛が整然と並ぶ。幕は開き、淡い光が石床に四角く落ちていた。
王の名はセルバン・ファブリカ、王は多くを飾らぬ人物だった。長衣は濃紺、肩章には王家の紋。年の頃は四十代半ば、深い皺は少ないが、目の底に疲れの影がわずかに揺れる。その右にセリウス、左に宰相。ダリウスは一歩前に出て膝を折る。
「副団長ダリウス・モルデイン、ただいま帰還。辺境シルク村襲撃の件、第一報と証言者をお連れしました」
「顔を上げよ」王の声は静かで、よく通った。
ダリウスが起立し、テラとリアムに目線だけで合図を送る。二人は胸の前で拳を重ねる式礼を行い、許しを得て進み出た。膝がわずかに震える。だが、引かない。脈拍を数え、呼吸を整える。
「名と年を」
「テラ・クロフト、13歳です」
「リアム・コリン、13です」
王はうなずき、視線をセリウスへ流す。団長は片手をわずかに上げ、進行を受けた。
「襲撃について順に。見たこと、聞いたこと、したこと。脚色はいらない」
セリウスの青い眼が、まっすぐにテラを射る。責める色はない。ただ、重い。
テラは口を開いた。育成場の木戸が破れた音。狼じみた影が雪崩れ込み、オリヴァーの号令で鍛冶場へ走ったこと。エドから渡された剣の重さ。外の最初の一太刀で炎に雷が混じり、腕が痺れたこと―南へ向かい、スティッチ家に突っ込んだ巨大な猪、散った火の粉、梁の落下。
リアムが続ける。途中の小競り合い、村人の避難誘導。家畜小屋の影から飛び出す小型の魔物を弓で抜き、間合いを詰められれば二本の短剣でさばいたこと。
再びテラ。煙の帳の向こうから現れた魔人族、熊に似た人型。角は黒くねじれ、鈍く光っていた。自ら名乗った「バルグ」。そして――ペネロペの両親の最期。声は割れずに出たが、喉の内側が焼ける。王の表情が一瞬だけ陰った。
「指導員カイルの戦死について」宰相が淡々と問う。
リアムが一歩出る。「背後から斬りつけ、肩口に傷を与えました。しかし振り向きざまに逆手の突きで胸を貫かれ……倒れました」
セリウスの視線が鋭くなる。「逆手の突き。踏みは重いが、突きの瞬間だけ軽い。刃筋は乱れない。――合っているな」
「はい」リアムは短く答える。
「テラ」王の声が降りた。「最後は、どうした」
テラは掌を握り、開いた。銀糸の腕輪が光を吸う。「ペネロペが狙われました。逃げ道はなく、盾になる時間もなかった。だから正面から……全部、剣に込めて受けました。受け止めた瞬間に剣は折れ、息ができなくなって……そこからは、途切れ途切れです」
謁見の間の空気が、ひと拍、沈む。王はゆっくり息を吐いた。
「よく話した」王は玉座の肘掛を軽く叩き、視線をセリウスへ返す。
「団長、総括を」
セリウスは一歩前へ。視線を焼けた南の方角――この城から見えぬ地点へ、あえて送ってから言う。
「統率力を持つ魔人族の顕現。非戦闘員優先の殺害、混乱の最大化。過去の事例と照らしても、企図は明確。対処は王都レベルに引き上げるべき案件です」
「また、南域の焼け野原は報告通りオリヴァー・クロフトによる終止の炎。副団長も現地で残穢を確認済み」
セリウスは横目でダリウスを見る。ダリウスが一礼して補足する。
「はい、陛下。上級の域ではございません。より高位の“技”。」
「うむ」王は短く頷き続ける。「オリヴァーか、騎士団を離れてからも鍛錬を怠ってはいないようだな。セリウスよ、求めるものは何だ」
「第一に情報。二人の少年の証言は核になる。王都滞在の間、正式な聴取を数度行わせてほしい。
第二に備え。南辺境の巡回頻度の増加、シルク村への警備の配置、各村の鐘守と避難経路の再整備。
第三に――」セリウスは言葉を区切り、テラとリアムへ視線を移した。「適切な鍛錬。見た者は折れるか、強くなるかの二つに分かれる。彼らを後者に寄せる下地は、王都にある」
王はしばし沈黙し、宰相と短く言葉を交わす。やがて、はっきりと告げた。
「許す。二人は当面、王都の保護下に置く。聴取と検分に協力し、必要な鍛錬を受けよ。副団長、段取りは任せる」
「はっ」ダリウスが深く頭を垂れる。
王の視線がテラとリアムへ戻る。「国は人で成る。村も同じだ。お前たちは村を、人を守った。ならば、国もお前たちを守ろう」
言葉は簡潔だったが、胸の奥に重く沈んだ。テラは膝をつき、深く頭を垂れる。リアムもそれに倣う。銀糸の腕輪が袖口の影でふっと光り、ペネロペの顔が一瞬、まぶたの裏に浮かんだ。
退出の合図があり、三人は玉座から下がった。大扉が背で静かに閉まる。外の廊に出ると、ダリウスが歩を緩めずに言う。
「昼は休め。夕刻、詰所の訓練場で軽く見る。明日は正式聴取が続く。――テラ」
「はい」
「剣は持って来い。団長が直々に“通し”を見たいそうだ」
胸の奥が、熱と冷たさで同時に鳴った。セリウスが直に――。喉が乾く。だが、逃げ道を探す気配は自分の中にない。
「了解しました」
外気は高く澄み、王城の旗が静かに鳴った。
遠い南の空の向こう、黒く焦げた土。その上に立った夜の自分が、確かに今へ繋がっている。
夕刻。詰所の訓練場は石垣に囲まれ、土の地面は打ち固められていた。藁人形の列、射場の的、磨き込まれた丸太台。東の空に残る薄紅が、刃の面に細い光を置く。
「囲う」
ダリウスが片足で土を踏むと、地面がぐっと息を吐き、訓練場の一角に肩の高さの土壁が四方へ盛り上がった。音は低く、確かな重みを持つ。土壁の内側に薄い砂煙が漂い、ひとつの“場”が切り取られる。
「テラはこっちだ」
セリウスが土壁の内へ静かに入る。黒外套は脱ぎ、簡素な上衣。腰の二本の長剣はそのまま、しかし抜かれない。青い瞳が一度だけ新剣を見た。エドの刻印が鍔元で光る。
「折れた剣について報告を受けた。名剣を鍛えられる鍛冶師の仕事が、相手の一撃で折れるとは考えにくい」
セリウスは言葉を切り、短く顎をしゃくる。「試す。――俺が『やめ』と言うまで、剣に魔力を通せ。火でも水でもいい。方法は任せる」
テラは喉を鳴らし、頷いた。両足を地に据え、息を細く吐く。まずは火――胸の奥の熱を、刃へ。柄の木目が指に馴染み、刀身にわずかな赤が走る。温度が上がり、金属が鳴いた。続けて水――肩から肘、肘から手首へ、流れを通す。赤い光の縁が柔らかくなり、刃の周りに薄い“揺らぎ”が生まれた。
「そのまま、量を上げろ」
テラはさらに押し込む。胸が熱くなり、こめかみが脈打つ。刀身の音が一段高くなり、鍔元がわずかに震えた。火は濃く、水は滑らかに、そして微かな雷、3つの気配がぶつかり合いながらも刃の芯へ収束していく。
「まだいける」
汗が背を伝う。足指で地を掴み、息を刻んで押し込む。瞬間、刀身のどこかで“鳴り”の位相が跳ねた。耳の奥で甲高い警鐘――金属の限界が指先に伝わる。
「――やめ」
セリウスの声が落ち、テラは即座に魔力を切った。刃が深く呼吸するように音を沈め、熱が静まっていく。膝がわずかに笑い、テラは一歩だけ足を引いた。
セリウスは近づき、刀身に人差し指を当てた。熱は残るが、危険な波は消えている。目を細め、静かに言う。
「なるほど。魔力量と出力が多い。……騎士団在籍時のオリヴァーを、すでに超えている」
テラは目を瞬いた。「父さんの……」
「量の話だ。質と運用は別。だが“入れ過ぎれば折れる”――原因はそこにある」
セリウスは視線を落とし、鍔の刻印を一瞥してから続けた。
「オリヴァーは“雷”について何か言ったか」
「封じろ、と。しばらくは火と水だけで戦えと」
「妥当だ。しかし、3属性を剣に流せるとはな」セリウスは頷く。「見たところ、お前の魔力量に身体の成長が追いついていない。雷は神経を焼く。負荷が大きい」
言葉をひと拍置き、指先でテラの握りを直す。「だから鍛える。骨と筋肉を“器”にする。雷は一日一度、短く呼べ。自分の限界を“知るために”だ。量を誇るな、制御を覚えろ」
「……はい」
「もう一度。今度は“通し”を変える。火は圧、水は道。先に道を作れ。圧は最後に、少しだけ」
テラは頷き、同じように構え直した。水を先に――肩から肘、手首、刃へと通路を敷く。そこに火をほんの少しだけ押す。刀身の音は先ほどより低く安定し、揺らぎが薄絹のように張った。
「今のが“器を壊さない”やり方だ。しばらくはそれで戦え」
セリウスは肩を軽く叩く。「明日以降、朝に基礎、夕に通し。一日一度の雷は俺の見ている前でやれ。時間は短く。体調が少しでも崩れたら即中止する」
土壁の外では、ダリウスが別の囲いを作っていた。土が立ち上がり、円形の小庭がもうひとつできあがる。
「リアム、来い」
呼ばれたリアムが駆け込み、双の短剣を抜く。ダリウスは大盾を地に立て、片手で大斧を担いだまま、顎で合図する。
「風の使い道は刃だけじゃない。脚、矢、仲間――“付与”に向いている。まずは脚だ」
言うが早いか、土を踏み鳴らし、低い段差をいくつも土から生やす。即席の足場が連なる。
「踵から入るな。土踏まずで受けて、爪先で流す。吐く息で足首に風を落とせ。――走れ」
リアムは息を整え、段差へ踏み込む。最初はぎこちない。しかし二、三歩目で風が足首にまとい、身体が軽く前へ滑った。
「おお……!」思わず漏れる声。着地の衝撃が和らぎ、次の一歩が前へ“置ける”。
「今のだ」ダリウスは短く言い、大盾を動かして視界を切る。「次は矢。三本。俺の盾の縁を掠めて的に通せ」
リアムは素早く弓を取り、吐く息に合わせて矢羽に指を滑らせる。指先に風を落とし、放つ。一本目は外れ。二本目、縁を擦って的の外周。三本目、盾の陰から僅かな風の筋を作り、矢が滑り込んで中心を穿った。
ダリウスの口端が、ほんの僅かに上がる。「風は押し、土は受ける。押さずに支えろ。仲間の背にも落とせる。無闇に前だけを軽くするな、姿勢が崩れる」
言いながら大斧の背で地を叩き、小山をひとつ浮かせた。「二刀。左は“流し”、右は“刺す”。風は右に厚く、左は薄く。――来い」
リアムが短剣で踏み込む。左で盾の縁を撫でるように受け流し、右でわき腹の空間へ素早く“刺す”動きを見せる。ダリウスが大盾を半身で捌き、わずかに頷く。
「悪くない。だが“守る相手”がいる前提で動け。お前は矢を、風を、仲間に付けられる。火力を誇るのはテラに任せろ。お前は戦線を伸ばせ」
リアムは肩で息をしながら笑った。「はい!」
囲いの外へ出ると、夜風が汗を撫でた。土壁は音もなく崩れ、土は元の地面に静かに還る。
セリウスが短く告げる。「今日はここまでだ。飯を食え。水を多めに。――明日、また始める」
テラは剣を収め、胸の中で火と水の感覚だけを小さく撫でた。雷は遠く、ひと筋、雲の裏で眠っている。
リアムは弓の弦を指で弾き、音を確かめる。風は薄く、しかし確かにそこにあった。
二人が並んで歩き出すと、石垣の向こうで王城の旗がわずかに鳴った。
雷の影響の理由は、もう“わかった”。――あとは、強い器に、なるだけだ。




