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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

リリエッタはもう一人じゃない

作者: 乃木太郎

 わたくしはいつも自分が一番だと思っていた。

 王国の筆頭公爵の一人娘。望めば手に入らないものはなかった。優しい両親、忠誠心のある臣下、いつもわたくしのことを褒めてくれるご令嬢方、わたくしをエスコートしたがる男性たち。わたくしの世界はいつも輝いていた。

 だからこそ、わたくしが望めば、第一王子の婚約者になることも難しくない。いずれ王太子になる第一王子。わたくしこそがその相手にふさわしい、そんな風に考えていた。

 いつからか、わたくしの日常がうまくいないことが増えた。王太子妃教育は厳しく、ちょっとできないことがあると冷たい目で見られる。無礼者だとクビにしようとしても、ただの公爵令嬢には何の権力もないことを知った。

 わたくしにふさわしいと思っていた婚約者も公務で忙しいとあまり構ってくれない。王太子妃教育がつらいと言えば、あきれたように「君が望んだんだろう?」と言われる始末。

 挙げ句に、どうしても許せないことが起こった。

 第一王子が、わたくし以外の、しかもたかだか伯爵令嬢に懸想しており、側妃として迎えるのではないかという噂が立ったのだ。しかもその伯爵令嬢は、わたくしよりも優秀だという。

 なぜ?

 わたくしは筆頭公爵の一人娘なのに?

 誰よりも美しく気高くあろうと、今の地位にふさわしくあろうと我慢して研鑽しているのに?

 わたくしが婚約者になってあげたのだから泣いて喜び、わたくしを何より大切にするべきなのに?

 なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?

 なぜ、わたくしは、一人なの?




 どうにかして邪魔な伯爵令嬢を排除しようと両親に頼ろうとしても連絡も取らせてもらえず、そうこうしているうちにわたくしはなぜか牢に捕らえられた。父が税金をごまかし、本来国に納めるべき税金で私腹を肥やしていたという。そのうえ、わたくしを王家に送り込み、王家簒奪を目論んでいたのではないかという嫌疑までかけられた。脱税に国家転覆、我が公爵家は一夜にして没落した。

 国家転覆については嫌疑不十分とのことで、わたくしはわずかなお金とともに平民として生きることを余儀なくされた。あんなに優しかった人たちは、誰もわたくしを助けてくれない。

 知らなかった。

 わたくしに優しくしてくれていたのは、わたくしが公爵家の令嬢だからであると。

 知らなかった。

 わたくし自身は、誰からも好かれていなかったのだと。

 市中に下り、たった一人、あてもなくふらふらしていると、いやになれなれしい男と出会った。男は酒臭かったが、家のないわたくしを泊めてくれるのだという。

 こんなわたくしでも、神は見捨てなかった!

 わたくしを放り出した王家、臣下、友人だと思っていた令嬢たち。今に見ていなさい!わたくしは、ここから、必ずまた立ち上がってみせる。

 そんな風に思っていたのに、男に連れられたのはその男には見合わない立派な屋敷だった。こんないかにも平民のような男が、実は貴族だったのだろうか?わたくしが知らないのだから、末端の貴族だろうけれど。

 男は屋敷の中にいる老婆にわたくしを紹介した。老婆は、この屋敷の主のようだった。こんな老婆が貴族にいたのだろうか?そのときはじめて、わたくしは何かがおかしいと思った。そう思ったときにはもうすでに遅い。わたくしはこの老婆が営む娼館に売られていた。

 老婆にあてがわれた初めての客は、歯が抜けた商人の男だった。醜く肥え太り、わたくしは全力で抵抗した。抵抗すると頬を叩かれ、床に押しつけられる。こうしてわけがわからないまま、わたくしは女の尊厳を失った。

 わたくしはどういうわけか、そこそこ金持ちの男に売れているようだ。わたくしが暴れなければ、男たちはみんなわたくしに「やさしく」した。公爵令嬢でなくなって、久々の「やさしい」だった。わたくしが信じた優しさとはまったく違うその「やさしさ」は心から嫌だったけれど、それがないと、わたくしは死んでしまう。

 結局わたくしは、「やさしさ」にすがらないと生きていけない。




 そうして「やさしく」されていると、いつの間にか子どもを身ごもっていた。老婆はめんどくさそうにわたくしを見ると、わずかなお金でわたくしを娼館から追い出した。

 大きなお腹を抱えたわたくしに声をかける者は誰一人いない。一人でふらふら歩いていると、街外れの橋にたどり着いていた。橋の下を流れる川を見ていると、このままこの流れに身を任せるほうが楽になれるのではないかとさえ思えてくる。

 ――そうだ、このまま飛び込んでしまおう。

 そう思ってさらに身を乗り出すと、知らない男に腕をつかまれた。

 男は立派な衣服を来た初老の紳士だ。ああ、この男にも「やさしく」されるのだろうか。でも今のわたくしは子どもを身ごもっているので、「やさしい」はかなり難しい。そんなことをぼんやり考えていると、わたくはそのまま気を失った。

 目を覚ますと、久々に清潔なベッドの上だった。どうやらあのときの紳士が助けてくれたらしい。どうして何もないわたくしを助けてくれたのかはわからなかったが、その紳士はいつまでもここにいればいいと言った。わたくしは正直にお金もないし、「やさしく」される体もないと言ったら、紳士は悲しそうな目で「休みなさい」と静かに告げる。

 その紳士の目的はわからなかったが、しばらくするとわたくしの子どもが生まれた。小さな小さな女の子で、わたくしと同じ金色の髪をしている。わたくしは理由もなく涙が出た。紳士もなぜか泣いていた。

 その小さな赤ちゃんを見ていると、不思議と気力がわいてくる。この子にはわたくししかいない。わたくしがいないと、このかわいい子は明日にでも死んでしまう。そんなの、嫌だ。

 この子がどんな風に笑うのか、どんな風に怒るのか、何に興味を持ち、誰と――恋に落ちるのか。わたくしに何ができるかわからないが、この子だけは全力で守りたい、そう思った。

 そのときに気づく。わたくしはいつも誰かから与えてもらうばかりで、何も返していなかった。与えてもらうのは当然で、わたくしが一番であることが当然で、優しくされるのは当然だと、無邪気にそう信じていた。そんなわたくしが誰からも助けてもらえないのは当たり前だ。

 それからわたくしは、助けてくれた紳士とこの子をわたくしよりも大切な存在として慈しんだ。紳士は大きな商会の会長で、ずっと昔に一人娘を亡くしてしまったらしい。奥様も早くに亡くし、再婚もせず一人で暮らしていたようだ。あの日たまたま見かけたわたくしがどうしても放っておけなかったと言った。理由もなく、誰かを助けたいという気持ちを、わたくしはこの紳士と娘から教えられた。




 わたくしは紳士の後妻になることを望んだが、彼は頑として首を縦には振らなかった。年齢が離れすぎていることを気にしているらしい。わたくしも、自分が他の男に「やさしく」されたことが負い目になり、あまり強くは言えなかった。何もないわたくしに、彼は本当によくしてくれた。文字が読めるからと、商会の仕事もたまに手伝うと、本当にうれしそうに笑ってくれる。王太子妃教育を受けているときは誰からも褒められなかったのに、彼だけは些細なことでわたくしをとても褒めてくれた。

 娘は、わたくしの名をとって、リリーと名付けた。リリーはよく笑い、よく食べ、すくすくと成長した。彼と二人でリリーの成長を見るのが、本当に楽しかった。リリーがはじめて「ママ」と呼んでくれたときはうれしくて泣いてしまい、彼が慰めてくれた。彼は、やはりリリーの父になることをためらい、「じいじ」と呼ばせていた。最初は「じいじ」と呼ばれるとぎこちなくなってしまっていたけれど、だんだんとうれしそうな顔をするのが本当に愛おしい。

 わたくしたちの関係は複雑であったけれど、間違いなく家族であったと思う。

 リリーには、わたくしと同じ道を歩ませないために、謙虚に誠実に生きることを教えた。人が優しいことが当たり前でないことを伝えた。リリーはよくわからないという顔をしていたが、いつか大人になったときにわかってくれると信じて。


「わたくしのかわいいリリー。人に優しくされたら、同じ優しさを返すのよ。あなたを本当に大切にしてくれる人は、あなたに甘いだけの人ではなくて、本当に困ったときに助けてくれる人。忘れないでね、リリー」




 母が亡くなったと聞いたリリーは、大慌てで実家のグランハム家に帰った。グランハム家は貴族位はないが、名門の商家である。祖父のアルフレッド・グランハムは数年前に老衰で亡くなり、ある条件のもと、アルフレッドの右腕のハリーが商会を継いでいた。リリーはハリーのことが嫌いであった。なぜなら、母の気持ちを知りながら母にちょっかいをかけていたからである。

 母からは、アルフレッドが実の祖父ではないことを聞いていた。母はあまり多くのことは語らなかったけれど、アルフレッドを心から愛していることだけはリリーから見ても明らかだ。母は歳を取っても若々しく、ハリーが懸想するのもわかるほど美しかった。

 そんな母とハリーを屋敷に残して王立学園に通うことは不安だったが、リリーの将来のためだと母が後押ししてくれたので寮に入り、リリーは勉学に勤しんでいたのに。

 実家に帰ると使用人たちが母の葬儀の準備をしてくれていた。リリーが母の部屋に入ると、母はいつものように美しく、まるで眠っているように見える。それでも顔に血の気はなく、そっと触れた手は恐ろしいほど冷たかった。


「お母さん……お母さん……」


 リリーが母の枕元で声をかけると、いつの間にかハリーが部屋に入ってきていた。


「リリー」


 リリーは大嫌いなその男のほうは向かず、無視する。


「リリー、何を無視してる」

「……母との別れを邪魔しないでいただけますか」

「リリエッタ様も、俺と結婚すればよかったのに。そうすれば」

「口を閉じてください」


 リリーが振り返ってにらむと、ハリーは口を閉じる。

 母は、自殺であった。手首を切って、浴槽で倒れていたところを使用人が見つけたらしい。しかし発見したときにはもう遅く、母は手遅れだったとのことだ。

 リリーは母の言葉を思い出す。母は、どんなときも命を大切にするように言っていた。そんな母が、自ら命を絶つなんてあり得ない。あるとすれば――。

 リリーは目の前のハリーを再び睨む。

 この男は、商才はあるが、下半身にだらしない男だ。アルフレッドが亡くなり、無理に母を手籠めにしようとしてもおかしくない。母なら簡単に奪わせないだろうが、愛しいアルフレッドも亡くなり、下卑た男に毎日狙われてはその心労は計り知れないものだったろう。

 この男が、母を殺したようなものだ。


「ところでリリー、これからどうするんだ?」

「どうするんだ、とは?」

「リリエッタ様も亡くなったし、アルフレッド会長ももういない。……お前は、出て行くしかないだろう?」


 ハリーが、舐めまわすようにリリーを見る。リリーは、母に似てとても美しく成長していた。


「そうは言っても、女一人で生きていくのは大変だろう?俺と結婚するなら、お前一人養ってやってもいいぞ」


 リリーの肌が嫌悪感で粟立つ。もしこの男にすがらないと生きていけないなら、リリーも母のあとを追うつもりだった。母には怒られるだろうが、こんな男にどうこうされるよりは天国で母とアルフレッドと過ごせるならそのほうがいい。


「冗談は顔だけにしてくれます?」

「……は?」

「あなた、自分の顔を鏡で見たことあります?下品で、醜い男」


 吐き捨てるようにリリーが言うと、ハリーが顔を真っ赤にする。


「貴様……!」

「まさか、あなたが商会を継いだときの条件をお忘れですか?」

「条件?」


 リリーの言葉に、ハリーがぽかんと口を開ける。リリーはその反応に大きくため息をついた。この反応は忘れたというより、そもそも知らなかったという顔だ。契約書にもきちんと書いてあったのに。


「あなた、契約書もまともに読めないんですか?よくそれで商会を継げるなんて思いましたね」


 リリーが上着のポケットから一枚の紙を取り出す。


「これは、アルフレッドおじいさまが、あなたに商会を任せるときに作成した契約書です。……この契約書には、こうあります。リリエッタ、リリーに何不自由ない生活を送らせること。リリーが成人となったら、すぐに商会をリリーに継がせること」


 アルフレッドは、ハリーの考えなどとうの昔に見抜いていた。それでも母に商会の会長は難しい。一時的にでも、ハリーに任せるしかなかった。だからこそアルフレッドは、跡を継がせることを条件に、この契約書にサインするようにしたのだ。


「なん……そんな契約書無効だ!」

「あら、ここにあなたのサインがありますけど?まあ、無効なら無効で、あなたは商会の跡継ぎではなくなりますから、今すぐ屋敷から出て行ってください」

「ふざけるな、そんな契約書……!」

「誰か!誰かきてっ!」


 リリーが叫ぶと、部屋に衛兵が入ってくる。こうなることを見越し、リリーは事前に手を打っていたのだ。衛兵に取り押さえられたハリーがきっとリリーを睨む。


「こんな……こんなことをしてタダで済むと思うな……!」

「タダで済まないのはあなたでしょう?……連れて行ってください」


 衛兵に引きずられ、ハリーは部屋を出て行く。リリーは大きく息をつき、後ろで眠る母を振り返る。


「ごめんなさい、お母さん。うるさくして」


 リリーが学園に通うことになったのは、この商会を正式に継ぐために必要な勉強と人脈を作るためだった。こうなってしまっては、少し早いが、学園を退学して商会を継ぐ準備をしなければならないだろう。


「お母さん、わたしもっともっと強くなるから。……お母さん、守れなくてごめんね」


 ベッドに横たわる母は、何も答えない。リリーの視界が再び涙でにじむ。

 リリエッタが何を思っているのか、もう聞くすべはない。それでも、静かに横たわる彼女は、一人ではなかった。

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