第9話
「後藤先生、高田部長! 大変です。体験入部の一人が、失速して崖沿いの木に引っかかっています!」
副部長の報告を聞いた高田部長は、泥に汚れた膝を気にすることなくナビゲーターの所に走りよった。
「状況は!? 映像を! 大画面に映し出せ! 副部長、後藤先生を至急呼べ」
高田部長の叫びを受けて、副部長とともに、経験者の新入部員の指導をしていたナビゲーターは、画面に映像が映しだす。そこには、崖から生えた木に引っかかったハングライダーが、一つ映っていた。その危うさに監視用のドローンも近づけない。
もしもその木がなかったら、ハングライダーはそのまま崖下に落ちていただろう。
そして、今もなおハンググライダーは風に吹かれて揺れており、いつ落ちてもおかしくない状況だった。
桜子先生は救急航空隊に電話をして、現状を伝えている。
他の部員達も騒ぎに気がつき始めた。
「チーちゃん!」
「わかった!」
そんな中、つばさは千尋の二人は、落ち着いた様子で持ってきていたウィングスーツを取り出していた。
「お前たち、それは……」
高田部長が何か言おうとしたが、つばさは、自分専用の空色で彩られたウィングスーツを急いで身につけると、千尋がチェックを始める。
特殊素材で作られたウィングスーツは両手両足を広げるとムササビのようなフォルムになる。無駄なく身体の線が分かるほどぴったりとしたウィングスーツは、人が空に挑むためだけに開発された現代の翼である。
高田部長の目には、そんなウィングスーツを身につけたつばさの姿が日の光を受けて輝いて見えた。
つばさの姿に見とれている高田部長に気にもとめず、千尋はつばさのウィングスーツを指さし確認を始める。
「ウィングスーツ装着確認完了」
千尋の確認を受けたつばさは、ウィングスーツと共に、補助飛行動力のブースターパックを背中に取り付けた。それと同時に救命パックを腹の部分に取り付けると、千尋が二つのパックの取り付け具合を確認する。
「ブースターパック及び救命パック装着確認」
ブースターパックは風がなくても飛べるように強力な送風機のようなプロペラが付いており、ウィングスーツでの救助活動に必須のアイテムである。そして、もう一つの必須アイテムは救命パック。要救助者を引き上げるウインチや救急キットなどが入っている。
そして、それらの全てを取り付けたつばさは千尋に準備完了と告げる。
「ウィングスーツ飛行状態完了」
「ウィングスーツ飛行状態完了確認」
つばさがいつでも飛び出せる状態が完了したとき、桜子先生が二人の動きに気が付いて叫んだ。
「何をしているの? お前たちは?!」
「先生、状況は一刻を争います。次に突風が来れば、あのハンググライダーはあおられて、崖の下に真っ逆さまです。その前に、あのパイロットを救出しなければなりません」
千尋が桜子先生に状況を説明するが、桜子先生は首を振って答えた。
「そんなことは分かってる! そうじゃない、なんでお前たちはウィングスーツを身に着けているのか聞いているんだ! それも救命パックまでつけて」
「つーちゃんはウィングスーツB級ライセンスを持っています。当然、救命訓練も受けています。わたしたちであの子を救出します。救急航空隊を待っていたら手遅れになります」
「しかし、お前たち、救命実績はあるのか?」
「実績はあります。つーちゃんの救命成功率は百パーセントです。つーちゃんなら現地まで三分もかかりません。救急航空隊が来るよりもよっぽど早いです。ただし、わたしたちは未成年なので、大人の承認が必要なんです。先生! ここに同意のサインをお願いします」
そう言って、千尋はタブレットの画面を桜子先生に差し出す。
実際、つばさの救命実績百パーセントだ。たった一度の救命実績ではあるが。千尋は桜子先生を納得させるためにわざとそう言った。
そんな事を知らない桜子先生はタブレットの同意書を睨む。
「いや、しかし……」
「先生! このまま生徒を見殺しにした教諭として悪名を残すか、生徒のために自分の教諭生命を賭けた名教諭として名を残すか、先生はどちらなんですか?」
「あたしは生徒のためならば、いつでも先生なんてやめてやるよ! ここにサインをすればいいのか?」
煮え切らない桜子先生に千尋が強引に背中を押すと、彼女は腹を決めたように千尋を睨みつけた。
それは、売り言葉に買い言葉ではない。心の底からそう考えている目だった。生徒のためにならないならば、先生である意味など一つも無い。そんな力のこもった瞳だった。
桜子先生は強い意志を持ってペンを握る。
「はい、こことここの二か所にサインを下さい」
「責任は全て、あたしが取ってやる。だから、絶対に無事で戻ってこい! 二人共だぞ!」
桜子先生は千尋に言われるままに、タブレットにサインをする。
サインを確認して、保存をすると千尋は深々と頭を下げた。
「先生、ありがとうございます。あとはわたしとつーちゃんに任せてください!」
千尋はそう言ってつばさに向けて親指を上に向けると、タブレットを地面に置いた。
すると現在位置から、ハンググライダーが引っかかっているところを含んだ周辺の立体画面が出てきた。
「飛鳥、この地図はどうしたんだ!?」
「先生、そんなことは今はどうでもいいことです。つーちゃん、救命フライトプランを説明するね」
つばさはいつでも飛び出せるように準備をしたまま説明を聞く。タブレットからの情報はシールドの端に映し出され、千尋の声がヘルメットの中に響く。
「要救助者は女性一名、氏名は高田優香子、身長百四十五センチ、体重四十二キロ、意識ははっきりしている。インカムのチャンネル七九五にて意思疎通可能。ハンググライダーにて約二キロ先の崖で宙吊り状態。救助方法はドッキングアンドテイクダウンを行います」
「こちら緊急救助隊つばさ、現状把握。オールオーバー。テイクオフの指示をお願いします」
「了解。テイクオフ十秒前……五、四、三、二、テイクオフ!!!」
つばさは千尋の合図でハンググライダーのテイクオフポイントに向かって走る。その途中で高田部長が心配そうに見て叫んでいた。
「頼む! ……助けて……くれ!」