第7話
千尋が勝負を持ちかけたパイロン競技とは、決められたコースを飛ぶタイムを競うものである。要はハンググライダーでタイム勝負を持ちかけたのだった。
「今日は、大事な新入生の体験フライトの日だ。部長である俺がそんなレースなどやっている暇はない」
「あら、そうですか。さすが、全国優勝を目指している部の部長さんはお口が上手ですね。言うだけ言って、逃げるんですね。レース展開もスタートダッシュがすごいんでしょうね。逃げ上手なだけあって」
千尋は競馬においてスタートダッシュで先頭に立ち、そのままゴールする戦法である『逃げ』を絡ませて、高田部長を煽る。
それに反応したのは、副部長だった。
「部長! 体験フライトは僕がみますので、安心してください。部長の威厳を示してください」
副部長の提案に、高田部長は少し考えた。
この一年生の実力はさっぱり分からない。ただ、フライングレース部を作ろうと言うくらいだから、それなりに飛行時間を重ねてきたのだろう。しかし、自分も日本一を狙っている。たかだか中等部に負けていては、日本一などなれるはずもない。他の新入部員にも、部の実力を見せつけて気を引き締めるのも良いだろう。そう判断した高田部長は千尋の提案を受けることにした。
「副部長がそう言ってくれるなら、いいだろう。それで、こちらが負けたら後藤先生の顧問の兼任をかけるとして、そっらは何を賭けるんだ?」
「わたしたち二人を賭けます。中高六年間、部の雑用でも何でも言ってください。なんだったら、部長になら少しくらいエッチな命令も受け付けますよ」
千尋はメガネの奥で、ニヤリと笑っていた。高田部長を挑発するように。これは高田部長が頭に血を上らせ、動揺することを狙っているのだった。しかし、そんな千尋の挑発を受け流し、高田部長は冷静に答えた。
「エッチなのはいらん。六年間の雑用だけでいい。そちらが言ったんだ、後には引けんぞ」
「あら、紳士なんですね。いいですよ。ただし、さすがにわたしたち二人の六年間と、先生の顧問兼任では天秤が釣り合わないです。そちらには部そのものも賭けてもらいます。わたしたちが勝ったら、ハンググライダー部はフライングレース部に変更して頂きます」
「なんだと! そんなことはできん。ほかの部員もいることだ」
部の存続そのものを賭ける、という千尋の提案にさすがの高田部長も、他の部員のことを考えて尻込みをした。
しかし、そんな千尋達のやり取りを聞いていた部員たちが、高田部長の背中を押した。
「部長! やっちゃってください。部長がそんな生意気な新入生に負けるはずがないじゃないですか」
こうして、千尋の策略通りにつばさと高田部長の部の存続と二人の夢をかけた決戦は、決まったのだった。
「……わかった。ただし、悪いが、ルールの設定はこっちに任せてもらうぞ」
「もちろん、そちらの有利なようにどうぞルールを決めていただいて結構ですよ」
千尋はそう煽ることで、真面目そうな高田部長が、実際有利なルールを設定しないように誘導する。それどころか、年下の自分たちに有利なルールを持ちかけてくることさえ期待していた。
こうして、高田部長の提案でコースは、ハンググライダー部でいつも練習しているコースの中で一番長いコースになった。
そして、千尋のもくろみ通り、ハンデキャップとして高田部長が先に飛ぶ。
「じゃあ、しっかり見てろ」
そう言って高田部長が飛び立ったのは、急斜面と言うよりもほとんど切り立った場所。そこから、高田部長は数歩走ると一気に空へと飛び立った。
そして、一瞬、降下すると、風を受けて滑空し始めた。
と、同時に、待っている部員たちの間では、ヘルメットに取り付けられたGPSとカメラでコース通り飛んでいるか確認が行われる。
高田部長のハンググライダー部の部長らしい堂々としたフライトは、各ポイントに設置されたカメラで逐一、タブレットに映し出され、その勇姿に部員たちはすでに勝利を確信し始めてさえいた。
一方、高田部長が飛んでいる間、つばさは部から借りたハンググライダーの組み立てとチェックを少し不機嫌そうにしていた。
というのも、自分の機体でないうえに、相手は飛び慣れているコース。そのうえ、全国一位を目指している部の部長相手に勝てという、けっこう無茶な注文を付ける千尋につばさは文句を言いたい気分だったのだ。しかしそれを言うと、彼女からは「つーちゃんをこの学校に合格させるよりは簡単だと思うよ」と返されるのがオチだと知っているため、つばさは黙って準備を進める。他の部員はすべて、敵。それに比べてつばさの味方は、千尋のみ。つばさは、少し憂鬱になる。
「あのレースで、モニカもこんな気分だったのかな?」
そうつぶやいて、つばさは首を横に振った。いや、違う。モニカは笑っていた。飛ぶことを誰よりも楽しんでいた。楽しもう。何であれ、空を飛ぶことは楽しいことだ。
つばさがそんなことを考えていると、高田部長が戻ってきた。
しかし、つばさはあえて結果を聞かない。自分のベストを尽くすだけ。大きく息を吸い込むと、若草の青臭い空気が胸いっぱいになった。
そこにヘルメットのインカムから千尋の声が聞こえてくる。
「つーちゃん、準備はいい?」
いつもの落ち着いた声が、頼もしい。その声だけでつばさのスイッチが入る。
「いつでも行けるよ」