第59話
モニカはあのレースの前に、出場選手のことは調べ上げていた。その情報の中には、得意な風の方向も含まれていた。
ドラゴン伊吹は右斜め後ろの風を上手く捕らえて、加速するのが得意で、その風が強く吹いたときは大体優勝している。
それは今でも変わっていない。
追いついてきているのを肌で感じ、実際の距離がインカムより教えられる。
サードリングまでは、まだ距離がある。
モニカは左右に身体を移動させて、ドラゴン伊吹の進路をふさごうとする。
その動きを意に介さずドラゴン伊吹が突っ込むと、モニカはアタックを仕掛ける。
あのときは、アタックを仕掛けられる立場だったお前の方から来るとはな。
ドラゴン伊吹は嬉しそうに、そのアタックを受け止める。
ぶつかっては離れ、またぶつかる。
互角の勝負。
その様子を地上から応援している優香子が、感嘆の声を上げる。
「すごいですわ! モニカさん、プロと互角ですわ」
「そりゃそうよ。やっと、火が入ったみたいだから」
優香子の声に、モニターを睨んでいる千尋が応えた。
どういうことだろうか? 初心者の自分よりは、よほど上手いのは知っていたが、まるでモニカがプロのレーサーと互角に戦えるのが当たり前だと、千尋は言っているように聞こえた。
それを問いただそうとした時、千尋は三人に指示を出し始めたので、ただ見ているしかなかった。
何度目かのアタックで、ドラゴン伊吹の姿がモニカの視界から消えた。
フライングレースで、そのような場合は大体、急降下で加速する場合である。
モニカは下を見た。
「モニカさん、上!」
千尋の言葉に、モニカはドラゴン伊吹の得意技を思い出した。
昇り龍。
通常、落下での加速を利用して相手を追い抜くことの多いフライングレースで、一瞬の上昇気流を掴み、相手には消えたかのように見えるほどの速さで上昇し、相手をかわしたところで、降下加速するドラゴン伊吹の得意技。
モニカが追いかけようとした時には、すでにドラゴン伊吹はナタリーに追いついていた。
やられた。
モニカは追いかけるのを諦めて、最後のゴールを取るために伊吹との距離を取り始める。
そのモニカの側を、青い風が吹き抜けた。
「ボクは諦めないよ!」
先ほど失敗したつばさが、必死に追いついてきたのだった。
「つばさちゃん、今から追いかけても間に合わないわヨ。ゴールを狙って、ここは力を溜めて置くべきヨ」
「いやだ! ボクは未来をつかみ取るために、今を諦めない! 未来のために、今、全力を尽くす!」
「未来のために、今を……」
つばさの言葉にモニカがつぶやき、その青い春の風に未来の輝きを見た。
そして、つばさの追い上げは、千尋を通してナタリーにも伝わる。
このままでは、ドラゴン伊吹に追いつかれると判断したナタリーは、つばさに指示を出した。
「いいぞ、チビ助、そのまま突っ込んで来い! 伊吹さんはウチが止めてやる。プロがなんぼのもんじゃ!」
「いいね。おじさん、そういうの大好きだぜ」
「クソ親父、何言ってるんだ。後ろから空野が来てるぞ」
別チームのインカムが聞こえるはずもないのに、その動きと空気からナタリーの意図をくんだドラゴン伊吹が思わず歓喜の声を上げた。
そして、父親の訳の分らない言葉に、伊吹が思わずツッコんでしまったのだった。
ナタリーのアタックはモニカのそれよりも鋭い。
「でも、それだけだな。悪いが、軽いんだよ」
ドラゴン伊吹は、ナタリーのタックルを正面から受け止めながら、そうつぶやく。
ナタリーのアタックを受けても、びくともしないドラゴン伊吹に対して、勢いを付けて再度ぶつかろうとした時、ドラゴン伊吹は身体を回転させて、胸を空に向けた。
サイドロール。
ナタリーは落下するドラゴン伊吹の上を通過してしまい、その瞬間、ドラゴン伊吹がタッチを取る。
タッチポイント一点。
タイミングを読まれたナタリーのアタックを、上手く利用されたのだった。
「舐めるな!」
ナタリーは必死で腕を伸ばす、指先まで。自分自身がプロに届くかどうか、ここで決まるかのように必死に伸ばす。
タッチポイント三点。
なんとか、タッチをもぎ取ったナタリーはそのまま体勢を崩し、失速していく。
「まさか、タッチバックされるとはな。良い執念だったぜ」
「ナタリーちゃん相手に油断してるからだよ、クソ親父」
相手チームにタッチされたはずの伊吹が、なんだか誇らしそうに文句を言った。
体勢を整えてサードリングに向かうドラゴン伊吹。
それを追いかけるつばさは、サードリングを諦めていなかった。
「つーちゃん、ゴールに備えて!」
「いやだ! ゴールはモニカさんたちに任せる。だから、サードリングはボクが絶対に取るんだ!」
「そうだ! あとのことは任せとけ! だから、最後まで諦めるな、チビ助!」
すでにドラゴン伊吹から距離の離れたナタリーとモニカが、ゴールを狙うのに良い位置になっている。
今回は特別ルールで誰がリングを通過して良い。だからこそ、ゴールは他の仲間に託して、つばさはサードリングの五点を取りに行くという選択をしたのだ。
風を受け、身体をまっすぐに保ち抵抗を減らし、スピードの恐怖に打ち勝ち、つばさは全ての力を振り絞り、最速で飛ぶ。
そして、ドラゴン伊吹に並んだ。
リングまでの距離は、まだある。
大丈夫、追い抜ける。
「悪いな、嬢ちゃん」
ドラゴン伊吹はサイドロールでつばさの真上に位置取ると、タッチとともにつばさの進路を斜め後ろにずらす。タッチポイントを取られた上に、うしろに引きずり下ろされた。
それでもつばさは最後まで諦めずに追いすがる。
少しずつ、ドラゴン伊吹の身体が近づいてくる。
もう少し、もう少しで並ぶ。
「頑張ってください! つーちゃん」
優香子の祈りの声が聞こえる。
その声に背中を押されるように、最後の力を振り絞るつばさ。
「ボクは絶対に勝つんだ!」
しかし、頭一個分の差でドラゴン伊吹がサードリングを取った。




