第56話
ドラゴン伊吹は思った。
若い連中は、こじんまりまとまった奴より、元気で生意気な方が良い。
実際、自分がそうだった。
クソ生意気な若い自分。年上なんてたいしたことがないと、噛みつき、簡単にいなされていた。逆の立場になった今だからこそわかる、あの当時の包容力を持った大人に育てられた。そしてそんな大人に、自分もなりたいと思っている。
自分の息子も嬉しいことに、元気な生意気小僧に育ってくれた。
自分でもびっくりするくらい、顔がにやけているとドラゴン伊吹は感じている。
「馬鹿息子と良い、嬢ちゃんと良い、元気な奴がプロに上がってくるのが楽しみでしょうがないな」
「何か言ったか? 親父」
「いや、何でもない。じゃあ、しっかりナビゲーションを頼むぞ、虎之助。お前のナビゲーションで負けたら、笑ってやるからな」
「ナビゲーターが良くても、レーサーが悪けりゃ、どうにも出来るか! って、曲がりなりにもプロが、たかだか中学生女子に負ける気でいるのかよ。スケベ親父!」
「ドラゴン伊吹、うるさいほどクリア!」
「伊吹、インカム、オッケイ」
喧嘩のような漫才のような掛け合いをする伊吹親子は、早々に準備を整えていた。
そして、ドラゴン伊吹は対戦相手を見て、不満げな声を上げる。
「おいおい、こっちが一人だからって、合わせる必要はないぜ。曲がりなりにもこちらはプロなんだ。三人まとめてかかってこいよ」
千尋はウィングスーツを脱ぎ、ナビゲーターデスクに座っている。
ウィングスーツを脱いではいないものの、モニカはヘルメットを脱いで、すでに飛ぶ気がなさそうだった。
唯一飛ぶ気満々なのはつばさだけだった。その隣で優香子が、ヘルメットの間からストローを差し込み、つばさに飲み物を飲ませている。
ドラゴン伊吹に言われて、つばさはモニカの様子を見て叫んだ。
「え!? モニカさん、飛ばないの?」
「だって、練習試合はもう終わりでしょう。だから、ワタシの役目は終わりかなって」
「役目とかそんなのとか、関係ないですよ。一緒に飛んでくださいよ」
必至にフライトに誘うつばさを見て、モニカは思った。そうまでして、フライングレース部の創部をしたいのかと。どう考えても、つばさがドラゴン伊吹に敵うわけがない。それは四年前にレースをしたモニカが一番分かっていた。だからこそ、彼が三人がかりでかかってこいと言っているのはよく分かる。その意味をつばさも理解しているのだろう。だからこそ、自分を引きこもうとしているとモニカは考えた。
しかし、つばさが言った言葉に、モニカは認識を改める。
「プロと一緒に飛べるんですよ。こんな機会、めったにないじゃないですか。せっかくだから、一緒に飛びましょうよ。絶対、楽しいですよ」
「た、楽しいって」
「だって、フライトって楽しいじゃないですか。モニカさんはフライトが好きじゃないんですか?」
「楽しいとか好きとかじゃなくて、このフライトで創部が決まるんでしょう。楽しむ余裕なんてないんじゃないの?」
プロになるために練習に明け暮れた。母親にプロになった自分の姿を見せるため必死だった。しかし、最後のあのレースは、空の全てが自分の手の中にあるような万能感に包まれて、楽しかった。そして、あのレースの後、フライトに対する情熱がなくなった。
フライトは楽しいのだろうか? 自問自答するモニカに、つばさが言葉を続ける。
「確かに創部には大事なレースだけど、楽しんじゃいけないって決まりはないし、大事なレースだからこそ、ボクは楽しみたいんです。伝説のシューティングスターのように。だからそんな楽しいレースを一人じゃなくて、モニカさんと一緒に飛べたらもっと楽しいと思うんです。本当だったら、チーちゃんも一緒に飛びたかったんだけど」
「ごめんね。つーちゃん、ゆっこ。今回はナビゲーターに回らさせてもらうわよ」
「こっちこそ、力不足でごめんなさい」
千尋の言葉に、優香子は自分の実力不足を謝った。
つばさも千尋は本気で勝ちに来ている。そのための最善の手を打つために、千尋はナビゲーターに回った。つばさと千尋の実力なら、初心者の優香子のナビゲーションでも風閒部長チームに勝てると思っていたのは、千尋の読みの甘さだった。それを反省しての判断である。
「モニカさん、ボクたちは、今を全力で楽しんで、未来をつかみ取るです。モニカさん、今日のこれまでのフライトは楽しくなかった? だったら最後のレースくらい楽しいレースをしようよ」
「楽しいレース?」
「そう、楽しいレース」
つばさはプロとフライトが楽しみで仕方がないと言わんばかりに、笑顔で言った。
その笑顔を見てモニカはつばさの言葉を冗談や強がりでなく、本気だと確信する。あのときの自分を目標にして、ここまでやってきた女の子。八百長だったとも言われたあのレースを見て、レースは楽しむ物だと信じて目の前に立っている。
嬉しいという気持ちとともに、今までの自分の態度が恥ずかしくも感じた。
『本気の連中に、本気で向き合ってやってくれないか?』
昨日、ドラゴン伊吹にそう言われて、今日は本気で飛んだつもりだったが、本気で楽しんだだろうか?
モニカは覚悟を決めると、気合い一閃、ヘルメットを被り直した。
「分かったわヨ。後輩にそこまで言われたら仕方がないわね。橘モニカの本気を見せてあげるわヨ」
そんなつばさの言葉に、賛同する言葉がモニカ以外に出て来た。
「面白いじゃないか。ウチも混ぜてくれよ」
そこにはウィングスーツを身につけたナタリーが、立っていた。
「チビ助の言うとおり、現役プロとレースが出来ることなんてめったにないことだ。本来、三人、一チームなんだからウチが入ってちょうどいいだろう」
「ナタリーちゃん! 手伝ってくれるの!?」
「手伝うんじゃない、ウチも楽しませてもらうんだよ。こんな楽しい祭りに参加しなくてどうする!」
ナタリーは楽しそうに手を上げると、つばさはその手にハイタッチする。
そのナタリーの後ろから、背の高い華代がやってきた。
「あらら、ドリームチーム結成?」
「ド、ドリームチーム!? ちがーう! このひよっこどもだけじゃ、伊吹選手に失礼だから、ウチが入ってやるだけだから」
「元気の良い嬢ちゃん達、準備ができたか?」
つばさたちの様子を見ていたドラゴン伊吹が、声をかけて来た。
「大丈夫です!」
「じゃあ、今回は変則レースだから、ルールの確認をしておくぞ。基本は学生ルールだ。俺は一人だから、タッチされれば三点。そちらはハンデで誰をタッチしても一点でいいぞ。リングポイントはそのままだが、そっちは誰が通過してもオッケイだ。なにか質問はあるか?」
「タッチのルールはどっちでしますか?」
「こちらからのタッチは学生ルールで行うが、そちらからは好きにやってもらって良いぞ。モニカ・クラッシュでも何でもやってくれ」
それを聞いて、つばさはほっとした。先ほどの失敗を気にする必要がないと言うことだ。そもそも必死で練習して身につけた技を使わなくて勝てるほど甘い相手ではないと、つばさは考えていた。
全力で当たれる。
そして、これが本当のラストチャンス。
これで結果を残せなければ、教頭の条件をクリア出来ない。
つばさはそんな大事なレースをする仲間に頭を下げる。
「ナタリーさん、モニカさん、力を貸してくれてありがとうございます。ボクはこの三人が、いや、四人が力を合わせれば必ず、プロだって倒せるって信じています」
「当たり前だ」
ナタリーはその小さな胸を張って笑いかけたあと、真剣な顔になった。




