第50話
翌日も絶好のフライト日和だった。多少、風があるものの、適度な風があった方が、飛びやすい。
朝食後、軽い基礎運動を済ませると、昨日と同じように順番にフライトすることになった。
内容は予定通りテクニカル。
持ち時間五分の間に、三人で演技を行う。
演技内容によって基礎得点が決まり、減点制になる。そこに芸術点が加わり、総合得点が決まる。
つばさたちは練習不足のため、テクニカルは飛んだことがないと、素直に浅間山高校に申し入れると、そんなつばさたちに対して、風閒部長は爽やかな笑顔で練習内容を提案してくれた。
「じゃあ、テクニカルは一年生と一緒に基礎練習にしましょう。高田さんはまだ飛べないから、初級クラスと一緒にシミュレーターに行きましょうか」
「すみません。私はナビゲーターの勉強をしたいのですわ。いま、少しくらい飛んだとしても、レベルアップにつながらないと思いますわ。ですから、ナビゲーターの勉強をさせてください」
優香子の言葉を聞いて、風閒部長を筆頭に浅間山高校の人達はざわついた。
フライングレース部の部員は皆、飛ぶことに憧れて入部している。ナビゲーターが重要な役割だということは頭では分かっている。しかし、やはりレーサーが花形で、そうなるために練習をする。特に初心者であれば初心者であるほど、少しでも飛ぶ練習をしたがる傾向にある。ナビゲーターの勉強どころか、陸練さえほったらかして、シミュレーターでもいいから、飛ぶ練習をしたがるものだ。
大勢がそんな考えであるから、明らかな初心者である優香子が、レーサーよりもナビゲーターの勉強をしたいと言ったことに驚きを隠せなかった。
風閒部長は、優香子の意思を再確認する。
「良いのかい? ウチのようなシミュレーターはそうそう無いと思うけど」
「はい。シミュレーター以上に、全国第三位のナビゲーターに教えてもらうことなんて、めったにありませんわ。それとも、企業秘密で教えていただけませんか?」
そんな優香子の願いに対し、風閒部長の代わりに、背の低い短髪の男性が答えた。
「良いわよ。今日一日で、全部教えるのは難しいですが、できることは教えましょう」
見れば、スピードの時に風閒部長達のチームで、ナビゲーターをしていた男の子である。
身体の線が細く、格好が格好なら女の子に間違えかねない体つきだったので、優香子はよく覚えていた。
「よろしく、お願いします」
「いいわね。あたし、清水。公式戦ではレーサーをしない、ナビゲーション専門よ。初心者で、ナビゲーターの重要性を分かっているとは、あなた、見込みがあるわよ。できる限り、あたしの全てを教えてあげる」
学生レースは四人一組で行い、必ず一人がナビゲーションをする。体力のことも考えて、通常はエース級の選手が三レース出場して、他の選手が交代でナビゲーションを行う。
しかし、清水が所属するチームはナビゲーターを清水に専任して、他の三人がそのままレーサーで固定という構成となっている。
ちなみにプロの場合は、一人のレーサーに対して、一人のナビゲーターとなっているため、ナビゲーターと言えば専属ナビレーターを示す。
「今の練習はテクニカルだから、テクニカルでのナビゲーションについて実際、レースを見ながら説明するわよ。部長、彼女たちの順番をなるべく後にしてちょうだい」
「分かった。三番目でいいかな?」
「十分よ。二回のフライトで説明をするので、あなたのチームのフライトに活かしてみてね」
「はい、分かりました」
優香子の返事を聞いた清水は、次のフライトチームのナビゲーターデスクに、優香子を連れて行った。
そこは、巨大なモニターは分割され、コース内の吹き流しを映している。そしてコース図と各箇所の風速が映されて、最後にオートドローンにより画像が選手を映し出す。
本来のナビゲーターの後ろで、清水は優香子に説明し始めた。
「モニターの見方は分かるわよね」
「はい」
「では、まず、全てのレースにおいて、ナビゲーターが一番に気をつけなければならないことは、なんだか分かる?」
「……風を読むことですか?」
フライングレースにおいて、風の影響は大きい。上手く風を捕まえることができれば、レースを有利に運ぶことができるし、突風などを読み違えれば大きなロスになる。
そのため、コースの至る所に風速を測る風速計と風の向きを見る吹き流しが設置されているのだった。
もちろん、そういった風の数値と方向から、レーサーに与える影響を選手に伝えることは簡単である。しかし、真に風を読むというのは、風力計や吹き流しに表れる前に経験から風を予測することである。
残念ながら、経験の少ない優香子には風を予測することなどできない。すでに起こった風の状況を連絡することしかできないのだ。そのため、千尋がフライトをしながらナビゲーションをしていたのだった。だからこそ、優香子はその技術を学ぶことが大事だと思っている。
しかし、清水はそれをきっぱりと否定した。
「違うわよ。ナビゲーターがまず、しなければならないことは、選手の安全を確保すること。その次がレースで勝つための指示を出すのよ」
「安全の確保……」
「そう、そのための指示を選手に出すのが、ナビゲーターの役割よ。たとえ、試合に負ける指示だとしても。それだけは肝に銘じておいてね」
「……わかりましたわ。それで、昨年の全国大会のファイトで安全策をとったのですね」
優香子をはじめつばさたちは、浅間山高校と練習試合をすると決まってから、できる限りの動画を確認していた。
その中で、準決勝で浅間山高校は逆転の目を残しながら、安全策をとった。
なぜそんなことをしたのか、三人で話し合ったのだった。三人の結論は、ポイントをリードされていたのだから、失敗を覚悟で挑戦をするべきだと言う結論になったのだ。しかし、清水の言葉から、おそらくあそこで無理を強いると、墜落して怪我をする可能性があったと、清水が判断したのだろうと、優香子は思い至る。
だからこそ、この大会で引退と言う選手もいたであろう中、そんな判断を下せる清水も、それに従った選手達にも、今の優香子は尊敬の念を抱かずにいられない。
「そうよ。そして、その次にやらなければならないのが、全体を見ることよ。風を読むことも、危険を察知することもレーサーはできるけど、全体を見ることだけはできないのよ。全体を見て、レーサーの位置関係を教えてあげるのよ。ほら、一組目がスタートするから、ナビゲーターの指示をよく聞きなさい」
「わかりました」
優香子はナビゲーターの後ろから、モニターを食い入るように見ながら答えた。
ナビゲーターの女の子は少しやりにくそうにしながらも、モニターから目を離さずに、指示を出している。
「直列スクリューから、直列チェンジして、最後に並列散開します。横風に気をつけてください。ファーストスクリュー」
一直線に並んでいた三人は、ナビゲーターの合図で先頭のレーサーがきりもみ状態になる。
「セカンドスクリュー……サードスクリュー」
ナビゲーターの合図で次々ときりもみ状態になり、元通りの直線状態になる。いや、演技前に等間隔だった三人の距離が、二人目と三人目との間が縮まっていた。
それを見て、清水が声をかける。
「距離を取らせなさい」
「サード、少し距離を取ってください」
清水の指摘に、ナビゲーターの女の子は指示を出し、三人の距離が演技前に戻ると次の指示を出す。
「五秒後に直列チェンジに移ります」
それを後ろで見ていた清水はモニターの一カ所を指さして、優香子に説明する。
「ほら、見て、下の吹き流しが動いているわ。たぶん上昇気流が来るわよ」
通常であれば無視してしまうであろう、吹き流しの動き。もちろん風速計には上昇気流を示す数値は出ていない。
しかし、清水が言うように、数秒後の上昇気流が発生する。
その時、ちょうど上空で行われていたのは直列チェンジという技。それは、直列に飛ぶ三人が先頭から順番に、バク転の要領で列の後ろに回る技だ。
その演技を行う一人、二番目にバク転をする二人目が、上昇気流に煽られて大きく膨らんだ。
「サード、待って!」
ナビゲーターは次のレーサーに指示を出す。膨らんだ分、列に戻るのが遅くなる。通常のタイミングで行えば、膨らんだ選手と次の選手が接触する可能性が高いため、次の選手のスタートを遅らせるのだった。
次の選手は、前の選手の状況は見えないため、ナビゲーターが指示を出さなければ、前の選手は予定通り飛んでいると誤解してしまう。
これが清水の言っていた、全体を見ると言うことなのだろう。
三人は無事にチェンジを終えると、今度は三角形の隊形であるデルタ隊形をとる。
「三、二、一。散開」
合図とともに、左右の選手は中央の選手から離れるようにして上昇し、中央の選手は直線に飛びながら上昇する、いわゆる並列散開と呼ばれる技を終えると、選手たちはパラシュートを開いて着陸する。
それを見て、ナビゲーターの女の子はほっとしたように、インカムを外すと、清水が声をかける。
「中北ちゃん、細かいところは後の反省会で説明するけど、ナイスナビゲーションよ」
「ありがとうございます」
中北と呼ばれた女子部員はナビゲーションデスクを次のチームのナビゲーターに譲る。
「高田さん、次は模擬ナビゲーションをしてみる?」
「模擬ナビゲーションですか?」
「そう、デュエルモニターを使って、実際にナビゲートの練習してみるのよ」
清水はそう言って、うっすらとアイシャドゥを引いた瞳で、優香子にウィンクして見せた。
「はい、お願いします」
清水の言葉に、優香子は、後ろで見ているより実践的なナビゲーションの練習ができるチャンスを逃す手はない。と、二つ返事でオッケイした。




