第49話
タブレットにメールの来たことを告げる着信音が鳴った。
モニカがタブレットを確認すると、千尋からだった。
『モニカさん、どこにいますか? 明日の打ち合わせをしたいので至急、食堂に戻ってきてください』
モニカはタブレットをしまうと、目の前の男性に向き直る。
人気の無い校舎の裏で、モニカをドラゴン伊吹が待ち受けていた。
「伊吹さんって、結構古風なんですね。今時手紙だなんて」
「仕方が無いだろう、娘ほどの年の女子高生のアドレスを教えてくれなんて言ったら、俺の選手生命が終わっちまうぞ」
「まあ、そうですね。それに、聞かれても教える気は無いですけどね。それで、ワタシに何の用ですか?」
モニカは、先ほどの千尋のメールが気になるのか、早々に話を切り上げたがっていた。
まあ、おじさんと人気の無い所で密会をしていれば、女子高生としては不安だろう。ドラゴン伊吹はそう思いながら、警戒を解こうと言葉を続ける。
「まあ、そんなに邪険にしなくて良いだろう。少しくらい話をさせてもらうだけだからな。それに久しぶりの再会なんだからな。シューティングスター」
「ああ、良く言われるんですよね。同じモニカで同い年だから。モニカなんて名前、腐るほどいるでしょうに。ワタシは橘モニカですヨ。髪の毛も黒いですし、ほら、瞳の色も違うでしょう。話がそれだけなら失礼します。」
モニカは父親がスカイダイビングスクールを経営しており、時々ウィングスーツで飛ぶ機会もある。そんな状況だから、伝説のフライングレーサー、モニカ・シューティングスターではないか、と言われることは今までもあった。空飛ぶモニカだ、という馬鹿げた理由で。
きっと、ドラゴン伊吹もその一人だろうと、モニカは背を向けた。
「おいおい、これでも俺はプロレーサーだぜ。見た目や名前でなんかで判断するかよ。飛び方で、すぐ分かったぞ。あのレースの後、何百回動画を見たと思っているんだよ。次は遅れを取るまいと、最低でもあのレースに出た奴は皆、お前のフライトを見れば一発で分かるぞ」
「……」
「まあ、別にゴシップ誌に売り飛ばそうとか思っているんじゃ無いんだから、そんなに警戒しなくて良いだろう。それに多少、事情は聞いているから、あのレースのことも、その後のことも俺から何も言うつもりはない。ただ、一時期でも目標にした選手が元気でいるのが嬉しいだけなんだよ。あの日、一緒に空を飛んだ仲間としても」
ドラゴン伊吹は、シューティングスターに初めて会ったとき、なんでこんな小娘が最終レースに呼ばれたのか不思議だった。実力の無い客寄せパンダだと馬鹿にすらしていた。しかし、実際に一緒に飛んで、その才能に驚いた。
新しい時代の幕開け。
その才能を目の前にして、古い時代を作ってきた意地がドラゴン伊吹の心に吹き上がった。
次に会ったときには、絶対に勝ってやる。
そのための準備をした。
しかし、それを発揮する場所はなかった。今年は駄目でも、来年には出てくるだろう。
恋い焦がれるようにシューティングスターの姿を探した。しかし、いくら探しても見つからず、諦めた。
そんな彼女と全く同じフォームで飛ぶ少女を見つけたとき、叫びそうになった。
しかし、体型も髪の色も変えたシューティングスターに、そうすべき理由があることにも気がつく。
だからこそ、人気の無い場所に呼びだした。
プロの世界に戻らなくてもいい。元気で、フライングレースをやっていてくれれば、それだけで良かった。
そんな思いを秘めたドラゴン伊吹の嘘偽りのない、真っ直ぐな言葉に、モニカはゆっくりと振り返る。
その顔には覚悟を決めたような、重荷から開放され肩の荷が下りたような不思議な爽やかな表情が浮かんでいた。
そうして、微笑みを浮かべたモニカはゆっくりと頭を下げた。
「ご無沙汰しております、伊吹さん。四年ぶりですね」
その一言に、ドラゴン伊吹の目尻に涙が浮かんだ。それを指で払うと、嬉しそうに言った。
「ああ、あのレースの後夜祭以来だな。元気そうで何よりだな。お母さんのことは聞いているよ。残念だったな」
「ええ、でも最後にあのレースを見せられたので、後悔はないです」
「そうか、それでいつからレースに復帰したんだ?」
「……レースに復帰する気はありません。あの子たちに頼まれて、仕方なく来ただけで、今回の練習試合が終わったら、また、普通の高校生活に戻ります」
モニカは少し困ったような笑みを浮かべている。
ドラゴン伊吹は、そんな表情を見せるモニカの気持ちを察しかねていた。
「そうか、レースには復帰しないのか。残念だな。あのときのリベンジがいつできるのかと、ずっと楽しみにしていたんだが……」
「すみません」
あのレースは一種の奇襲戦だったと、モニカ自身も思っている。レースに参加した選手の内、自分自身の情報だけ、他の選手は知らなかった。それに比べて、自分は事前に研究できた。次に戦ったら、どうなるかは分からない。そもそも、あの時は次のレースのことなど考えていなかった。
それに比べて、年間十レース以上を行うプロレーサーたちは、年間のトータルで勝敗を考える。確かに最終レースは、賞金額が大きな大事なレースではあるが、翌年もレースは行われる。そのために、負けを分析して、次の勝ちにつなげるのがプロの仕事である。
ドラゴン伊吹も四年前のオフシーズンに一番時間を割いたのは、モニカ・シューティングスターについてだった。ドラゴン伊吹は、できる限りのツテを使ってモニカのことを調べたのだった。
そんな恋い焦がれた相手を、たまたま息子の様子を見に来て、見つけたのだ。声をかけないわけがない。
なぜ、学生レースを始めたのかは分からないが、フライングレースに復帰してくれたことは単純に嬉しかった。
そして、レースに復帰はしないと言うモニカに、がっかりしない訳がなかった。
「そうか、残念だな……わかった。俺が無理矢理、どうこうできる問題じゃ無いからな。ただ、ひとつお願いしても良いか」
「何でしょうか?」
「明日まではレーサーとして飛ぶのなら、本気で飛んでやってくれないか。あの元気な嬢ちゃん同様、ここの高校生の中にも、本気でプロレーサーを目指している奴がいる。そんな中、あんなフライトをされると、奴らが可哀想だ。本気の連中に本気で向き合ってやってくれないか?」
そう言って、親子ほどの年の差がある相手に頭を下げた。
プロレーサーの中でも、長年トップクラスに君臨するドラゴン伊吹は、レジェンドと呼ばれてもおかしくない。レーサーとしてだけで無く、フライングレース選手会会長として、選手の待遇改善から、後進の育成。アマチュアレーサーに対する指導など、フライングレース界の発展のために尽力を尽くしている人間の一人である。
そんなドラゴン伊吹が、今はただの女子高生であるモニカに深々と頭を下げた。
それがどんな意味を持つか、モニカにも十分伝わった。
「分かりました。今のワタシが本気で飛んだところで、たいしたことは無いですが、明日はできる限り本気で飛んでみます」
「ありがとう。しかし、あの可憐なツバメだったのが、今はりっぱなペンギンになっちまったな」
「寒さに負けないように、しっかりため込まないとですね。って、花の女子高生に何を言っているんですか!」
「ははは、すまん、すまん」
こうして、二人は連絡先を交換して、笑顔で分かれたのだった。




