第46話
今日のフライトが全て終わり、片付けをしていると、別の所に固まっている生徒達が騒ぎ始めたのだ。
どうやら誰かが来たようで、少し離れたつばさたちからも一人のおじさんが見える。
OBだろうか? それにしても、つばさはその男性を見てなんとなく、見覚えがあるようで、誰だか思い出せないでいると、千尋がその男性の名前を口にした。
「なんで伊吹選手がここに!?」
「伊吹選手って、プロフライングレーサーの?」
「あの顔はそうよ。画像検索かけても、やっぱり伊吹竜之介選手って出るわ」
千尋はここにいるはずの無い、トップフライングレーサーの顔を画面検索して、確認を取っていた。画像一致率96%で間違いなく、伊吹竜之介選手だった。
サッカーをしている人間にとってプロサッカー選手が憧れのように、フライングレースをしている人間にとってもプロフライングレーサーは憧れの的である。
39才と、すでに選手としてのピークは過ぎているが、それでもなお、おじさんの希望の星として、現在でもトップレーサーの一人と言って過言ではない活躍と人気である。
レーサー名、ドラゴン伊吹。
そんな、誰もが知るドラゴン伊吹が突然現れたのだから、部員が騒ぎ始めるのはしょうが無かった。
「つーちゃん、行くわよ」
「行くって、どこに?」
「伊吹選手のところよ」
すでに人だかりになっているドラゴン伊吹の所に行こうと、千尋はつばさの手を取った。
「なんで? サインもらうにしても、何も書くものが無いよ」
「なんで、サインなんかをもらうのよ。つーちゃんはプロになるんでしょう。プロのフライングレーサーに。めったに会えないプロがすぐそこにいるのよ。やることなんて一つでしょう」
千尋の言葉を聞いて、つばさは少し考えた。プロを前にして、そこを目指す人間が何をすべきかを。そして、千尋に引っ張られて、ドラゴン伊吹の前に立つ頃には考えがまとまっていた。
「お、なんだ。えらい可愛い嬢ちゃんがいるな。しかし、いつから、ここは中高一貫になったんだ?」
ドラゴン伊吹は角張ったアゴに生えている髭を触りながら、つばさと千尋を見て、物珍しそうに言った。ふたりがどういう理由で浅間山高校に来たのかは分からないが、高校生しかいないと思っていた所に女子中学生がいたのだから、彼も驚いたのだろう。
「伊吹さん、この子たちは合同練習のために来てくれた彩珠学園のフライングレーサー部です」
ドラゴン伊吹に騒ぐ部員をまとめていたナタリーが、つばさたちの代わりに説明をしてくれた。
そんなナタリーを見てドラゴン伊吹は言った。
「お、そうすると嬢ちゃんも、彩珠学園の中学生か? しっかりしてるな~」
「誰が中学生だ! 私はこれでも高校2年生です!」
「え、ごめん、ごめん」
小さなナタリーが噛みつくように言うと、ドラゴン伊吹は困ったように頭を掻いて謝った。その姿を見て、なんだか近所の気の良いおじさんと変わらないなと、つばさは感じて、緊張がほどけた。
「それで、嬢ちゃん達もサインが欲しいのか?」
ナタリーが落ち着いたところで、ドラゴン伊吹はつばさたちに問いかけた。
つばさは一つ大きく息を吸い込むと、考えていたことを吐き出した。
「僕の名前は空野つばさです。将来は絶対にプロレーサーになります」
つばさのその真剣な言葉に、ドラゴン伊吹も少し構えた顔をする。
全国三位の実力を持ち、人数がそれなりにいる浅間山高校のフライングレース部の中でも、ここまではっきりとプロになると言い切るのは数名いるだろうか。
ドラゴン伊吹は興味が湧いた。
彼もまた長年この世界で生きていた者として、若者が育ち、フライングレースを盛り上げて欲しいと願っている。そして今、その手助けをすることが、引退という二文字が見えてきた自分の現役生活における最後の役割では無いかと感じていた。そう言う意味では、モニカ・シューティングスターが現れたときは、戦慄も覚えたが、新しい時代の幕開けも同時に感じて、ワクワクもしたのを覚えている。すでにベテランと言われた自分と真っ向からぶつかり、乗り越えたその新星にフライングレースの未来を託したくなるほどに。しかし、その新星の輝きは一瞬で終わり、深い失望を覚えたのも事実だった。
あのまま、モニカ・シューティングスターがスターの階段を上り詰めてくれたのならば、今頃自分は、潔く引退をしたであろう。
ドラゴン伊吹は、自分の引退のきっかけになるほどの、新たな風を求めていた。
「そうか、嬢ちゃんはプロを目指しているのか。頑張れよ」
「いいえ、ボクはプロを目指しているんじゃ無くて、プロになるんです。だから、ここでドラゴン伊吹に宣戦布告します! プロレースの場で、あなたを倒します!」
つばさはビシッと、まっすぐと、自分の父親と変わらないだろう年齢のドラゴン伊吹に対して指を指して、宣戦布告をしたのだった。
「何やってるのよ! おバカ!」
そのつばさの後頭部を勢いよく叩いて、千尋が突っ込んだ。
「え! だって、チーちゃんが言ったんじゃ無い。プロに対して、ボクができることを考えろって」
「ええ、言ったわよ。せっかくプロレーサーが目の前にいるんだから、フライトのことやプロの世界のことなどを教えてもらおうよって話であって、誰が宣戦布告なんてするのよ。ましてやわたしたちはまともにレースもしたこともないアマチュアで、伊吹選手はトップレーサーよ。謝りなさい」
「え、そう言う意味だったの? ごめんなさい。でもボクはモニカ・シューティングスターを目指しているんだよ。だったら彼女に負けた、伊吹選手に勝たないと、彼女になんて到底、手が届かないじゃない」
モニカ・シューティングスターを目指す。つばさがそう言うと、周りが騒ぎ始めた。
フライングレーサーの間でも彼女の評価は分かれている。しかし、つばさは少しの躊躇もなく、その伝説の少女を目指すと言い、あまつさえ日本有数のプロを倒すとまで言い放ったのだ。全く無名の女子中学生が、だ。
それは荒唐無稽を超して、失礼な行為だ。
周りを囲む生徒たちは、つばさの言葉にドラゴン伊吹が怒るのでは無いかと、うかがっている中、当のつばさだけが、臆することなくまっすぐ彼を見ていた。
そして、ドラゴン伊吹は、その純粋で迷いの無い瞳を懐かしい気持ちで見ている。
あの時の彼女そっくりの瞳だ。こういう子が、次の世代を引っ張るのかもしれない。純粋で、負けん気が強く、そして明るい新星。
そう思うと、思わず笑みが漏れた。
「はははは、こりゃ、一本取られた。まさか、俺を倒すという子どもが、お前以外にいるなんてな。虎之助」
ドラゴン伊吹は、自分に近づかない息子に聞こえるように大きな声で言った。




