第44話
つばさがゴールしたのを確認した優香子は、ナビゲーションデスクに映し出されたタイムと現在の順位を見て落胆の声を漏らした。
「そんな……」
つばさたちは今現在で最下位の順位である。
これから、浅間山高校の部員たちは上位陣がフライトを始める。
つまり、この時点でスピードという種目で、つばさたちが上位に食い込むことさえ不可能である。
こうして、彩珠学園フライングレース部の初フライトが終わった。
そんな中、地上に降り、額に汗をかいて疲れ果てている千尋に優香子が駆け寄る。
「チーちゃん、大丈夫ですか?」
本来はナビゲーターの優香子がするはずの風読み、ルート案内、チームメイトの位置の指示などをこなしながら、すぐ後ろにいるモニカを風から守り、時速150キロメートル以上で飛んでいたのだ。精神的にも肉体的にも疲れが出て当然だろう。
その上、事故にはならなかったがモニカとの接触もあったのだから、疲労困憊しても仕方が無い。
「ありがとう、ゆっこ。今日はこれでフライトは終わりだから、大丈夫よ」
「ごめんなさい。私がちゃんとナビゲーターとしての役割を果たせれば良いのですが」
「ゆっこはまだ、フライト経験も無いから仕方が無いわよ。これから、徐々に経験を積んでいけば良いだけだから。でも、あまり大げさに、騒がないで。つーちゃんが心配するから」
「でも……」
「つーちゃんには、ただ前を向いていて欲しいのよ。私の心配をするくらいなら、他の選手の良いところを吸収して欲しいのよ。それはゆっこも一緒よ。せっかく、他の人のフライトやナビゲートを見るチャンスなんだから」
千尋は汗を拭いて大きく深呼吸をすると、見た目上は普段通りになる。
そんな姿を見て、実は冷静に見えて、普段から無理をしているので無いかと優香子は千尋を見る目が少し変わった。しかし、千尋が言うように何も出来ない自分がする事は、人の心配ではなく、少しでもみんなに追いつけるように実力を身につける事だと思い直し、浅間山高校のナビゲーターの側で指示を聞きながら、選手のフライトを見ることにした。
そこはちょうど、ナタリーと華代、そして伊吹のチームが飛ぶところだった。
坊主頭の男子がモニターの前でインカムに話しかけている。
「高橋、東郷、伊吹、通信クリアですか?」
「伊吹、クリア」
「東郷、クリアよ」
「高橋、クリア。お前ら気合い入れろよ。ちび助どもに、浅高の実力を見せてやるぞ。伊吹!」
「はいッス」
「お前は普段通りに飛べば良いからな」
「……分かったッス」
ナタリーたちが話している間も、ナビゲーターは各リングの風力計を見ながら、風を予想していた。
スピードは三種の競技の中で一番、ナビゲーターの技量が問われる。
他の妨害の入らないフライトで、普段通りの実力を発揮するためには、的確な風読みと、チェックリングへの誘導が必須である。
だからこそ、それを兼任していた千尋の負担が大きいのだった。
優香子はモニターを見ながら、ナビゲーターの言葉を聞いていた。
「スタート五秒前、四、三、二、一、スタートしてください」
ナビゲーターの言葉にナタリー、伊吹、華代の順番で飛び立った。
飛んだ瞬間、追い風が三人を加速させる。
綺麗に三人が一直線になって飛ぶ。
3Dマップの中にナタリー、伊吹、華代の三人の姿が映し出されてAR(拡張現実)で空中に浮かぶチェックリングまでの距離が映し出される。
「ファーストリングまで約500m、右に2度、上に3度修正。右からの横風に注意」
「了解」
ナビゲーターの言葉に、先導役のナタリーが応える。
後ろの伊吹はナタリーを信じて、その小さな背を追いかける。そして、華代はその後ろから突発的な動きや風に対応できるように周囲の警戒をしながら飛んでいた。
「チェックリングの向こうに鳥あり」
ナタリーは前方に鳥の群れを発見して、情報を共有する。
バードストライクは重大な事故の原因となる。時速百キロを超すスピード飛ぶレーサーに、同じように時速百キロを超す鳥ぶつかれば、たとえ鳥の体重が軽いとは言え、かなりの衝撃になる。
頭部に当たれば脳震とうを起こす可能性もあるし、下手に爪やくちばしが引っかかればウィングスーツが破れる可能性もある。
「こちらでも確認。上昇してやり過ごしてください。その後右旋回85度」
その後もナビゲーターの細かな指示、ナタリーのフィードバックを受けながら、半分の航路に達した時点で、華代とナタリーが入れ替わった。綺麗に一列に並んだ編隊は上昇するようにセカンドリングを通過して、最後のチェックリングに向かい、下降しながら加速する。
「横風三メートル、右から来ます」
すでに手足の翼を縮めてサードリングに向かう三人内、真ん中の伊吹が風に煽られて、左にずれていく。
スピードを殺さないように軌道修正をしようとするが上手く、戻れない。
このままではサードリングから外れてしまう。
「伊吹、そのまま突っ込め!」
ナタリーが後ろから伊吹を追い抜きがてら、優しく横からタックルをして、軌道修正する。
華代の直後にナタリーがサードリングを通過した。そして伊吹がサードリングど真ん中を通過すると、その後、何事もなくゴールリングを通過する。
バラシュートで地上に降りるまでの間に伊吹はナタリーに向かって、敬礼した。そして千尋に向かい直すと、片手ガッツポーズをして見せた。正式なタイムを聞くまでもなく、明らかに勝ったと確信しての行動だった。
その伊吹を睨め付ける千尋の隣で、優香子が呟いた。
「スゴイ。あんな状態でも、他の人をフォローできるなんて」
「高橋さんは良い選手でしょう。彼女の口は悪いですが、昨年の大会も彼女がいなければあそこまで行けなかったでしょうね」
そこには、ウィングスーツを身につけている風間部長がいた。優香子に声をかけた後、ナタリーたちのタイムをナビゲーターに確認する。
仲間とは言え、部長も気になるのだろう。
ナタリーたちのタイムはつばさたちを抜いたのはもちろん、浅間山高校の中でもトップのタイムだった。
「あそこで伊吹君が煽られたのは、惜しかったな。さあ、僕達も頑張るか」
風間部長は、そう言うと他のメンバーを連れて高台のスタート位置へと向かった。
それと入れ替わるように、ナタリーたちが降りてくると、つばさの前で胸を張った。
「おい、チビ。全国三位の片鱗くらいは見せてやれたと思うが、これで満足か?」
「あの時は、ごめんなさい。すごかったです。ボクとチーちゃんって、ソロフライトの練習しかしたことが無くて、チームフライトがこんなに難しいって思っていなかったから……あの軌道修正なんてびっくりしました。あんなに繊細なフライトができるなんて、感動です」
フライングレースで接触は当たり前だが、基本的に相手をはじくために行う。それをあのスピードの中で、風に流される伊吹をリングど真ん中に軌道修正しながら、自らもスピードを落とすこと無くリングを通過すると言う、繊細なテクニックを行える人間は数多くない。それを第三者から難なくこなしているように見えてしまうところがまた、ナタリーの技量の高さを伺えさせる。




