第19話
結論から先に言うと、元木は死ぬほどの恐怖を味わって撃沈した。
飛行機のパイロットであるつばさの父親が運転するセスナから飛び降りた元木と千尋は、お試しのはずの初心者タンデムダイブにもかかわらず、千尋によって急速降下からひねりを加えるコークスクリュー。そこから急ブレーキ、そして、そのままバク転する縦ロールをかまされた事によって、元木にとって初めてのフライトは悪夢へと変わったのだ。
全くの初心者がそんなことをされれば、恐怖心プラス平衡感覚喪失で大変なことになる。
「元木君、大丈夫!?」
地上に降り立った元木につばさが駆け寄ると、元木は逃げるように草っ原の向こうに行って、嗚咽混じりに吐いていた。その上、ズボンもびっしょりと濡らしている。
そんな元木の姿を見て、つばさは千尋に怒鳴った。
「チーちゃん!!!」
「……ごめん。やり過ぎた。あいつの言動がむかついたんで、ちょっと懲らしめそうと思っただけで……」
流石の千尋もバツが悪そうに言い訳をした。しかし、そんなことはお構いなしに、元木を指さしてつばさは千尋に言った。
「元木君に謝って!」
「え、だって……」
「だっても、抱っこもない! 今のはチーちゃんが悪い!」
「……分かった」
つばさの言葉に千尋は、草むらにいる元木君にしぶしぶ近づくと謝っているようだった。しかし、元木は千尋から逃げ出すように、そのまま道路に出て、タクシーをつかまえると帰ってしまった。
仕方なく、このあと、つばさと千尋はいつものように自主練をして帰ったのだった。
そして、つばさは帰宅してすぐに、元木にメールをした。
『元木君、つばさです。今日は千尋ちゃんが意地悪をしてごめん。明日も自主練をするから今日と同じ場所に集合してください。明日はボクと一緒に飛ぼうね』
つばさがベッドに腰掛けて返信をまっていると、既読マークが付いて十分後に、メールが返ってきた。
『ごめん、無理。部もやめる』
『本当にごめん。千尋ちゃんには強く言ったから、部をやめるなんて言わないで』
メールを送った直後、電話が鳴った。
つばさは思わず立ち上がって、通話ボタンを押した。
「……もしもし」
「元木だけど」
「元木君、今日は本当にごめん」
つばさは思わず、見えるはずのない電話の向こうの元木に頭を下げた。
それに対して、まるでつばさの姿が見えているかのように、穏やかな声が返ってきた。
「いいんだ。俺もお前達のこと馬鹿にして悪かった。お前ら真剣だったんだな。俺、練習にしたって、あんなこと出来る気がしない」
「いや、あれくらいなら、練習すれば出来るよ」
「そう、それだよ。お前らは簡単にできるって言うほど練習したんだろう。俺にはそんなに言えるほど、真剣に練習出来ない。野球だってそうだ。ちょっと他の奴より身体が大きいから、小学生の間はあんまり練習しなくたってなんとかなったけど、彩珠学園の野球部って俺より身体が大きい奴なんてざらにいて……その上、人一倍練習していて……でも俺は練習するなんてダサい気がして……フライングレースなんて、やっている人が少ないスポーツやっているお前らも同じだと思っていた」
「ボクたちは本気だよ!」
つばさは思わず、声を荒げた。千尋がやったことは謝るしかない。だからといって、自分たちがフライングレースに対して本気でやっていないと言われる覚えはない。
「ああ、今日、初めて分かった。ごめん。だから、飛鳥が怒った気持ちも理解している。そんな中に生半可な気持ちの俺なんかが入るのは、それこそ、お前らに悪い」
「そんな事ないよ。そう思うなら、これからちゃんと向き合ってくれれば……」
「だから、ごめん。俺、もう一度、野球と真剣に向かい合ってみようと思う。先輩達にもちゃんと頭を下げて、真剣に野球をやってみる。野球を止めてから、やっぱり野球が好きなんだって気が付いたんだ。でも、部に戻るのもなんだかプライドが許さなくて、お前達にちょっかい出したんだけど、女の子にあんな醜態見せたら、俺のプライドなんてなんかちっぽけ何じゃないかって、急に吹っ切れたよ。明日、頭丸めて、野球部に行ってみる」
ただ、『やめる』だけであれば、つばさも説得しようと思う。でも、元木君が元々好きだった野球ともう一度向き合おうと言うのなら、つばさに止める権利などなかった。
そう考えたつばさに言えることはひとつだけだった。
「……分かった。野球、頑張ってね」
「おう、ごめんな。それと、さっき飛鳥からも謝罪の電話が来て、同じ話をさせてもらったから。それじゃあな」
そう言って、元木は電話を切った。
千尋が元木にちゃんと謝罪を伝えたことにほっとしながらも、なんとも言えない気持ちのままのつばさは飲み物を取りにリビングに行く。
すると、お酒を飲みながらテレビを見ている父親がつばさに声をかけた。
「つばさ、今日の男の子は彼氏じゃないだろうな」
「うっさい、お父さんなんて大っ嫌い!」
つばさはモヤモヤした気持ちをクッションに詰めて、父親に投げつけた。




