覆面作家
困った。
そう貴方は思った。
目の前に広げられた文章の束に、眉間に皺を寄せている。
貴方は一人の小説家だ。文字を連ね、物語を紡ぐ一人の小説家。そんな貴方に一通の手紙と、二十作品の短編小説が同封された茶封筒が、差出人不詳で届いたのだ。
手紙には、機械で記された明朝体が、丁寧な挨拶と共に、企画の概要を告げている。
“拝啓 秋も深まり朝夕はめっきり冷え込む様になりましたが、貴殿は如何お過ごしでしょうか。
さて私事、この度、ある企画に参加する事となりました。
其の企画とは、覆面作家企画と申します。
簡単な概要を説明いたしますと、同人誌を綴る者達で、その技術、友好を深める為にと開催された、言わば祭りの如き企画であります。
それぞれの名前を伏せ、それぞれの作品が誰のものであるかを検討する。それが、簡単な概要です。
その企画に参加された皆様は、精錬された物語を綴る方々ばかりで、私は少し場違いではないかと何度も筆が止まった次第です。
そこで、古くよりこの様な私の小説を贔屓にしていただいている貴殿に、泣き事と申しましょうか、お願いを致したく、筆を執った経緯に御座います。
勘の働く貴殿であれば、もうお分かりでしょう。不躾なお願いとは存じます。が、祭りを盛大に致したいが為、申し上げます。
どの作品を、何方が綴られたか、読み解いて戴けはしないでしょうか。
さすがに、作者全ての作品を同封するわけには至らず、当便箋裏に、アドレスを記しておきました。お手数ですが、パソコン・携帯電話等で、確認していただけると幸いです。
真に身勝手なお願いだと思っております。が、貴殿のお力添え、是非ともお願い申し上げます。 敬具”
それを読んだ貴方は、一つ溜め息をついた。この手紙の差出人すら分からない。同人誌を綴る知人がいない事が無いだけに、判断もつきづらい。
さてどうするかと、目の前に広げた短編集に視線を移す。
そして、それを手に取った貴方は、全ての短編に目を通す事にした。
この中に、差出人もいる事だろう。ならば、それを探し出してやろうと。
文章には個性と呼べるものが存在する。それは、文体、構成、句読点の位置、漢字と仮名の振り分け、そして、一派があるとすれば、その一派の雰囲気だ。
その事を念頭に、貴方はそういった特徴を書き出し、物語を振り分けた。
特徴が見られたのは大きく分けて二つ。
一つは、どうも物語の色が二極化されていた。色と比喩したが、それは比喩であって、比喩でない。
つまり、これらの物語は二つの配色で分けられる。それは《真紅》と《群青》だ。
それが、総数の半分となる図が出来上がった。
もう一つは、文章の中に見られる。
括弧で括られた、同一の言葉が二種類。文体こそ違うが、同じ文字が使用されていた。
要約すれば【もう忘れてしまった】と【別に〇〇のために、〇〇したわけじゃない】である。
なかなか凝った企画だ。その一文がそれぞれの個性となっている。同じ文字でも、文脈や、その言葉を放つ人柄によって、こうまで違ってくるのかと、貴方はつい膝を打ってしまいそうになった。差出人が手紙の中で記した“技術を深める”という意味が良く理解できる。
そこで貴方は、インターネットにアクセスし、便箋の裏面に描かれたアドレスを入力した。
すると、そのアドレスが示していたのは、参加者一覧が記されたサイトだった。
そこには、男性・女性、また、それらを判断するには難しいペンネームが、作品数だけ並んでいる。
丁寧な事に、それらが書かれている横には“作品一覧”として、それぞれの作者が今まで記した作品へ行ける様になっていた。
しかし、貴方はそこで、更に首を傾げる事となる。なぜなら、その作者一覧に、貴方の知る名前が無かったからだ。
いったい誰だ?
全ての作品に目を通し、誰が作者であるかというある程度の見当をつけたが、全く分からないものがある。
それは、手紙の差出人だ。
少なくとも相手は、貴方の事を知っている。そして、手紙を送り付けるだけの情報も持っている。だが、それを満たした知人を探しても、全く見当たらない。参加者一覧の中や作品の中にも、それを見つける事は出来なかった。
誰なんだ?
便箋・作品・過去作品、それらに何度も何度も目を通した貴方は、他に手掛かりは無いかと、封筒にも目をやった。
そこには、便箋と同じ明朝体で、郵便番号・住所・貴方の名前が記されている。
その時、貴方の心臓が一つ大きく脈打った。
切手と、その消印が無い。
貴方は急に怖くなった。
貴方の知らない誰かが、貴方の事を知っている。
それに貴方は、蓋をする事にした。何かに急かされる様に、封筒に全てを入れ込むと、まるで、見なかったのだと言いたげに、引き出しの中へ抛り込む。
もう、これを見るのはよそうと。
しかし、次の日貴方は、もう一通の葉書で、その封筒を取り出す事となった。
“前略 重ねて申し上げます。
貴殿の事ですからもう既に、作品と作者は繋がっている事と存じます。
ですが、私について、疑問を抱いている事ではないでしょうか。
私は一体誰なのであろうかと。
しかし、私に辿り着くには、少し、現実から離れて戴かなくてはなりません。
もしかしたらという、フィクションの中で私は存在しています。
それを受け入れるか、受け入れないかは、貴殿の自由で御座いますが、この手紙が存在する以上、事実なのです。
しかし、これ以上貴殿に不安を与える訳にはいきません。
二度と、私が表に出る事はないでしょう。
ですので、私のお願いは、忘れて戴ければと思います。
草々”
慌てて引き出しから短編集を取り出す。貴方の脳裏には作品の中で一つ気になっていた物語があった。
それは、貴方に酷似した文体を持つ、自分好みな構成の物語。
改めて目を通すと、疑念が確信に変わる。
体が震えるよりも早く、貴方はその小説と切手も消印も存在しない葉書を握り締め、一つの結論を胸に、洗面台へと向かった。
目の前には一枚の鏡。それに映る貴方の顔。それを見つめる真っ直ぐな瞳。
その相手に、貴方は言葉を投げかける。
「差出人は……まさか……」
見つめた目が、微かに細くなった。
はい。――私です。
―了―
読了ありがとうございます。藤咲一です。
某覆面企画において、イントロダクションとして紹介していただいた短編を、ちょこっといじりました。
全然変わってませんが、楽しんでいただけたら幸いです。