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7章

朝、時間通りに起きて、荷物をまとめて家を出ようとする時、叔母がお弁当を持たせてくれた。

「それとこれ。せっかくだから」

そして一緒に出迎えてくれた叔父から、1万円を手渡された。

「いいの?」

「友達との旅行なんだ。思う存分羽目を外してきなさい」

「でも、程々にね」

二人共にっこりと笑顔を浮かべている。

彼らには千葉に旅行に行くと伝えただけで、目的までは言っていない。

かつての悪しき思い出が残る地だから、少し反対されると思っていたが、二人は「楽しんできなさい」としか言わなかった。

それだけ信頼されているのかもしれない。

「ありがとう」

僕はお弁当と1万円札を受け取った。

せめて家族のためにお土産くらいは買っておこうと思った。

家を出てすぐに、庭仕事をしていた祖父と目が合う。

「いってきます」

「ああ」

祖父に会釈して庭を抜ける間際で、祖父に呼び止められる。

「涼」

「ん?」

「あの娘を頼んだぞ」

真白のことを言っているのだと気づき、僕は大きく頷いた。

祖父にとっても彼女は孫である。もちろん、彼女のことはしっかり見ておくつもりだった。

明日奈のこととなれば、真白は少し自分本位になるかもしれない。

多分大丈夫だと思うが、彼女が暴走したときには、僕がしっかりしておかなければ。

バス停に向かうと、真白が本を読みながら待っていた。

荷物はリュックサック一つと案外軽くて、泊りがけの旅に行くにしては、少ないように感じた。

「おはよう」

真白に声をかけると彼女はこちらを見て手を上げた。

とりあえず、真白が無事に旅行に行けるようになったことに安堵する。

「叔母さんを説得できたんだな」

「・・・・」

僕がそう聞いても真白は答えず、本にまた視線を落とした。

その本も、明日奈の書いた「凍てつく森」だった。

「真白?」

「今日は夕方まで図書館にいるって伝えておいた」

「えっ?」

真白は溜息を吐いて本を閉じる。

「旅行に行くって言わなかったのか?」

「どうせ反対されるのは目に見えてるもの。正直に言って馬鹿を見たくないから」

真白の大胆な行動に僕は溜息しか出なかった。

だが、彼女の言うことには一理ある。あのきつい性格の叔母さん相手に、まともに話が通じるとは思えない。

「嘘ついて大丈夫なのか?」

「大丈夫じゃない。きっと連れ戻そうとしてくる」

「その時はどうするんだ?」

「別に。あの人の言うことなんて今更聞いてもしょうがないもの」

真白はバス停の向かいにある雑木林をじっと眺めて言った。

「明日奈の願いまで邪魔されるのはごめん。やり遂げるまで帰るつもりはない」

意志は固そうだった。

別に僕も彼女に帰れとは言わないし、嘘を吐いたことを肯定する気もない。

彼女も僕と同じで、束縛を最も憎んでいる。

複雑な家庭環境から束の間でも自由になれるチャンスなのだ。

「だったら、僕もとことん付き合うよ。昭雄も美咲も、野木さんもそうしてくれると思う」

僕がそう言うと、真白は少し俯いた。

「皆には迷惑はかけない。約束する」

「気にするなよ」

それを聞いた真白は目を細める。

マスク越しに、それが笑っているということはもうわかっている。

でもそろそろ、普段からマスク無しで彼女の笑顔を見てみたくなった。


集合場所の店の前に行くと、すでに美咲が待っていた。

「あっ、おはよう」

「おはよう」

麦わら帽子を被った美咲が笑顔で手を振ってきたので、僕も手を振り返した。

そんな僕を真白がちらっと一瞥する。

昭雄はあと5分くらいで着くとメッセージが来ていた。

待ち合わせには美咲が一番乗りで、その次が僕、そして時間丁度に昭雄が来るのがいつものことだった。

「野木さんは?」

「さっき車を動かしに行ったよ」

「そっか」

ふと、美咲が麦わら帽子から顔を覗かせ、晴れ渡った空を見上げた。

「晴れてよかったね」

「ああ」

8月も終わりに近づき、これから段々と暑さも和らいでくる。

今日はからっとした乾いた暑さなので、たまにそよぐ風が心地よかった。

「私、ちょっとトイレに行ってくる」

「わかった」

美咲は店のドアを開けて中に入った。

真白は僕の隣でまた本に目を通す。

「それ、よければ僕も読んでいいか?」

「ええ。別に構わない」

真白は本を閉じて僕に差し出した。

前から気になってはいた。

悠木明日奈の書いた物語がどんなものなのか。

「ありがとう」

本を受け取った直後、真白が僕をじっと見つめて言った。

「彼女とはその後どうなっているの?」

「えっ?」

「お祭りのときに告白したんでしょ?」

まだそのことは誰にも話していない。なぜそれを知っているのかと聞こうとしたが、たぶん昭雄が話したのだろうと察し、僕は溜息を吐くだけに留めた。

「まだちゃんとした返事はもらってない」

「でも、仲が良さそうだった」

「そうか?」

「この間も手を繋いでたでしょ?」

たぶん、美咲がゲームセンターで襲われた日の帰り道のことを言っているのだろう。

それにしても、真白がそんな色恋事を聞いてくるなんて、失礼だがちょっと意外だった。

「気にしてるのか?」

「別に」

僕が尋ねると、真白はぷいっと顔を横に逸らした。

まさか、むくれているわけではあるまい。でも、そんな勘違いを抱きそうになる態度だった。

話が終わる頃には、美咲もトイレから出てきて、昭雄も到着した。

「おっすー。遅れてすまん」

「でも珍しく時間には間に合ったじゃない」

「そりゃまあな」

昭雄は頭を掻きながらへらへらと笑った。

彼なりに今回の旅が特別なものだと思っているのかもしれない。

「てか、真白の荷物。ちょっと少なくないか?」

昭雄にそのことを指摘され、僕は少し戸惑った。

「荷物をあまり持ちたくないの。足りない分は向こうで調達するから大丈夫」

真白はしれっとそう答えた。彼女としては、叔母に内緒で旅行する事実をまだ黙っておきたいらしい。

「ふーん。そっか」

「もし必要なものがあったら貸したげるよ?」

けれど、昭雄も美咲もそれで納得した感じだった。

二人も真白の意外なこだわりを持つ性格を少しはわかり始めているようだった。

「ありがとう」

真白は無表情だった。このまま嘘が貫き通せるとは思えない。

ただ、今は二人や野木さんにいらぬ心配はかけたくないのだろう。

「おっ、来た来た」

すると、昭雄が遠くからやってくる白いワゴンを見て手を振った。

「お待たせ」

僕らの前に停車すると、運転席の窓から野木さんが顔を出した。

「お世話になります」

僕らは一礼してから、各々荷物を荷台に載せて乗り込んだ。

助手席に昭雄が座り、後ろの席に僕と美咲、真白が順に座った。

「よし。じゃあ出発」

野木さんが慣れた手付きでクラッチを切り、ハンドルを切ってUターンする。

これから長い長い旅が始まる。

でも、真白が貸してくれた本があるし、友人たちもいるから、退屈はしないはずだ。


今のところ渋滞にも巻き込まれず、東名高速を順調に進んでいた。

昭雄がスマホでずっとアニソンを流し続け、最初はノリノリだった美咲も飽きてきたのか、「ねえ、そろそろ他の曲ないの?」と聞いてきた。

「何が聞きたい?」

「普通にJポップとか」

美咲はカラオケでも恋愛ソングばかり歌っていた。ちなみに彼女は結構歌がうまい。流行りの曲は基本的に抑えているし、好きなアーティストのCDもネット通販で揃えているくらいだ。

「郡山さんはどんな曲が好き?」

運転中の野木さんが尋ねると、真白はふるふると首を横に振った。

「あまり音楽を聞く習慣がないので」

「家でも聞かないのか?」

「音が他のお客さんの迷惑になるからって」

「そっか」

質問した昭雄もしまったという様子で顔をしかめた。

たぶん、叔母に日常のそういうことまで規制されているのだろう。思った以上に窮屈な生活を強いられているようだが、当の真白はそれが普通の毎日だから、あまり気にしなくなっているかもしれない。

それはそれで哀れだと思うが。

「だから、こんなにたくさんの歌を聞いたのは初めて」

「うるさくなかった?」

「いいえ」

美咲の問いかけに、真白は目を細めて言った。

「初めて聞く歌ばかりで、なんだか楽しい」

それは真白の本音だと思う。昭雄も「そりゃよかった」と安堵していた。

一方の僕はというと、アニソンと皆の会話を横で聞きながら、真白が貸してくれた「凍てつく森」を読んでいた。

内容は、学校で孤独を味わっていたとある女子高生が、同い年で不思議な雰囲気を纏った女子生徒と出会い、一時は二人だけの楽しい時間を過ごすのだが、共に家庭環境の問題やいじめなどの不条理に直面して、一緒に死に場所を探すという内容になっていた。

明日奈の文章力は本物だと思った。

情景描写だけでなく、登場人物の仕草や心情などが、事細かく書かれていて、読む者を強く惹きつけてくる。繊細な思春期の女の子の心をしっかりと掴んだ表現は共感できるものもあって、すっかり僕は本にのめり込んでしまった。

というか、まるでこれは明日奈自身が経験したことのように思える。

物語自体が、真白から聞いた明日奈の最後によく似ているように感じた。

もしかすると、この本は真白に向けた明日奈の心の叫びだったのかもしれない。

御殿場を出た辺りで本を読み終えたが、最後はなぜか半端な終わり方だった。

ヒロインの女の子が友達と一緒に冬の雪が降る森の中で、手を繋いで目を閉じたまま横たわる。そんなシーンでぷっつりと終わっている。

そこから先の顛末は書かれていない。

「そういえばさ。涼も千葉出身だったろ?」

今度は美咲のお気に入りの女性アーティストのチル系ミュージックが流れる中、昭雄がなんとなく聞いてきた。

「前はどこら辺に住んでたんだ?」

唐突にそんなことを聞かれたものの、いずれはそういう話題も出るかもしれないと身構えていたので、僕は気にしていないという感じを装って答えた。

「東京に近いところだよ」

でも、敢えて住んでいた場所は伏せておいた。そこだけは僕の心にロックがかかってしまった。

真白が僕の方を横目でちらっと見てくる。

「なあ、今回はどうするんだ?」

「何が?」

「涼の実家には、顔出さなくていいのか?」

「ねえ!」

昭雄の質問を、なぜか美咲が強い口調で制した。

「その話題はやめなよ」

「でもよ」

昭雄と美咲には、僕の本当の両親のことを話したことはない。叔父と叔母の家に住んでいることについて、二人も事情があると察してか、特に聞いてこなかったから敢えて話さなかった。

それに、これをきっかけに兄の事件のことが二人にバレることを恐れていた。

以前はそう思っていた。

「なんとなく、実家に顔出すのかなって思ったから」

助手席に座っていたから顔はよく見えなかったが、昭雄も美咲に止められて、少し動揺している感じだった。

美咲は怪訝な顔でそっぽを向いた。

二人に話すタイミングは、今なのかもしれない。

「実家に顔を出す気はないよ。今回も、これからも」

質問に答えると、昭雄も美咲も僕の方を振り向いた。真白は窓の外を眺めるようにしつつも、視線だけは俯かせていた。

「そろそろ話しておこうか」

僕は少しだけ息を吸いこんだ後、封印していた当時の記憶を探りながら、一つずつ言葉を選んだ。

普段なら意識もせずに声は出せるが、今だけはそれさえも難しく思えた。

「まず、僕には兄がいたんだ。ちょうど昭雄のお兄さんと、同じくらい歳が離れていた」


僕が兄と霊媒師の真似事をして2年が経った頃だった。

噂というのは早く伝わるもので、僕の霊と語らう力は本物だと信じたのは中高生だけに留まらず、先立たれた家族と話がしたいという大人からも依頼があった。

そういうのは良い稼ぎになった。

でも稼ぎになればなるほど、秘密というのは明らかになってしまう。

依頼人の中には母の知り合いもいて、僕らは母に呼び出された。

しかし、母は怒りはしなかった。

むしろ、人を喜ばせる尊い行為だとして、僕らのことを褒めた。

母はその頃にある宗教にはまりつつあり、僕らがやっていたことは教義にある程度沿う行いだったらしい。

父はそんな母の言うことにただ従うだけで、僕らは両親から正式に仕事のことを認められた。

ただ、報酬をもらっていることについては、さすがに面倒なことになるため、兄も両親には話さなかった。

僕が両親にあんなに褒められたことは、あれが最初で最後だったと思う。

その後、兄は調子に乗って依頼をどんどん増やしていき、地元のニュース番組に出演する話もでたくらいだった。

大変だったけれど、僕も誇らしさはあった。

同時に、これまで自分の力を気味悪がっていた母や、自分のことなど眼中になかったクラスメイトが急にちやほやしてきたことに、案外世間なんて単純なんだなと少なからず捻くれた思いも抱いた。

そんなある日のこと、僕はいつも通り、兄の依頼主と自宅で会うことになった。

兄はたまたまその日は塾に行っていて、母も買い物に出かけていたから、家には僕と依頼主しかいなかった。

相手は若い女性だった。20歳の大学生で、亡くなった弟の霊と話がしたいというものだった。

いつも通り、僕は女性の手を取って、霊とコンタクトを取ろうとした。

「・・・・」

しかし、女性は僕が伸ばした手をなかなか取ろうとしない。

「どうしました?」

「あ、いえ、ちょっと」

ほんの一瞬だけ、女性の顔が歪んで見えた。

しばらくして、女性は渋々といった具合に、僕の細い手を強く握った。

このときの違和感に気づけていたら、未来は少しは変わっていたかもしれなかった。

現れた霊は制服を着た男の子だった。

その霊が恨めしそうに僕を見ていた顔は、今でも忘れられない。

「お前があいつの弟か」

霊は開口一番そう聞いてきた。

「あいつ?」

霊は頷きもせず、僕をただ睨んでいた。

よく見ると、霊の着ていた制服は、兄の中学校と同じ制服だった。

「よくもまあ、俺を呼び出してこれたもんだな」

困惑する僕に対し、霊は声を震わせながら言った。

「俺はな。お前の兄貴に殺されたも同然なんだよ」

「えっ?」

「何も聞いてないのか?そりゃそうか。あいつはどうせ、俺が死んでも何も思ってないだろうから」

「それって・・・」

「あの子はなんて?」

依頼主の女性が尋ねてきた。

彼女も険しい顔で僕をじっと見つめている。

どう答えるべきか悩んでいる僕に女性は言った。

「質問を変えましょうか。弟を、隼人をいじめて死に追いやったのは、あなたのお兄さん?」

それを聞いた霊は、僕の横でコクリと頷いた。

「えっと・・・」

「あなたのその様子なら、そうなんでしょうね」

女性と霊に睨まれ、僕は血が凍りつくのを感じた。

頭がゆっくりと真っ白になる。

女性はすっと息を吸い、落ち着いた声で言った。

「隼人は、ずっと誰かにいじめられていた。あの子が自殺するその日まで、私も母も気づけなかった」

女性は悔しそうに唇を噛み、忌々しそうに言った。

「弟が死んだあと、彼がずっといじめに苦しんでいたってわかった。あの子は私達に心配をかけたくなくて、ずっと我慢してたんだと思う。でもやっぱり相談してほしかった。死んでほしくなかった」

女性は目に涙を浮かべ、押し殺すように嗚咽を漏らした。

「・・・いじめの主犯格が、あなたのお兄さんだって聞いたけど、確証はなかった。だから、あの子に直接聞きたかった。あなたをいじめたのは、一体誰だったのか」

僕は何を言えばいいのかわからなかった。

兄がいじめをしていて、人を死なせたなんて話は初めて知った。

兄の性格はよくわかっていたけど、まさか人様の命まで奪っていたなんて。

「うっ!」

急にめまいに襲われ、吐き気を催した。

僕は椅子から転げ落ちて、床に嘔吐してしまった。

「あなたは知らないみたいね。お兄さんから何も聞いてない?」

ふと顔を上げると、女性が立ち上がって僕を見下ろしていた。

霊の男の子も、僕を蔑んだ目で見下ろしていた。

「知っていたら依頼なんて受けないものね。まあいいわ。これではっきりしたから」

女性はそのまま踵を返し、リビングを出ていこうとした。

まだ吐き気が収まらないものの、僕は女性を引き留めようとした。

「待って・・・」

「私はね。あなたのお兄さんを絶対に許さない」

去り際に放った、冷たくて鋭い女性の一言に、僕は恐怖を感じた。

「でも安心して、あなたには恨みはないから。今日はありがとうございました」

女性は一礼し、扉を開けてスタスタと出て行った。

いつの間にか、男の子の霊もいなくなっていた。

僕は気持ち悪さで動けず、次第になぜか意識も遠くなっていった。

今思うと、霊の強い思いがそうさせたのかもしない。

強い憎悪が僕の中に流れ込んで、僕を蝕んだのではないかと思う。

その翌日。兄は遺体で発見された。

通っていた塾から遠く離れた雑木林で、体をバラバラにされた状態で見つかった。

兄の見つかった雑木林は、女性の弟が自殺した場所のすぐ近くだった。

兄を殺して切り刻んだ女性は、母親と共に犯行に及んだらしく、二人は程なくして捕まった。

連日、兄の死はテレビやネットで全国的に報道され、兄の所業が明るみになるにつれて、メディア関係者やネットを通じて義憤に駆られた人々が家の周囲を取り囲むようになった。

兄が死んだことで、両親は心が壊れ、僕の日常は崩壊した。

今でも思っている。これは、霊感商売なんて、馬鹿な真似をしてきた罰が当たったのだと。


昼頃になったので途中で休憩することになり、僕らは鮎沢のパーキングエリアに入った。

トイレ休憩の後、フードコートで食事が出来上がるのを皆で待っていた時だった。

「すまん」

昭雄が俯いたまま、一言呟いた。

「何か事情はあると思っていたけど、まさかそこまでとは思ってなくて」

「私も」

昭雄も美咲も、複雑な表情を浮かべている。

僕が話をしてからというもの、野木さんも真白も含め、空気がずっしりと重くなってしまった。そうなる可能性もあって、僕は今まで話を避けていたのかもしれない。せめて、周囲の人までもが僕の境遇に辛くなってほしくなかったから。

「そうだね。今でもまだ整理はついてないよ。でもいずれは話すしかなかっただろうから」

気休めにしかならないかもしれないが、僕はそう言って聞かせた。

「実家に戻ったら厄介だと思う。兄が死んでからも、ネットとかでは兄がいじめをしていた事実が暴露されて炎上して、僕らの家族の個人情報まで晒されることになったから。それに、兄が死んでから母もおかしくなったし、父も家に帰らなくなった」

兄は昔から僕を含め、自分より弱いと判断した相手を執拗に痛めつけることが好きだった。あの事件の後、兄が僕と、自殺に追いやった霊の少年以外にも、たくさんの被害者がいることもわかった。

兄は残酷な方法で殺されて仕方なかったと思う。

兄を殺した女性と母親は服役中だけど、大切な弟を死に至らしめた兄と、そんな兄を育てた両親のことを今でも恨み続けている。それも仕方ないことだと思っている。ネットに書かれていた兄の所業は、それだけ目を覆いたくなるような内容だったから。

「正直、実家が今も残っているのかどうかわからないんだ。母は昔から宗教にはまっていたけれど、兄が死んでからさらに傾倒するようになって、前世の行いが良くなかったから兄が死んだんだって本気で思って、かなりのお金を献金するようになった。もしかしたら、家も売っているかもしれない」

そこで野木さんの持っていた食券のアラームがけたたましく鳴った。

「おっと」

野木さんが席を立ったタイミングで、僕はまた話し始める。

「母は僕のことを恐れているんだ。正確には僕の持つこの能力をだけど」

母のことについても僕は正直に話すことにした。元警察官の野木さんが居ないこのタイミングで話しておきたかった。

「以前から僕が霊と交信できるっていう話を、母は気味悪がっていた。兄の事件の後から僕が原因で兄が死んだって考えるようになったんだ。ある日、教団の人から僕に悪魔が宿っているって言われて、それを信じた母は毎晩僕をベルトで叩くようになった」

「は?」

昭雄が険しい顔で前のめりになった。

「なんだよそれ。虐待じゃんか」

「そうだね」

そう。今でこそ虐待だった。でも、それを止めてくれる大人もいなかったし、僕も誰かに助けを求められなかった。

父ですら、もはや家族を見限っている状態だったから。

「その事実をどこかで知った叔父と叔母がさすがにやばいってなって、僕を連れ出してくれたんだ。そういうこともあって、僕はあの家に戻れない」

そこまで話して、また沈黙が広がる。

周囲は家族やカップル、大学生っぽい団体やらで騒がしかったけれど、僕らの席だけは陰鬱な空気に支配されてしまった。

「ありがとう」

そんな沈黙を美咲が最初に破った。

感受性の強い彼女には少し辛い話だったかもしれないけれど、最後まで話を聞いてくれた彼女は、僕の方をじっと見てこう言った。

「私たちに話してくれて。私、また少し涼のことを理解できた気がする。まだまだ全部わかったわけじゃないけれど、それでも、涼がまた好きになれたと思う」

それを聞いた僕も昭雄も、ついでに真白も目を丸くしていた。

「えっ?あ、ああ!違う違う!そういう意味の好きっていうか、人間として涼のことが魅力的だって言う意味で・・・」

必死で訂正するつもりだったのだろうが、自分が咄嗟に放った言葉に気づいてしまった美咲は耳を真っ赤にして狼狽える。

その様子がなんか可愛らしくて、思わず僕は笑ってしまった。

「ありがとう。そう思ってくれただけでも、話した甲斐があった」

僕がそう言うと、美咲が照れた様子で僕の方をちらっと見つめてきた。思わず目が合う。

「お熱いところ申し訳ないけど、鳴ってるぞ」

そこに昭雄が茶々を入れてきたことで、僕と美咲の食券が震えている事に気づいた。音が小さめに設定されていたのか、周囲がうるさすぎたのか、はたまた美咲と僕がお互い以外見えていなかったからなのか、その全部なのかわからないけれど気づけなかった。

そのまま僕らはそそくさと席を立ち、急いで注文していた食事を取りに行った。


昼食を終えてまた高速道路に乗るものの、食後の睡魔に襲われて、野木さんを除く僕ら4人はうたた寝をした。

僕が目を覚ました頃には、東京に入っており、首都高からスカイツリーが見えていた。

こうしてはっきりとスカイツリーを見たことはなかった。今回はゆっくりと東京を観光する時間もない。この光景を昭雄たち3人にも見せてやりたかったが、ここで眠りを妨げるのもどうかと思う。

それに自分だけこの光景を楽しんでしまうのは、少し不公平に感じたので、僕はまた寝たふりをした。

しばらくして昭雄が起きて、その次に美咲が目を覚ました。

「おっ!スカイツリーじゃん!」

「えっ!あっ、ホントだ!」

ビルの合間から見えるスカイツリーに、二人は感嘆していた。

「てか、東京に着いたんだね」

「うん。あと1時間くらいで千葉に入る」

野木さんはのんびりとそう答え、美咲は嬉しそうに周囲の景色を眺め、時折スマホで写真を撮っていた。

「これが首都高かー。ビルがこんなに近くに見えるなんて」

ビルの間を抜けるように走っている所為か、普段は見上げる存在であるビル群がもっと身近に感じる。

「これだけでも東京に来たって感じがするな」

昭雄も清々しい感じで背伸びをしながら言った。

一方の真白はというと、まだ居眠りをしていた。眠っている彼女を見るのは二度目だったが、何だが苦悶の表情を浮かべている。

うなされているようにも見えるが、ただ表情が険しいだけで、歯ぎしりもうめき声も上げていない。

真白のこんな表情を見るのは、初めてだった。

やがてレインボーブリッジに入り、東京の景色が開けて見えた。

自然豊かな伊豆市から、遠路はるばるビルがひしめき合う東京まで来たわけだが、これからまた森が深い千葉の四街道に行くことになる。

僕はともかく、昭雄と美咲と真白にはもっと東京を満喫してほしかった。

彼らだって、せっかく東京に来たんだから、何かやりたいこともあるはずだ。でも、それについて謝罪を述べることも、今となっては無粋だとも思う。

だから僕は敢えて何も言わない。思いは胸にだけ秘めていればいい。

「よし。せっかくだからスカイツリー、行ってみるか」

そこに野木さんが僕らの気持ちを察してか、絶妙な提案をしてきた。

「えっ?いいんですか?」

「ああ。東京に来る機会なんてあんまりないんだし。俺もお土産くらい買っておきたいから」

「よっしゃー!」

昭雄はガッツポーズを決めて、美咲も嬉しそうに笑っている。

「ありがとうございます」

野木さんの粋な計らいに僕も嬉しくなってお礼を言った。東京よりの千葉に住んでいたとはいえ、東京に行ったことはなかった。

やっぱり、野木さんも一緒に来てくれて良かったと思う。

そこに突然、スマホのバイブレーションが響いた。

ポケットに入れている僕のスマホからではない。昭雄も美咲も自分のスマホを確認するが、どうも違うようだ。野木さんの充電中のスマホも震えていない。

真白はゆっくりと目を開けて、バッグからスマホを取り出した。

画面を凝視した後、溜息を吐いてスマホを操作する。バイブレーションが切れた後、またバッグにしまい込んだ。

「電話?」

「ええ。ちょっとね」

美咲が不思議そうに聞いたものの、真白は窓の外の景色に目をやるだけで、それ以上答えなかった。

たぶん、叔母さんからだろう。昼も過ぎたのにまだ図書館にいるのか、といった感じで電話をかけてきたのかもしれない。

僕の母も、兄が死んでからやたらと僕に連絡をよこすようになった。

今どこにいるの?何をしているの?ちゃんと返事しなさい!悪いことしてないわよね?神様はちゃんと見てるんだから!

今まで散々僕を気味悪がってきたのに、今度は僕を束縛して自分の思い通りにしようとしてきた。

いや、たぶん、僕を母の信じる神の道とやらに引き込もうとしていたのかもしれない。

母の信じる教団の教義には、入信者を増やすことで子孫繁栄が約束されるというものがあったからだ。

ともかく、子供を完璧にコントロールしたがる大人というのはどこにでもいる。真白の叔母も僕の母と似ているところがある。

憎しみや嫌悪を抱いているにも関わらず、自分の監視下に置こうとする。いや、憎み嫌っているからこそ、支配下に置いておきたいのかもしれない。

僕は叔父と叔母のおかげで母の支配から解放された。なら真白はどうすれば、叔母の支配から抜け出せるのだろう。

いずれは僕たちでなんとかしてやりたいと思った。


押上に降り立った僕らは、最初にソラマチのショッピング街を散策した。

僕も叔父と叔母、祖父へのお土産をいくつか物色し、12個入りのウェハースを買うことにした。

「これ、良くね?」

昭雄は浮世絵が描かれた扇子とか、Tシャツを手に取って見せつけてくる。

「いいんじゃないか?買ったら?」

「だよなー。でも無駄遣いしたら母ちゃんに怒られるし」

昭雄は悩んだ挙句、スカイツリーを模した安いキーホルダーと、10枚入りの煎餅を購入していた。

僕らが買い物をしている間、美咲と真白はどこかに行っていた。

「お待たせー」

僕らが買い物を終えたぐらいに美咲と真白が合流する。二人はすでに大きな袋を手に持っていた。

「何買ったんだ?」

「真白の服とか宿泊用品、その他もろもろ」

「ああ。そっか」

真白はほぼ着の身着のままといった感じだし、さっきも必要なものを一緒に買いに行こうと美咲が話していた。

「じゃあ、私たちもお土産、見に行こっか」

「あ、うん」

美咲はそのまま真白の手を引いて行った。

「よかったな」

その様子を見ていた昭雄が、僕にそっと耳打ちした。

「何が?」

「結局、二人とも仲良くなれてさ。だって、明日奈のことで複雑な関係にあったじゃんか」

確かに、明日奈は真白の親友であり、美咲の親戚でもあった。そして、真白は明日奈の死の場面に居合わせて、彼女だけが生き残った。

そのことを、美咲が恨んでいた可能性もあった。大切な人が死んだのに、なんでその場にいた真白だけが生き残ったのかと。

でも、美咲はそうしなかった。真白と良好な関係を築こうとしただけでなく、彼女の窮地を救おうとまでした。

こういうのって、なかなかできることじゃないと思う。

「僕も最初は大丈夫かなって思ったけど、今は心配してない」

「俺もだ」

美咲と真白がお店でお揃いのキーホルダーを手にとっては、嬉しそうに会話を弾ませている。

それを僕らが遠くで見守っていると、後ろから野木さんに肩を掴まれた。

「さて、もう少ししたら展望台に行ってみるか」

そうだった。スカイツリーに来たのなら、やっぱり上からの景色も見ておかないと行けない。

僕としては、この一時だけでも満足してしまったが、本題はここからだった。

というか、僕らの旅の本来の目的は、明日奈の探し物を探すことにある。東京観光ではない。

でも、やっぱり僕はこういう旅になってほしいと、心のどこかでは思っていた。

それは昭雄も美咲も同じだったと思う。真白もそれなりに旅を楽しんでくれたら、なお良かった。

しばらくして、美咲と真白が店から出てきた。

「じゃーん。見て見て。可愛いでしょ」

美咲はソラマチ限定のネックレスを僕らに見せつけてきた。

「これ、ペアルックなんだよ。真白も色違いの付けてるの」

見ると、真白はすでにネックレスを身に着けている。少し照れくさそうに俯いていた。

「へえ。そんなのあるんだ」

「これで真白とお揃いができたね」

美咲は嬉しそうに笑っている。すでに東京を充分満喫したかのような表情だった。

真白は照れくさそうに小さく頷いたものの、そのあとに自分のネックレスを愛おしそうに触っていた。

「野木さんがこれから展望台に行こうってさ」

「いいね!行こ行こ!」

楽しそうに前を歩く美咲に、昭雄もやれやれと肩をすくめつつ、満更でもない様子で後に続いた。

僕も真白と並んで歩いていく。

「よかったな。仲良くできて」

「ええ」

僕が尋ねると、真白は頷いた。

「こんなことになるなんて、夢みたい」

僕も夢みたいだと思う。敢えてそれを口にはしない。口にしてしまったら、その瞬間、本当に夢が覚めそうな気が今でもしているから。

「夢なんかで終わらせたくないよな」

だから代わりにそう口にした。これが夢だったなんて、そんなもので片づけたくはない。

このひと時は現実にあって、そして思い出として記憶にいつまでも残り続けるのだ。

そうでなくては、虚しいって言葉で済まなくなるから。


エレベーターに乗る直前まで、まるでテーマパークのアトラクションを待っているかのような、高揚感と緊張感があった。

エレベーターの先が非日常に繋がっている。そういう感覚に陥る。

でも、実際のところ、展望台から見える景色は、僕らが生きている日常の世界なわけで、そういう生活の場を天から見下ろすということに、僕らは楽しみを見いだそうとしている。

実際、エレベーターに乗った時点で、その特別な体験は始まっていた。

エレベーターの天井で輝くライトアップに僕らは目を奪われ、そうしているうちに気づいたら展望デッキに到着していた。

東京の街がどこまでも続いている光景に、僕はしばらく目が離せなくなる。

人がなぜ高い建物を作るのか、遥か上からでないと見えない景色があるからか、それとも地上で見えてしまう醜い出来事も、空の上では遥か遠くの出来事だと思えるから、だろうか。

僕がこれまで出会い、成仏していった霊たちは、こういう眺めから大切な人を見守っているのだろうか。

たかひろさんも、こんな風に魂が空にいるのだとしたら、それはそれで自由なんだろうな、と思う。

僕も昭雄も美咲も、ついでに野木さんも、人の流れに合わせながら、展望台からの景色をしっかりと目に焼き付けようとしている。

真白も途中まではそうしていた。

特別な体験を邪魔するかのように、何度も彼女のスマホが鳴り響いた。

「叔母さん?」

「ええ」

少し列から出てスマホを確認する真白を追い、隣で尋ねた。

「一度、電話に出てみるべきじゃない?」

「その必要はない」

真白は頑なだった。頑なに、叔母を信用していない。

「でも、連絡せずに大騒ぎして、警察を呼ばれるかもしれないし」

「そうなるだろうから、一応手は打ってある」

「どんな?」

「苗香さんには話を通してあるの。時を見たら叔母に話をしておいてって」

苗香さん。

確か、僕が最初に真白の部屋に行った時、西都やを案内してくれた従姉のお姉さんだ。

「あの人、君の味方そうだもんね」

「そうね。でも叔母に逆らえるような度胸がある人ではない。どっちかっていうと、仕事中は叔母に対して恐々としている感じの人ね」

では、言い方は悪いけれど、頼りにならないかもしれない。

しかしながら、あの癖の強そうな叔母さんに楯突ける人間は中々 いなさそうだが。

ともかくも、真白が決して誰にも何も言わずにここに来たわけではないことに、少し安心する。

僕らが真白を誘拐したなんて、あの叔母さんに騒がれたら、それこそ弁明の余地はなかったかもしれない。

「ごめんなさいね。楽しいな時間なのに」

真白は興奮気味の昭雄と美咲を横目に見ながら謝った。

「別に謝らなくていいよ。それより、君は楽しんでる?」

「そうね」

少し考えつつ、真白は頷いた。

「楽しまないと、叔母の思う壺だもの。とにかく全力で楽しんでやるわ」

「その粋だ」

お互いに微笑みあって、再び三人と合流する。

景色を楽しんだ後は、展望台のカフェでお茶をしたり、記念写真を撮ったりして過ごした。

僕らは東京に来たんだ、という思い出作りには、ちょうどいい時間だった。


スカイツリーを満喫した後、押上から今度は千葉市へと移動した。

ソラマチを歩き回った上に、また車での移動ということもあって、さすがに僕らも疲れが出始めていた。

でも僕らより、ここまでずっと車を運転してきている野木さんの方が疲れているかもしれない。でも、野木さんは溜息すら吐かずに、嬉しそうに運転してくれている。正直、今回ばかりは頭が上がらない。

そんな野木さんを他所に、昭雄も美咲も眠りこけていたし、僕も目を休めるように瞼だけ閉じていた。

「野木さん」

「ん?」

僕の横で、真白の声がした。思わず目を開けるところだったが、そのまま僕は眠ったふりをして、真白と野木さんの会話を聞き流すことにした。

「ありがとうございます。運転」

「気にしなくていい。それより、疲れてないか?少し眠ったら?」

「野木さんは?」

「俺は大丈夫。こういう運転は慣れてるから」

目を閉じながら、二人のやり取りを頭の中で想像する。盗み聞きをするつもりはなかった。これは、ちょっと聞こえてしまっているだけ。

「昔、よく妻と子供を連れて、広島の妻の実家に行ってたんだ。その時も車で移動してた」

「ご結婚されてたんですか?」

「まあ、とっくの昔に離婚したけどね。ほら、前の仕事ってプライベートもクソもないから」

野木さんがふっと笑っているところが想像できた。そんな野木さんの背後を、真白が無表情で見つめているところも。

「警察ってやっぱり忙しかったんですか?」

「まあね。事件があれば突然呼び出されるし、夜遅くまで残業することも多かったから。そのうち、妻に愛想尽かされちゃってね。でも、息子は俺の背中見て育ったからかな。大きくなったら警察官になりたいって言ってくれて」

野木さんは鼻を軽く啜った後、自慢げに言った。

「息子も今年、高校生になったばかりでね。今でも手紙でやり取りはしてるんだけど。しばらく顔は見てないな」

「会いたいですか?」

「どうだろうな。息子は俺のこと、嫌ってはいないみたいだけど、俺としてはあんまり家族サービスしてやれなかったから、罪悪感があってね。あの頃、もう少し家族の時間を作ってやれれば、少しは未来も変わってたのかなって思うよ」

「・・・それは私も思います」

真白が意味深にそう呟いた。

「あの時、自分がこうしていたら、こういう言葉をかけていたら、もっと違う結末になっていたかもって」

「明日奈ちゃんって子のこと?」

「はい。それもありますけど」

そこでしばらく間が開いた。真白が何かを言いたげにしていて、それを言い渋っている光景が脳裏に浮かんだ。

「・・・実は私、叔母さんに今回の旅行のこと、ちゃんと話してなくて」

「ああ、やっぱり。そうだと思った」

野木さんは納得したように言った。その声はどこか朗らかで、真白が拍子抜けしている顔が思い浮かぶ。かくいう僕も、不意を突かれた。

「だって、前に君を働かせるなって電話きたときは驚いたよ。ひたすら濁流みたいに僕への文句が出るわ出るわで。まあ、警官していた時も色んな人がいたから、慣れたもんだったけど。まあ、つまりああいう人だから、今回の君たちの旅行をよく許可したなって思ってたんだ」

「・・・すみません。あの時のことと、今回のこと」

「まあ、もうしょうがないことだからね。叔母さんから連絡は?」

「さっきまでずっとありましたけど、今は途絶えてます。従姉のお姉さんには旅行の話はしているので、きっと叔母をなだめてくれているんだと思います」

「ああ。そうだったの」

それからカーナビが千葉に入ったことを知らせてきた。しばらく車内が静かになる。

「真白ちゃん」

「はい」

「身近な人を大切にね」

ふと、野木さんが諭すようにこう言った。

「君の味方になってくれる人もそうだけど、一緒に住んでいる叔母さんのことも、気に留めてやってよ。仲良くできないとは思うけれど、少しずつでいいから、会話をしてみたらどうかな?」

「でもあの人は、私の話を聞かないから」

「それでも、ね。今は難しいかもしれないけれど、繋がりは持っておいた方がいいよ。きっと、いつか君が大人になった時に、ふとしたきっかけで叔母さんのことを思い出すことがあるかもしれない。もしかしたら、その時には色々と手遅れになっていて、もしあの時こうしていればって、後悔することがあると思う」

「そんなこと・・・」

真白は否定しようとして、言葉を飲み込んだ。もしかしたら、思い当たることがあるのかもしれない。自分の本当の両親のことか、もしくは明日奈とのことか。

「人ってさ、元気にしている間って、ついつい色んなことを後回しにしちゃうんだよ。友達とか家族とか、いつでも会えるからってそのまま時が経っちゃって、気づいたら歳を取っていく。旅行とかも、いつかは行こうって思ってて、そのまますっかり年月だけが過ぎていく。そういうことってよくあるから」

野木さんの言葉に、僕も心を打たれた。思い当たることはたくさんある。実の家族、祖父、そして亡くなった祖母。

あの時、こうしていればよかった。あの時までに、ああしていればって。

「後悔しないように生きるって、なかなかできないことだけど、君も昭雄たちもまだ若い。だから、ちょっと言っておきたくなってね。そういうことはもっと先に悩むことかもしれないし、今はまだ難しいことかもしれないけれど、ちょっと心の隅に置いといてよ」

目を閉じて想像することしかできないけど、きっと野木さんの言葉は、真白に届いていたと思う。

だって、僕にもしっかりと響いていたんだから、彼女だってそうに違いない。

僕と真白は似たもの同士。それに、彼女はああ見えて、色んな感情を心に抱いている。ただ、それを表に出さないだけだ。

そんな真白だから、野木さんの話してくれたことが、心の中で今まさに混ざりあっていることだろう。

そうやって、真白の人生がまた一つ彩られていくのだ。


千葉市内のホテルに着いた頃には、くたくたで足が棒のようになっていた。

長い車内での半日と、スカイツリーの散策。昭雄と美咲はまだ元気が有り余っているようだったが、僕は少し休憩したかった。

真白は特に疲れが酷かったらしく、ホテルのロビーをふらふらと歩いていた。

「真白、大丈夫?」

「ごめんなさい。ちょっと頭痛が・・・」

野木さんがチェックインをしている間、僕らはロビーのソファーで休むことにした。

「確かに今日は疲れたよな」

「そうね。夜は適当にコンビニとかで買って食べようか」

美咲の提案に、僕も頷いた。

チェックインを終え、僕らは男性部屋と女性部屋でそれぞれ別れた。

しばらく部屋でくつろいでいると、僕らの部屋に美咲が入ってきた。

「ご飯に買いに行こうと思うんだけど、どう?」

「そうだな。もう良い時間だし」

昭雄は腕時計を見ながら頷いた。

「俺たち、コンビニ行ってくるけど、野木さんは何がいい?」

「適当でいい。君らが買ったものならなんでも食べる」

ベッドで寝転んでいた野木さんは、手をひらひらと振ってそう言った。

僕も財布を持って、二人と一緒に近くのコンビニへと向かう。

「真白はどうだ?」

昭雄が心配そうに美咲に聞いてきた。

「うん。ちょっと仮眠取りたいらしくて、先にご飯食べてていいってさ」

「そっか」

安心したような溜息を吐く昭雄が、僕は少し気になった。それは美咲も同じだったらしい。

「あんたさあ」

美咲は横目で昭雄を見て言った。

「真白のこと、好きでしょ?」

「は?なんで?」

「いや、なんとなくだけど」

「ごめん。僕もそんな気がしてた」

僕らの反応に、昭雄はあからさまに狼狽えていた。

「いやいや!なんでそうなるんだよ!俺は単に、友達として彼女を心配してただけで・・・」

「ホントにぃ?」

美咲はさらに茶化すように疑ってくる。

「本当だよ!ったく、すぐそうやって疑いやがるんだから、お前ら」

実は僕は知っている。

ソラマチにいたときに、僕は昭雄からペアリングを買えと言われた。

「美咲のためにも買ってやれよ。あいつも喜ぶ」

ちょうど、美咲と真白が二人で買い物をしていたタイミングだった。僕もちょうど、美咲に何か買ってやろうと思っていたところだったから、叔母と叔父からもらったお金で一つ買うことにした。

その後にたまたま見てしまったのだ。昭雄が一人で同じペアリングを買っていたところを。

最初はなんであいつがそんなものを?と思っていたが、もしかすると真白に一つ贈るつもりなのかもしれない。

でも、そのことをここで話す程、僕は野暮ではなかった。

「実はさ」

ホテルを出るタイミングで、美咲がふと小さな声で呟いた。

「真白のスマホがずっと鳴ってて、私、少し覗いちゃったの」

「えっ、見たのか?」

僕は思わず声に出してしまった。美咲は小さく頷く。

「真白の家からの電話みたいだった。真白は気にしないでって言ってたけど、ちょっと辛そうだった」

「なんだそれ?」

「さあ、私もよくわかんないんだけど、ちょっと胸騒ぎがしてて」

昭雄も美咲も案外勘付いているかもしれない。

叔母のことは黙っていようと思っていた。真白本人の口から直接、二人に話すつもりだと思っていたから。

でも、それをいきなり聞かされたとしたら、二人は間違いなく戸惑うだろう。

なんでそんな重要なことを隠していたんだって、最悪、真白を叱るかもしれない。

僕は真白に何度も言ってきた。もっと友達を頼れと。それは僕にだって当てはまることではある。

誰しも他人に話し辛いことはたくさんある。特に自分の家族のこととか。

話したところで、恥を掻くかもしれないし、変な説教をされたり、幻滅されることもあるかもしれない。友達だからこそ、変な心配をかけたくないことだってある。

でも、僕は昭雄と美咲のことは良く知っている。彼らは、友達のことなら自分のことのように接してくれる。でも、時には何も言わずに見守ってくれる時もある。

僕にはもったいない友人なのだ。だからこそ、僕は二人を信頼している。

「あのさ」

真白には悪いが、僕は口を滑らせることにした。


今夜の夕食はハンバーグ弁当にしてみた。

昭雄はカップ麺と牛肉コロッケで、美咲はスパゲッティとサラダを買っていた。

ちなみに野木さんにはチャーハンで、真白には適当にサンドイッチとおにぎりを持っていくことにした。

男子部屋で床に座りながら、揃って食事を取っていると、部屋のドアが開き、白いシャツとショートパンツ姿の真白が入ってきた。

「あっ、起きたの?」

「ごめん。なんか、眠れなくて」

力なく笑う真白を見て、僕は何かがあったのかもしれないと思った。その何かが、彼女の叔母に関することなのは容易に想像できた。

昭雄と美咲、そして野木さんも同じく勘付いているようだった。

「お腹空いてる?適当に買ってきたんだけど」

美咲がコンビニのビニール袋を掲げてみせた。

「今は大丈夫。あとで食べるから。それより」

真白は一瞬唇を噛んで話すのを躊躇った。しかし、気を保つようにして、僕らの方を向いて言った。

「ここまで付き合ってくれたのに、本当に申し訳ないんだけど、私、家に帰ることになった。・・・ごめんなさい」

深々と頭を下げる真白に注目しつつ、やはりそうなったか、と冷静に思った。

さすがに苗香さんでも、あの叔母を止めることはできなかったらしい。

真白にとっても、苦渋の決断だったのだろう。

「叔母さんが今すぐそうしろって言ったのか?」

理由を尋ねたのは昭雄だった。

真白は頭を上げて、動揺しながら僕らを見回した。

「何でそう思うの?」

「僕が話した。叔母さんに旅行のこと、伝えてなかったこと」

「なんで・・・」

「身内のことを話したくない気持ちはわかるけれど、いずれはこうなることだったろ?」

何かを言いたげな真白に対し、僕は畳みかけるように言った。

「今回の件については、君だけの問題だけじゃなくて、僕らの問題にもなってくる。だから二人にも話しておいた」

「まあ、実のところ、うまくいかなかったんじゃないかって、ちょっと心配してた」

そう言って、美咲は小さく微笑む。

「だって、真白の家って結構厳しいって前から聞いてたもの。野木さんがいるとはいえ、よく許可したなって思ってた」

「その・・・なんだ?真白が自分で解決できる問題だったら、俺たちも知らないふりしてようと思ってたんだ。でも、その感じだと、うまくいかなかったんだろ?だったら、俺たちに何か手伝わせてくれよ」

「・・・手伝うって何?」

真白は複雑な表情を浮かべて、震える声で言った。

「皆、あの人のこと、何も知らないでしょ?あの人は思い通りにならないことは、どんな手を使っても思い通りにしようとするの」

彼女の癇に障ってしまったのか、真白の声は少しずつ大きくなっていく。

「さっきメールが来てたの。このまま帰ってこないなら、家出とみなして警察に捜索願を出すって。皆、あの人の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるの。私は皆を巻き込みたくないから、ずっと黙ってたし、家におとなしく帰るつもりだった。あなたたちに手伝ってもらえるほど、甘い問題じゃないの」

珍しく感情的になった真白に、僕らは圧倒された。

でも、それでも怯まなかったのは、昭雄だった。

「俺たちじゃあ、どうしようもできないってか」

一人、俯きながらそう呟いていた。少し苦い表情を浮かべていた。

「確かに、そりゃあ俺たちはまだ高校生だし、力不足なこともあれば、どうしようもないことだってあるとは思うよ。やってもどうせ無駄だって、諦めちまうぐらいに頼りないんだろうとは思う」

昭雄はゆっくりと立ち上がり、真白と向かい合った。

「・・・ごめん」

真白は自分が放った言葉が僕らを傷つけたと思っているらしい。でも、それは違う。

「でもさ。やっぱり何もしないままじゃ嫌なんだ。どうせ無理だからって、何もできないからって、友達が辛い顔してるのを黙って指くわえて見てるってのも、結構辛いことなんだ。だからせめて、友達として悪あがきぐらいはさせてもらえねえかな。頼むよ」

昭雄は真白に頭を下げた。

「自分本位とか、自分の罪悪感を和らげたいとか、そう言われてもしょうがないとは思う。でも、この時に何もしなくてずっと後悔するっていうのは、もう思い知りたくねえんだよ」

そうだった。あいつは兄貴を亡くした時に、自分が何もできなかったことを酷く悔いていた。

今回だって、その時の後悔が過ったのだと思う。

僕自身も、このまま真白を家に帰したら、僕らの関係はそのまま終わってしまうような気がしている。

「僕も後悔はしたくないな」

だから、僕は昭雄をフォローすることにした。

「せめて、僕も最後の悪あがきぐらいはしたい」

「私も」

僕に続くように美咲も言った。

「私たちじゃあ、力不足かもしれないけれど、私たちや、真白が本当に思っていることを、この際に叔母さんに伝えてみない?それでも響かなかったら、それはそれでどうしようもないけれどさ。でも、一度はっきり言ってみようよ」

「でも、皆を傷つけることになるよ。あの人、本当に容赦ないから」

真白は俯いたまま、拳をぎゅっと握りしめる。

「私、叔母さんに傷つけられる皆を見たくない」

「・・・俺は、傷ついているお前を見るのが一番辛いよ」

そこで昭雄が、真白をじっと見つめて呟いた。次第に真白もゆっくりと顔を上げて昭雄を見つめる。

でも、真白の目には、まだ迷いがあるようだった。

「いい友達を持ったじゃんか。君も」

そこに、僕たちのやり取りを見ていた野木さんが静かに言った。

「君たちの言い分はどれも正しい。それにお互いを思いやっての行動だと思う。でも、やっぱりこのままだと良くないことになるだろうな」

元警察官として、野木さんも真白をこのまま家に帰さないという判断には反対しているのだろう。

確かに、彼は僕らを預かっている身だし、真白の叔母さんに何か訴えられても困る立場にある。

「でもまあ最後に、どんな形であれ納得できるように、連絡くらいはしてみたらいいんじゃないか?」

野木さんは優しく真白に微笑みかける。

でも、真白はまだ躊躇しているようだった。

だけど、そのタイミングを見計らったかのように、スマホのバイブレーションが響いた。

真白がショートパンツのポケットに手を当てる。

これはある意味、僕らに与えられた最後のチャンスなのかもしれない。

真白は僕の方をちらっと見た。僕は真白に軽く頷いてみせる。

恐る恐る、真白はスマホを取り出して、画面を操作し始めた。


「待った」

電話に出ようとする真白に、すかさず昭雄が言った。

「スピーカーにしてもらえるか。皆にも聞こえるように」

昭雄は僕らの方に同意を求めるように見る。もちろん、僕も美咲も頷いた。ついでに野木さんも。

「・・・わかった」

真白はスマホを操作して、テーブルにそっと置いた。

「真白?今どこにいるの?何回電話したと思っているの?」

真白の叔母の神経質な声が聞こえてきた。

「今、千葉のホテルにいる」

「千葉!?ホテル!?」

今度は叔母は素っ頓狂な声を上げた。

「あなた!未成年なのにホテルにいるの!?しかも千葉なんかに行って何を考えているの!」

「それは苗香姉さんから聞いてないの?」

「聞いてるわよ!あなたの口から聞きたいの!言っとくけど、こんなことを認めたわけじゃないから!今すぐに新幹線に乗って帰ってきなさい!」

その後も叔母は口を挟む間もなく、こんこんと真白に説教を重ねた。

取り付く島もないとはこのことだった。というか、真白がどんな理由を言ったところで、全く聞き入れようとしないだろう。本当に嫌な性格だと思った。

それは僕だけでなく、昭雄も美咲も同じらしい。

「叔母さんさ」

昭雄が苛ついたように口を開いた。

「そんな風に真白の話を聞こうとしないから、こんなことになったんじゃないんすか?」

「は?誰よ?あなた」

「クラスメイトの武本昭雄です。あと、同じクラスメイトで友達の五島涼と清水美咲もいます」

顔では苛つきながらも、昭雄は務めて冷静な口調で言った。

「真白は一人でホテルに来たわけじゃないっす。ついでに言うと、部屋も別々ですし」

「だから何よ!あなたたち未成年が真白を巻き込んで何するつもり?」

「真白は千葉で用事があるんです」

「あの子にそんなものないわ!変なことさせないであの子を帰して!」

まるで僕らが真白を悪の道に誘惑しているかのような口ぶりである。僕も口を開こうとしたが、昭雄はすかさず反論した。

「真白は嫌だったんすよ。叔母さんに事実を話すのが」

「は?」

「自分のことは一切認めてくれない。何を話しても否定される。そういう叔母さんの態度にうんざりだったんすよ」

「何よそれ?私が悪いっていうの?」

ああ。この人は自分が悪いと思っていないんだ。

真白もそれがわかっているから、なるべく関わろうとしないのだろう。自分が正しいと絶対的に信じている人間ほど、危険なものはない。

それは両親を見て僕も理解していた。そんな人間に、僕らが言葉を尽くしても通じないだろう。

「そういうところっすよ。人の話を聞かずに自分が正しいって思ってるところが真白もうんざりしてるんすよ」

「なんですって!」

叔母さんはさらにエキサイトしそうな勢いだった。

真白も昭雄の袖を引っ張って、辛そうに首を横に振っている。

「叔母さん、五島涼です。僕の口から説明させてください」

このままだと埒が明かなそうだったので、僕はここまでの顛末を言って聞かせようと思った。

でも、僕の声を聞くや否や、叔母は今度は低い声で唸るように言った。

「・・・またあなたね。真白をたぶらかした男」

「えっ」

「そもそもあなたが真白なんかと関わらなかったら、こんなことにはならなかったのに!」

そしてまたヒステリックな声で怒鳴りだす。それも濁流のようにとめどなく僕への批判が溢れた。

「あの子はね、うちの旅館で働かせるつもりなの!あなたみたいな不良なんかと一緒になっていい子じゃないのよ!あの子に何かあってうちの旅館の名前に傷がついたらどう責任取るつもりなの!言っとくけど、今すぐにでもあの子を帰さないっていうなら、警察に通報しますからね!覚悟しなさい!」

昭雄は目を釣り上げて怒りを堪えているし、美咲も拳をわなわなと震わせていた。

でも、僕は至って冷静だった。思わず溜息さえも漏れた。

「僕が不良だったら、あなたは毒親ですよ」

「何ですって?」

「真白はずっと悩んでましたよ。自分が僕の祖父の不倫で出来た子供だから、叔母さんに虐められているって」

「・・・・」

スマホの奥で唾を飲む音が聞こえた。なんで僕がそのことを知っているのか、とでも思っているのかもしれない。

「真白は叔母さんの話をするとき、いつも辛そうなんですよ。これまで学校にも家にも居場所がないことを、諦めたように受けて入れていたけど、僕らと知り合ってから少しずつ笑うようになったんです。でも、叔母さんの話をするときだけは、本当に辛そうな顔をするんですよ」

これまでの真白とのやり取りを思い出しながら、僕は淡々と話した。叔母はその間、何も言ってこなかった。怒りを堪えているのか、意外な反論で言葉を失っているのか、それはわからなかった。

「あなたは真白をどう思っているんですか?単に旅館の労働力としか見ていないんですか?それとも真白の出自を理由に仕方なく育ててやっているだけの目障りな存在なんですか?僕や五島家を恨むんなら好きにしてください。でも、真白に罪はないです。少しでもいいから、真白と向きあってくださいよ」

そう言った後、美咲が膝に置いていた僕の手をそっと握った。

僕が美咲を見ると、彼女は真剣な眼差しで僕を見て、唇をぎゅっと結んでいた。

まるで「あなたにも罪はない」。そんな風に言っているように見えた。

「あの、もしもし?紗衣ちゃん?」

そこに、野木さんが身を乗り出してスマホに語りかけた。

「俺だよ。野木正弘。この間の真白ちゃんのバイトの件以来だね」

「えっ?」

先程までのエキサイトした雰囲気とは代わり、叔母さんは小さな声で言った。

「正弘って、もしかして・・・」

「そう。△△高校3年2組の。実は真白ちゃんのバイト先の雇い主もしてた」

「嘘、そんな・・・正弘くんだったの?」

僕らは意外そうに野木さんを見ていた。叔母は先程とは打って変わって、声が柔らかくなっていた。しかも野木さんを下の名前で呼び捨てにしている。

「今は僕が彼らの一時的な保護者として同伴しているんだよ。真白さんが、どうしても千葉でやりたいことがあるらしいから」

「・・・・」

叔母はまた黙ってしまった。それを良いことに、野木さんは畳みかけるように言った。

「今から新幹線で帰っても、結構夜遅くなるし、今日は一泊させてもらえないかな?明日の夕方までにはちゃんと責任を持って彼女を送り届けるから。構わないよね?」

「・・・まあ、正弘くんがそういうなら」

「オッケー。悪いね。それじゃあ、任せておいて」

野木さんはニコニコと笑顔を浮かべながらスマホを切ろうとした。

「あっ、待って。真白?」

だが最後に、叔母は真白に向けてこう言った。

「今日のところは仕方ないけど、帰ってきたらちゃんと今回のことを説明しなさい。いいわね?」

「・・・はい」

真白は溜息交じりに返事をした。どっちみち怒られるのはわかっているから覚悟を決めている、という風にも見えなくもないが、実際のところ、また説教かとうんざりしているのかもしれない。

そして向こうから一方的に通話が切れると同時に、僕らは脱力した。

「なかなかのおばはんだったな」

昭雄が溜息交じりにそう言うと、真白はくすっと笑った。

「そうね。なかなかの人だと思う」

「でも、とりあえず認めてもらえたってことでいいのかな?」

美咲の疑問に対し、真白は「ええ」としっかり頷く。

「もう連絡はしてこないと思う。野木さんの説得も効いたと思うから」

「それより野木さん、真白の叔母さんとどういう関係なんですか?」

そのことについて、僕が問いかけると、野木さんは苦笑した。

「ああ、高校の同級生だよ。高校3年の頃にクラスが一緒だったんだ」

そういえば、ホテルに来るまでの車の中で真白と野木さんが話していた内容を思い出してみる。

野木さんは真白の叔母を知っている感じだったし、それに叔母のことを気に留めてやってほしいとも言っていた。たぶん、同級生だったよしみとしての言葉なのかもしれない。

「彼女も色々と家族のことや家のことで苦労していたからな。少し他人を信用できないところがあったんだ。でも性格なのか、お節介な部分もあって、風紀委員しながら服装が乱れた奴とか、態度のだらしない奴を叱っていたこともあったな」

あの感じだったら、言うことを聞かなそうな不良とかにもしつこく注意していそうだなと、僕は想像してみた。

「でも、辛いことをなかなか表に出さない子だったよ。そういう性格だったから友達も少なかったみたいだったけど、本人は気にしないみたいな態度で振舞っていた。でも本当は、友達が欲しかったらしい。私も皆と同じように、青春を謳歌してみたかったって、前の同窓会で言ってた」

「・・・野木さん、やたら詳しいね」

昭雄がちょっと引いた感じで野木さんを見ていた。

美咲も真白も疑惑の視線を向けていた。

「ああ、まあ彼女、昔は美少女だったんだよ。雰囲気と顔は少し真白ちゃんに似ていたかな」

「私に?」

真白は意外そうに目を丸くした。

「そうそう。性格は真白ちゃんみたいに控え目じゃなかったけどな。だからすぐにあの人の娘かなって思ったよ。正確には違ったけど」

野木さんにそう言われ、真白は何か思うことがあったように、顔を俯かせて考え込んだ。

「それにしたって、真白の叔母さんとは親しげでしたね」

美咲がさらに追求すると、野木さんはまた苦笑いをした。

「まあ、男子の中でも一定数は彼女に惚れてたから。ちょっとしたアイドルみたいな?」

「野木さんもその一人だったんだ」

美咲は少しニヤニヤと笑っている。

「それはまあ、一緒に係とかやったこともあるし、何度か話をして、少しずつ仲良くはなっていったけどね。結局は恋は実らなかったな」

野木さんは懐かしそうに目を細めて笑っていた。

そんな野木さんを見て、僕もいつか、学生時代のことや、今日のことをこんな風に懐かしむ日が来るのかもしれない。

その様子を見て、大人になるのも悪くないかも、と思った。

「なんか、野木さんの恋バナって新鮮かも」

一方の昭雄も、ふっと笑ってそんなことを言った。

「まあ、お前には話さないようにしてたからな」

「なんでさ?」

「お子様に人の恋愛事情を話してもしょうがないだろ」

「お子様って・・・」

そんなやり取りを見ていた真白が、またくすっと笑った。

そして昭雄の方をじっと見て呟く。

「ありがとう。昭雄くん」

「えっ・・・」

「あんなに必死になって、叔母さんを説得しようとしてくれて」

「あ、まあ、いいっていいって」

昭雄は気にするなとでも言いたげに、そっぽを向いて手を振った。

しかし、美咲はそんな昭雄の変化を見逃さなかった。

「あー、何?あんた、照れてんの?」

「ばっ!ちげーよ!何言ってんだ!」

「昭雄も野木さんも似たもの同士ってわけねー」

「それどういう意味だ?」

いつも通りのやり取りに、僕も真白も笑みが零れる。

一つの懸念事項が解消されたからか、気分はなんだかいい感じに上がっている。

それこそ、明日はうまく真白の探し物を見つけられそうな気がしてきた。

その探し物というのが、どんなものであれ。

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