64、引っ越しの相談と知らない男
ダスティンさんの工房で午前中を掃除に費やしたあの日から約二週が経った。今日は九連勤の九日目で、私は仕事が終わった後に商会長室へ足を運んでいる。
「それで、今日は何の話かな?」
「本日はお時間をとっていただきありがとうございます。実は引っ越しに関してギャスパー様にお力添えを願いたいと思っておりまして、この場を設けさせていただきました」
私がそう切り出すと、ギャスパー様は満足そうに微笑んで口を開いた。
「レーナは本当に敬語が上手になったね。違和感はほとんどないよ」
「本当ですか! ありがとうございます」
空いた時間を駆使して皆に教えてもらっていた成果を褒められて、表情が綻んでしまう。
「それで引っ越しだったね。部屋の紹介かな?」
「はい。そろそろお金も貯まりましたので、部屋を探し始めることになりました。ギャスパー様が部屋を探す時には力になると仰ってくださいましたので、ご相談させていただいたのですが……」
「もちろん力になるよ。どんな部屋が良いか要望はあるかい?」
「安くて好立地だと嬉しいです。部屋の狭さや不便さなどには目を瞑りますので」
家族と話し合って、部屋を見つけるのにどこを重視するのかは決めてあるのだ。私は快適な室内を重視したかったんだけど、皆からしたら街中の部屋はどこもスラムのあの小屋よりは快適だろうから、それよりも立地を重視したいってことだった。
まあ確かに、治安とかかなり大切だから分かるんだけどね。
「ふむ、安さと立地を重視するんだね。……いくつか思い浮かぶところがあるよ。知り合いの不動産屋に声をかけてみるから、明日は暇かい?」
「自由に動けます」
「では明日の五の刻に、ここに来て欲しい。不動産屋と引き合わせよう。ただ私は明日予定があって内覧には同行できないんだ。誰か大人を連れて来られるかい? さすがに君が一人では、管理者によっては断られることもあるだろう。私が紹介する不動産屋は大丈夫だろうけど、各アパートには管理人がいるからね」
確かにそうだよね……こんな子供を信用して部屋を貸してくれる人は少数だろう。いくらロペス商会からの紹介があると言ったって。
「……お父さんはどうでしょうか?」
皆には街に入る時に払うお金がもったいないし、私がお金を出すんだからレーナが好きに部屋を選んで良いと言われてるけど、大人が必要って言えば一緒に来てくれるだろう。
「そうだね……市民権がない人はちょっと難しいかな。それに定職がある人の方が良い」
確かにそうか、日本でもそうだもんね。定職がない人が部屋を借りるのは厳しい。うぅ、そうすると途端に難しくなる。
ジャックさんとニナさん、ポールさんは明日出勤だし、私と一緒に休みの人は、いつも休みは彼女とのデートだって嬉しそうにしてるし――
――そうなると、思い浮かぶのは一人だけだ。
「一人だけ心当たりがあります。以前ギャスパー様にご報告したと思うのですが、魔道具工房を営むダスティンさんです」
「ああ、そういえば彼がいたね。レーナが溢したアイデアを評価してくれたんだっけ?」
「はい。それでアイデア料を受け取り、それからも休みの日には工房にお邪魔していて……」
「それならちょうど良いね。彼に頼んでみてくれるかい? もし彼がダメならばうちの商会員の手が空いてれば、レーナの方に行ってもらえるようにお願いするけど……」
「いや、それは大丈夫です!」
部屋を紹介してもらえるだけでありがたいのに、そこまで迷惑をかけるのはダメだろう。ダスティンさんが難しければ、一人で頑張るしかない。
「そうかい? ……分かったよ。じゃあ明日は不動産屋に紹介だけしよう。もし彼が来てくれることになったら、明日一緒にここへ来てくれるかい?」
「分かりました。ご紹介、よろしくお願いいたします」
「任せておいて」
それから私は商会長室を後にして、外門に向かう前にダスティンさんの工房へ向かった。休みの日以外でここに来るのは初めてだ。
いつも通り工房で魔道具の改良をしてるんだろうと思いながらドアをノックすると……ドアを開けてくれたのは、知らない男性だった。
「……お前は誰だ?」
「えっと……レーナですが、あなたは?」
お互いに誰だか分からず困惑していると、奥から声が聞こえてくる。
「クレール、誰が来たんだ? 勝手に出るなといつも言っているだろう? 配達なら金を払っておいてくれ」
「かしこまりました。……配達か?」
「いえ、ダスティンさんに用事があって……」
クレールさんと呼ばれた男性は、茶髪に茶色の瞳でどこにでもいそうな平凡な男性って感じなんだけど、こちらを探るような目だけが鋭くて怖い。
誰だろうこの人。ダスティンさんの声音を聞くに親密そうだけど……この人さっき敬語を使ってたよね。魔道具師の弟子とか?
「配達ではないようです。小さな子供ですが」
クレールさんが工房の方にそう声をかけたと同時に、ダスティンさんがリビングにやってきて私と目が合った。
「ん、レーナじゃないか。どうしたんだ?」
「この子供と、知り合いなのですか?」
「ああ、最近知り合ってな。発想力豊かな面白い子供だ」
「…………」
ダスティンさんの言葉に、クレールさんは言葉こそ発していないけれど、胡乱げな目つきでダスティンさんを見つめている。
なにこの雰囲気! なんか居心地悪いんだけど!
「――こういうのは困ります」
ダスティンさんがクレールさんを押し退けて私の前に来た時、二人がすれ違った瞬間、クレールさんが小声で呟いた声が私の耳に微かに届いた。
マジでどういう関係? 全く二人の間柄が見えて来ない。親密そうな感じもするけど距離がありそうな感じもあって……弟子っていうのも、あんまりピンと来ない。
「クレールは中に入っていろ」
「……かしこまりました」
クレールさんが工房に向かって、玄関先にはダスティンさんと私だけになった。
「待たせてすまないな。今日はどうした?」
「あっ、あの……明日お時間があるなら、部屋の内覧に付き合っていただけないかなと思ったのですが……さっきのクレールさん? がいらっしゃるなら無理ですよね」
「ほう、もう街中に引っ越してくるのか?」
「その予定です……」
「分かった。確かに大人がいた方が良いな。明日は急ぎの仕事もないし行けるぞ」
「でも、さっきの人は……」
あの人と予定があったのなら申し訳ないと思ってそう聞くと、ダスティンさんは面倒くさそうな表情を隠さず首を横に振った。
「あいつは気にしなくても良い。このあとすぐに帰る」
「……そうなのですか? お弟子さんとかじゃ」
「そういうのじゃない。あいつは……小さな頃からの知り合いみたいなものだ。たまに安否確認にやってくる」
「そう、なのですね。明日来ていただけるの、とてもありがたいです」
ダスティンさんがあまり追及されたくなさそうだったので、私はクレールさんのことを聞くのは止めて明日の話にシフトした。めちゃくちゃ気になるけどね……。
「何時にどこに行けば良い?」
「ロペス商会に五の刻なので、四の刻九時ぐらいに私がこちらに来ても良いですか? それで一緒に商会まで行っていただけると助かります」
「四の刻九時だな。分かった」
「よろしくお願いします。では今日は失礼します」
「ああ、また明日」
そうしてダスティンさんと明日の約束をして、最後に何気なく工房の中に目を向けると……そこにはこちらをじっと見つめるクレールさんがいた。
私はその探られるような瞳が怖くて、すぐに目を逸らして帰路に就いた。




