21、街中の市場
しばらくは感動して街の様子やそこに住む人たちを熱心に眺めていた私だったけど、ハッと時間は有限だと気づいて視線を近くに戻した。隣を見ると、ジャックさんが面白そうな表情で私を見つめている。
「おっ、やっと戻って来たか? 田舎から初めて王都に出てきたやつより感動してたな」
「だって、こんなに近くなのにここまで違うなんて……壁がなかったら、ここからうちまでかなり近いんだよ?」
「確かにそうだよなぁ。凄い差だな」
本当に格差が凄いよ……スラム街がどういう経緯でできたのか知らないけど、スラムの人間にも市民権をくれて、街中に住んで良いよって偉い人が言ってくれたら良いのに。
「レーナ、約束の時間まであと半刻ぐらいだぞ?」
「あっ、そうだった。早く街を見に行こう!」
「分かった分かった。レーナは店を見たいんだったよな。街の中には店舗として建物の中にある店と、スラムの市場の店みたいに、簡易的な屋台で店をやってる場所があるんだ。街中にも市場があるって思ってくれればいい。どっちに行きたい?」
「その二つは売ってるものに違いがあるの?」
「基本的には市場が庶民向けだな。ロペス商会の本店もそうだが、建物に入ってる店はいいものを売ってて値段が高いことが多い」
街の中にはそういう区別があるんだ。私は一番下のスラムにいるから、街中に入ることができれば快適で幸せな生活があるって漠然と考えてたけど、やっぱり街中でも下は大変なのかな。
「とりあえずは街中の市場を見たいかな。高級なところは見ても買えないと思うし」
「分かった。俺も基本的に使うのは市場だし、そこなら案内できるぞ。一番近い市場はあっちだな」
ジャックさんはそう言って左斜め前の方向を示すと、私が迷子にならないようになのか、私の手を引いて歩き始めた。さすが街中に住んでいるだけあって、迷いのない足取りだ。
少しだけ大通りを進んだら路地に入って、何回か右に左にと道を曲がる。そうして辿り着いたのは……小さな広場だった。その広場には屋台が所狭しと並んでいて、屋台の間には買い物客が大勢いる。
「ここが一番近い市場だ」
「凄いね……見たことないものがたくさんあるよ!」
「まあそうだろうな。スラムの市場で売ってるものは、かなり限定されてるからな」
凄い、こうして眺めているだけでわくわくと心躍る。見たことがない野菜だろうものから、日本にもあったような道具や、前世も含めて初めて見た形のものまで、多種多様な商品が並んでいる。
「ジャックさん、あの大きな丸いやつって野菜?」
「どれだ? ああ、あれはハルーツの卵だ」
「はるーつのたまご? って何?」
「えっとな……まずハルーツって名前の動物がいるんだ。畜産農家が食用のために育ててるやつだな。部位ごとに肉の味がかなり違って美味いんだけど、その動物が卵を産むんだよ。それがあれだ。温めたらハルーツの子供が生まれるけど、卵の状態で火を通して食べると美味いんだ」
ああ、たまごって卵ね。あのでかいの卵なんだ! 両手で持つぐらいのサイズだから、まさか卵だとは思わなかった。
それにしてもこの世界って畜産もされてたんだね……本当にスラム街って発展から取り残されている。スラム街ではハルーツなんて聞いたことないし、森にはいない動物なのかな。
「ジャックさんってリートの肉は食べたことある?」
「リートって森にいるやつだよな? それは食べたことないなぁ」
「そうなんだ。私は逆にハルーツを食べたことがないよ」
「ハルーツは街中では一般的な動物だぞ。というか基本的にはハルーツの肉しか食べないな。そうだ、確かいろんな部位のハルーツ食べ比べを売ってる屋台があったはずだから、食べてみるか?」
何それ、魅力的すぎる! でも銅貨数枚で買えるってことはさすがにないよね……一口分だけなら買えないかな。
あっ、でもそうすると家族にお土産を買えなくなっちゃうか。いや、でもパッと見た感じ、銅貨数枚で買えるものなんてあんまりなさそう……
そうして私が色々に葛藤して懐の寂しさと相談していると、ジャックさんが嬉しすぎる提案をしてくれた。
「俺が奢ってやるから金の心配はいらないぞ?」
「……すっごく、嬉しいんだけど、良いの? ジャックさんがそこまでする義理はないと思うんだけど……」
「まあそうだなぁ。でも一緒に働く仲だろ? それにせっかく街中に来たんだから、いつもはできない体験をして欲しいしな」
「ジャックさん……マジで良い人すぎる! イケメン!」
「そうかぁ?」
ジャックさんって絶対にモテるよ。私が保証する。ジャックさんがモテないなら、周りの女の人たちの見る目がなさすぎる!
「本当にありがとう。お願いしても良い?」
「おうっ。じゃあ買いに行くか」
「うん!」
それからジャックさんに連れられて市場を移動すると、どこからかお腹の空くとても良い香りが漂ってきた。お母さんお父さんお兄ちゃん、私だけ食べちゃってごめんね。
私は心の中でそう謝りながらも、食べるのを止めるという選択肢は全く考えなかった。
「いらっしゃい!」
「ハルーツの食べ比べを一つ。味付けはソルでお願いします」
「はいよっ。ちょっと待っててくださいね」
街の中では日常で軽い敬語は使われてるみたいだ。本当に敬語を教えてもらえて良かったよ。街の中で敬語が使えなかったら、かなり失礼な子供になるところだった。
「これっていくらなの?」
「銅貨五枚だ、あそこに書いてあるぞ?」
「あっ、本当だ。そのぐらいなら私も払えたのに」
かなりギリギリだけどね……給料は全部貯めてなくて、途中で野菜などを買ってしまっているのだ。
「レーナのお金は貯めといた方がいいだろ? ここはお兄さんに任せなさい」
「ジャックさん……」
本当にありがとう。もう素敵すぎる。私じゃなかったら絶対に惚れてるよ! 私はジャックさんは……恋愛対象にならないというか、何となくお兄ちゃん枠みたいな感じになっちゃったけど。
「ありがとう」
「いいってことよ」
そう言って少し恥ずかしそうに笑みを浮かべてくれたジャックさんに、私は満面の笑みを向けて二人で笑い合った。