20、初めての街中
ジャックさんとの約束の日。私は家族皆に見送られて、朝食を食べてすぐに家を出た。今日の私の気分は、レーナの人生の中で最高だ。
街中に連れて行ってもらえると報告した時の皆の反応は三者三様だった。お母さんは光栄で凄いことだと手を叩いて喜んで、お父さんは私がジャックさんに未知の領域に連れて行かれると抵抗して、お兄ちゃんは外壁の中に行けるなんて羨ましいと呟いた。
今日の朝のお父さんは面白かったな……まるで私がもう戻ってこないかのように、泣きそうな顔で私を引き留めていたのだ。別の国にでも行っちゃうかのような別れになってたけど、よく考えたらこのスラム街しか知らない家族皆にとっては、街の中も別の国みたいなものなのかもしれない。
私は高くそびえ立つ外壁を見上げて、街の中と外との隔たりを改めて感じた。スラム街に住んでる人達は市民権がないから、この国の国民じゃないと言われれば確かにそうなんだよね……
ジャックさんに教えてもらった基礎知識の中で知ることができたんだけど、この国はアレンドール王国という名前らしい。そしてこの街は王都アレルなんだそうだ。
私たちはアレンドール王国の中に住んでるけど、市民権がないから正式には王国民じゃなくて、宙ぶらりんの存在だ。スラム街での暮らしは、グラグラ揺れている岩場の上に立ってるぐらい不安定だと思う。
やっぱりより快適な暮らしのためにっていうのもあるけど、安心して暮らしていくためにもスラムからの脱出を目指したい。
できれば家族皆も一緒に街中に行きたいよね……そして欲をかいても良いのなら、近所の人たちも。
そんなことを考えながら外門に向かうと、ちょうど時間的にスラム街の市場にお店を出す人たちが街から出てきているようで、外門は混み合っていた。
「まだジャックさんはいないかな」
外門の近くを回ってみたけど、毎日見ている彫りの深いイケメンはいない。さすがに早すぎたかな……やっぱり時計がないと不便だ。街の中では鐘の音で時間が分かるらしいけど、スラム街に鐘の音は聞こえないから。
人々が出入りしている門から街の中を覗こうと背伸びをして首を伸ばしてみると、この前騎士が出立する場面に一緒に居合わせた兵士の人がいた。街から出る時には市民権を確認したりはしないようで、軽い挨拶を交わすだけでどんどん人が街の外に出ていく。
やっぱり街の中の人は服装が違うね。スラム街の皆が着ている服はごわついてるというか、地球にあったものに例えたら麻? みたいな素材の服なんだけど、街中の人たちが着ているのは綿みたいな肌触りの良さそうな服だ。
そういえばジャックさんの服も、柔らかくて着心地が良さそうなやつだった。たまに手に触れるとさらっとしてて羨ましいなと思ってたんだよね……私の服は、手が触れるとチクチクして痛い。
「おいお前、また来たのか?」
皆の服を観察していたら突然声をかけられた。見上げてみるとそこにいたのは……この前の兵士だ。
「お久しぶりです」
「街の中には入れないと、この前教えただろう?」
「はい。でも実は街の中に入れることになったんです。私を雇ってくれてる商会の人が私に会いたいって言ってくれて」
「お前を雇う……? というか敬語、話せたのか?」
「教えてもらったんです。一緒に働いてる先輩から」
兵士の人は頭の上に疑問符が浮かんでいるように、何度も首を傾げている。スラムの少女が突然商会に雇われたとか、敬語を教えてもらって身につけたとか、意味分からないよね。
「……スラムに、住んでるんだよな?」
「そうです。けど、スラムにある市場のお店に雇ってもらってます」
「そんなことがあるのか……」
その言葉を最後に兵士が難しい表情で考え込んでしまったところで、ジャックさんの声が聞こえてきた。
「レーナ、待たせてごめんな」
「ジャックさん! 迎えに来てくれてありがとう」
「おうっ。あれ、兵士? レーナが何かしましたか?」
「いや、そういうわけではない。ただ街中に入れないのにまた外門に来ていたから、中に入れないことを理解してないんじゃないかと思って声をかけたんだ」
「そうでしたか。それでしたらレーナは私が連れていくので大丈夫です」
「そう、みたいだな」
兵士はジャックさんの服装を確認して少なくともスラムの人間ではないと理解したのか、頷いてから一歩下がった。
「突然声をかけてすまなかったな」
「いえ、心配してくださってありがとうございます」
そうして一悶着ありながらも無事にジャックさんと合流できた私は、ついに満を持して……街の中に、入ることができた!
ジャックさんが私の分の入街税を払ってくれて門を通ると、目の前には石造りのおしゃれな街並みが広がっていた。地球で何となく見たことがある外国の綺麗な街並みみたいで、凄くテンションがあがる光景だ。
「ジャックさん! 凄いね、お洒落だね!」
「まあスラムよりは綺麗だしお洒落だよな。ここは門前広場と大通りだから整備されてるしな」
「うわぁ、外壁の中はこんなふうになってたんだ」
私は感動して門前広場を駆けて大通りまで向かった。そして街の様子をぐるりと見回して、息を大きく吸い込む。
ドブ臭い匂いがしない、吹けば飛びそうなボロい小屋も泥でぐちゃぐちゃの地面もない。やっぱり生活するならこういう環境だよね!
「本当に嬉しそうだな」
「うん。ずっと街の中に入ってみたかったから」
一度中に入れたんだ。これで終わりにしないで、ここで生活していけるように頑張って努力しよう。今はまだ街中にいる珍しいスラムの女の子だけど、ちゃんと街で暮らす普通の女の子になれるように頑張ろう。
私は改めてそう決意して、街の様子を忙しく目に焼き付けながら笑みを浮かべた。