187、レーナ・オードランとしてスラム街へ
王宮での話し合いから数週間が経過し、今日はついにスラム街へと視察に向かう日だ。ダスティンさんや騎士たちも同行してくれるということで、私はまず王宮に向かった。
王宮の正門近くには、豪華なリューカ車と正装に身を包んだ騎士たちと、騎士たちが乗るノーク、さらに着飾ったダスティンさんがいた。
「おはようございます」
「おはよう。……レーナは楽しそうで良いな」
少しだけ不機嫌というか、不満気なダスティンさんにそう声を掛けられ、私は思わず満面の笑みを浮かべてしまった。
「それはもちろん。ずっと楽しみにしていたんです。ダスティン様はあまり乗り気ではありませんか?」
「いや、レーナのさまざまな知識の源であるスラム街は気になっていた。しかし、この格好はないだろう」
そう言ったダスティンさんは、何だかキラキラしたマントのようなものを指で摘む。
「……王子殿下はやはり、そのぐらい着飾らなくては」
私にとっても見慣れない格好だったけど、王族として行くんだから仕方ないよねとそう告げると、ダスティンさんは表情に不満げな色を濃くしてしまった。
私はそんなダスティンさんからは離れることにして、近い場所にいたシュゼットに声を掛ける。
「シュゼット、騎士の正装が似合っているわ」
「レーナ様! ありがとな」
今日は第一騎士団が同行してくれるので、見知った顔ばかりだ。さらにノークも、いつも私が乗る練習をしている子がいる。
ノークに乗るのは結構難しいけど、とりあえずあまりスピードを出さなければ乗れるようにはなったので、あとは慣れるだけだ。
「今日はよろしくね〜」
小声でノークに声を掛けながらゴツゴツとした肌を撫でていると、パメラに声を掛けられた。
「レーナ様、そろそろリューカ車へお乗りください。中央の車にはレーナ様とダスティン様のみが乗られ、私たちは後ろの車で同行いたします。私たちが向かうまで、現地で車を降りないでください」
「分かったわ。三人ともよろしくね」
そうして一番豪華なリューカ車に乗り込んだ私は、ダスティンさんと向かい合いながら、スラム街に向かうことになった。
「ダスティンさん……こんなところにまで持ってきたのですか?」
リューカ車の中で紙とペンを取り出したダスティンさんに、思わず咎めるような声が出てしまう。ダスティンさんが持っている紙束は、飛行の魔道具を研究しているメモ資料だ。
「ああ、スラム街までは暇だからな」
「ダスティンさんって本当に魔道具研究が好きですよね。アナンも凄い熱量なので、最近は二人についていくので精一杯です」
研究室でのことを思い出しながらそう告げると、ダスティンさんは意外そうな表情で顔を上げた。
「アナンも全く同じことを言っていたぞ。私とレーナに付いていくのが大変だと」
「え、そうなんですか?」
「ああ、皮膜内の空気を温めるというアイデアや、他にもレーナはぽろっと溢す言葉一つ一つが貴重なアイデアとなっている。それに心から尊敬しているそうだ」
そうだったんだ……アナンから尊敬されていたなんて、全く気づかなかった。確かに思い返してみればキラキラな瞳で見つめられてたけど、あれは魔道具研究をしてるからかと思ってたよ。
「私って、そんなに貴重なアイデアを溢してますか?」
「ああ、頻繁にな。魔道具の形状に関することや、その素材に向いているだろう材質の話など。レーナの頭の中には完成図があるのではないかと思うほどだ」
ダスティンさん……大正解です。私の頭の中にはたくさんの完成図があります。飛行機にヘリコプターに気球。最近は飛行船とかパラグライダーもあったよねと思い出したところだ。
創造神様の加護持ちということで大抵のことは流してもらえるけど、変に思われないように気をつけよう。
「そういえば、ノルバンディス学院には学祭があるんですよね」
話を変えるために、無理やり別の話題を振ってみた。するとダスティンさんは私の意図通りに、学祭の話に乗ってくれる。
「ああ、もう少し先だがな」
「その学祭で、研究室ごとの展示があるというのは本当ですか? メロディに聞いたんです」
「確かにあるな。……そういえば、この前アナンが張り切って展示がどうとか言っていた気がする」
「今からやる気なんて心強いですね」
メロディの話では研究成果の発表ってことだったから、ダスティンさんが主体でやるとなると、誰も理解できないものになりそうで心配だったのだ。
……いや、アナンでもそれは変わらなかったりする?
そ、そんなことないよね。アナンはもっと常識人なはずだ。多分、そうだよね……?
「飛行の魔道具を研究するにあたって、魔道具の翼部分となる素材を調べ尽くしているだろう? その成果を展示すると言っていた気がするな」
「そ、それってもしかして、あの鉱石の含有成分がずらっと並んでて、何パーセントって細かい数字が目がチカチカするほど書き込まれてるやつじゃないですよね……?」
「それだ。さらに魔物素材の方も展示したいと言っていたな」
いや、そっちも全く同じで細かい数字が並んでた記憶しかないんだけど!
「それを展示しても、誰も分からないし面白くないんじゃ……」
「そうか? あれはかなり画期的な研究だ。あの表を用いることで、これから先の魔道具研究がかなりやりやすくなるだろう」
それは確かにそうなんだろうけど、あくまでも学院の学祭だから……もっと楽しい方がいいよね? それともそこまでガチな展示が求められてるんだろうか。
今度メロディにその辺の話を聞いておこう。そして楽しい展示が多いって言われたら、紙飛行機を作ってもらって飛ばす体験とか、小さな気球を飛ばす公開実験とか、そういうのに変更しよう。
私がそう決意していると、リューカ車の揺れ方が変化した。