18、筆算
筆算の効果が分かりやすく伝わるように、一の位の桁が大きい数字を選ぶ。
「これ十八と三十七を足す計算なんだけど、最初に右側の数字を足して、一の位の計算結果はここに、そして十の位はこの数字の上に小さく書くの。そして次は左側の計算ね。さっき小さく書いた数字も合わせて全部足して結果をここに書き込めば、ここの数字が足した結果になるよ」
私のその説明を聞いて、ジャックさんは理解できたみたいだけど少し首を傾げた。
「確かに便利かもしれないけど……この線はいるか? 普通に数字だけ書いた方が良いと思うんだが」
「うーん、線もあった方が見やすいと思うんだけど。掛け算になると分かるかな」
それから私は掛け算のやり方と、さらに割り算もやり方を教えてみた。すると全てを聞いたジャックさんはかなり驚いているようで、私が書いた筆算を難しい顔で凝視している。
「あの、ジャックさん。こういう計算方法って習わないの?」
「習わないな。レーナは……これを自分で考えたのか?」
「――うん。こうしたら楽かなと思って」
さすがにこれを誰かから教えてもらったっていうのは難しいかと思って自分で思いついたことにすると、ジャックさんは私の肩をガシッと掴んだ。そして顔をずいっと覗き込んでくる。
「レーナ、俺にはよく分からないけどよ、多分お前は天才だ! こんなの思いつくなんて凄いぞ!」
「そうかな、それは嬉しい……よ」
筆算がここまで褒められることだと認識せず安易に教えちゃったけど、もしかしたら不味かっただろうか。数学における大発見とかだったらどうしよう。
……私の知識は意外とこの世界で使えるってこの前認識したとこだったのに、もっと気をつけるべきだったかも。
でもスラム街から出たいから有能さはアピールしたいんだよね……どこまでやって良いのか塩梅が難しすぎる。
私はこの国のことをほとんど知らないから、どこまでやれば有能だと思われるのかもよく分かってないのだ。スラム街の基準が、街中のスタンダードじゃないことだけは確かだろうし。
「なあ、これをギャスパー様に伝えても良いか?」
「……うん。もちろん良いよ」
「多分これを伝えたら、レーナはすぐ街中に入れるぞ。有能だったら連れて来いって言われてるけど、これは確実に有能の部類に入るだろ」
「これって、そんなに凄いものなんだ」
筆算なんかで街中に入れるなんて、めちゃくちゃ嬉しいけど素直には喜べない。変な人に目をつけられるほどじゃ……さすがにないよね?
「ジャックさん、これってギャスパー様はどうするのかな」
「うーん、俺にはよく分からないけど、俺が凄いって思うんだからギャスパー様はかなり驚かれるんじゃないか? 従業員の間で広めたいって仰られるかもしれないぜ」
「街中には計算機ってないの?」
「あるけどめちゃくちゃ大きいし重いし高いんだ。俺は一応教えてもらったけど、使い方はかなり複雑だった。このレーナの方法は手軽だしギャスパー様は気に入る気がするな」
「そっか……」
もう開き直ろうかな……なるようになるよね。うん、スラム街から出られるかもしれない可能性が出てきたんだから、素直に喜ぼう。もし大変なことになったとしても、その時に考えれば良いんだし。
私はそう考えたら心が軽くなり、近いうちに街の中に行けるかもしれないという喜びが湧き上がってきた。
「街の中に行くのっていつになるかな?」
「そうだな。ギャスパー様の予定も聞かないとだし、すぐってことはないと思うが」
「そっか。じゃあ楽しみにしてるね」
「おう、待っててくれ」
「あ、お客さんだよ。いらっしゃいませ〜!」
それからはまた忙しい時間帯になり、私は足取り軽く仕事に精を出した。転生した時はこれからどうしようか途方にくれたけど、なんとか快適な生活を手に入れる一歩を踏み出せたみたいで良かった。
それから精一杯働いて、初めてのお給料である銅貨一枚を大切に握りしめて家に向かっていると、その途中でミューと触れ合っているお兄ちゃんを見つけた。ハイノとフィルもいるみたいだ。
「皆、どうしたの?」
「レーナ。親と逸れた子供のミューがいてな。親を探してたんだ」
「今ちょうど見つけたところだから、もう大丈夫だと思う」
「そっか。合流できて良かったね」
まだ小さなミューにそう声をかけると、ミューは「ミュー、ミュー」と可愛い声で鳴いた。ミューという名前の由来は鳴き声からなのだ。
「レーナ、ラルスから聞いたぞ。市場のお店で雇ってもらえたんだって?」
「そうなの。お昼ご飯の後から今ぐらいの時間までだよ」
「凄いなぁ。うちの地域の期待の星だな」
ハイノは嬉しそうな笑みを浮かべて、私の頭を優しく撫でてくれた。私は喜んでもらえたことが嬉しくて、えへへと笑みが溢れる。
「ありがと。時間があったら見に来てね。頑張って働いてるから」
「ああ、今度見に行くよ。それにしても……髪が変わったか? めちゃくちゃ綺麗だな」
「うん。私を雇ってくれたお店のジャックさんって人が、整髪料をつけて櫛で梳かしてくれたの。綺麗だよね」
私は綺麗な髪の毛を褒められて嬉しくて、髪を縛ってる紐を解いてからくるっとその場で一周回った。そうするとサラサラで綺麗な髪がふわっと広がるのだ。昨日から嬉しくて何度もくるくる回っている。
「おおっ、凄いな。それに良い香りがする」
ハイノがそう言って驚きながらもさらに褒めてくれたところで、フィルが私の下に近づいてきた。
「レ、レーナ、その、良かったな。す、すげぇな。それに髪も……綺麗だ」
そして顔をふんっと背けながら、耳を真っ赤にして褒めてくれる。いつも意地悪ばかり言うから褒め慣れてないフィルの褒め言葉に、私はニヨニヨしてしまう。
フィルも意外と可愛いところあるじゃん。いつもこうしてればもっと仲良くするのに。
「な、なんだよその顔は!」
「んー、何でもないよ〜」
「俺を馬鹿にしてるだろ!」
「そんなわけないじゃん。フィルじゃないんだから〜。可愛いところもあるんだなと思ってただけだよ」
「な、か、可愛いなんて……言われても嬉しくねぇから!」
フィルは顔を真っ赤にしてそう叫ぶと、先に帰ると言ってうちがある方向に向かって走っていってしまった。
「フィルのやつ、素直じゃないな」
「ははっ、本当だな。素直におめでとうって言えば良いのに」
「まあフィルだからしょうがないよ」
私はお兄ちゃんとハイノと、走り去っていったフィルの後ろ姿を見つめながらそんな話をした。