書籍発売記念SS サプライズ大作戦 後編
辺りに静寂が満ちてから数秒後。私は自分が息を止めていたことに気づき、心臓に手を当てながらなんとか呼吸を再開させた。
「ど、どうしよう……」
掠れた声でそう呟くと、隣のエミリーが私の腕に縋り付くようにして、服を掴んだ。
「レ、レーナ、フィルは、無事、かな……?」
「分からない、けど……大丈夫だと、思わなきゃ、こういう時は、信じることが、大切だと思う」
自分でもよく分からない言葉を口にして、なんとか平静を保とうと深呼吸を繰り返した。そして意を決して、エミリーに向き直る。
「エミリーは、誰か大人を呼んできて。できればお父さんみたいな力持ちの人を。私は、フィルの様子を確認に行くから」
真剣な声音でそう伝えると、エミリーは瞳に涙を溜めながら頷いてくれた。
「分かった。すぐ、すぐ呼んでくるね。レーナは危険なことしちゃダメだからね!」
「もちろん。フィルの様子を確認して、安静にして待ってる」
私の返答を聞いたところで、エミリーは森の出口に向かって駆けていった。
その後ろ姿を見送ってから、私はまず斜面の下を覗き込む。最悪はフィルの酷い姿を見ることになるかもしれないと最大級に緊張しながら、ゆっくりと下を覗き込むと……そこにはとりあえず、大きな外傷はなさそうに見えるフィルがいた。
――良かったぁ……
安堵感から、その場にへたり込みそうになってしまう。しかしそんな暇はないので、足に力を入れてフィルに声をかけた。
「フィル、大丈夫? フィル?」
あまり大声を出して獣が寄ってきても困るので、普通に話しかける程度の声量で声をかけるけど、フィルは反応しない。
フィルの体の上に一緒に落ちた太い枝が乗ってるし、あれは絶対にどかした方が良いよね。
どこか下に降りられるところは……そう考えて周囲を見回すと、少し戻ったところにちょうど緩やかな斜面になっているところがあり、途中で何本か生えている木を掴めば安全に降りられそうだった。
私は意を決して、その斜面を降りる。
「フィル、大丈夫?」
斜面を下り切って改めて声をかけると、フィルが僅かに身じろいだのが分かった。
良かった、意識は少しあるみたい。
「この枝、持ち上げるからね」
一応声を掛けてから枝に両手を掛け、全力で持ち上げた。しかし思っていたよりも子供の体は非力で、枝は細く見えたけど重くて、持ち上がりはしたものの別の場所に運ぶのが難しい。
でもこの場で降ろしたら、またフィルが枝に押しつぶされてしまうので、なんとか場所を移動させるまでは下ろせない。
「うぅ……重いっ……」
そんな言葉を呟きながらも、少しずつ枝を動かしていると――突然、両腕に乗っていた重さがかなり軽減した。
「フィル! 大丈夫なの!?」
意識を取り戻したフィルが起き上がり、枝をぐいっと下から押し上げてくれたのだ。
フィルは頭が痛いのか片手で耳の上辺りを押さえながら、歩いて枝の下から抜け出た。そこで私は枝をその場に置き、少し離れたところで座り込んだフィルの下に駆け寄る。
「大丈夫? 頭が痛い? 体調悪いところある?」
慌てて問いかけると、フィルは僅かに笑みを浮かべながら首を横に振った。
「ちょっと頭がふらついただけで、痛みはないから大丈夫だ。体もそんなに変なところはない……と思う。ただ、右足をやっちゃったな」
フィルのその言葉に右足へと視線を向けると、まだ目で見て分かる変化はなかったけど、フィルの辛そうな表情を見るに、かなり痛いのだと思う。
「帰ったら固定してもらって冷やさないとダメだね。今は絶対に動いちゃダメだよ。悪化するから」
「分かってる。……レーナ、ごめん」
俯いたフィルから、小さな謝罪の言葉が発された。
「俺のせいで迷惑かけたよな……」
「ううん、気にしなくて良いよ。フィルだけのせいじゃなくて、私たちも最終的には許しちゃったから」
「でも、危ないって言ってくれただろ……?」
「そうだけど、三人での話し合いの末にカミュを採ろうって方針になったんだから、やっぱりフィルだけのせいじゃないよ。私とエミリーの責任もある。……痛い思いをさせちゃって、ごめんね」
もっと強く止めれば良かったという後悔から私も謝ると、フィルは不思議そうに顔を覗き込んできた。
「……何?」
その瞳は私の奥深くを探るようで、なんだか少し居心地が悪い。
「レーナって、最近ちょっと変わったよな。なんか難しいこと言ってるし、大人みたいなことも言うし」
フィルにそう告げられて、私の心臓は緊張からバクバクと激しく動き出した。まさかフィルにまで不審がられてたなんて……やっぱり大人になった記憶があると、子供らしさがどうしても抜けちゃうんだよね。
「き、気のせいじゃない? ――あれだよ、ほら。女の子は大人になるのが早いの!」
慌てて思いついた言い訳を伝えると、フィルはまだ不思議そうにしつつも、納得したのか頷いてくれた。
「そっか。俺も置いてかれないようにしなきゃな」
子供時代は短いから、存分に楽しむのもありだと思うけどね。
そんなことを考えながら口には出さず、周辺に視線を向けると……私の視界に思わぬものが入ってきた。
「ねぇ、フィル。あそこ見て。あれってカミュじゃない?」
少し先の手が届く低い位置に、丸々と実ったカミュが見えたのだ。
「本当だ!」
フィルも気づいたようで、一気に顔を輝かせる。さっき採取できたカミュは潰れちゃってたから、そこでもフィルは落ち込んでたんだろう。
「私が採ってくるよ。フィルはここで待ってて」
「……分かった。気をつけろよ」
そうして偶然にもカミュを採取できて、少しだけ落ち込んだ気持ちが上向いたところで、私たちは意識的に明るい話題を選んで、二人で雑談をしながら助けを待った。
するとしばらくして、お父さんの声が聞こえてくる。
「エミリー、レーナとフィルはどこだ!」
「その辺の斜面の下だと思う」
「お父さん、ここだよー!」
居場所を伝えるために声を張ると、お父さんが上から顔を出してくれた。お父さんの顔を見たらもう大丈夫だと安心して、なんだか力が抜けてしまう。
「すぐ行くから待ってろ!」
それからお父さんはフィルのことをおんぶしてくれて、私とエミリーはフィルの道具を持ち、全員でスラム街へと戻った。
家がある辺りにまで戻ると、フィルが怪我をしたことはもう皆に広まっていて、たくさんの人が心配して集まってきてくれる。
そんな中にはお兄ちゃんとハイノもいて、私たちは少し躊躇いつつ、ハイノに採取してきたカミュを渡した。
「ハイノ、これ俺たちからの祝いだ。重要な仕事を任されるようになったって、言ってただろ?」
フィルが少しぶっきらぼうな口調でそう伝えると、ハイノは驚いたのか瞳を見開きながら、カミュを受け取った。
「もしかして、これを採取したくて怪我したのか……?」
その言葉にフィルが視線を逸らしたことで、ハイノはその予想が合っていると分かったようだ。複雑な表情を浮かべてから、私たち三人に向けて厳しい表情を作った。
「フィル、レーナ、エミリー、森の中で無理はするなって何回も言ってるよな?」
「……うん。ごめんなさい」
私が代表して謝り、心配や迷惑をかけてしまった申し訳なさに皆で視線を下げると、ハイノは私たちの頭を少し乱暴に撫でた。
それに驚いて顔を上げると、そこにいたのは満面の笑みのハイノだ。
「でもこれはすっごく嬉しいぞ。ありがとな!」
その言葉を聞いた私は、さっきまで強張っていた表情が一気に緩んだのを感じた。エミリーも嬉しそうな笑みを浮かべていて、フィルは照れくさそうに口元をムズムズと動かしている。
「美味しそうなカミュだな」
お兄ちゃんのその言葉に、ハイノはブドウのような見た目のカミュを一粒ずつもぎ取ると、私たちの手のひらに載せてくれた。
「皆で食べよう。はい、ラルスもな」
お兄ちゃんとハイノもカミュを一粒手にして、皆で一斉に口に運んだ。カミュは……やはり私にとっては渋くて酸っぱい果物だけど、今日はそれがとても美味しく感じられた。
「おっ、美味いな」
「よく熟れてる」
「本当ね」
「……美味い。もう一粒くれ」
「おいフィル、俺のために採ってきてくれたんだろ?」
そう言いながら、ハイノは楽しそうな笑顔だ。そうしてそれからも皆でカミュを食べて、楽しくて幸せな時間を過ごした。
書籍発売記念SSはここで終了です。楽しんでいただけたでしょうか。
web版では久しぶりの登場となるスラム街の皆のお話だったので、私は書いていてとても楽しかったです!
このSSが面白かったと思ってくださった方は、書籍の書き下ろし番外編もスラム街でのお話ですので、ぜひ書籍もお手に取っていただけたら嬉しいです!
よろしくお願いいたします!