17、初仕事
お母さんと一緒に昨日綺麗にした服を着てお店に行くと、ジャックさんはちょうどお客さんと話をしているところだった。お客さんが途切れてから声をかけると、昨日までと同じ爽やかな笑顔で迎えてくれる。
「レーナ、よく来たな」
「ジャックさんおはよう」
「そちらは……」
「レーナの母でルビナよ。レーナを雇ってくれてありがとう。今日は挨拶にと思って一緒に来たの」
お母さんのそんな挨拶を聞いて、ジャックさんはニカっと明るい笑みを浮かべると軽く頭を下げた。
「わざわざありがとうございます。レーナには今日から頑張ってもらいますね」
「ええ、こき使ってちょうだい。銅貨一枚も貰うんだもの」
「分かりました。レーナ、今日からよろしくな」
「うん!」
それからお母さんは手土産として作った焼きポーツをジャックさんに渡して、お店の野菜の中で一番安いやつを一つ買って家に帰っていった。
「いい母さんだな」
「そうなの。私がこのお店に雇われたことを話したら、凄く喜んでたよ」
「それは良かった」
「でも……お父さんがちょっと面倒くさい感じになってたから、お店に来てジャックさんに絡んだらごめんね?」
ジャックさんは面倒くさい感じの内容が理解できなかったのか、パチパチと目を瞬かせて少し首を傾げる。
「働くのに反対ってことか?」
「ううん。私がジャックさんをかっこいいって言ったら拗ねちゃったの。親バカなだけだから気にしないで」
「ああ、そういうことか」
私の説明でお父さんの現状がわかったのか、苦笑を浮かべながら頷いてくれる。
「俺は兄弟が多いから、両親ともに親バカって感じじゃなかったんだよな。いい父さんだな」
「ちょっと面倒くさいけどね。ジャックさんってこの街の生まれなの?」
「そうだぞ。八人兄弟の末っ子で、両親ともに工房で働いてたけど兄弟が多すぎて貧しい生活だったな。まあこうして無事に大人になれたから感謝してるけど」
八人は凄い大家族だ。確かにそれだけ子供がいたらよほどの収入がないと厳しいよね。
「実家に帰ったりする?」
「たまには帰るかな」
「じゃあ仲が悪いわけじゃないんだ」
「そうだな。まあ帰ると部屋が狭くなるって言われるんだけど」
ジャックさんはそう言いながらも優しい笑みを浮かべている。家族仲が悪いわけじゃないみたいで良かった。
「あっ、お客さんだぞ。いらっしゃいませ〜」
「いらっしゃいませ!」
「レーナ、お前は会計を担当してくれ。俺が商品をまとめたり渡したりするから」
「分かった。あの黒い板も使って良い?」
「もちろん良いぞ。自由に使ってくれ」
私は板とチョークのような白い石を手に持ち、お客さんに向き直った。これさえあれば、このお店にある商品の計算で迷うことはないはずだ。
「ラスートを二袋とキャロを二本もらうわ」
「ありがとう!」
私はジャックさんが商品を準備しているのを横目に素早く計算し、お客さんである女性に合計金額を伝えた。そしてお金を受け取ったらお釣りを手渡して、売上を木箱に入れる。
「レーナがいるといつもの何倍もやりとりが早いな!」
「役に立てそうで良かったよ。……そういえば気になってたんだけどさ、市場のお店って防犯はどうなってるの? お金があるなら危なくない?」
「ああ、それは大丈夫だ。兵士が定期的に巡回してくれてるんだよ。それにほら、外壁の上にも兵士がいるぞ」
ジャックさんの指差した方向を見てみると、確かに外壁の上の通路にたまに兵士が見え隠れしている。今まで気づかなかったな……
「安全なら良かった」
「ああ、それにそこまでの大金は持ってきてないしな。いらっしゃいませ〜。美味しい野菜が揃ってますよ」
「鮮度が良さそうね」
ジャックさんのお店は大盛況で、話す暇もあまりないほどにお客さんが途切れなくやってくる。売上が良いのは嬉しいけど、これだとあんまり勉強はできないかな。
「客足はもう少し時間が経つと収まるんだ。しばらくは忙しいぞ」
私が忙しいなと思ってることが分かったのか、客足が途切れた少しの間にジャックさんがそう教えてくれた。それなら収まったら勉強もできるかな。色々と教えてもらうのが楽しみだ。
そんなことを考えながら、久しぶりの家仕事じゃない労働を楽しんでいると、ジャックさんの言うとおり市場を歩いているお客さんがかなり減ってきた。
「そろそろ暇になるぞ。また夕方になると忙しくなるから、それまでちょっと勉強するか?」
「うん! 勉強したい!」
「ははっ、凄いやる気だな。実は俺が使ってた教材を持ってきてるんだ。お客さんがいない時なら自由に見ていいぞ。分からないところがあれば教えてやる」
「ジャックさん……本当にありがとう」
ジャックさんの優しさに感動しながら教材を受け取ると、教材はかなり分厚くて使い込まれていた。この世界で本なんて初めて触るよ……本どころか紙だってこの前の契約書が初めてだったのだ。
最初のページを捲ってみると、何かの表みたいなものがある。これってあいうえお表とかアルファベット表みたいなやつが書かれてるのかな。
「この国で使われてる文字はこの大陸で一番使ってる人が多い言葉らしいんだ。その最初のページに載ってる文字を組み合わせることで、いろんな言葉が表現できる。レーナって名前はこれとこれ、それからこの文字の組み合わせだな」
全部で三十個ぐらいの文字で全てみたいだから、この国の文字は日本語よりも英語とかそっちに近い形なのかもしれない。一から勉強するって考えたらその方が覚えやすくて良いかも。日本語の漢字みたいにたくさんの文字があったら、覚えるの大変すぎるよね。
「まずはこれを全部覚えれば良い?」
「俺はそうしたな。読み方は教えてやるから聞いてくれて良いぞ」
「ありがと!」
それから私は文字を読んで覚えて書いて覚えてと必死に頭に叩き込みながら、たまに来るお客さんの応対もしっかりとこなした。
日本人だった頃の記憶で勉強するということに慣れているので、自分で思ってるよりも早いペースで覚えることができる。
「レーナって頭が良いんだな……もうそんなに覚えたのか?」
「うん。でも今は覚えてるけど明日には忘れてるのも多いだろうから、何回も繰り返さないと」
「凄いなぁ。……そういえば、計算してる時に変な線みたいなやつ書いてたよな。あれって何なんだ?」
変な線……ああっ、もしかして筆算のことかな。二桁になると筆算の方が早いこともあって何度か書いてたんだけど、ジャックさんって意外と私の手元を見てたんだね。
「計算を簡単にするコツ? みたいなやつだよ」
私はジャックさんに筆算のやり方を教えるために、板に白い石で二桁の足し算を書いた。