112、ダスティンさんのところへ
教会からの脱出には成功し、私は全速力でダスティンさんの工房に向かって足を動かしている。追いかけられて捕まったら終わりだ。多分もう逃げ出せるような隙はなくなるだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
全力で走っていることで息が苦しく喉が痛くなるけど、止まったらダメだと自分に言い聞かせる。とにかく追いつかれないように、路地に入って何度も角を曲がった。
この辺は配達の仕事で熟知している地区なので、路地を逃げるのなら大人にも負けないはずだ。
たまにすれ違う人たちに奇異の目を向けられるけど、気にしていられる状況じゃない。
それからも路地を右に左にと曲がりながら、気力で走り続けていると……突然、右肩をガシッと掴まれた。
「……っ」
追いつかれたのかと思って心臓がどきりと跳ね、一気に冷や汗が吹き出す。しかしすぐに聞こえてきたのは、予想とは違う言葉だった。
「あんた、大丈夫かい? 顔が真っ青だよ。そんなに急いでどうしたんだい?」
後ろを振り返ると、そこにいたのは私のことを心配そうに覗き込む女性だった。祭司服ではない、普通の格好をした女性だ。
それを確認した途端に安心してへたり込みそうになり、なんとか両足に力を入れて耐えた。
「だ、いじょう、ぶ、です」
「本当かい?」
「はい。あの、ありがとう、ございます」
「それならいいけど……」
女性はそれからも凄く心配してくれたけど、私は早めに会話を切って女性と別れた。今は止まってるわけにはいかないのだ。早くダスティンさんの工房に行かないと。
それからも走ったり歩いたりしながら工房を目指すこと数十分。そろそろ倒れるかもと思ったところで、やっと工房の前に到着した。
とりあえず、逃げ切ることには成功したらしい。
「ダスティ、ンさん、いま、すか?」
息が整わないままドアを叩いて声を掛けると、いつもとは違うその様子に心配してくれたのか、急ぐような足音が聞こえてすぐにドアが開いた。
「レーナ……どうしたんだ!?」
私の姿を見て大きく瞳を見開いたダスティンさんは、今まで一度も聞いたことがないような焦った声を出し、慌てて体を支えてくれる。
「ありがとう、ございます。とりあえず、中に入れて、ください」
「ああ、分かった。椅子に座るので良いか? ベッドにするか?」
「いえ、椅子で、大丈夫です。あの、それよりも水を」
それから椅子に腰掛けて水を飲みしばらく休憩したことで、やっと息が整い落ち着いてきた。
「突然来てしまってすみません。今更ですが、他に予定などはありませんでしたか?」
「ああ、今日は一日研究の予定だったから問題はない」
「それなら良かったです。それで……ここに来た理由なのですが、ダスティンさんに助けていただきたいことがあります」
そう言って左手を見やすいように広げると、ダスティンさんは中指にハマる指輪に目を向けて、信じられないとでも言うように何度もメガネの位置を直した。
「それは、金色か? 今日の儀式で賜ったのか?」
「はい。枝に触れたら目を開けていられないほどに光り輝いて、気づいたらこの指輪が」
「まさか、創造神様の加護が本当にあったとは。信じられない。信じられないが……この指輪は現在ここにある。これ以上の真実だという証明はないだろう」
ダスティンさんはそう呟くと、まだ混乱が収まらないのか自分の指輪と私の指輪を何度も見比べた。そしてやっと納得したのか、大きく息を吐いて私に視線を戻す。
「それで、その加護を得て教会ではどうなったのだ?」
「それが……司教様に閉じ込められました。私の加護を知った司教様は血走った目をしていて怖くて、このままだと危険なんじゃないかと思い逃げてきたんです」
その言葉を聞いたダスティンさんは、眉間に皺を寄せて不快感を露わにした。
「……その司教は馬鹿だな。しかしそこまでの強硬手段に出る者は少ないとしても、皆がレーナを欲しがるのは確実か」
「私はこれから、どうすれば良いのでしょうか。今まで通り平穏に暮らしていくことは……」
「それは、難しいだろうな」
やっぱりそうだよね……このまま普通で幸せな毎日を過ごしたかったのに。ロペス商会で毎日楽しく働いて、休みの日はお買い物をしたりダスティンさんの工房にお邪魔したり、家族皆でお出かけしたり。
「これからレーナには、教会から熱心な勧誘が来るだろう。創造神様の加護を得たとなれば……大聖堂に向かって欲しいと言われるかもしれない」
「……大聖堂ってなんですか?」
「創造神様が降り立ったと言われている場所にある、大きな教会だ。敬虔な信徒は誰もが人生で一度は行きたいと願い、実際にひと月以上かけて向かう者も少なくない。大聖堂がある場所一帯は、信徒で形成された宗教国となっている」
そんな場所があるんだ。ひと月以上かけて行くなんて、かなり遠い場所なのだろう。
「……行きたくないです。そこに連れて行かれることは、確実ですか?」
「全て私の予想だから確実とは言えないが、可能性は高いだろう」
「そうなんですね……」
この街から離れたくないな。ひと月以上もかかるような遠い場所に連れて行かれたら、戻って来られるかどうかも分からないだろう。