111、逃走
「あの……これからどうなるのでしょうか?」
とりあえず少しでも情報が欲しいと思い、部屋の中にいる司祭に声を掛けてみた。すると司祭の二人は私に視線を向けてくれたけど、司教様に言い聞かせられているのか表情を変えずに首を横に振る。
「私たちには分かりかねます」
「そう、ですか……」
これはこの回答しか返ってこなさそうだ。このまま従っていれば普通に帰してもらえる可能性は……さっきの司教様の感じからして、低そうだよね。
創造神様の加護を得たかもしれない私を保護しようとか敬おうとか、そういう感じではなかった。どちらかと言えば突然転がり込んできた宝石を、絶対に逃さず自分のものにしてやる的な脅威を感じた。
――やっぱり、逃げたほうがいいかな。
司教様が近くにいない今がチャンスな気がする。万が一この教会から別の場所に移動させられてしまったら、逃げる先も分からなくなるだろう。
「……すみません。トイレに行きたいのですが」
決意を固めて司祭の二人に声をかけると、二人は躊躇いを見せながらも悩んでくれているようだ。これはいけるかもしれない。
「ずっと我慢していて、早めに行かせてもらえるとありがたいです……」
ダメ押しの言葉を口にすると、二人はしばらく小声で話し合ってから私の下に来てくれた。
「……分かりました。では一緒に行きますので、私たちから離れないようにしてください」
女性の司祭が私の前を歩き、男性の司祭が私の後ろを歩く形でトイレに向かうことになった。幸いにも向かうトイレは教会の奥ではなく、入り口の方向にあるようだ。
さっきあの部屋に入れられる前に通った廊下を、戻るようにして進んでいく。
一緒に神々への祈りの儀式を受けた子どもたちは、もう帰ったのかな。普通に日常に戻れた皆が羨ましい。
すぐ側にはいつもの日常があるのに、なんで私はこんなにも緊張する事態に陥っているのだろう。
左手の中指にハマる金色の指輪を見つめ、吐き出したくなる溜息を飲み込んだ。ここから抜け出せたとしても、今までの日常には戻れないのかな……
この指輪は外しても一定時間が経過すると指に戻る性能があり、壊したりもできないのだ。つまり隠し続けるのはかなり難しい。
教会から逃げ出せたとして、どこに行けば良いのか。家に戻っても、教会の人たちが絶対に自宅を突き止めて迎えに来るだろうし、ギャスパー様でも……教会に表立って反発はできない気がする。
そうなると――ダスティンさん、しかいないよね。
国ならさすがに教会に屈しているということはないはずだ。巻き込むのはできれば避けたいけど……他に頼れる人もいない。
「こちらです。すぐに済ませてください」
「……分かりました」
色々と考えているうちにトイレに着いたようだ。司祭の二人は、まだ子供の私が現段階で逃走を考えているとは思っていないようで、私を一人でトイレに入れてくれた。
トイレには鍵がかかり、窓がある。窓は背伸びをすれば外が覗けるほどの高さだ。
まずは窓を開けずに覗いてみると、外には誰もいないようだった。トイレの外は教会の敷地内だけど、すぐそこに礼拝堂の入り口が見えるので大通りのすぐ近くだろう。
高さは飛び降りるには怖いけど、上手く着地できれば怪我はしないほどだと……思う。多分。
私は気付かれないように静かに窓を開けて、魔道具のトイレを足場になんとか窓に登った。窓枠に食い込んだ手や腕が痛いけど気にしていられる場合じゃない。
最初に頭を外に出して、窓を掴みながら両足を窓枠に乗せ、その高さに一瞬だけ躊躇ったけどすぐに飛び降りた。
「……うっ……っ」
胃が持ち上がるような浮遊感を感じて、気づいた時には地面に着いていた。
しかし足がかなり痺れて凄く痛い。でも回復を待っていられる時間はないので、気力で出口に向かって走り出す。
礼拝堂の入り口にいた司祭が私の姿を見て驚きに顔を歪めたけど、咄嗟のことだからか捕まることはなく――
――教会の敷地内から脱出することに、成功した。
―――――
「なあ、さすがに時間がかかりすぎじゃないか?」
「……確かにそうね」
レーナがトイレの窓から飛び降りている頃。教会内のトイレ前では、司祭の二人が出てくる様子がないレーナを不審に思い始めていた。
「大丈夫ですか? まだかかりそうなら教えてください」
女性の司祭が声を掛けたが、トイレからは何の返答もない。それどころか物音一つ聞こえない。
「……なあ、ヤバくないか?」
二人の頭に逃げたかもしれないという可能性が浮かび始めたその時、礼拝堂の方が騒がしくなり、一人の司祭が礼拝堂からトイレがある奥の廊下に入ってきた。
「おい、お前ら!」
その司祭はトイレ前にいる二人を視界に入れると、必死の形相で駆け寄った。そして小声で叫ぶという器用なことをして二人に詰め寄る。
「あの女の子に逃げられたんじゃないだろうな!」
「……なんでだ?」
「さっきそれらしき女の子が走って教会を出ていったんだ! 逃げられでもしたら、司教様にどんな報復を受けるか分からないぞ!」
その言葉に二人は顔色を悪くし、慌てて教会の外に出てトイレの窓を確認した。すると、窓は完全に開いている。近くにあった剪定用の台を運んで中を覗くと、トイレの中はもぬけの殻だ。
「ど、どうすればいい? そ、その子はどっちに逃げたんだ?」
「向こうに走っていった。一人だけ追いかけたが、街中では見失う可能性が高いだろう。それに万が一追いついたとしても、女の子が抵抗したら祭司服では無理やり連れ帰ることもできない」
そこまで話をしたところで、あまりの事態にどうしようもなく立ち尽くしていると、三人の耳に教会の中で叫ぶ司教の声が聞こえた。
「おい! あの少女がなぜどこにもいない!」
「……戻らないと、まずいぞ」
レーナの逃走を知らせてくれた司祭のその言葉に、レーナの見張りだった二人の司祭は涙目だ。しかしずっと隠れているわけにも行かず、全身を震わせながら教会内に戻った。
「お前たち! あの少女はどうした!?」
もう子供達もいなく、今日は一般人もいない教会内に、司教の大きな声が響き渡る。
「……そ、それが、トイレに連れていったら、窓から逃げ出したようで……」
「た、大変申し訳、ございません……」
震える声で二人が報告をして頭を下げると、司教は顔を真っ赤に染めて唾を撒き散らしながら怒鳴りつけた。
「お前たち……なんてことをしてくれたんだ! あの少女の希少性が分からないのか!?」
――創造神様の加護を得た者など、大司教様に献上すれば大出世間違いなしだったというのに! それにあの少女を確保できれば、国に対して有利な立場を得られたはずだ!
「そ、それはもちろん分かっております」
「ならば今すぐにあの少女を連れて来い! 他の子供たちも金色の輝きは見ていたはずだ。近いうちに創造神様の加護を得た少女は王都中の噂になるだろう。絶対に他の司教に取られるんじゃないぞ! 国にもだ!」
「か、かしこまりました」
――他の司教ならまだ良いが、国に取られたら最悪だ。貴族にでもされてしまったら、よほどのことがない限り手が出せなくなる。
司祭たちが大慌てで教会から出ていくのを見送りながら、司教は苛立ちを抑えきれないように拳を強く握りしめた。