101、これからの話と帰還
「父上は……しっかりとした人なんだ。ただ非情になりきれない部分がある。特に身内にはな。だから正妃を注意はしても、離宮に閉じ込めたり罰したりはできなかった。父上の口癖は『俺は王に向いていない』だったからな」
私はその話を聞いて、陛下に対して持っていた漠然としたイメージがガラッと変わった。俺についてこい! 的な人かと思ってたんだけど、もう少し穏やかな国王なのかも。
「なぜそんな陛下が王位を継がれたのですか?」
「本当は父上の兄にあたる人物が継ぐ予定だったらしい。しかし父上が十代後半の頃に致死率の高い病が流行ったんだ。それで候補が父上しか残らなかったと聞いたことがある」
そんなことってあるんだ……やっぱりどんな世界でも病気は怖いね。家族皆が罹ったらと思うと、想像だけで指先が冷たくなる。
「父上はかなり抵抗したらしいんだが、結局は貴族達に頼まれて断りきれなかったんだそうだ。だから兄上が仕事を覚えたら……多分あと数年で王位継承が行われるはずだ」
「ということは、そうなればダスティンさんは王宮に戻れるのでしょうか? あっ、でも第一王子殿下がダスティンさんを疎ましく思っていれば、結局はダメですよね」
「いや、兄上とは仲が良い。暴走しているのは正妃だけなんだ。兄上は王になったら正妃には父上と共に別荘地へ行ってもらうと言っていたし、私が戻っても問題はなくなる」
「そうなのですね……」
――それは良いこと、だよね。
でもそうなれば、ダスティンさんがあの工房にいるのはあと数年ってことになる。
それはちょっと寂しいな……本当なら雲の上の人と知り合えただけでもラッキーだと思うべきなのかもしれないけど、これからもずっとあの工房で休日を過ごしたかった。
「難しい顔をしてどうしたんだ?」
「いえ、あの……ダスティンさんがあそこにいなくなったら、寂しいなと思いまして……あっ、きゅ、休日に行くところがなくなりますし」
途中で凄く恥ずかしいことを言ってるんじゃないかと気付いて慌てて付け足すと、ダスティンさんとクレールさんに生暖かい視線を向けられた。
「その時にならないと分からないが、王宮に戻ったとしてもあの工房は続けるつもりだぞ。市井に降りてみて気付いたんだが、私には王宮の生活よりも今の生活のほうが合っているんだ。兄上には政務の補佐をしてほしいと言われているから、今みたいにずっと工房にいるわけにはいかないだろうがな」
――そっか、ダスティンさんはいなくならないんだ。これからもずっと会えるってことだよね。
私はその事実に対して予想以上に喜んでいる自分自身に、凄く驚いた。
「それなら良かったです。これからもよろしくお願いします」
自然に浮かんだ笑顔のままそう伝えると、ダスティンさんは珍しく優しい笑みを浮かべてくれる。
「こちらこそよろしくな。ではそろそろ話は終わりにしよう。クレール、騎士は来ないようだしブラックボアを解体してくれ」
「かしこまりました。この事は王宮にて報告しておきます」
「そうだな。魔物の討ち漏らしは街道を行く市民を危険に晒す。できる限り減らさなければならない」
クレールさんがナイフを取り出し迷わずブラックボアの解体を始めたのを見て、私はそういえばと気になっていることを質問してみた。
「クレールさんはダスティンさんのことをなんて呼んでいるのですか? ダスティン様と殿下って呼んでいたと思うのですが」
「しばらくは殿下とお呼びしておりました。しかしダスティン様が王位を継がれないことを示したいから名前で呼ぶようにと仰られて、それからはお名前で。さらに市井に降りている時は様も付けないようにということで、さん付けで呼ばせていただいております」
「そういうことだったんですね。クレールさんはダスティンさんの側近? ですか?」
「いえ、侍従ですね。ダスティン様が八歳の時から侍従見習いとして、数年後には正式に侍従となりました」
身の回りの世話をする人は侍従って言うんだ。覚えておこう。
それにしても、既に十年以上の付き合いってことか。それだけの時間を一緒に過ごしてたら、それは仲良いし信頼感も生まれるよね。
そういえば最初にクレールさんと会った時、私のことを睨んでたけどあれは警戒してたからだったのか。
確かにダスティンさんが王子様だと思えば、あの反応にも納得できる。今回の遠征に付いてきたのも、王子様がよく分からない平民の子供と街の外に行こうとしてるなんて心配だよね。
「クレール、肉は埋めておけ。毛皮などは持ち帰る」
「かしこまりました」
「レーナ、御者席に戻るぞ」
クレールさんのことを少し手伝えないかと思ったけど、あまりにも手際が良くて無駄のない動きを見て、手を出すだけ邪魔になるなと判断して素直に御者席へと戻った。
それからしばらくクレールさんの技術に圧倒されていると、大きなブラックボアは綺麗に素材へと分けられたようだ。
「ダスティンさん、お肉って食べられないのですか?」
「いや、普通に動物と同じように食べられる。ただ魔物の肉は基本的に硬くてあまり美味くないんだ。食べることはほとんどないな」
「そうなのですね」
綺麗で新鮮なお肉が埋められていく光景には、スラム時代の食事を思い出してもったいないなという気持ちが湧き上がる。でもリューカ車の中はいっぱいだし、持ち帰りましょうとは言えない。
「完了いたしました」
「ありがとう。では急いで戻るぞ」
それからは大きな問題もなく街道を進んでいき、私たちは暗くなり始めた頃に王都に着いた。外門から街の中に入ると、数日しか離れていなかった街の風景を懐かしく感じる。
「このままレーナの家に向かうので良いか?」
「送ってくださるのですか?」
「もう暗いし、そこまで遠回りにはならないからな」
「ありがとうございます。ではよろしくお願いします」
「分かった」
明日はさすがに一日休んで、帰還の報告とお土産だけを渡しにロペス商会へ行こうかな。そして明後日からは仕事に復帰しよう。
「ダスティンさん、リューカ車に乗ってる荷物はこのあと下ろしますか?」
「ああ、全て工房に下ろす予定だ」
「では明日のお昼過ぎぐらいに、お土産を受け取りに行きます」
「分かった。レーナが買った土産は布とメイカだよな。その二つだけ別で置いておこう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ダスティンさんとそんな話をしていると、自宅の前にリューカ車が止まった。私は暗い中で慎重に御者席から降りて、辛うじて見えるダスティンさんとクレールさんに視線を向ける。
「数日間、本当にありがとうございました。とても楽しくて良い経験になりました。ダスティンさん、これからもよろしくお願いします。クレールさんも、またお会いできたら嬉しいです」
私のその言葉に二人からの短いけれど優しい返答がきて、私はとても満ち足りた気分で自宅に戻った。体は疲れているけれど、足取りはとても軽かった。