半追放王女の帰還
灯台の下に繋がれたボートに、近づく。コチは虎の姿に戻っている。オールはもう、必要ないからしまわれている。
[気をつけて、ホゥジュ]
[もう帰らないかもよ?]
帰りを待つ、といった風情の姉にそう言うと、姉は吹っ切れたように笑った。
[だって人生、なにがあるか分からないじゃない]
[それは、まぁ……]
人生は、なにがあるか分からない。
父に向かって島の長になると宣言したホゥジュだが、意外なことに父は沈黙を通した。賛成でもないが、反対もしない。そういう姿勢を貫いたようだ。父の部屋から出る瞬間に、
『なにかあったら帰ってこい、ホゥジュ』
と聞こえた気もしたが、それもホゥジュがそう願うがゆえの幻聴だったかもしれない。
ドーム周辺の大地は、見違えるほど、というわけではないが、淀んで腐ったような大地から雑草が芽生え始めている。空も、日が差すことが増えた。島の民との混血である姉は、それゆえにドームでの存在感を増している。融合炉を操れるのは、ホゥジュを除けばハァルだけになるのだから。
雑草がまばらに生えている中を、前髪を奇妙に結んだ青年が、地面に這いつくばるようにして観察している。
[……確かに、なにがあるか分からないわよね]
あの青年が、姉の婿になるわけだ。ルイスは悪い人間ではないと思うが、操作するのが非常に難しそうだとも思う。姉の思ったように動いてくれないというか。
[彼といたら退屈しないと思うわ]
ルイスを見ながらくすくすと姉が笑う。
[だって彼とあなた、よく似ているもの]
[はぁ!?]
あの変人とホゥジュの、いったいどこが似ているというのか。
[少しも思い通りにならないのに、全然腹が立たないところがね]
ふふふ、と笑いながらそう言われて、ちょっぴりホゥジュは反省した。そんなに自由気ままに生きてきたつもりはないが、姉になにかと気苦労はかけたのだろうな、と。
「これから白き民は、どうするつもりだ? ドームから出るのか」
すでにボートに乗り込んでいた飛嶺が、帆の具合を点検しながらそう尋ねた。
[そうね……出る機会は増えるでしょう。それよりもね、わたくし、ドームで移動すればいいと思うのよ]
頬に手を当て、楽しげにハァルは言った。
[どういうこと? 移動するの? ドームごと?]
首を傾げると、
[ドームは移動できるでしょう。そうやってこの海までやって来た。わたくし思うの。穢された大地を、このドームで戻りながら浄化できたならって。そうすれば、わたくし達先祖が住んでいた場所に、いつかたどり着けるかもしれないでしょう]
おっとりと穏やかな姉は、変化を好まない人だと思い込んでいた。まさかそんな大志を抱いていたとは。
[意外だわ……]
[そう? いつかわたくし達が、先祖の地に還ることができたなら……ねぇ、ホゥジュ。あなたは伝説になるかもしれないわね。女王の妹。浄化を司る、もう一人の片割れ。それが大陸の果て、その先の海に住まうって]
まるで神話みたいな語り口に、笑みが零れた。
[なにそれ、かっこいいわ]
[ホゥジュ。わたくし達と一緒に暮らさない? 妹が伝説になるのは寂しいわ。伝説じゃなく、生身のあなたと一緒にいたい。愛しているのよ、ホゥジュ]
穏やかな顔に、真摯な光がさした。
綺麗な姉。今も淡い紫のワンピースを見事に着こなしている。ドームの次期女王。島とドームを繋げた、ホゥジュを除けば唯一の人。
[……姉様。私、伝説の方が向いてるわ]
ドームでは、きっとうまく息ができない。
父とはなんとなく和解できたような気もするが、彼を理解できる気もしない。でも彼が、悪いわけではないのかもしれない。ドームを構成するルールが、ホゥジュを排除しようとしているように思えるのだ。ホゥジュと、母を。姉みたいにそのルールを、うまく操れる自信はない。全く。
[……寂しいわ、ホゥジュ]
姉の目が潤む。綺麗な、美しい人。さらに自分の美しさをよく自覚している人でもある。
[嘘泣きは嫌よ、姉様]
[本当なのに]
口を尖らせるあたり、半分は泣き落としを考えていたんじゃなかろうか。
[また遊びに来るわ。もっともっとミタマが増えたら]
[そうなったらドームは海から遠ざかってるわ。早く来て]
拗ねる恋人みたいな言い方に、笑みが零れる。こんな姉に対抗できるのは、それこそルイスみたいな人間くらいではなかろうか。
[また、会いましょう。姉様]
断固とした意志を込めてそう言うと、姉はしょうがなさげにため息をついた。
[ひどい子]
[ほらほら、拗ねないで、姉様]
[また来てちょうだい。きっとよ]
伸ばした指先が触れあい、それから手を取りあって抱きしめあった。きっと会える。もう一度か、二度は。けれどそれ以上はもう、距離が二人を隔てるかもしれない。それでも、ホゥジュとハァルは姉妹だ。二人っきりの。その絆は消せない。誰にも。
[大好き、姉様]
ぎゅっと最後に力を込め、それから離れる。哀しそうな顔の姉を見ている自信がなくて、すぐさま身を翻してボートに跳び乗る。それから飛嶺を見た。彼が頷いて、ボートを動かし始める。まだミタマの力は弱い。だから、風も弱い。その弱い風が作るゆったりとしたスピードで、ボートが進み始める。
[ホゥジュ。どうか、元気で。幸せでいて]
波打ち際まで近づいた姉が、必死な顔でそう言う。その気持ちが嬉しい。
「またね、姉様」
ハァルがそう祈ってくれるなら、こう返事をするのが正解なのだろう。島の言葉でしばしの別れを告げる。その言葉に、ハァルがきゅっと唇を引き結んだ。
「また会いましょう、ホゥジュ」
初めは母子三人だけの、秘密の言葉だった。今や世界は広がり、その言葉が属する世界に、ホゥジュは還りゆく。母が生まれ、育った場所へと。
海を行くうちに、母の作った結界に行き当たった。
「ねぇ、これ、壊してもいいと思う?」
「あなたがそうしたいなら」
反対するかと思った飛嶺は、予想外にそう頷いた。驚いて振りかえると、彼は肩をすくめた。
「もう浄化は始まってる。大陸の穢れは消えていくだろう。しかもミタマの道はもうできてる。なら、そう悪いことにはならないんじゃないか」
飛嶺の答えに、まじまじと彼を見た。
飛嶺はぶっきらぼうだ。それほど弁が立つという印象はない。しかも出会いが出会いだったので、いざとなれば力にものを言わせるという印象が強い。だが実際の飛嶺は、意外に論理的だ。理由を言語化できるし、言語化した理由を並べて比較したりもする。島が野蛮だとドームで教えられてきたから、というわけでもないが、やはりどこか下に見ていたのかもしれない。彼の尊敬できる点を見つけてしまうと、どうにもむず痒いような心地に襲われる。
「そっか……じゃあ、壊すわね」
母が張った結界。それこそが余計に、ミタマの巡りを遅らせている。だから、それを壊す。うまく世界を循環させるために。
ボートで結界の近くに寄って、手を当てる。
「母様……もう、大丈夫よ」
もう頑張らなくていいのだと語りかけると、結界が淡く光りながら消えていった。
ぶわりと太陽の光が、力に満ちた海が、あちらからこちらへ駆け抜けていく。ずっと待っていたのだと言わんばかりに、世界と世界を繋げる。
「母様……母様がずっと、願っていたことなんでしょう?」
母のミタマが歓喜の叫びを上げているような気がして、ホゥジュも笑っていた。
母の結界を壊した後、海は広がっていった。青い海が淀んだ海に雪崩を起こすように広がっていき、雲が走って日差しが駆けるように眩しくドームの方へ照らされていく。それを見送ってホゥジュは笑った。その笑みがまだ残る中、ボートは風の島に近づいていった。
浮かれている自覚はある。ようやく世界を広げ、繋げることができた。母の遺志を叶え、ドームから解放された。それはもう、跳ねて踊ってもおかしくないほど浮かれているはずだ。だからこそ、ホゥジュは瞑目した。
思い出す。あの、父みたいにがっちがちに頭の固そうな老人達を。絶対に父みたいに意固地でよく理解できない理論で武装してくるに違いない。今の喜びに水を差してくるのは間違いないのだから、ホゥジュの方でも武装が必要だ。姉に擬態するつもりでちょうどいいのかもしれない。
「私は姉様、私は姉様……」
「なんだその呪文」
「腹を立てたり失望したりしないための呪文よ」
初対面のあれがホゥジュの失態だったことは事実だが、老人達の態度が悪かったのも事実である。そして老人とは謝罪しないものだ。気分が悪くなるのが確定ならば、それに備えて心の障壁を作ることは有効な手段のはず。障壁というか、結界というか。
「爺達の態度が悪かったのは、俺もすまなかったと思ってる。爺達に手紙は出したから、今度はそう悪いことにはならないはずなんだが」
「いつ出したの、手紙」
「毎晩出してる」
毎晩、どこに手紙を投函しているのか。こちらの世界にメールというシステムはないはずだが。そう思っていると、実際に飛嶺が胸元から紙を取り出した。
「こうやって……こう折ると、鳥の形になるだろ? 手紙を書いて、こう折ってから風に託すと相手に届く。風の民はこうやって情報交換してるから、情報が早いんだ。ドームではさすがに出せなかったけどな」
器用に折ってボートの上で飛ばして見せた紙は、ひゅうと飛んでからボートの舳先にとん、とぶつかり、下に落ちた。
「……メールだ……」
「めぇる? あなたが光る板で姉君に送っていた手紙か」
「うん、あぁ、そう。分かってたのね」
飛嶺の分析力を馬鹿にしていたわけではないが、全く異なる文化の有り様を理解しようとする能力も優れていると思う。
「じゃあ、殺さないって手紙も届いてるの?」
「出したからには、届いてるだろうな。もうすぐ戻るっていうのも出したから、俺達よりは先に着いているはずだ」
「うっわぁ……いきなり斬りかかられたらどうしよう」
飛嶺の決断を知った彼らと対面することになるわけだ。いきなり飛嶺を裏切り者といって糾弾したり、どうあってもホゥジュを殺せと命令してくる可能性もあるわけだ。
「爺は自分達で決められなかったんだ。先代様の血を引く方を殺したいはずがない。けど、先代様を奪った男が憎いのも事実。島に白き民の影響を及ぼしたくない本音もある。そういうのを全部俺に任せたわけだ。……今さら、文句を言われても困る」
単調な口ぶりでそう言う飛嶺を見て、なんとなくホゥジュは首を傾げた。
「ねぇ……もしかして、怒ってるの?」
尋ねると、瞬きの数が一瞬増えた。
「いや……別に」
口調は相変わらず平坦だ。
「ふぅん」
座った足を行儀悪くぱたぱたと動かしつつ、ホゥジュは呟いた。
「私は、腹が立つけど。自分達の代で片を付けなきゃいけないことを次代に任せるなんて、責任感がないと思わない?」
「あなたは単純だな。世の中に善と悪しかないみたいな口ぶりだ」
声が、呆れている。
「あなたね、経緯やしがらみがあるのは私だって分かってるわよ。でも第三者から見たら、あなたが貧乏くじを引かされたのかしらって思うわけ」
受け入れるのも、罪を背負うのも嫌。そういう上の世代の我が儘を、飛嶺が背負わされている。そういう感じがする。
「いいんだよ、それで」
だが、飛嶺はにやりと笑った。疲れたように、諦めたように笑うのかと思っていただけに、少し驚く。
「そういうので俺に実権が集まるなら、願ったりだろ」
「そう単純にいくかしら」
権力にしがみつく老人が、そう可愛らしい生き物には思えない。
「白き民と同じにするなよ」
「人間、そうそう変わらないと思うわよ?」
島の世界を巡り、ドームの世界との共通点を幾つも見出したホゥジュの言葉は重かったのか、飛嶺は少し黙り込んだ。
「――なんていうんだろうな。決められないって段階で、もう上には立てないと思う。口うるさいとは思うけど、肝心な部分で邪魔はもう、できないと思うんだ」
精神的な主導権の話をしているのだろうか。決断を下すのが、リーダーにとって一番重要な仕事だ。それができたことを、彼は糧にしているのかもしれない。
「ふぅん」
「なんだよ」
「別に。意外にしっかりしてるのねって思っただけ」
「うちは長が直情的だからな。俺がしっかりしないと」
平坦な声だが、笑みが混ざっている。腹立たしいが、その余裕が頼もしくもある。
「……まぁ、せいぜい頼んだわよ」
あの暗い排気口で、ホゥジュを守った飛嶺。行動で彼はホゥジュの信頼を勝ち取ったのだから、頼ったっていいはずだ。
「任せろ。あなたが長だ。長を守るのが、俺の仕事だからな」
普通の口調で、だが視線は真っ直ぐ前に向いている。それがなんとも面映ゆい。
うん、と頷いて、島の港が近づくのを、並んで見つめていた。
そうしてゆらゆらとボートが岸にたどり着き、飛嶺が舫い綱を結んだ後。
立ち並ぶ老人達の前に飛嶺は進み出て、それからホゥジュに手を伸ばした。
「長、こちらに」
いつもより数段丁寧な口調に、背筋が寒くなる。それを耐えて、飛嶺の手に掴まって舟を下りる。
「飛嶺」
「父上。長をお連れした。先代様がミタマを島々に巡らされた、その手助けをされたご息女だ」
「……うむ」
一番最初にこの島に来た時、一番偉そうに列の前にいたのが、飛嶺の父親らしい。頑固そうな顔が、どこか父と似通って見える。
頑固そうな老人は、だが飛嶺の言葉を素直に受け取った。前回みたいな眉間の皺は消え、その凪いだ目でホゥジュを見上げ、頭を下げた。
「ようこそお戻り下された。新しき長姫よ」
これ、どういう返事をすればいいのか。困って飛嶺を見ると、なんでそんなことも分からないんだという顔をしながら顎をしゃくる。長を守るって言ってなかっただろうか。
「――これから、よろしく頼みます」
答えに困り、万能的な言葉に頼る。老人が深々と頭を下げたのを見るに、それで良かったらしい。
「先代様が島を去られた折、もう島は滅びるしかないのだと思いました。じゃが、それは我らの思い違いだったらしい。先代様は、やはり最後まで我ら風の長姫でいらっしゃった。それがよく、分かりました」
下げた頭のままそう告げる老人に、ホゥジュはようやく、母を知る人の前に立ったのだという感慨を覚えた。ホゥジュが知らない、娘時代の母。その人に見捨てられたと、そう思わぬようにしても思えてしまっていた人が、目の前にいる。
「……母は最期に、かえりましょう、と言っていました。だから私は、この島に来ました。母の願いを、叶えたかったんです」
島の世界に、ようやく母の遺言を届けられた。母が届けたかった中に、きっとこの人も入っているのだろう。今ようやく、そういう風に思えた。
「……あの方が、そのように……」
「ずっと母は、島のことが心配だったんだと思います。ドームと島と、どちらも母は助けたかったのだと思います。……母の帰還を、喜んでもらえますか」
「もちろん! もちろん、喜んで……っ」
老人の頬に、涙が伝った。
この人は、本当に父と考え方がよく似ている。そんな気がした。どちらも、というのができない人なのだ。どちらか一つを愛し尽くすのでないと、不実だと感じてしまう。そういう種類の人なのだと思う。不器用なのだろう。感情の配分の仕方が。
周りを見渡す。老人と飛嶺以外の全員が、跪いて頭を下げている。新しい長の帰還を歓迎しているらしい。飛嶺を見ると、少し得意げな笑みが頬に漂っている。飛嶺が長と認めたからといって、全員が認めるわけではないと思っていた。だから不安だったのだが、飛嶺は己の決断が尊重されることを確信していたのだろう。この状況を満足そうに見渡している。
偉そうに、という気持ちもある。それだけでいいのに、さすがだと思う気持ちも隠せない。少し悔しくて、ホゥジュはつん、と飛嶺から顔を背けた。
風の長の館は、山々の中腹にある。
そこは温泉が出る広い館で、島の衣服が幾つも用意された、豪華な屋敷でもあった。
「ねぇ、島って貧しいんじゃないの」
ある点においては、ドームより遥かに豊かな暮らしに腰が引けていると、飛嶺はどこか憮然として答えた。
「館はこれまでの長方が住まわれていた場所だ。新たに建てたわけじゃないから、心配はない。衣服は……水からの贈り物だ」
「……水?」
首を傾げると、飛嶺はどこか恨めしげに言った。
「あなたは水の試練も受けただろう。水の次期王があなたの歓心を買いたくて、せっせと送りつけてくる」
水の次期王、と言われて記憶を掘り返す。もしかして、水の大長姫である糸翠花の、養い子のことだろうか。実は彼女の息子という、十代半ばほどの少年。
「……なんで?」
どうして彼が、ホゥジュの歓心を買いたいのだろう。
「さぁ、知らんが」
ぷいとそっぽを向いて返事を拒否する飛嶺に、困惑する。
「ねぇ、じゃあこれ、返さないといけないんじゃないの? 私は風の長でいるつもりだから、水の長にはなれないし」
「返す? どうして」
「だってお願い事は叶えてあげられないんだから」
「そういう意図を込めてるだけで、正式に請われたわけじゃないんだから、せいぜい金づるにしとけばいいんじゃないか。水は豊かだから。比較的」
「おおぅ……」
いいのか、それで。
「それに……」
躊躇ったように口を開いた飛嶺は、ホゥジュが見守る中、どうにか言葉を続けた。
「……あなたが、誰を夫にするかは、あなたが自由に決める権利がある」
「…………おっと」
夫という言葉と、水の次期王という言葉が同列に語られるのが最初は意味不明だった。が、やがてじわじわと染みてきて、頬が紅潮していった。
「ちょ、ちょっと! 私があの子を夫にするかもしれないって思ってるわけ?」
「あなたは子どもを何人も作るつもりでいると言っていただろう。ならば夫が必要だ。確かに子ども達の父親が一人でなければならないという決まりもないが、それにしても一人は身分の高い夫がいた方が、あなたも安心だろう」
こちらを見ずに一気に飛嶺はそう言った。
確かに飛嶺を説得する時、そういうようなことを言ったと思う。それに、子どもを産むならばその前段階として、夫が必要だということも理解できる。その辺のことが分からないほど子どもではない。ないが、今ほど痛烈に子どもが空から降ってきてくれたなら、と思ったことはない。そういう出産システムだとなんの問題もないのに!
「島の民の適齢期は十八だ。あなたは長だからそういう年齢にこだわることはないが、何人も産むとなれば、そろそろ夫を考える時期にあるのではないかと思う」
ホゥジュに話しているのだが、ずっと横を向いて喋っているので、ホゥジュの話に聞こえない。聞こえないが、このリアルすぎる子作りの話題を、飛嶺にされているということが、信じられない思いだ。
「……ねぇ」
「なんだろう」
頑なにそっぽを向いている飛嶺にため息をついて、それから下を向いてホゥジュはぼそぼそと言った。
「長の相手って、禁忌はあるの?」
「そういうのは、特にないが」
「身分が低すぎると駄目とか。高すぎても駄目とか」
「ない、が」
「が?」
「いや、別に」
「言いたいことがあるなら言いなさいよ」
ホゥジュも視線は頑なに下に向けている。
「身分が低すぎると、嫌がらせを受けるかも……いや、俺が守る。あなたが決めた相手なら」
「嫌がらせって……私じゃなくて? 相手?」
「あなたの夫になりたい男がひしめいてるのに、どうしてあなたに嫌がらせをするんだ。選ばれた幸運な男をいびり殺してやりたいと思うならともかく」
「はぁ?」
思わず顔を上げて、目が合って、ぱっと逸らされた。ちくりと胸が痛む。気のせいだと分かっているけれど。そう、ホルモンバランスだ。バランスが乱れて息切れがして胸が痛いのだと思う。
「……水の次期王を夫にしたとしても、何人かの子どもは水に取られると思う。風の民が夫なら、手元で育てられると思うが」
胸が痛いのに、逸らした飛嶺の方が、どこか痛そうな顔でじっと床を見下ろしつつ、そう主張している。
「風……」
「風の民が夫なら、俺があなたの夫を庇護してやれる。危害は加えない」
床を見つめる飛嶺の眉間に、ものすごい皺が寄っている。どちらかというと、危害を加えそうな種類の顔だ。
「あの……あのね」
「なんだろうか」
床を睨めつけている飛嶺の形相がすごい。
「子どもを作るって言ったけど。まだこっちの生活には慣れてないし、出会いもないからもう少し、先がいいなって思うんだけど」
「そうか」
そうか、と言って、飛嶺が顔を上げた。いつもの平静な顔だ。眉間の皺が嘘みたいに消えている。
「えぇと、それでも、いいかな……?」
「別に、構わない。あなたの姉君の言が正しければ、ドームは島から遠ざかるはずだ。白き民の脅威が遠ざかるなら、それほど気合いを入れて何人も産まなければならない事態には、ならないんじゃないだろうか」
「そうかも」
世界が浄化できるのだ。きっとドームの人間は、故郷に帰りたがっている。そんな気がする。
「……あなたは、そういえばルイスが初恋だと言っていたな……」
「ちょっと!?」
何かを思い出したらしい飛嶺が、そう呟き始めた。
「ああいう、線の細い長身な男があなたの好みなのか……」
「ねぇ、ちょっと本当にやめてくれる!?」
あれは過去の汚点である。本当にどうかしていたと思う。だからあの変人が男性としての好みとか、そういう誤解をするのはやめていただきたい。
「そういう男を探してとおざけ――」
「ねぇ! 王と長は結婚できないわけ!?」
叫んだ。それはもう、大声を出した。
「…………できる、が」
「あ、そ、そう……」
もしかしたら同じ島の長と王の関係は禁忌なのかなーとか思っただけで、他意はない。
「別に、気になっただけだから」
「そ、そうか」
うん、とお互いに頷き合って、それからこの話題はお互い避けようという、暗黙の視線にも頷き合う。
「仕事、しましょうか」
「そうだな」
雑談がすぎたようである。お互い襟を正し、厳めしい顔つきで王の相談に乗る。場合によってはミタマの力で解決が必要になり、ホゥジュの出番になるわけだ。
そういう日々が、これからのホゥジュの日常になる。その先に夫とか子どもとか、そういう日常がいつか、訪れるかもしれない。が、それは本当にまだまだ先のこととして保留にしておきたい。
きゅっと口元を引き結ぶホゥジュの頬を、柔らかく撫でるような風が、吹き抜けていった。
最後までお読みくださって、本当にありがとうございました。




