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半追放王女



 岬の下はごつごつとした岩だらけの海岸になっていて、足場が悪い。すぐ側にまで波は打ち寄せてきて、引き潮の今しか歩ける場所ではない。その乱暴に打ち寄せる波に、時折ごつごつと音を立てているのが、繊維強化プラスチックでできたボートだ。

[本当に行くの、ホゥジュ]

 姉のハァルに問いかけられて、ホゥジュは力強く頷いた。

[当然。あんな父親なんて、こっちからお断りよ。どうして私が悪いわけ? 愛人作りまくって、妻の死に目にも会いに来やしない父親の方が、どう考えたって悪いじゃない!]

[言っていい場所じゃなかったのよ]

 困ったようにハァルは笑った。

 日に透かせば金色に光る、薄い茶色の髪。目も明るい所で見れば琥珀色で、ホゥジュはずっとその色合いが羨ましかった。日向でだけでも、皆と同じ普通になりたかった。

[謹慎なんて、誰がするもんですか]

 羨望を押し込めて、そう宣言する。

[ねぇ、ホゥジュ。お父様だって、あなたを心配しているのよ。あんな公の場所であんな風に、国王に向かって詰るなんて、ちょっと王女らしくなかったわ]

 母の葬儀は国葬だった。王妃なのだから、当然だ。その場所で、夫の義務を放棄していた男を糾弾した。ただそれだけである。事実の羅列の、いったい何が悪いのか分からない。

[そうよ。王女らしくないわよ。こんな髪なんだから]

 後ろで一つにくくった長い髪を、後ろ手で乱雑に揺する。

[そんな風に言わないで。お母様と同じ色なのよ。綺麗な黒髪なのに]

 眉を下げた姉に、何が分かるというのか。あなたに何が分かるの、と言いそうになって、きゅっと唇を引き結んだ。それは、言ってはいけない。それくらいの分別はある。姉だって、島の民である母の娘なのだ。いかに父の血を濃く受け継いでいたとしても、その混血を侮る貴族は多くいる。分かりやすい侮蔑はホゥジュに。秘めやかな軽侮はハァルに。そういう風に、宮廷では使い分けられている。どっちみち尊重なんて、されてない。

[私一人がいなくなったって、誰にも迷惑かけないわ。むしろいない方がいい。私がいると、姉様にも良くないわ]

[ホゥジュ……]

 母と同じ色をした娘が、王女の妹だ。そう明示するホゥジュがいない方が、これからのハァルにはきっと、いい。

[どうせ母様の遺言は、誰かが叶えないといけないんだもの。それなら私が行く。姉様がドームから出たら大事だけど、私なら気にもされないわ]

 岬から内陸にしばらく行った場所に、大きなドームがある。そこが首都であり、王宮だ。自然界から隔絶された、安全な揺りかご。その場所に住むことが優れたことで、選ばれたことなのだと、父も貴族もそう言う。だがあの風の淀んだ場所で生涯を送るなんて、ホゥジュにはまっぴらごめんだった。どれだけ自然界が汚れ、穢れていたとしても、その中で生きたい。すぐに死んでしまうと言われても、母はその外から来た人なのだ。ドームの外側から。きっと、外でも生きていける場所が、あるはず。

[お父様は、心配なさるわ]

[愛人宅で母の死を聞かされて、気落ちしたっていうのと同程度の心配ぶりよね? そんなの、嬉しいと思う? ペットが死んで悲しいっていうのと、いったいどう違うっていうのよ]

[ホゥジュ……]

 ハァルが納得していないのは知っている。ハァルは、しかしどれだけドームの中が生きにくい場所であったとしても、そこで生きていける人なのだ。窮屈だと思っても、工夫して笑って過ごすことのできる、実のところ頑健な精神の持ち主でもあるのだ。華奢な見かけとは違うその剛健ぶりを尊敬はできても、同じような生き方はできない。泳ぐ魚は、飛ぶことはできないのだ。

[もう行くわ]

[ねぇ、せめてメーターを持って行って]

 ハァルがさし出した、板状のプラスチックを見下ろす。それをかざせば、瞬時に放射線量や重金属の量が分かり、口に入れてもいいものかどうかが判断できるようになっている、測定器だ。

[いらない]

[ホゥジュ!]

[母様は、安全な農園を作っていたわ。遺伝子操作されてないのに、栄養豊かな畑を作ってた。貴族達だってそれを評価してたから、表向きだけでも母様を王妃として敬ってた。……ねぇ、姉様。私、今からその場所に行くのよ。母様が生まれ育った場所に。島に。きっとここみたいなドームじゃなくって、外でみんな暮らしてる。メーターなんてなくたって、健康な食べ物がきっとある]

[安全なんて、どうして分かるの!]

[分かるわよ。この子が教えてくれるわ]

 肩に乗っていた子猫の頭を撫でる。子猫はにぃ、と鳴いた。

[コチに頼りすぎては駄目よ。弱い妖精なんだから]

[にゃんだとぉ]

 コチの腕をくいくいと動かして、声真似で抗議する。そんなホゥジュを呆れたように眺めて、ついにハァルは長いため息をついた。

[……無事に、帰って]

[当然。大丈夫よ、母様から最低限のことは教えてもらってるから]

 島の情報は母から聞いている。島が三つあること、それぞれが独立していて、お互いに不干渉なこと。それぞれ王と長がいて、一方は行政を、一方は宗教を担当していること。何より、誰もドームには住んでいないこと。

[わたくしがどれだけ心配しているか、あなたには全く伝わっていないのでしょうね……]

 上品にぼやきながら、ついに姉は綺麗に包まれた小さな箱を取りだした。

[お母様の遺言を、よろしくね]

[任せて]

 母の遺髪が入った箱を受け取って、肩に担いだ防水鞄とは別の、貴重品だけを入れた胸元のポケットに、丁寧に収める。これでようやく、出発できる。

 がこんがこんと岩礁にぶつかって音を立てるボートを沖に押しやって、それから水中を、顔をしかめながら歩いて、そこから跳び乗る。

[気をつけて!]

 滅多にハァルは声を上げない。いつも王女が求められるような、上品な小声しか出さない。それが、今は波の音に負けないような大きな声で、ホゥジュを案じて手を振っている。たった一人の、家族。

[姉様も、気をつけて!]

 混血の王女に宮廷の貴族達がどう出るか。とはいえ、ハァルは母の農園を管理できる、ホゥジュを除けば唯一の人間でもある。恐らくは絡め手を使うと思うのだが、それが姉の心を傷つけないとも限らない。姉は上手く世渡りをしているが、完璧ではないのだ。残される姉を案じて手を振るのに、姉はやっぱり呆れたように口を開いた。

[--ぁ、なたのほうが、大変にきまってる--ない!] 波にかき消されながらも、言いたいことは伝わった。へらりと笑う。それほど大冒険に出るつもりはないのだが、あのじっと座っていられる姉にとっては想像以上の大冒険に思えているのかもしれない。ただ、母の遺髪を三つの島と一つの小島、それぞれに埋めてくるだけなのだが。

 大きく手を振って、それから前を向いた。大きな波が襲いかかってくる中、ボートは前にすいすいと動いていく。モーターで動かしているのだが、これはコチの力でもあった。彼は風のミタマで、ボートが前に進むのを助けるほど、風を起こす力があるのだ。

 姉はコチを、無力な妖精と思っているが、なかなかどうして大したものではなかろうか。ドームの中では無力でも、こうやって野に出れば力をふるってくれるのだ。

 後ろを振り返ると、姉の姿は波間に消えていて、ただ岬の上にそびえ立つ要塞が目に入った。いつか島の民が攻め寄せた時に、応戦するための要塞だ。だがドームの外に出ることを躊躇う貴族達のおかげで、今では使えるのかどうかも怪しい。その要塞の上になびく旗が、最後までホゥジュを見送ってくれていた。



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