第八話 私は悪役令嬢
デート翌日、ヴィクトール様が来られて早々にお話がしたいと庭園に誘い、侍女達には少し離れた場所で待っていてもらうようにした。
「ヴィクトール様、私の願うことは全て、叶えてくださるのですよね?」
向かい合って問いかけた私に、ヴィクトール様は真っ直ぐに私を見つめて答えてくださった。
「ああ。どんな願い事でも叶える。たとえ時間がかかったとしても、絶対に」
揺らがない瞳に私が映る。
人形ではない……恋をして美しくなれた私が。
「それならば……私の初恋を、叶えてくださいませ」
「初……恋…………」
「私、幼い頃にこの気持ちに蓋をしましたの。絶対にこれを口にしてはいけない、望んではいけないのだと」
胸に手を当てる。呼び起こすように、当時の気持ちを思い出す。
「だってそれは……婚約者として紹介された方の、弟君でしたから」
「おとうと……」
「ええ。真っ赤な髪と、それと同じ色の瞳をした、とても元気な男の子が、私の初恋相手です」
「……赤い、髪」
「当時の婚約者様は、口には出さずとも私に嫌悪感を抱いているのを感じておりました。王子妃教育で表情を抑えなければならない私を嫌に思うようになったのでしょう。それは伝わっておりましたが……王城に行けば、初恋の相手に会える。『いつも頑張っておられますね。日に日に王妃に近付いておられる。俺もレティシオン様のように努力出来る人間になりたいです』と、彼はいつも私のことを認め、励ましてくださいました」
彼の両手を取り、自分の両手で包み込む。あなたのおかげで、今の私があるとお伝え出来るように。
「王妃として国王陛下を支えられる人間にならなければと思いながらも、私の背中を押してくれるあなたに……振り向くことを許してほしいと願う気持ちを、必死に抑え込んでおりました」
指先が震える。
それはヴィクトール様にも伝わっているだろう。
この言葉を口にする日が来るなんて思わなかったから……緊張しているのかもしれない。
「本当は……ヴィクトール様が留学に行くと聞いて、引き止めたかった。行かないでほしいと……そばで私を勇気づけてくださいと……ずっと……ずっと、願って……」
最後の言葉を告げるより先に、ヴィクトール様の全身に包まれ、彼の広い胸に顔が触れていた。
「……もう、遅いかもしれないが、その願いも叶えることは出来るだろうか?」
「……ヴィクトール様にしか、叶えられませんわ」
「あなたの初恋も、そばにいてほしいという願いも全て……全て俺が叶える。誰にも譲らない、俺だけのものだ」
私も彼の背中に両手を回す。彼の心臓の音が聞こえてきて、その音はすごく早い。
きっと私の鼓動も同じくらいに早いのだろう。
「ヴィクトール様……心から、お慕い申しております。どうか私を、あなたの……」
「だめだ、レティ。そこから先は俺が言いたい」
両肩に手が置かれ、やんわりと体が離される。彼の温度を感じなくなっただけで寂しさを覚えるなんて……
ヴィクトール様はニコリと笑うと、お召し物に土がつくことも気にせず、片膝をついて私を見上げた。
そして私の右手を取り、その甲へと口付ける。
「レティシオン・ベルモンド様。どうか、このヴィクトール・シュヴランと結婚してください。俺の生涯をかけて、あなたを支え、守り、愛し抜くことを誓う」
「光栄にございます、ヴィクトール・シュヴラン様。どうかこのレティシオン・ベルモンドを妻とし、おそばにおいてください」
「レティ、愛してる。あなただけを、ずっと愛しています」
「ヴィクトール様、私も、あなただけを愛しておりますわ」
すっと立ち上がったヴィクトール様は、ふいに何事もないように私を両手で持ち上げ、くるりと回った。
「あなたをこんな風にこの手に抱けるなんて、夢みたいだ」
腰と膝裏を支えられ、向かい合った状態で抱き上げられれば、いつもより視線が合いやすくなり、お互いに目を見て微笑み合う。
私は彼の首の裏から片手を回し、もう片方は肩へとおく。
こんなに体同士が触れ合ったのは、先程の抱擁と今ぐらいなので、余計にドキドキとした。
「夢にしないでくださいませ」
「本当にな。それに、初恋と聞いて心臓が止まるかと思った。それだけは叶えられないから、どうしようかと」
「ふふ。悪役令嬢らしく、翻弄出来たかしら?」
「見事にレティの手のひらの上だったんだな。こんなに愛らしい悪役令嬢がいては困りものだ」
拗ねたように唇を尖らせるヴィクトール様が可愛らしい。
こんな表情までしてくれるほど、彼は私に心を許しているのだと思うと、体中から喜びが溢れ出しそうだ。
「レティ、二人きりの時は、様、は外してくれ。愛称でもいいが……俺はあなたから呼ばれる俺の名前が好きだから、そのままがいい」
「……ヴィクトール?」
「ああ。幸せすぎて夢みたいだ。レティは? どうやって呼ばれるのが好ましい?」
「私はレティと呼ばれるのが嬉しいです。ずっと、レティシオン様、でしたから。お近付きになれたのだと思えますわ」
「我慢してたんだ。実はこっそり裏で練習してた」
まぁ、と笑えば、頬に口付けを一つされる。
「レティ、あなたはずっと俺の憧れだった。どうかこれからも俺の元で美しく笑っていてくれ。そのためならば俺は何だってしてみせる」
耳元で告げられた言葉に、心臓が高鳴りすぎて目眩がした。
はしたないとは思いながらも、その首元にギュッと抱きつく。
「ありがとう、ヴィクトール。愛しています。これからも、私を幸せにしてくださいませ」
「もちろんだ。何でも俺に言ってくれ」
「覚悟してくださいね。悪役令嬢は恐ろしいのですよ?」
抱き着いた態勢から体を少し離し、じいっと顔を覗き込むようにすれば、レティ? と首を傾げて私の名を呼ぶ。
とても可愛らしい仕草だと思いながら、そっと彼の頬を片手を添えて、空いている方の頬へと愛情を込めた口付けをお返しした。
私からの、初めての口付けだった。
唇を離した瞬間、なんとヴィクトール様は私を抱き込んだまま腰を抜かして、地面に座り込んだ。
どすん、と音がした。
私は地面にすら触れていないが、ヴィクトール様は尻もちをついた態勢になってしまった。
「ヴィクトール様、大丈夫ですか!?」
しばし呆けた後。
ぎぎぎと音がしそうな程、不自然に私へと顔を向けたヴィクトール様が一言。
「……もう一回頼む」
開口一番がそれかと、私は笑った。
どこも怪我がなさそうなので、膝立ちをして今度は頭の天辺に唇を寄せたら、ヴィクトール様は私の胸に顔を埋めるようにして動かなくなってしまった。
その肩は、小さく震えていた。
私は彼の髪を撫で、頬擦りをしてずっとお互いを抱きしめていた。
しばらくすると、私達を遠くから見守っていた侍女達が大泣きしながら駆け寄ってきて、ヴィクトール様や私を心配しながらも、祝福の言葉をくれた。
その時には、ヴィクトール様はいつもの頼れるヴィクトール様のお顔をしていて、惚れ惚れするほどかっこよかった。