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この子の事は知ってる。

 いやー、旧生徒って思ったより恐かったなー、と銀河はしみじみ思った。藤咲きゅーぶの解説によるとあれはマンティス斎藤さんと言うらしい。

 「マンティス斎藤さんは斎藤さんの執念深さに加えて、あの巨体ですから、旧生徒の中では厄介な方ですね」元3年5組、斎藤紀美子さん系統の大型旧生徒。狡猾さ、凶暴さはピカイチ。「それなりの装備なら、何とかやれる相手なんですが…」きゅーぶの視線を感じる。ご、ごめんなさい。

 「別に、あれくらいなら、私、狩れるわよ。…足手まといさえ居なければ」乙女の視線を感じる。おまえはもう少し、自重しろ。

 「ふ、不破さんが無理することないんじゃないかな?不破さんだって一応、女の子な訳だし」全く以て亀丸の言うとおりである。「銀河抱えて逃げただけ十分だよ」亀丸の視線を感じる。…ええ、わかります。皆さんが何を仰りたいかはよくわかります。

 「…私がお荷物だって言いたいの?」

 「そんなことありませんよ、銀河さん。…ただ、ちょっと、私、人間という生き物の定義を改めようかと最近、考え始めています。主に下降修正の方向で」

 「別にそんなこと言ってないじゃない。荷物の方が静かでいいわ」

 「あー…。よくよく考えたらさ。そもそも銀河をこんな危険な所に連れてくるべきじゃなかったんだ。置いてくるべきだったかもしれない」銀河は置いてきた。あいつはこの戦いに着いてこれそうにない(キリっ。

 ううう。何だよ。ひどい言い草だ。その通り、的を射ているからこそひどい。

 「皆さーん、お湯、湧きましたっすよー」津々見さんが電気ポットを持ってくる。どこからどう来ているのか、旧校舎内では電気が使える。おかげでスレートの充電には困らない。

 「…はい。みんな好きなの取って。お菓子もあります」ちょっと拗ねながら銀河が亀丸から返してもらったリュックの中からカップ麺を出す。

 「桐生邸から食い物持ってくるって言ってたから、俺、期待してたのに」不服そうな亀丸。

 「桐生邸の住人だって、カップ麺ぐらい食います」本当はもっと凄そうな物もあったけど、橋姫(偽名)の所為で持ってこれなかったんだよ。

 「じゃあ、私はこれで…」きゅーぶがデカ盛りとかいうのを選ぶ。名前の通り、銀河が持ってきた中では一番量がある。意外と遠慮しない人だ。まぁ、体が一番大きいし、おっぱい大きいし、仕方ないかもしれない。

 「俺、これ」亀丸はカップスター、カレー味。よくチップスターと間違える。

 銀河は最後に残ったブタメンになる。まぁ、初めからその気だ。カップ麺なんて脂っこいもの、食べ切る自信が無い。足りなかったら、お菓子を食べればいいじゃない。

 「お湯は100ml辺り千円になりますっす」…この津々見さんとかいう女性型の旧生徒は、調査会には非公式で探索者の探索を助けてくれる便利な存在らしいが、実は一番の難敵かもしれない。じょぼじょぼときゅーぶがお湯を注ぎだす。ああ、そんな湯水の如く。

 「銀河…、私の分」取り残された乙女が銀河を睨む。わかってる。わかってるって。

 「はい、乙女の分」リュックから新たに取りいだしたるは魚肉ソーセージの束。乙女が更に銀河を睨む。あ、あれ?駄目だった?やっぱり駄目だった?

 「銀河」

 「は、はい」

 「私達、付き合ってもうどれくらいになるかしら」さぁ…。どんくらいだろう。「初めて会ったのが小学校5年の時だったわよね」そういえば、そんな頃でしたっけ。「だから、四年と半年程ね」もう、そんなにか。短いような長いような。「…あんた、今まで、私が魚肉ソーセージを頬張ってる所、見た事ある?」…ないです。

 「い、いや、でも、食べれないことないかなって」かなって。

 「魚なんて、肉の中じゃ下の下よ。食べ物じゃないわ」サカナ君さんが聞いたら怒るぞ。それ。

 「えー…。でも、熊も鮭食べるし」

 「あいつら雑食よ、雑食。一緒にしないで。蜂蜜舐めるんだから。信じらんない」はぁ。…蜂蜜舐める熊と鮭食べる熊は別の種類なんだと思ってた。プーさんが鮭咥えてたら恐いし。

 「…ごめん。これしか肉っぽいの持ってきてない」

 「…」ああ、そんなに睨まないで。だから、こんなのしか持ってこれなかったんだって。「銀河にも、一応、肉ってあるのよね」乙女が身を乗り出す。ごくり。

 「お、乙女。無いから。落ち着いて。私、食べるとこない」そういう問題じゃない。

 「…」じーっ。そ、そんな真剣に私の身体見ないで。はぁ、と溜息。「…そうね。どう見ても、食べる所ないわね。不味そうだし」不味そうは余計としても、太っていたら食べる気だったのか…?いや、まさか。

 「お、乙女。いけるって。魚肉ソーセージいけるって」ぴりっと封を切り、赤橙色したフィルムを剥く。すんごい剥きにくいが何とか剥く。「ほら」と銀河はソーセージの先っぽを乙女に向けてみる。何か、さっきから亀丸がこっちを見ている気がする。

 「そんなもの、肉食獣としてのプライドが許さないわ。だったら餓死するわよ」ぐるるるる、と乙女のお腹が咆哮する。銀河を睨む顔が赤く染まる。肉食獣としてのプライドね。ふふふ。プライドで腹が膨れたという話は古今東西、聞いたことが無い。「か、貸してみなさい。一応、試してみるわ」銀河の手から乙女が魚肉ソーセージを掠め取り、口に咥える。さも嫌そうに咀嚼。

 「ど、どう?」

 「………」もぐもぐもぐ。一本、丸々、乙女の口へと収まる。もぐもぐもぐ…ごっくん。「…そうね。一応、動物性たんぱく質だし、…食べれないことないかもしれないわ」

 「そう。良かった」まぁ、人が食う物なのだから、好き嫌いしなければ、そりゃ、食えないことはないだろう。十何本とあった魚肉ソーセージは見る見る間に乙女の腹の中に消えていった。それを見ながら銀河もブタメンを啜った。げぷ。もう、お腹いっぱい。


 ベッド一台5000円。高い。

 「野営してもいいですが、誰か一人は見張りに起きていなきゃいけませんし、ここなら、波も来なくて安心して寝られますから」ときゅーぶは言う。どういう仕組みだ?

 「ここで生きていくにも色々とノウハウがあるんすよ」ノウハウで波ってやり過ごせるものなのか?うーん。

 「ここで寝るのは別にいいんですけど…」元2年4組津々見楓さん系統、旧生徒、購買部の津々見さんが縄張りにしている購買部のバックルームには二段ベットが二つある。ベッド一台というのは寝台一つということで、1段5000円だ。踏み倒してやりたいが、どう見ても普通の学生の津々見さんも一応、旧生徒で、そんなことすると牙を剥いて襲ってくるらしいから、また亀丸に借りるしかない。しかし、借りるにしても4人分、2万円はちょっと。亀丸だってそんなに小金を溜めこんでいるとも思えない。「私と乙女は一緒でいいでしょ?」銀河の問いに乙女は別に、と返す。まぁ、それは問題ない。問題はきゅーぶと亀丸だ。

 「もちろん私は亀丸君と一緒で構いませんよ」と笑顔で言うきゅーぶに従っても倫理的にいいものなのだろうか?

 「いや、きゅーちゃん。俺の方は無理だから」

 「もちろん私は亀丸君と一緒で構いませんよ」うーん。

 「銀河、俺の分は俺持ちでいいから…」良し。それでいこう。

 「私、亀丸君と一緒で構いません!」…。どうしよう。藤咲先輩って縛り付けておいた方がいいのかな?

 「それじゃあ、ベッド三つで1万5000円になりますっすね。毎度ありがとうございますっす」それにしても旧校舎で生きている津々見さんは一体、日本円を何に使う気でいるのだろう。


  ああ、乙女は相変わらず余計な肉が多くて、枕にすると気持ちいいなー。と、まどろんでいる銀河の額にするどい痛み。んぅっ…。何?誰?しょぼついた目を開くと乙女が寝台の外から身を屈めこちらを覗きこんでいた。「起きた?」え?じゃあ、今、私が顔を埋めていたのは?その塊は良く見るといつもより5割増しにでかい。きゅーぶだ。きゅーぶの腕が銀河の体に絡みつく。「かめまうくぅーん」

 く、苦しい。身を捩り、きゅーぶのおっぱいから何とか顔を脱出させる。「何?どうして?」

 「…あんたがグースカ寝てる間に色々とあったのよ」乙女の額がビキビキいっていつもの通り、不機嫌そうだ。んー、と腕を伸ばして、きゅーぶを引き剥がし、体を起こす。亀丸が床に倒れている。うん。何か、色々あったんだな。あんまり何があったかは知りたくない。

 

 「あー、魚肉ソーセージ、おいしい」と乙女は嫌味を言いながら魚肉ソーセージを自棄食いする。この調子で消費されていくともたないかもしれない。少しは考えて食べてほしい。

 「あう、皆さん、お早いですねー。おはやうございますぅ…」ときゅーぶも寝台から起きてくる。「ぐぅ…」いや、まだ寝てるかも。

 亀丸は後頭部を擦りながら、津々見さんから自腹で買った菓子パンを食っている。一つ300円。何というぼったくり価格。「昨夜の記憶が無いんだけど、俺、何で床で寝てたの?」私も知らない。

 銀河はウィダーインゼリーで朝食を済ませる。いつも通り、食欲は湧かなかった。


 「いってらっしゃいませっすー。旧校舎購買部をこれからも御贔屓にっすー」と濡れ手に粟の津々見さんに見送られて、購買部を後にした。スレートによると銀河達が旧校舎に潜入してから19時間が経過している。外では約3倍。だから…(3×10)+(3×9)で、30+27で…57時間?約57時間経っている。帰りの事を考えるともうあまり余裕が無い。時間内に帰還しなければ取得物は調査会に、双子に押収されてしまう。…かと言って、昨日と何か方針が変わるわけでもなく、幾度も波を越えながら、目的地に向かってトライトライトライ。

 途中、旧生徒に襲われたりもする。

 「気持ち悪い!」エンカウントした猿型の男子旧生徒には腕が6本生えている。顔は一つだ。

 「元2年2組小川辰彦君系統の旧生徒、痴漢のたっちゃんです!女性を見ると見境いなく発情してきます!」へ、変態だー。ぱあん!きゅーぶが躊躇なく散弾を叩きこむ。おえ。見なかった事にする。

 「ま、また出たー!」いったい、何匹いるんだ。たっちゃん。ぱあん!おえ。

 数匹いたたっちゃんの内の二体が俊敏な動きできゅーぶの発砲を擦りぬける。ぎゃあ、襲われるー。…が、銀河はスルー。乙女に向かった一体は敢え無く、日傘に撃沈。「お、おい!何でこっちに来る!」もう一体が亀丸の背後に回り込む。

 「亀丸君!」亀丸に背後から密着するたっちゃん。ショットガンは撃てない。

 「何?何だよ!」腹這いに亀丸が押し倒される。様子がおかしい。

 「ヒャッホー!ウヒョー!」亀丸に危害を加える様子が無いので放っておくと、たっちゃんは亀丸の背負っていた銀河のリュックサックから紫色のセクシーランジェリーを抜き出して、天高く掲げた。「ウッヒャー!」…すごい嬉しそうだ。そのまま、飛び跳ねながら去っていく。

 「…何だったんだよ」ごめん。何か抜くの忘れて入れっぱにしてたから。

 それにしてもショットガンを持っていたきゅーぶがスルーされたのはいいとして、完全に無防備だった銀河がスルーされたのは不服である…。

 そんなこんなで、何度目かのトライ。遂に科学室へと到達する。昨日と同じで、科学室と書かれたプレートは壁から取れかかりぷらんとぶら下がっている。

 「こ、ここって」

 「うーん…。どうやら昨日の科学室とかなり似てますね」と、いう事は…。「まぁ、まず、いるでしょうね」あうあう。

 「…どうすんの?きゅーちゃん?次の波、待つ?」

 乙女がぽきぽきと日傘を持った肩を鳴らす。「私の準備はいいけど?」何で、そう好戦的になるかなー…。

 「そうですねー…。時間も無いですし、潜入しましょう」え、マジで?まぁ、確かに時間は無い。「私と…乙女さんで囮になります。斎藤さんを外に誘き出している間に、亀丸君と銀河さんで中を探索してください」

 「まどろっこしくない?私、一人でもやれるわよ」

 「いえ、わざわざ無理をする必要はありません。まぁ、でも、昨日の感じだと、乙女さんがいれば確かに撃破も可能かもしれませんね」

 「あの、離れ離れになっちゃっていいんですか?」スレートの合議リンクの形成範囲はせいぜい半径15m程度だ。合議リンクの台数が減るとスレートの機能は減退する。そうでなくても、そのまま波に飲まれてばらばらになってしまう可能性もある。

 「ええ。とりあえず次の波の到達予測まで50分もありますから。最低、5分前までに合流できれば大丈夫です」

 「…きゅーちゃん、俺、何かあったとき、一人で銀河を守る自信がないんだけど」と頼りない事を亀丸が言う。何?私は守られる前提なのか?…はい、そうです。銀河も自分の身を守れる自信なんてこれっぽっちもない。

 「んー。男の子なんですからそんな情けないことは言わないでください。死ぬ気でやれば大体、何とかなりますよ!」ときゅーぶは意外と厳しい。


 五分をその階層の構造確定に費やした。設計図通りの田の字構造を基本として、それが八つ、一部を重ね合い、全体で正八角形の辺の上をなぞる構造をしている。都合の良い、閉じた狭い階層だ。作戦としてはきゅーぶと乙女が科学室から出てきた斎藤さんを相手にしながらぐるぐるとその八角形を巡る。その間に銀河と亀丸が科学室内を探索。目的の医療関係物A1を探す。制限時間は25分。それを過ぎたら、例え目的物が発見できなくても両チーム、合流予定地である女子トイレAに向かう。目隠しの壁があり、入口の狭いトイレで、中に入れないだろう斎藤さんをやり過ごし、次の波に乗る。きゅーぶ、乙女チームが時間内に斎藤さん撃破に至った場合はもっと簡単で、普通に科学室で合流になる。

 作戦の説明が終わり、それぞれが所定の位置に着く。銀河と亀丸は科学室のある正八角形に対して内側の外廊下とそこへ繋がる中廊下の曲がり角の陰に隠れ、乙女が戸の少し前に立つ。「お、乙女ー、無理するなよー」乙女がぱきぱき首を鳴らす。だからそれやんないほうがいいぞー。「黙ってなさいよ。虫ごとき、私の相手じゃないわよ」あ、あれを虫の範疇に入れていいのか?きゅーぶが壁に身を寄せながら戸に左手をかけた。「皆さん、いきますよ…3…2…1…ゴー」

 きゅーぶが戸を開け、右手に持っていた音響弾を科学室へと放り投げる。ぱあん!と耳を塞いでいても鼓膜につーんと来る音。慌てたようにギチギチとあの関節音が聞こえだし、狭い戸から斎藤さんがその巨体を捻りだす。「マ、マタオマエラカー」甲高い声で叫び、斎藤さんは戸の前に立つ乙女を見つけた。斎藤さんの巨体を支える4本の足の内、左前の足が折れている。恐らく昨日と同じ個体だ。「着いてきなさい。殺してあげる」舌舐めずりして、乙女が走り始めた。斎藤さんがそれを追っていく。

 きゅーぶがペンライトで科学室の様子をざっと確かめる。問題なし、の手招き。「それでは手筈通りに」拳銃のグリップを握り、きゅーぶも乙女、斎藤さんの後を追った。


***


 乙女なんか大っ嫌い。絶対絶交!顔も見たくないもん!…と、ちょっと言っただけで何で口もきいてくれなくなるんだろう。不思議だ。実に不思議だ。

 放課後、一人で歩く学校の廊下は凄い違和感がある。きっとこれは気流の関係だろう。いつもは乙女が前か隣に居るから、それが無くなって歩行する銀河に接する空気の流れがいつもと違うのだ。うん。そうに決まっている。心細い訳ではない。

 大体、そもそも、乙女が悪い。乙女が悪いのだ。「好きこそ物の上手なれって…、あれ、嘘なのかしらね」だと?「何をやっても上達しない人っているのね」だと?…。そりゃ、いるよ。いるんだよ。全くもって、私がそうですよ。考えれば考えるほど、銀河は自分が情けなくなってくる。

 銀河は格闘ゲームというものをあまりやらない。格闘ゲームというのはプレイヤースキルに左右されるゲームだからだ。銀河がやるのはもっぱらレベルを上げて物理で殴ればクリアできる類のゲームである。少しの例外として音楽ゲームのポップンミュージックをやる。キャラクターがかわいいので好きだ。そして下手だ。始めてもう6年以上になるが未だに難易度レベルが二ケタになるとプレイが覚束ない。それはそれとして、そのポップンミュージックと同じようにキャラクターがかわいい、という理由で、あまりやらない格闘ゲームに手を出した。それが大体、一か月前になる。その格闘ゲームは某仕事を選ばない猫や某気狂い赤ずきん兎、某輝く瞳に宝石を宿した畜生共、といった有名ファンシーキャラクターを露骨にパロったキャラクターが登場する格闘ゲームで、ネタゲーの割に完成度が高いと評判のものだった。銀河もこれにはまった。猿の覚えたての自慰行為のようにはまった。しかし、猿が自慰行為を覚えると死ぬまでやるっていうのは本当だろうか。かなり胡散臭い。

 ゲームは一日三時間。という長姉、京子ちゃん(様)との約束を桐生家の養子になってからも律儀に守り続けていた銀河も一日三時間+ロード時間分のロスタイム遊ぶほど、一ヶ月間、そのゲームにどっぷりはまっていた。

 そして先日の晩の事である。いつものように銀河ハウス(プレハブ小屋)に乙女が泊りにやってきた。いつもと違うのはその日、珍しく乙女がゲームに興味を示した事だった。「それ何?戦ってるの?」「え…?まぁ」いつも大体、ゲームの中では戦っているけど?恐らく格闘ゲームの画面を見たのは初めてなので、感じ方が違ったのだろう。「ボタンを押したら攻撃する訳?」「うん。あと動かしたり、必殺技みたいの出したり」「へぇ、おもしろそうね」「…やる?」「やってみようかしら」ふっへへ。乙女め、ぼこすかにしてやるー。

 そしてそして10分後。そこには機械音痴でコントローラーさえまともに握った事の無かったズブの素人に鴨にされるヘタレゲーマーの姿が!

 「この兎、弱いわね。もっと強い敵いないの?」

 「…それ、私が動かしてるんだけど」

 「え?何?これ銀河?」今まで隣で私がコントローラー操作してるのは何だと思ってたんだ。「…流石、銀河ね。ゲームの中でも弱いなんて」

 「…も、もう一回だ、くそやろー!」

 ぼこすかぼこすか…。K,O!乙女WIN!!わー。

 …。

 「も、ももも、もう一回だー!」

 乙女WIN!!わー。

 「も、ももももも、もう一回…」

 「…いい加減、飽きてきたわ」

 「か、勝ち逃げする気かー」

 「いくらやったって、私の勝ちよ。やるだけ無駄ね」い、一体、何なのだこの差は。私の一か月は何だったというのだ。難易度最低レベル設定ではあるが、ストーリーモードでラスボスまで辿りつけるようになったんだぞ。そ、それなのに…。ぎぎぎ。「好きこそ物の上手なれって…、あれ、嘘なのかしらね」

 「ど、どういう意味だこらー」

 「そのまんま。…本当、何をやっても上達しない人っているのねー」く、くそー

 「お、お、お、乙女なんか大っ嫌い。絶対絶交!顔も見たくないもーん!」もーん!もーん!もーん…!

 

 ああ、今、思い出しても腹が立つことこの上ない。そして同時に情けなくもあった。どうして自分は好きなことさえまともにできないのであろう。「はぁ…」思わず銀河の口から溜息が洩れる。

 「あ、あのさ、えっと、桐生銀河さんだよね?」と、そこへ突然声をかけられる。大体、話しかけられるのはいつも突然だ。あらかじめ話しかけますので、と断りを入れてから話しかけてくれる人は少ない。一人下駄箱に向かっていた銀河は驚いて、足を止め、俯いていた顔を上げた。男子生徒。銀河脳がフリーズする。だ、ダンシが話しかけてきた。どうしよう。なぜ、こういうときに乙女はいないのだ。乙女の馬鹿。馬鹿乙女。

 銀河がダンシとかいう野蛮極まりない生物と接触を持っていたのは槻城市に来てからの最初の一年足らずである。小学校を卒業してからは、槻城女子に通ったので、接触を持たずに済んでいた。槻城高校に入学してからも乙女の陰に隠れ、何とか接触を避けてきたが、最早、これまでか…。「俺、ちょっと銀河さんにお願いがあって…。これなんだけどさ…」とその男子生徒は制服のズボンのポケットから何やら色が白くて四角くて薄い物を差し出す。銀河脳、再フリーズ。こ、これは…。まさか…。何というか…、恋文的ラブレター?

 乙女、乙女、乙女ー。助けて乙女ー。どうしよう、どうしよう、どうしよう。逃げる?無視して通り抜ける?ま、回り込まれたらバックアタックを受けるぞ!いや、でも、今の装備で戦って勝てる相手じゃない。こ、ここは勇気の逃げる選択。銀河は再び俯いて、何も見てない聞いてない、と足を出した。「あ、ぐっ!」男子生徒が銀河を止めようとしたのか、銀河の前に出てきて、銀河の頭が男子生徒の顎に衝突した。痛い。それにしても銀河の頭が顎に届くなんて、相当、ミニマムな男である。…これなら、やれるかもしれない。と考えた訳ではないが、てんぱって「ごめらしゃぃ!」と何語か判読不能な謎の言葉を吐きつつ、勢いよく下げた銀河の頭が顎を押さえて背を丸めていた男の頭頂部に見事にヒット。うあ。くらくらする。

 「あ、ああ、ごめん!」と男子生徒は自分が悪いと謝罪する。しかし、銀河の耳には届かなかった。正確には銀河脳の処理に不具合が生じていて、言葉の意味を理解していなかった。やばい、絶対、乱暴される。銀河はどん、と両の手を男子生徒に向かって突き出していた。その男子生徒も混乱していたのか、頭の痛みからか、バランスを崩し、尻もちをつく。「な、何?」銀河は思い切り右足を引き、勢いをつけてキックした。上履きの先が男子生徒のWeakpointにヒット。「ひんっ!」男子生徒は魚のように飛び跳ね、体を丸めた。ま、まだだ。もう一度キック!「ひふっ!」キック!「…ふっ!」キック!「…ぐぅっ」

 にひ…、にひひっ。以下、段々と楽しくなってきた銀河の死体蹴りが延々と続く…。


 銀河だって冷静になる事はあるし、反省も知っている。後悔することも多いが、それは多すぎるので最近は食傷気味だ。後悔は癖になる味がする。大人の味。お子様の銀河にはまだ早いので胃がもたれるのだろう。とにかく、銀河は男子生徒をリアルぼこすかにしてから地球が七回自転する間、学校を休んだ。

 あいつ、私の名前を知っていた。やばい。仕返しされちゃう。生きて返すんじゃなかった。

 少なくとも彼はどこかに訴え出て事件にはしていないのだろう。していたとしたら桐生本邸へと呼び出しがあり、御爺様改め、御父様改め、糞爺から厳しい御叱りがある筈だ。それが今のところ無いのはありがたいことではあるが、同時に不気味でもある。彼は銀河が桐生の人間と知っているから、あえて事件にはせずに虎視眈眈と仕返しをする計画を練っているに違いない。ううう。

 そして、その日は学校に行かなくてはならなった。不幸なことである。学習チャートは家で消化しているので遅れは出ていないが、その日は現国の実習があった。なぜ現国に実習があるのか…。少なくとも中学校には無かった。しかし、いずれ、中学でもそういうことをやるかもしれない。槻城は教育に関しても日本の法律の外で動いている。今はまだ、実験の段階で、中等教育までは日本の義務教育課程とさほど変わらない。変わったところもあるらしいのだが、外の中学に通ったことの無い銀河には違いがわからなかった。小学校に転入した時は槻城が独立してから一年と経っていなかったので、特に変化はなかった、とは聞いている。銀河が感じていた外の小学校との違いは皆、私立のお嬢様小学校と野卑な公立小学校の差だ。馬鹿な銀河が私立の小学校に通っていたなど、今にして思えば驚きである。それは恐らく、姉五人の成績、実績の賜物だろう。一人ぐらいは外れも贔屓で入れてくれる。おかげで馬鹿のまま、ぬくぬくと育ってしまった。よろしくない。何はともあれ、高等教育に関しては銀河でもわかるほどに外の学校と違いがある。授業の八割が映像などのデータ閲覧に切り替わり、教科書も電子版に切り替わっている。授業のほとんどは個人個人が学習チャートを進める事になっていて、教室というのはその個々の作業を進めるための場所でしかない。だから、学校に通わなくても学習することができる。というか、単位のためにさせられる。今の槻城の学校は日本にとって非公式な教育空間で、外の世界では学歴にならない塾のような物だが、何年後かには槻城市の情報をある程度公開し、解放されるのが決まっているので、そのときには学歴となっているはずだから迂闊にドロップアウトなんかできない。クラスという単位に対して担任というのはいるが、これも普通の高校の担任とは違っている。彼ら彼女らはいわば何かあったときの相談役や利害調整役を務める存在でしかない。存在でしかない、と、いうより、そこに全力を注ぐ事が仕事となっている。学習チャートの進行に問題のある生徒などにアドバイスをしたり、かなりプライベートな相談も受け持っている。銀河はあまり御世話になっていない。お世話になりたくないから、学習チャートを無難に進め、命からがら、定期試験で赤点を免れる。不真面目な乙女はかなり御世話になっている筈だ。学習チャートでわからないことがあった場合や疑問などが生じた場合はリンクを参照したり、職員室に控えている教科担当にネット回線を通じてリアルタイムに質問することができる。これも銀河はあまり御世話になることがない。大体、リンクを参照すれば事足りる。

 つまり、槻城の高等教育の大きな変更点と言うのは、個人で学習するという点だ。この変更は有事の際、つまり、戦争時、教師不足に陥っても、学習の質を下げないためではないか、という噂もある。噂ではあるが、かなり信用できる話だ。大体、そんな大型の予算、どこから出ているか、といえば善四郎からなのだ。そして善四郎の戦争狂いは有名である。彼は一人勝手に第三次世界大戦を経験し、一人勝手に来るべき第四次世界大戦を見据えている。その妄想が彼のバイタリティであるから、側近の秘書連筆頭、浅丸泉(偽名)も、使用人の御局、桐壺(偽名)も彼の暴走を窘める事は無い。善四郎は基本的には論理派、合理主義の人間である。しかし論理的思考、合理的選択というのは、そもそも構造上、目的を孕むことができない。どんなに論理的で合理的な人間でも、論理的且つ合理的に人間生としての目的を定める事はできない。目的に論理的合理的理由は最終的には存在しえない。目的と言うのが人間生に現れたとき、それは単なる偶然に過ぎない。目的というのは皮を剥けば、何となく納得がいく、その目的でなければならない理由のような物が一時的に見つけられるものであるが、実は更に皮を剥く事ができ、最終的には生と死という未知数の物によって理由を空白化、虚無化される。

 なので善四郎が何を目的に生きようと、それは他人がとやかく言うことではないし、文句の付けようがない。ただそれをどこまで利用できるかだ。善四郎の側近というのは常にそういう事を考えている。槻城の教育者もそういうことを考え、行動した結果、今の槻城の教育改革がある。それが最初に思い描いていたものなのか、結果的に成功へと向かっているのか、それは銀河の知るところではないが多分、予算が欲しかっただけなんだろーな、とは思う。その結果、善四郎に目をつけられて滅茶苦茶にされたんだと思う。

 そして、そんなことはどうでもよくて、そうじゃなくて、その教育改革の一環に現代国語も当然の如く、怒涛の如く含まれていて、現代国語には実習があるのだ…。


 ぶれいんすとーみんぐ、とか何それ。意味わかんねーよ。大体、いんてりはみんな、横文字使えばあたまいーと思ってんだ。

 現在の槻城高等教育の現代国語は、語る事を中心としている。一番、最初にやらされる事は『象という動物の姿形を言葉で説明してください』だ。これが中々、難しい。象のあの姿形は言葉だけでは伝えにくいものがある。色は鼠色で…、とか書くと、鼠色がわからない場合もありますから、他の言葉の候補も上げるといいでしょう。なんて訳のわからない添削がつく。象も鼠も知らない人とは絶対に話をしない。現代国語から銀河が学んだ事だ。鼻は太く、ホースの様に伸びている。ちなみにホースというのはゴムでできた円柱で、その中が空洞で…。

 象の次の課題は『東京タワーの形を言葉で説明してください』…ちくしょー、やってられっか。エッフェル塔を赤白に塗り分けたんだよ!333mなんだよ!エッフェル塔が何か?そんなの知らねーよ!エッフェルさんが作ったんだよ!セーヌ川のほとりにあるパリの観光名所だよ!324mなんだよ!

 まぁ、実を言えば、ここまではいい。ここまではレポートのやりとりなので、銀河も面倒くさいなー、と思いつつも特に大きな問題は無かった。問題は現在の課題。今日から始まるブレインストーミング実習である。ブレインストーミングというのは何年か前に流行った言葉で、大学生なんかがかぶれて、シャレオツな感じで使っていたらしい。槻城式現国のカリキュラムを作った人間はわりかし、そういう事にかぶれた人間だったのだろう。意味としては、複数人でコンセンサスをとった上で、意見を出し合い、新たな意見を練り上げる会議…みたいなものだという。先生!コンセンサスの意味がわかりません!リンクを参照してください。ふっざけんな。それ、リンクって言葉を知らない人間に通用すると思ってんの?あ?

 つまり、その実習というのは今までのレポートやりとり方式とは違い、実際にグループで寄りあって意見を発表し合わなければならない。銀河が最も苦手とするところである、人と話すという行為を強制させられる最悪の授業形態。

 その最悪の授業形態に、家から出たらあの謎の男子生徒に仕返しされるかもしれないという恐怖に耐えつつ参加しなければならない。銀河は前日の晩からお腹が痛くて仕方が無かった。


 「…何、こそこそしてんのよ」

 「わ!」銀河は桐生家の二重隔壁を抜け、門から顔だけ出して外の様子を確認していた。「お、乙女…」声をかけた乙女が開きかけの門扉の陰に丁度隠れていたので気付かなかった。「こ、こそこそなんてしてないんですけど。何ですか?」

 「何、その喋り方」…い、一応、絶交中だし。「まぁ、そんなことはいいわ。あんた、一体何してた訳?一週間も学校休んで」

 「え、えと…。別に、特に、何も…」あの謎の男子生徒が恐くて登校拒否していたなど、とても言えない。銀河が何をしでかしたかについては特に。

 「今日は学校行くの?」

 「う、うん」

 「じゃあ、行きましょ」

 「う、うん。…お、乙女?」

 「何?」おお、めっちゃ、不機嫌そう。いつものことだけど。

 「お、怒ってないの?」

 「はぁ?あんた、何言ってんの?」…。「ほら、現国の実習出るんでしょ?遅れるわよ」…。「何、にやにやしてんのよ…。ムカつくわね」

 「えへへ。別に」…馬鹿だなー。乙女は本当、馬鹿だなー。絶交中だって忘れてるんだ。もー、馬鹿だなー。えっへへー。「よっしゃー、学校行こうぜー!」

 乙女がいれば百人力である。何もこそこそなんかする必要はない。

 学校に着いてから銀河は早速、デスクの電源を入れ、原稿をチェックした。ブレインストーミング実習でテーマとなっているのは文化祭でのクラスの出し物だ。クラスというのは中学までと違って、教室を共有する単位としての機能がメインなので、ほとんど個人的な付き合いのない人達ばかりだ。特に銀河などは常に乙女の陰に隠れているので、乙女以外のクラスの人間と日常生活的な話をしたことが無いと言っていい。それに三分の一の人間とはそもそも言葉が通じない。銀河は日本語しかできないので留学生達とは会話がそもそも成り立たないのだ。そういう人達と話すのは英語の実習でペアを組んだ時くらい。内容は無いに等しく、覚えている会話は皆無だ。そういった繋がりの薄い単位に対して出し物の企画をプレゼンする。

 今日の実習は少数に分けられたグループ内での発表から、お互いの評価、というのが主な流れになる。とりあえずこの段階での発表内容は実現性というものを気にする必要はない。グループ内で、それぞれの意見を精査し、最終的には一つの企画にまとめあげ、更にそれを全体に対して発表する、といった実習工程が残されているし、そもそも槻城高校の文化祭というのは年度ごとに有志による生徒組織が選挙を開き、その投票数によって実際に開催するかを決定するので、今年はやらない可能性もある。なので銀河は極限まで実現性の低いものを発表しようと決めていた。うっかりグループ内で高い評価を得られ、全体発表の代表などにされては敵わない。そして書かれた企画は『山荘喫茶シュプール』店員は全員、全身ブルーのタイツで、顔まで隠して給仕をする。更にその格好を客にも強要する。ときおり殺人事件が起こる。そういった内容。読み返すと奇抜すぎて逆に目立ちやしないかと、嫌な汗が流れた。いや、大丈夫だろう。元ネタがわからない人には全く意味もわからず、魅力の無い内容だ。スルー推奨の発表だ。しかし、パーソナルな面が出過ぎている気もする。もっと支離滅裂なものを書けばよかった。不安になるが、もう書きなおす時間もない。原稿を学内のサーバーに上げ、乙女と特別教室へ向かった。

 グループは英語組と日本語組に大別され、それから更にランダムに分けられる。その組み分けは教室前の大スクリーンに表示されていて、銀河と乙女は同じグループだった。こういうとき、銀河は乙女と別になったことがない。これが腐れ縁というものなのか。たまに誰かに意図的に仕組まれているのではないかと考えてしまう。銀河と乙女は指定された席に付き、実習が始まるのを待った。徐々に教室が埋まっていく。銀河達の使用するテーブルの周りの席も埋まっていった。…ああ、緊張する。隣の席の乙女は落ち着いたものだった。軽く俯き、静かに時を待っている。どうせ、乙女のことだ、原稿など書いていないだろう。ぶっつけ本番で適当なことを言う気だ。

 担当教官が教室に現れる。少し遅れて銀河のグループも最後のメンバーが揃った。「あ…」嘘。あいつ、同じクラスだったのか…。「銀河さん。良かった、一週間いなかったでしょ?…もしかして俺の所為?俺、もしかして、何か悪いことした?」な、何だそれ、嫌味かよ。悪いことしたのは私だよ。最後のメンバーは例の男子生徒だった。銀河はもちろん目を逸らし何も答えなかった。乙女が隣にいなければ、逃げ出していただろう。

 「…あれ、誰?」乙女が銀河に耳打ちする。

 「え、えっと…。知らない。でも、この前、廊下で話しかけられた」恐かった。

 「ふうん。そんなことあったの」乙女がその男子生徒を睨む。

 そこでチャイムが鳴り、担当教官が軽い説明をした後、実習が始まった。学籍番号の若い順からになる。学籍番号は50音・アルファベット順で学年ごとに振り分けられていて、グループ内で銀河より若い番号の者はいなかった…。

 「あ、あああ、…」思ったように声が出ない。膝が笑っている。何とかモニターの前まで行き、原稿を呼びだした。「ききき、…きりゅ…ぎ…がです。よろし…おねしあ…」ああ、もう駄目だー。


 完全に意識を失った訳ではない。何となく、自分に起こったことは把握していた。あー…、目立っちまった。しかも最悪の方向性で。今日は帰ろう。まだふらふらしてはいたが、銀河は目を開けた。「あ、起きた」例の男子生徒と目が合う。

 「ぎゃす!」叫んで銀河は保健室のベッドの縁に腰かけていた乙女に抱きついた。「な、何で?なぜにこいつがいるの!?」い、意味がわからん。

 「何でって…。彼がここまで貴方を運んだのよ」乙女がそう説明する。そ、そんな馬鹿な。一体、なぜ。乙女が保健室まで運んでくれているのだとばかり思い、身を任せていたのに。

 「ど、どうして乙女じゃないの!」

 「…どうしてって、いくら、貴方が軽いからって女の私じゃ運べないでしょ?」こ、この大嘘吐き!「まぁ、おかげで実習さぼれたわ」

 「銀河さんって身体弱いんだね」大きなお世話だ!それに弱いのは身体だけじゃないぞ!心も頭もゲームも弱い!「あ、俺、時田亀丸。よろしく」

 「何だか、よくわからないけど、彼、悪い人じゃなさそうよ」乙女が怯える銀河を諭すように言う。

 「…」じっと男子生徒、時田亀丸を観察してみる。小さい。乙女が146でそこから…10か15くらいは大きいか?それでも男子としては小さい部類だ。ショートの髪はぼさぼさで、頬にはちょっとニキビの痕が残っている。それでいてへらへらと笑っている。…気持ち悪い。絶対、悪い奴だ。大体、なぜ銀河を保健室まで運んでくれたりしたのだろう。遠大な復讐計画の一環なのか?

 「えっと…。いや、銀河さん、何か、俺の事、誤解してない?」馴れ馴れしく、下の名前を呼ぶのを止めろ。

 「…」下の名前?まぁ、普通呼ぶか。そうだよな。特に女王双子を知っていれば銀河の事を桐生さんとは呼ばない。「も、もしかして、双子の知り合い?」それで銀河にちょっかい出してきたのか?ぎゅっと、ひと際強く乙女の服の裾を掴む。

 「双子…って、舞さんと蝶々さん?中学は一緒だったけど、遠くで見てるだけだったなー」銀河が口を開くと時田亀丸のへらへら具合は度を増した。「そういう関係なら、俺の親父がトキタ・スーパーやってるってのがでかいかな。だから、善四郎さんの方が俺に近いよ」トキタ・スーパー。通称、トキタス。槻城市内のコンビニグループで商品は皆、外の会社と契約し、同じ物を出している。店舗経営だけの組織だ。街の商工会の人間に任せていると聞いていたが、それがこの時田亀丸の父親なのだろう。うーん…。って、事は格下か?格下なのか?

 「そ、それで、何?」

 「何って?」

 「何の用だし」

 「…えっと、もしかして、それ、一週間前の話?」もちろん。それ以外ないだろ。今なら、聞いてやってもいい。乙女もいるし。こくんと頷く。「あ、あっはは…。まぁ、まぁ、何ていうの?あれは無かったってことでさ。俺も色々、心境の変化があったし」何だそれ。

 「あ、あれ、ラブレターじゃなかったの?」

 「何?ラブレターって?」乙女が反応する。それとも善四郎に何か渡して欲しかったのか?いや、それは無いだろう。息子と娘で、親の仕事は特に関係がない。力関係には影響はあるが。

 「え、えっと。今時、ラブレターって珍しくない?ウケるかなって思って…、あはは」時田亀丸の頬骨の辺りに冷や汗のような物が浮かんでいる。視線が泳いでいる。「ご、ごめん。不愉快にさせたなら謝る」べ、別に不愉快じゃないし。いきなりだったから、ちょっとびびっただけだし。そ、それに銀河にはまだ、そういうの早いと思うし。だから、えーと…。

 「…ぼくにだったら、してやってもいいかも」うん。それならいいぞ。

 「え?」

 「げ、下僕にだったらしてやる」乙女が渋い顔をする。

 「…下僕っ?」言われた時田亀丸は一瞬、目を丸くした。

 「べ、別に嫌ならいいけど」

 「いや、いいよ。うん。下僕か…。うん。よし。やるよ。俺、銀河さんの下僕になる」こくこく、頷く。こいつ、…おもしろい奴かもしれない。


 「…亀丸。エアコン欲しい」亀丸は何でも言う事を聞くので便利だ。

 「エアコン?」

 「……私の部屋、エアコン無い」最近は話すのにも慣れてきた。

 「え?桐生邸だろ?エアコン無いの?」

 「………無い。敷地には住んでるけど、プレハブ小屋」

 「プレハブ小屋?え?何で?」

 「…………一人暮らししたいって言ったら、怒られて、代わりにプレハブ小屋もらった」双子は一人暮らししてるのに。…いや、二人暮らしか?

 「ふうん。いや、でも、エアコンはちょっと難しいかなー…」

 「……………桐生邸のやつを盗む」どうせ前の銀河の部屋とか使ってないし。

 「あー。なるほど。わかったいいよ」

 翌日、亀丸は本当に桐生邸からエアコンを盗み出してきた。夜中にプレハブ小屋のチャイムが鳴らされ、ドアを開けると亀丸がいた。どの様にしてセキュリティを回避して中に入ってきたのか…。「入っていい?見つかったらやばいし。それに、取りつけするからさ」呆気にとられる銀河を押しのけ、亀丸はプレハブ小屋に押し入ってくる。「部屋のやつは、流石に無理だったわ。あそこ、大型の室外機で複数回すやつだから。でも、何か、物置きみたいなところでこれ見つけた」まるで作業員のようなつなぎを着た亀丸は脇に大きくて長方形した機械を抱えている。カラーリングがファミコンっぽい。

 「…何それ」

 「一体型のエアコン。古いやつだけど、取りつけ簡単だし、物はきれいそうだから使えると思う」一体型のエアコン?エアコンと何が一体型なのだ?よくわからない。まぁ、使えればいい。

 「銀河、今の時田君の声?」二階から泊りにきていた乙女が顔を出す。

 「あ、不破さん。こんちゃ」

 「あら、本当にいたの。まだやってるのね。下僕」

 「うん」

 乙女が肩を竦める。「何が楽しいんだか」

 「んー。銀河、おもしろいし、結構、楽しいよ?」亀丸は非常に馴れ馴れしい。階段の先に向けていた視線を銀河へ戻す。「で、どこにつければいい?窓があるとこじゃないとつけられないけど」

 「……上。ちょっと、待って」二階の部屋を片したあと、渋々、亀丸を入れた。部屋を見られるのは恥ずかしい。

 「へー。銀河ってゲームやるんだ。…てゆーか、結構、本格的な台数だな」放っとけよ。

 「ゲームしかしないわよ。こないだも何か動物が戦うやつにはまって。下手なくせに」…放っとけよー。

 「惨りおファイト?俺もやってる。俺もゲーム好きなんだ。古いのばっかだけど」へ、へー。それから亀丸はちゃっちゃと窓に一体型とやらのエアコンを取りつけてくれた。窓が半分しか開かなくなるが仕方が無い。電源はついた。涼しくなった。おー。「じゃ、帰るから」随分、あっさりとしたものである。

 「ん」

 「銀河、お礼ぐらい言ったら」わ、わかっとるわ。

 「………ありがとそ」

 「おう」んー。変わった奴だなー。


 翌日、桐生邸に何者かが侵入した事が判明し、大騒ぎとなった。盗まれたのは旧型のエアコン一台。屋敷中に張り巡らされたカメラには何の手がかりも残されていない。いわば視線の密室状況である。この謎にミステリマニアである夕顔(偽名)は大いに沸いた。「この謎、私、夕顔が華麗に解決してみせます(キリっ」直後に、銀河ハウスに取り付けられている旧型エアコンを目ざとい桐壺(偽名)が発見し、銀河はこっぴどく怒られることとなる。

 「全く、一体、どうやって忍び込みやがった…」頭を悩ます善四郎に銀河が事の次第を白状しようとすると割って入った夕顔に止められた。

 「ま、待ってください!この謎、夕顔が解決しますー!絶対しますー!」ああ、はいはい。「大体、銀河さんにできたことが私にわからないはずが…」まぁ、実行犯は銀河じゃないし、銀河も亀丸が実際、どう盗み出したか、詳しくは知らない。

 そして、その謎は今も解決されず、桐生邸最大の謎として残されている。


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