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うさぎが好きでよかった。

 双子の御誘いなんて願い下げだ。というのが銀河の物心ついたときからの基本姿勢で、ということはそのときまだ自分は物心とかいう物質が体のどこにも着いていやしなかったのかと考えると少し頭が痛くなる。

 桐生善四郎が御爺様から御父様になり、テンコーしてきて一週間程。小学校。小学生の銀河。周りでは原住生物のダンシとかいう生き物が、テンコーセー、テンコーセーという謎の雄叫びをあげていて恐ろしい。意志疎通を図るのは絶望的だった。原住民族の女の子も東京に生息していたそれとは違い、煩い。みんながみんな同時に話す。聖徳太子としての素質を試されているのかな?と銀河は真面目に考えたが、その素質が自分にないことは明らかだった。落ち込む。私は一生、聖徳太子にはなれないんだ…。別に聖徳太子にならなくても生きていけると銀河が気付いたのは遥か後のことである。

 今日も誰とも会話が成立しなかった…。内向的で傷つきやすい高価な光り物のようなハートを保持している銀河としてみれば、とてもとてもストレスフルな日常だった。つまり友達がいつまで経ってもできない。みっちゃんとかみみっちゃんとかが懐かしく思い返される。

 そんな打ちひしがれた放課後の銀河に甘い囁き。「ねえ、兎を見に行きましょう」「子兎がいるんですって」スイカに塩をかけると甘みが増すように、塩を擦り込まれた銀河に語りかけられる子兎という言葉はベリースイート。超人糖度10。

 「子兎?」

 「そう」「抱かせてくれるわ」兎は見たことあるけど抱いたことはない。その上、子兎である。抵抗できる筈もなく、銀河はその両腕を左右から引かれ、まるで地球人に捕まった宇宙人のようにして緑の柵に囲まれた飼育小屋に連行された。

 柵の中には上級生のダンシが二人いて、一人は小屋の中を掃除し、もう一人は子兎の一匹を抱きながら、他の柵内で遊ばせている兎達を見ていた。ダンシ達は双子に気付き顔を向ける。「ねぇ、その子貸して」舞か蝶々の言葉。

 「え、うん」双子を前にして自分達はこの兎小屋において場違いでミスキャストなのではないかと、自己存在を疑い始め、気恥ずかしそうにしていたダンシは、その手に持っていた哀れな子兎を操られるかのように舞か蝶々に献上した。「ちっちゃくてかわいい」舞か蝶々が言う。銀河は背伸びをしてその腕の中の子兎を覗きこんだ。

 かわいいかわいいかわいいかわいい。とにかくかわいい。銀河脳がそれ以外の処理を放棄する。というか、処理容量的な問題でかわいいしか処理できなかった。何という低スペック。

 子兎は生まれたてという訳ではなく、ふわふわした白い毛も生え揃い、大人の兎を縮小しただけの姿だった。「ね、ねえ、私もしたい。抱っこしたい」

 「いいわよ」意地悪せずに舞か蝶々が銀河に子兎を渡してくれた。お、おー。ちっちゃこくって軽くてやらかい。ぴすぴすみっともなく鼻を鳴らしている。かわいい。感動で体が震え、その後、緊張で硬直した。

 「これ、もらってもいいんでしょう?」舞か蝶々がダンシに言った。銀河もその言葉に驚いて顔を上げる。この子兎、手放すものか。

 「え。うん」

 飼育小屋の中のダンシも出てきた。おい、と窘めるように外にいたダンシに言う。「里親、探してるけど、先生に許可もらわなきゃ…」

 「大丈夫。もらってあるわ。心配しないで」心臓の鼓動が早まる。舞と蝶々が神に見える。神と悪魔が表裏一体であるという簡単なことになぜ銀河は気付けないのか。


 「屋敷の庭はとても広いからきっと喜ぶわ」学校から出て、銀河は双子の後ろに付いて歩いた。子兎は双子が交代で抱えている。子兎を貰うことができたのは双子のおかげなのだから、それぐらいさせてやってもいい。銀河の心は銀河の如く広い。そういうときもある。

 「御爺様には私達から話してあげるわね。きっといいって言ってくださるわ」前の家には庭が無かったし、京子ちゃん(様)も桐花ちゃん(様)も動物があまり好きではなかったからペットを飼うことができなかった。これ以上、家の中の酸素濃度を下げるのは止して。どっちが言ったかは覚えていない。多分、両方がそれぞれの言葉でそれを言ったのだろう。

 「銀河が名前をつけていいのよ」

 「ほ、本当?」

 「ねぇ、何て名前がいい?」

 「ん、んーと…。うさぎろす!」かっこいい。強そうだ。きっとどんどん大きくなって、いつか双子をやっつける。

 「とても可愛い名前ね」舞か蝶々が微笑む。「これで銀河にも妹ができたわね」妹!

 妹。涙が出そうな言葉。

 ついに私にも妹が。

 クリスマスプレゼントに妹が欲しいとサンタクロースに頼もうとしたときには、京子ちゃん(様)、桐花ちゃん(様)どころか久留美ちゃんまで「流石にもう妹は」と苦笑いして、姉妹会議、全員一致で取り消しにされた願いが遂に。

 「あら駄目ね」舞か蝶々の腕の中で裏返された子兎。「どうしたの?」それをもう一方の舞か蝶々が覗きこむ。突然、流れ出した不穏な空気。銀河も双子に追いつき、二人の顔を伺った。「この子、雄だわ」「やだ、本当?」「男の子じゃ、私達の妹にはなれないわね」

 「え?」

 舞か蝶々は非情にも子兎を放り投げた。いともたやすく、躊躇いもなく。ぽーい。銀河は慌てて、それを受け止めようと走り出す。転ぶ。お、弟だっていいよ!子兎は地面の上に物の見事に着地。ちょんちょんと飛び跳ね始める。ま、待って!うさぎろす!くすくすと双子の笑い声が背後で響く。

 ようやく子兎を抱き抱える。ぴすぴす鼻を鳴らしている。ほっとする。子兎は元気だ。良かった。銀河、顔を上げる。ベージュ色した長い廊下。後ろを振り返ると、入ってきた筈の入り口は無かった。

 ここ、どこ…?


***


 背後でゲートが閉まる。実にあっさりとした越境だった。もう既にここは旧校舎の内部。あまり実感が湧かない。旧校舎と言っても建築物として古い訳では無いからかもしれない。むしろ使用感がなく、今、使われていてる校舎より新しく見えさえする。ベージュ色の壁に、ゴムっぽい緑の床材が長い廊下に続いている。

 きゅーぶがしゃがみ込み、店を広げだす。「とりあえず装備の確認をしておきましょう」きゅーぶは長い髪を後ろで束ね、壁の色と同じ戦闘服にごてごてとしたアイガードを着けているため、誰だお前は状態だ。いや、しかし、ジャージを家に取りに帰るのが面倒で結局そのまま、制服姿の銀河や、ゴスロリ乙女、ツナギ亀丸より、この場ではマシな格好だろう。全くもってちぐはぐな集団だ。「これがM4カービン」一番ごつい銃をきゅーぶが取り上げる。門番の兵隊達が持っていた物に似ているが、ちょっと違う。何か色々付いている。きゅーぶが銃口の下に着いているものを指した。「アサルトライフルの短いものだと考えてください。アクセサリにショットガンを着けてます。ショットガンってわかりますか?」

 「えっと…、ばんってやると、いっぱい弾が出るやつ…?」

 「んー…、間違ってはいないですね。散弾です。撃つのはこれ」リュックの中から赤い大きな弾が出てくる。「この中に、えっと…いっぱいつぶつぶが入っていて、…そうですね。いっぱい弾が出るんです。はい」きゅーぶは説明を諦めたようだった。「止むおえず、事前通告なしで撃つ場合もありますから、余り、私の前に出ないようにしてくださいね」

 「は、はい」こ、恐い。

 「それから、ベレッタM92」次は拳銃だ。どこからどう見ても拳銃だ。やっぱり興味のない銀河にはせいぜい、黒いなー、程度の感想しかない。「亀丸君、どうです?」

 「…俺、パス。きゅーちゃん、ナイフ持ってるだろ?何か、そういう軽めのがいい」

 「そうですか。まぁ、数も無いですし、男の子ですしね」ベルト付きのナイフをリュックから取り出し、亀丸に渡した。「軽めではないですけど、これで」

 亀丸がベルトを着け、鞘からナイフを抜く。「…なんか、こういうのドキドキしちゃうな」ちょっとわかる。黒く艶の無い刃は20cmぐらいあった。「うん、これでいいよ」

 「じゃあ、ベレッタはどうします?」

 「私はいいわ。銀河に持たせてあげて」乙女が辞退する。「私には私の武器があるから」ぱきぱきと腕を鳴らす。野蛮だ。

 それを聞き、きゅーぶが弾を込めた弾倉を拳銃に差し込む。「それじゃあ、はい、銀河さん」ドスと、銀河の掌に黒い塊が押し付けられた。お、重い。どきどき。「本当は拳銃類も講習があるんですけど、中に入っちゃえば、誰も文句を言えませんから」

 「こ、これ、私が使うんですか…?」

 「はい。…そうですね。いきなりは危険なので練習しましょうか」

 「れ、練習?」

 「撃ちます」

 「撃つんですか?」

 「はい」

 「な、何を…?」

 「え、えっと、できれば、何にも当てないようにしてくださいね…」

 「あ、はい」それなら簡単そうだ。

 

 きゅーぶに従って銀河は足を開いて立ち、肘を張って両手で拳銃を構えた。緊張で手がぷるぷると震える。もう装弾は済ませ、セーフティも外してある。肘を支えていたきゅーぶの手が離れた。「いいですよ」銃口は廊下に沿って、遠く、突き当たりの壁に向かっている。

 「う、撃ちます!」

 「いいから、早くしなさいよ」乙女は壁に背を当て、床にへたり込み、日傘を差している。わ、わかっとるわ。

 「俺、防弾チョッキ着てくれば良かった…」不安そうに言う亀丸。どうしたら、後ろにいるお前に当たるんだ。いらいら。

 「う、撃ちます!」銀河はもう一度言って、今度こそ引き金を引い…お、重い。引き金って重っ…ぱぱーん!痛い。い、痛い?物凄い音と、顔面への衝撃。手首がじんじんする。な、何?何が起こった?

 後ろを振り向くと、亀丸が口を開いて青い顔をしていた。「い、今、銃声、二回したよな?」二回?嘘?私、何かやっちゃった…?ていうか何で鼻が痛いの?じんじんする手で鼻を押さえる。あれ?拳銃どこ行った?

 「あー、ごめんなさい。私のミスです。ベレッタは銀河さんには大きかったですね…。弾を一発にしておくべきでした」きゅーぶが銀河の足元に転がっていた拳銃を拾い、弾倉を外して弾の数を確認する。

 「ねぇ、藤咲きゅーぶ。二発目の弾、それに当たったけどいいの?」涼しい顔した乙女が放っておかれた長い銃を指した。…壊れてる。なぜか銃身の途中が割れていた。何となく自分のした事が銀河にも理解できてくる。

 「あ、あはは。まぁ、大丈夫です…かな?」きゅーぶの笑顔が若干、引きつっている。この人もそんな顔するのか。

 「ご、ごめんなさい!」とりあえず謝っておく。

 「いえ…、いいですよ。いいです。うん。…そういうことにしておきます」こ、恐い。「とりあえず、私が代わりにベレッタを使うことにして、銀河さんには護身用にデリンジャーを渡します」今度、銀河に渡されたのは手のひらサイズの小さな拳銃だった。「冗談のつもりで持ってきたんですけどね…。小さいですけどさっきのと威力は同じなので、できるだけ撃たないようにしてください。本当にピンチの時だけで」

 「は、はい」できれば私もそうしたいです…。


 きゅーぶが割れた長い銃から、ショットガンを外し、長い銃に付いていた直角三角形のストックと呼ぶらしい部品を取り付ける。ショットガンはそれ単体でも使用が可能らしい。よくできている。合体ロボのようだ。「銀河さん。M4の弾なんですけど、放棄していいですか?もう荷物になるだけなので」140発の弾が廃棄になる。これが無駄弾ってやつか。…違うか。使い物にならなくなったのは銀河のせいなので銀河も文句は言えなかった。

 銃器類の説明と配分が終わり、きゅーぶが胸ポケットからスレートを取りだした。改めて見るとフレーム部分が銀河達に貸し出された物とはちょっと違い角ばっている。フレームは外注製らしく、そのときどきで違う物になるらしい。ハード的には多少の変更はあっても性能に差異は無く、ソフト的には適宜、アップデートが加えられている。「そろそろ波が来ますので、その前にゼブラを確認しておきましょう」言われて銀河も首からストラップで下げたスレートを手繰り寄せ、右手に持った。おじさんみたいなスタイルで格好悪いが、大事な物なので仕方ない。

 「俺はオッケー。合議リンクも形成されてる」ツナギの胸ポケットからスレートを出し、亀丸が答える。

 銀河もスレート画面の右上端に縞模様のZが表示されていることと、その左横に回転するOのアイコンが出ているのを確認する。「えっと、大丈夫です」

 遅れて、たるそうにスレートを出した乙女が「よくわかんないけど、電気ついてるわ」とか適当な返事。その画面を銀河が覗きこみ、乙女の分も確認してやる。しましまZがゼブラの起動を表していて、その隣のOは合議リンクシステム。ちゃんと教えたのに。全く。

 四人の手に持ったスレートがぴぴーと音を鳴らし、ぶるるっと同時に振動する。スレートの画面中心に0:05の数字が表示され、それがカウントダウンし始めた。

 「来ます。皆さん、私の近くに」スレートの画面を見つつ、銀河達はきゅーぶに身を寄せた。きゅーぶはリュックを背負い立ち上がる。「3…2…1…」目の前にあった教室の壁がぐわんとたわむ。グアンタナモ。「ゼロ…」きゅーぶの声が聞こえ、銀河の視界全体が歪む。真っ白で何も見えなくなり、その次の瞬間には反対に真っ暗になっていた。それが段々、明るくなり、新たな歪んだ像になり始める。神秘的とも言えるし、単純に気持ち悪いとも言える。割合としては3:7ぐらい。大体、気持ち悪い。歪みが治まっていく。「皆さん、問題はありませんか?」きゅーぶが三人の顔を見渡す。人間の方は特に変化は無い。

 銀河はきゅーぶから離れ、視線を巡らした。そこは校舎の外廊下部分。さっきまでとさして変わらないが、壁の傷跡や、床の汚れなど細かい所を観察すれば、自分達が不確定な位置に立たされたのだとわかった。何だか、不思議だ。おもしろい。

 「仮想マップを開いてください」きゅーぶが指示する。アーサー少年が双子に『きゅーぶさん、引率の先生みたいですね』と言わされていたが、あながち間違っちゃいなかったな。銀河は指示された通り、スレート画面に仮想マップを表示した。講習で見た画面だが、生で見るのは当然初めてだ。頭皮に根を張ったパッチが、銀河の認識をスレートに送り、それをその他のメンバーの認識と擦り合わせした上で自動的に一枚の地図を作り上げる。スレート間で行われる合議では評価の高いメンバーの認識が優先されるので、ここに示されているのはほとんどきゅーぶの認識、予想している地図だろう。一般に地図を読んだり描いたりする能力や方向感覚には男女に差があると言われ、男性の方が平均的に能力が高いとされているがきゅーぶは例外で、一般男性より、遥かに高い能力を示しているらしい、と銀河は亀丸に聞いた。調査会ではおっぱいナビと渾名されているとも。的確な道先案内とおっぱい。どちらの方の需要があるのかわからないが、どちらにも需要があることは確かなのだし、打ち消しあう性質でもないので、そりゃ、探索メンバーにひっぱりだこになるだろう。

 「ねぇ、どうやるの?」乙女が両手でスレートを持ち、画面を見ながら、しかめっ面をしている。相変わらずの機械音痴ぶり。銀河も機械類は苦手だが、乙女ほどではない。むやみやたらに意味のない連打を繰り返す。何とか神拳か。「ねぇ、…ねぇったら」画面を睨みながら、肩でしつこく小突いてきた。このままだと壊しそうなので、銀河が代わりに操作してやる。乙女のスレート画面に銀河達と同じマップが表示された。「ふうん。結構難しいのね」どこがだよ。画面のアイコンをタッチしただけじゃん。

 「皆さん、初めてですので、講習で習ったとは思いますが一応、おさらいしておきましょう」きゅーぶ、亀丸をじっと見る。

 「な、何?きゅーちゃん」

 「初めて…、亀丸君、…初めて。ふふふ」落ち着いてください、藤咲先輩。私と乙女も初めてです。

 「きゅーちゃん。待って。おさらいでしょ?おさらいするんでしょ?」

 「は。そうですね。おさらいしましょう。まずは」何か亀丸も大変だな。「今、出してもらっている仮想マップはスレートの機能として最も重要な機能です。使用者の認識を読み込み、確定された部分が自動的にマッピングされ明るく表示されます。その外にあるのが、スレート間での合議結果で得られた構造予想です。この地図上に予測ルートを作ります。目的地は事前に確認した通り、過去に銀河さんの希望するような医療関係取得物のあった科学室を設定します」きゅーぶがスレートを操作する。すると銀河達の仮想マップに赤い線が表示された。予測ルートだ。「構造予想や予測ルートは今はまだ狭い範囲に限られていますが、情報を得るごとに、つまり私達が探索を進めればその都度、更新されていきます。あまりあてにならないと言う人もいますが、蓄積されたデータと私達の認識、予測にその精度評価を加味しスレート間の高度な合議によって得られた物ですので私は馬鹿にできない物だと思っています。もちろん、完璧ではなく、構造予想も予測ルートも間違っている場合はありますが、十分な結果を残していますから、構造予想と予測ルートを守る事がここでの鉄則と思ってください」

 「守らなかった場合は?」乙女が聞く。乙女はそもそも合議リンクというシステムを理解していないのだろう。乙女は馬鹿だ。馬鹿乙女。

 「そうですね…。予測ルートは目的地までの最短ルートを想定していますから、寄り道程度で逸れることはありますね。ですが、予測ルートをメンバーが拒否するという状況はそもそも考えにくい状況です。メンバーの思考がスレート間の合議リンクには吸い上げられていますから、絶対にそうじゃないと拒否感を持つようなルートは選択されえないんです。例えば、今あるルートを目にして、また新たな思考をしたとしても、それを元にルートはリアルタイムで更新されますから。常にスレートはそういった合議、擦り合わせを行っているんです。メンバー間で意見が大きく割れた場合や、一人だけ全く違う意見を持っていた場合は、スレートがより妥当性を持った予測を選択しますから、その場合は確かにスタンドプレイで予測ルートから離れることはできるかもしれません。でもする人はまず居ませんね。旧校舎は一人で生き残れるような場所ではありませんから」懇切丁寧にきゅーぶが説明する。

 「でも機械だから壊れてる場合もあるんじゃないの?」

 「うーん…。そうですね。ですが、スレート導入以前の帰還率は1%を切っています。下手な疑いを持つよりはスレートを信頼した方が帰還できる確率は高いはずです」

 「ふうん。…私にはよくわからない世界ね。まぁいいわ」と、噛みついてみたものの乙女は段々面倒くさくなってきたようだった。

 「それじゃあ、行きましょうか」


 リュックが重い。「ねぇ、亀丸、じゃんけんしよー」

 「おう?」

 「私、ぱー出すから、亀丸、ぐー出してね」

 「お、おう」

 「じゃーんけーんぽーん!」やったー、勝ったー。「じゃあ、はい、罰ゲームね。リュック、背負って」

 「お…、おう」銀河の缶バッジ付きの可愛らしいリュックは亀丸の背には似合わない。少なくとも甲羅には見えない。「これ、やたらと重いけど何入ってる訳?」

 「んー。色々」

 「あんまり、見たくねーな。それ」折角、動きやすいよう、軽装で来たのに、と亀丸はぶーたれる。仕方ないだろ、銀河の積載量をオーバーしているのだから。学校まで持ってくるのも大変で、乙女に手伝ってもらったぐらいだ。

 並ぶ教室は無視して、黙々と廊下を歩き続ける。シンと静まりかえった廊下は思ったより不気味だ。最初の波を越えた時に位置した地点のように綺麗なところばかりではなかった。異常に経年劣化の進んだ箇所や、戦闘の跡が見受けられる箇所、何かの粘液で塞がれている箇所。そういった所もある。子供の頃の銀河は良く泣きださなかったものだ、と思ったが、良く良く思い返してみるとそんなことはなかった。確かに泣いた記憶がある。泣きながら歩いたのだ。例え泣いていても歩いていったのが今と違って立派なところだろう。最近の誰かさんは泣けば済むと思っている節がある。全くもってナンセンス。涙が解決してくれる物事など、ヒーローの死ぐらいだ。

 今は比較的、状態の良い外廊下を歩いている。窓の外は真っ暗で何も見えなかった。時折、波打っている事もある。外と中との時間のずれで起こる現象だろう。あまりに寂しい色合いなので銀河はそれを極力視界に入れない事を覚えた。

 ぶるるっと震え、ピーピーと音を鳴らすスレート。「集まってください」きゅーぶを中心に輪を狭める。「…3…2…1…0」また一つ波を越え、そして、新たにできあがった予測ルートに沿って再び進軍を開始する。旧校舎探索は基本的にはこのルーティンワークだ。これを繰り返し、運が良ければ目的地に辿りつけ、目標物を回収できる。目標物が見つからなくても、旧校舎内特殊取得物を得れば調査会が買い取ってくれる。大型で持ち帰ることができない場合でも調査レポートを買い取ってくれるから、ルーティンワークも無駄ではない。

 てくてくてく。てくてくてく。わー、波だー。ここはどこだー。よーし、目的地に向かうぞー。てくてくてく。てくてくてく。てくてくてく。わー、波だー。ここはどこだー。よーし、目的地に向かうぞー。てくてくてく…。無駄ではない。無駄ではないのだ。きっと。

 「あ、あの、藤咲先輩。波を越えた後とかって“いしのなかにいる”的な事とかにはならないんですか?」波を越え、新たな景色に降り立つ度に銀河は思う。いつも廊下ばかりに出てこれる訳ではない。教室の中やトイレの中に出た事もあった。おかげでトイレ休憩があったことは銀河にとっては行幸である。実はずっと我慢していた。

 歩き出したきゅーぶが振り返る。「ん?“いしのなかにいる”って何ですか?何だか哲学的な響きですね」そうかなー?

 「えっと、壁の中に出ちゃったりとか…」

 「ああ。そうですねー。どうなんですかねー?」

 「え?」そこは自信を持って否定してくれると思っていたので素っ頓狂な銀河の声。

 「少なくとも調査会の報告にはそういう例はありませんね。ですが舞さん、蝶々さんがもみ消しているのかもしれません。そんな事が起きると知ったら探索者が減ってしまいますからね」あの双子ならやりかねんな。納得と同時にぞっとする話だ。

 「きゅーちゃんも知らない事とかあんの?」

 「んー…。調査会は私達探索者にとって全面的な味方という訳ではないですから、知らない事も多いと思います。基本的には搾取する側とされる側ですからね。私達は調査会の定めた取得物しか個人的に所有できません。どんなに貴重な物を持ち帰っても、調査会に取られてしまいます。一応、買い取りになりますが、とても釣り合う金額じゃありませんよ」

 「じゃあ、何で貴方達は何度もここに訪れる訳?」

 「んー…。それは人それぞれですね。釣り合わないと言ってもやはり大金にはなりますし、今回みたいな過去に調査済みのD級品なら個人の所有が認められますし。それにそもそも、旧校舎に送り込むために連れてこられた人達もいます。聞いたことありませんか?元少年兵とか、日本人でも懲役を減らす条件でとか」まぁ、公然の秘密だ。転校生として槻城に流入してくる人物達の大半は何か弱みを握られ旧校舎探索に駆り出されている。自分の馬鹿な理由と比べるとえらい違いだな、と銀河は思う。

 「そうね。わかるわ。…貴方はどうなの?」

 「え?私ですか?うーん。そうですねー…」ねー、と間延びさせたままきゅーぶの足がぴたりと止まる。それに合わせて他三人の足も止まった。何?「あれ?何の話しをしていたんでしたっけ?」

 「…。きゅーちゃんが何で、旧校舎に入るかって話」

 「ああ。ええ。そうですねー…」今度はそのまま、途切れる事は無く、きゅーぶは「うふふ、秘密です」と答えた。何じゃ、そりゃ。


 設計図通りの旧校舎は四つあるどの階もロの字の外廊下と十字の中廊下が合わさって田の字をしている。通常教室のある二階、三階では北西区画、南東区画に四つずつ教室があり、南西、北東区画には三つの教室と南西に男性用、北東に女性用のトイレが設けられている。二つのトイレが向かい合う中廊下の十字路は円形の室内広場になっていてデザイナーズっぽい赤いソファベンチが置かれている。四階は見た目が一緒で違いは通常教室ではなく特殊教室が並んでいる所。一階だけは他と少し違い、正面玄関が南西区と南東区を結ぶ外廊下に面してあり、一階南西区画と南東区画は外廊下側の部屋が少なく、その代わりに下駄箱が並べられている。他には南西区画に更衣室、保健室、南東区画に警備室、購買部、北東区画はぶち抜きで食堂、北西区画も同じようにぶち抜きになっていて職員室となる。これら四つの階層を繋いでいるのは北西部折り返し階段と南東部折り返し階段で、今昇っているのはそのどちらなのだろう。わからない。大体、ここまでの間、上記の通りの構造を銀河が見かける事は無かった。せめて下りならいいのに、予測ルートは昇りを示し続けている。いつまでもいつまでも飽きることなく折り返し階段も続いている。天まで登れそうだ。「…ねずみ男ってさ、不潔症の割に髭薄いよな。あれ、剃ってるのかな?」段々と話題も乏しくなってくる。歩き疲れてまともに相手をする気にもなれない。

 「…知らない。それより、いくらおばけだからって学校が無いってどうなの?今時、めだかにだって学校あるのに」おばけの低学歴化に歯止めをかけなくては。

 「…そういえば銀河ってめだか師匠より小さいのよね」乙女だって1cm高いだけだろ。

 「…あの、最近の子って体育でブルマ履かないって本当ですか?」一体、何の脈絡でそうなったんだ?第一、ブルマって何?ドラゴンボール?

 ぶるるっ、ピー。またか…。と、思い、銀河がスレートを見てもいつものように波到達のカウントダウン表示は現れていなかった。代わりに200mの表記が現れている。「…これって」

 「ええ。今回は辿りつけそうですね」きゅーぶが微笑む。おお、やっとか。ふう、と肺の深くから息が漏れる。「まだまだ、油断できませんよ。気は抜かないでくださいね」はーい。踊り場を抜け、階段地獄からやっと解放される。もう銀河の細い足はふらふらだ。旧校舎に入ってから半日は経過している。外では大体、その三倍、一日半程経過していることになる。「時間的には順調という所ですね」歩くごとにmの表記が減っていく。まっすぐ伸びる外廊下に面した教室の一つで予測ルートが終了する。取れかかったプレートにはしっかりと科学室と書かれていた。

 んー、と亀丸が伸びをする。乙女が日傘を閉じる。…きゅーぶがショットガンを構える。え?「藤咲先輩、教室の扉開けるのって、もしかして危険だったりします?」

 「ええ。いえ、用心です。中に何がいるかわかりませんから。開けた途端、襲われることもありますし」それ、めっちゃ危険じゃないですか。「誰か、扉、開けてくれますか?」

 「がんばって」私は嫌だ。

 「おう。…おう」流石、亀丸、理解が早い。亀丸が左側の引き戸に身を這わせ、右側の戸に手をかける。

 「…時田君。私、何かいる気がするんだけど、代わってあげましょうか?」と、乙女が言いだす。何かって何だ…。

 「いや、いいよ。大丈夫」

 「亀丸君、これ、使ってください」ときゅーぶがリュックにぶら下げていた手榴弾のような物を亀丸に放った。

 「何これ?」亀丸、見事にキャッチする。突然、放られた物をキャッチできる人間はすごいと銀河は常々感心してしまう。

 「音響弾です。待ち伏せする知能を持ったのもいますから、開けたら脅しに投げてください」

 「お、おう」左手に音響弾とか言う物を持ち、再び、右手を戸にかける。銀河と乙女がきゅーぶの後ろに下がる。「あ、開けるぞ」亀丸が一気に戸を引いた。…科学室の中が覗ける。薄暗く、特に変わった様子は無い。「…きゅーちゃん、これ、ピン、抜くんだよね?どうやって抜くの?」何やら、亀丸は音響弾の使い方がわからないらしくまごついている。締まらないなぁ。

 「ああ、ごめんなさい」

 …!

 「レバーを握ってピンを抜いてください。それから中に投げてくれればいいです」

 …。

 「銀河さん、乙女さんは耳を塞いでおいてくださいね」

 …………。いや、いやいやいや。目が合ってる。めっちゃ、目が合ってるよ。銀河と開かれた扉からぬっと出た顔の目が合っている。若い女の顔。髪が長く、口を半開きにして色白の顔だけを戸の縁から出している。高さ2mはある戸の縁の上方右側から、覗きこむようして顔だけが出ている。何だこれ。

 「あ…?」銀河の視線の先に亀丸が気付く。

 その亀丸の動きにきゅーぶも気付いた。「亀丸君!伏せて!」亀丸が身を引き、廊下に伏せる。ぱあん、ときゅーぶがこちらを覗きこむ顔に向けてショットガンを撃つ。そこにはもう顔は無かった

 開いた戸の向こう側から若草色した何か巨大なものが躍り出てきて、その一部が、すごい勢いで廊下に伸びた。それを間一髪できゅーぶが避ける。その動きに巻き込まれ、どんくさい銀河がすっ転ぶ。「あ、ごめんなさい!」ぱあん!銃声。ガガガ、ギチギチ…、巨大なものが蠢いている音。廊下の味。「立って!銀河さん!一旦、退きましょう」そうは言われても腰が抜けて、足が震えて、腕が強張って、心臓がバクバクし過ぎて、動けない。

 「乙女さん!離れないで!元来た方へ退きます!」銀河の視界が何かに覆われる。黒いひらひら。乙女の匂い。…ち、と言う不機嫌そうな舌打ちの音。

 「ぎゃあ!」銀河の体がお腹を中心にして宙に浮く。全身がゆっさゆっさと揺れて視界が定まらない。気持ちが悪い。「らり?ろーなってんのっ!?」あう、舌噛みそう。ギチギチギチ、という音が大きく、激しくなっている。ぱあん、ぱあん!耳がジンジンする。ようやく銀河は視界を据えようと、吐きそうになりながらも細い首に力を込める。再び、ぱあん!ショットガンから弾倉を抜くきゅーぶの後ろ姿が見える。その奥に若草色の巨大なもの。…身を低くしてぎりぎり廊下に収まっている巨大なカマキリ?その巨大カマキリには本来ある筈の胴の代わりにセーラー服を着た女子高生の上半身が付いていた。「うわ!何あれ!」

 「銀河!降ろしていい?」乙女の声。銀河は進行方向へお尻を向け、乙女の脇に抱えられている。

 「だ、駄目!絶対駄目!」今、降ろされたら、死ぬ自信がある。

 「きゅーちゃん!どーすんの!」亀丸がどこかで叫んでいる。きゅーぶも身を翻して追いついてきた。セーラー服巨大カマキリ女もギチギチと関節を鳴らしながら追ってくる。

 「散弾じゃ貫通しません!このまま逃げ切りましょう!」

 「ま、マジで!」

 「藤咲きゅーぶ!私、長距離苦手なんだけど!」

 「が、がんばってください!」が、がんばって乙女!

 「…やっぱ、嫌!逃げるのは性に合わないわ!」乙女がスピードを上げる。先を走っていた亀丸を追い越す。銀河は揺さぶられてお腹が痛い。

 「乙女、何する気!?」さっき通った踊り場に辿り着く。乙女は答えを返す前にぺいっと銀河を放りだす。「痛てっ」慌てて、起き上がって見ると、乙女が全力で逆走を始めていた。「ちょ、乙女!」待て待て待て。何であんたはそういう訳のわからない事ばかりするのかな。止めてよ、乙女。マジでストップ。

 「ふ、不破さん!?」亀丸と擦れ違い「乙女さん、無謀ですよ!」止めようとするきゅーぶを避け、乙女は更に加速する。カマキリ女が速度を落とし、乙女に狙いを定める。大きく開いたセーラー服の胸元から生え、折りたたまれていた鎌が伸びる。乙女が日傘でそれを弾き、跳び上がる。日傘をカマキリ女の頭目掛けて振り下ろす。カマキリ女は大きく身を逸らしていて、乙女の攻撃は当たらない。乙女、着地する。そこに再び、鎌が伸びる。ぱあんぱあんぱあん!ガードの開いた上半身にきゅーぶが連続で散弾を叩きこんだ。カマキリ女が伸ばそうとしていた鎌をガードに戻し、ぶぎゃあ、と苦しみだす。乙女、体勢を立て直し、カマキリ女の足に向かって、日傘を思い切りスイング。バキっと音を立て、カマキリ女の左前足が折れる。悶絶し、カマキリ女が物凄い勢いで後退を始める。「ア、アシ!アシガイタイ!」ぎゃー、喋ったー。「アシガイタイ、アシガイタイ、アシガイタイ…!」それを追う乙女。

 ぶるるっ!ピー!「待って!乙女さん、波が来ます!」乙女の舌打ち。「…3…2…」距離が離れ過ぎている。このままじゃばらばらの位置に出てしまう。「1…0…」


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