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運命じゃない恋  作者: 史音
2/4

偶然から始まる恋

働き出して数年があっという間に経った。

今となっては、昔の恋は良い思い出となった。一番奥にしまってある、大切な思い出だ。


「じゃあ、ひとまず適当に楽しく飲んでください」

同期に無理やり連れてこられた合コンで、わたしは彼と再会した。その合コンも当日無理やり連れてこられたもので、私は全く気乗りしないものだったけれど。まさかその場で、彼と会うとは思わなかった。


彼は会に遅れてきた。自己紹介も終わってみんなで盛り上がっている最中に、居酒屋の扉を開けて彼が来た。

その姿を見て、すぐに彼だと分かった私は一瞬とても焦って、思わず視線を逸らせてしまった。だけど、彼は部屋に入ると入り口の近くの、私と離れた席へ座った。多分、私に気がついていない。そのことにほっとして、私は隣の人との会話を続けた。


「ねえ、西野だろ?」

彼にそう声をかけられたのは、席替えした時だった。本当に運悪く、と言うか、彼は私の隣に来た。いや、席替えのルールを無視して私の隣で立ち止まって、半ば無理やり私のところにきた。

ネクタイをした姿は、学生の時とはすっかり変わっていた。昔よりずっと大人びた視線と仕事の自信に満ち溢れた姿は、もっと格好良くなっていた。彼も大人になったのだと実感した。でも、西野、という私を呼ぶ少し低めの声は、学生の頃と同じだった。懐かしい思いがこみ上げてくる。


「うん、斉藤くん、だよね」

西野沙耶というのが私の名前だ。彼の名前は斉藤智也という。彼が私の名前を覚えてくれていたことに、驚いた。

彼は、斉藤くんは私の隣に座って、そこらにあったビールをぐいと飲んだ。この人はお酒が強かった。昔はサークルの飲み会で最後まで飲んで、酔っ払った人を介抱する係だった。それから…

「なんで最初に声かけてくれなかったの?」

物思いにふけっていると、隣から声がかかった。斉藤くんは少し、眉を寄せていて、どうやら私が知らないフリをしたことをよく思っていないようだった。

斉藤くんくらい目立つ人なら、誰でも覚えていると思う。だけど、私みたいな人のことは、大抵の人は覚えていないだろう。

「覚えてないかと思ったから」

「覚えてるし、西野のこと、見ればすぐにわかるよ」

斉藤くんはそう言って、またビールを飲んだ。

西野は冷たいな、と続けられた言葉は口調は素っ気なくても、顔は笑顔で、怒っているわけではなさそうだった。


「どうして合コンなんて来てんの?」

煽るようにビールを飲んでいる斉藤くんは、またグラスをあけた後でこっちを見た。私は苦笑いする。合コンに来る理由なんて一つだ。

「彼氏、いないの?」

そう聞かれて、改めて返事するのも微妙だけど、こっちを見る斉藤くんとバッチリ目があってしまったから、私は頷くことで返事した。しつこく聞いたくせに、斉藤くんはふうん、とあっさりした返事をして、またお酒に戻ってしまった。


「髪、伸びたね」

斉藤くんがこっちを見た。ああ、と私は思い至る。大学時代はずっとショートカットだった。だけど今はロングヘアをハーフアップにしている。背中の半分に届く長さの髪は、あの頃の私からは想像できないだろう。着ているものも昔はもっぱらジーンズで、スカートなんて滅多に履かなかった。今はブラウスにスカートのOLの鉄板スタイルが板についている。


スーツ姿が似合っている彼と同じ、変わっているところはたくさんある。

見た目とか、着ているものとか。すっかり変わってしまったものだ。

「そうなの。ちょっとイメージチェンジ」

「だいぶ、雰囲気変わったね」

斉藤くんはひたすら前を向いてお酒を飲んでいた。私は隣でちびりちびりとカクテルを飲みながら返事する。

「うん、やっぱり働いて人とも接するし、うちの会社に接遇講習もあったりして、いろいろ勉強した。変かな」

「そんなことない、似合ってる」

社交辞令みたいな返事に、それでも嬉しくなる。なんと言っても、恋した相手なんだから、褒めてもらって嬉しいのは当たり前だ。

「なんか、今思うと昔は髪も短くて、いつもジーンズで男の子みたいだったなって」

思い出して、我ながらおかしくなって笑ってしまうと、斉藤くんはこっちを見た。その目は酔っていなくて、私の笑いを消すような、真剣なものだった。

「俺は、あの時の西野も良いと思ってたよ」

予期せぬ返事に、私はどう返事して良いのかわからなくなってしまって、誤魔化すように俯いてお酒を飲んだ。隣でビールを飲む斉藤くんの腕が見えた。


昔と比べたら話が続いている方なのに、昔より気まずい気がするのはどうしてだろう。その後もなんとなく会話が続かないまま、時間は過ぎていった。いっそ席を変えてくれたらよかったのに、彼は頑として私の隣から動くことはなかった。

そうすると周りもこの人たちはうまくいっているんだなと誤解して、二人きりのまま放っておかれることになる。

「斉藤くん、他の人と話さなくて良いの?」

問いかけると、斉藤くんはジロリとこちらを向いた。そうして今度こそぶっきらぼうな顔に、素っ気ない返事が来る。

「西野と話す方がいい」


話す、というほど会話は盛り上がっていない。合コンにきているなら、いろんな人と話した方がいいはずなのに、知り合いの私と黙ってお酒を飲んでいるなんて変な感じだ。

私はなんとなく悲しくなる。せめてもっとうまく立ち振る舞えたらよかったのに、そんなこともできないまま、私はただ彼の近くにいる。あまりにも会話が弾まないことに、気持ちが落ち込む。

せめてあの頃よりも、もう少しうまく振る舞えているところを見せたかった。どうして今日、こんな風に会ってしまったんだろう。会わなければきっといい思い出で終わったのに、と、この偶然が嫌になってしまう。


そんな気まずい会は私がお手洗いに行っている間に終わりを迎え、戻ってくると部屋には彼しか残っていなかった。

「あれ、みんなは?」

「もう帰った」

みんなはさっさと二次会に移動してしまったらしい。周りからしたら、私たちは『後は二人でどうぞ』みたいなものなんだろう。私は苦笑いした。彼は自分の重そうなバッグを手にして立ち上がった。

「帰ろう、送るよ」

そう言って私の返事なんて待たずに彼は歩きだした。


私は大学の時からずっと同じ場所に住んでいた。そう聞いて彼は驚いた。

「まだ同じところに住んでるんだ」

「そう。なんとなく引っ越しするのも面倒になっちゃって」

彼と二人、並んで電車に乗る。私にとっては変わらぬ電車も、彼にとっては久しぶりのものだろう。昔もこうして並んで座った電車に同じように座ると、嫌でも昔を思い出す。思わずポツリとつぶやいてしまった。

「昔、よくこうして一緒に帰ったね」

「そうだな」

斉藤くんも同意して、小さく笑った。

「懐かしいなあ」

思わず呟くと、斉藤くんがこっちを向いた。その顔は明るい笑顔に変わっていて、昔の笑顔を思い出させた。

よく見ると、その顔はなにも変わっていない。

「斉藤くん、テニスうまかったよね。ずっとすごいなと思って見てたよ」

「西野は下手くそだったね」

私は運動神経がなくて、テニスも本当に下手だった。それを覚えている人がいることに、落ち込む。

「忘れてほしい、そんなこと」

斉藤くんはそんな私を見て、さらに笑う。

「でも、いつも一生懸命応援してくれてるから、頑張ろうって思ったよ」


私が彼を応援していた理由は、彼が好きだったからだ。特別大きな声を出した訳でもないし、派手な応援をしたわけでもない。そんな目立つことができる性格でもない。ただ、じっと彼の打つボールを祈るようにして見ていた。頑張ってと思いながら、彼を見ていた。

でもそれで彼がそれを知っていたことに驚く。

「ありがとう」

私は素直にお礼を言った。それはとても私を喜ばせた。


視線の合った斉藤くんも柔らかい笑顔になって私たちは笑い合った。なんとなく、昔に戻ったような気がした。


もう大学生でもない、社会人になった私たち。見た目は変わったけど、実は何にも変わっていないのかもしれない。

その証拠に、私はこうしていると彼を好きだった気持ちをたくさん、思い出している。そして、その気持ちがまた膨らんでくる。

テニスしている時の真剣な顔が好きだったこと。二人で電車に乗っている時、疲れていても、絶対に私を先に座らせてくれたこと。私が考えてようやく口にする返事を、黙って待ってくれていたこと。

思い出すと、今の彼も同じだ。全く変わっていない。私が恋した彼のままだった。


その時電車がカーブに差し掛かって、私は少しだけ体がぶれて、彼の腕にぶつかった。ごめんと謝ると、斉藤くんはなんでもないことのように気にしないで、といった。

触れた腕は、スッと離れていく。離れた腕は、彼の体の横に戻っていく。私はそれをぼんやり見ていた。


学生の時、空いている電車の中で二人で並んで座った。

だけど、付き合っているわけでも、仲がいい訳でもない私たちの座る間には、少しだけ微妙な隙間が空いていた。


恋人だったら、もっと近い、お互いの体がつくくらい近い距離。

仲のいい友達でも、もう少し近い距離。

恋人でも、友達でもないから、近くにいるのに、少しだけ間の空いた、微妙な距離。


私たちの間にはあの頃と同じように微妙な隙間が空いていた。距離感は変わらない。

そんなことをぼんやり考えていたら、わたしは彼と連絡先も交換していないことに気がついた。


頼んだら、彼は教えてくれるのだろうか。

頼まなかったら、教えてはくれないのだろうか。

何も言わなかったら、このまま駅で別れておしまいなんじゃないだろうか。


もう、本当にこの先、私は彼に会うことはないかもしれない。

こんな風に好きだった人にこんな偶然に会うなんて。

これって、よく考えれば、驚くほど幸運な偶然じゃないだろうか。

もうこんな偶然は、二度と来ないのではないだろうか。

そう思ったら、気持ちが決まった。


私は彼の方へ顔を向けた。

「あの」

彼は黙ったまま前を向いていたけれど、私の視線に気がついて、私の方を見た。

「何?」

少しだけ気が怯んだけれど、私は意を決して口を開いた。

「斉藤くん、あの、話があって」

彼の顔は訝しげになる。

「なに?」

「ずっと言いたかったことがあるんだ」

私は一度小さく息を吸って、口を開いた。


「私、ずっと、斉藤くんのこと、好きだったんだ」


斉藤くんは目を少しだけ見開いただけで、表情は変わらなかった。私は彼が口を開く前に、早口で続けた。

「ずっと好きで、本当は卒業式の日に告白しようと思ってたの。できなかったけど。もう会えないと思ってたから、だから、今日は会えて嬉しかった」

「こんなところで会えるなんて、私には幸運な偶然だったけど嬉しかった。ありがとう」

そう言って、私は頭を下げた。


顔を上げると、斉藤くんはさっきと同じ表情のまま、私を見ていた。

驚いているのか、少しだけ目が丸くなったまま、固まっていた。なんでもそつなくこなす人なのに、こんな顔もするんだな、とおかしくなってしまった。確かに、ただの同級生の私に、まさか卒業してから告白されるなんて、想像もしていなかっただろう。ましてや、ずっと好きだったなんて言われても、驚くしかないのかもしれない。


反対に、私は言うだけ言って、何だかさっぱりしてしまった。

ずっと言えなかったことだから、ようやく言えてほっとした、という感じもする。これで気持ちに区切りがついた。

もう少しで私の降りる駅がくる。彼の返事がどうであれ、電車を降りたら、それで終わりだ。

それに答えがどうでも、私は彼にありがとう、が言える気がする。

会えてよかった。好きと言えてよかった。

今日のこの驚くほどの幸運な偶然に感謝だ。


ちょうどその時、私の降りる駅を知らせるアナウンスが流れた。私はすっと立ち上がると、彼の前に立つ。

「ありがとう、送ってくれて。会えてよかった。本当にありがとう」

私は笑った。

背中でドアの開く音がして、私は彼に手を振った。もうこれで終わりだ。

そう、思っていたのに。彼の前で横に振った手は、彼の手にその動きを封じられた。

「斉藤くん?」

彼は私の手を掴むと、立ち上がってそのままドアへと歩いていった。自然、私も掴まれた手ごと、彼に引きずられるようにしてドアへと進む。

「斉藤くん?」

ホームに降りると、ちょうど私の後ろでドアの閉まる音がした。私は目の前の背中に向かって声をかける。電車は静かに動き出した。斉藤くんは電車を降りてよかったんだろうか、そう思って彼の背中と走る電車を見つめている。


電車が過ぎ去ると、斉藤くんはゆっくりとこちらを振り返った。

その表情は少しだけ強張っているようにも見えた。だから、私は少し困って視線を下げた。

「困らせて、ごめんね」


その途端、彼の手に強い力が入った。

「違う」

その言葉に私は顔をあげる。斉藤くんは私をじっと見つめていた。視線が合うと、彼は気まずそうに笑った。

「俺が先に言おうと思ってたのに」


思わず、え?と聞き返すと、彼は苦笑いした。

「告白しようと思ったのは俺が先なんだけど」

「え?」

今度こそ私ははっきりと聞き返した。

「引退試合の帰りに、俺、告白しようとしたら、西野が寝ちゃってできなかったし」

「え?」

「最後の試合の日。俺が最後にシングルスで勝った時。帰り道で言おうとしたら、西野隣で寝ちゃうし」

「ええ?」

思いも寄らないことを言われた。それは私が、彼が私の肩に頭を載せていた時のことだ。あの時、私は寝てしまったんだっけ?と思っていると、目の前の斉藤くんは苦笑いした。

「ほら、忘れてる。熟睡しているから、寝過ごしそうになってて、俺が起こしたら慌てて降りてったんだよ」


そう言われて記憶を辿る。微かに記憶が蘇る。

それは、彼に起こされて、慌てて走ってドアへと向かう。その背中に、声がかかったような気がして、でも、そう思って振り返った時には、もう電車のドアは閉じていた。気のせいかな、と思ってすっかり頭から離れていた。


「そんなことが…」

あったような気がする、と思いながら斉藤くんをみると、斉藤くんはため息をついた。

「卒業式だって、俺が卒業式の後の飲み会で話そうとしたら、西野、親と一緒に実家に帰っちゃったし」

卒業式、終わった後で、サークルのみんなで打ち上げをすることになっていた。だけど、両親がきていたので、私は親と一緒に帰省してしまった。だから参加しなかった。確か、急遽参加を取りやめた気がする。


「そんな感じだったかも」

いろいろ思い出した私の返事に、斉藤くんはもう一度ため息をついた。

「俺、西野の連絡先、知らなかったから。それは俺が悪いんだけど」

周りに聞こうとしても、何だかうまく繋がらず、人伝を繰り返すうちに、結局連絡先がわかりそうな頃には長い時間が経っていて、もう連絡し難い状況になっていたと言う。

「ごめんなさい」

「今日だって、本当は今度こそ俺から言おうと思っていたのに」

見上げた斉藤くんは、少しだけ不満そうな顔をしていた。

「なんと言うか、ごめんなさい」

斉藤くんは私の顔を見て苦笑いした。

「告白しようと思っていたのは、多分、俺の方が先」

そう言って少し考えたような顔をして、小さく頷いて口を開いた。

「好きになったのも、俺の方が先だしね」


驚いて視線をあげると、目があった。お互いなんとなく、笑ってしまった。

でも、この人はわかっていない。私は大学に入ってすぐ、4月の彼の試合を見て、好きになった。多分、彼よりもずっと長く、彼を思っている。私は首を横に振る。

「好きになったのは、私の方が先だよ」

「俺の方が絶対に先」

「嘘だ」

二人で言い合って、また笑った。


「俺からも、いい?」

斉藤くんは笑った。私が頷くと、私の目を見た。

「ずっと、好きだった。俺と付き合ってください」

私は首を縦に振った。


これは運命じゃない。

偶然から始まる恋だ。

今日の驚くほどの幸運に感謝だ。


彼が私の手をしっかりと握る。私はその手を握り返した。

そうして手を繋いで、二人で歩き出した。


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