明けないよるのまち
ホウシュは空を見上げる。決して朝の訪れない暗い空を。数々の星が瞬く空を。
明けないよるのまち、クルシエ。
ホウシュはクルシエが嫌いではなかった。生まれたときからずっと己と共にある夜空が大好きだった。一等好きで、静かさと闇がホウシュにとっては安寧だった。クルシエに住む者のほとんどはそうである。
夜が優しいことを、彼らだけが知っているのだ。
そんなある日、ひとりの旅人がクルシエにやって来た。
旅人はクルシエの街をみて、悲しそうな顔をした。ホウシュは旅人のもとへ近寄っていって、尋ねた。
「どうして旅人さんは悲しそうな顔をするのですか?」
旅人はホウシュを見やり、目線を合わせて答えた。
「それはね、お嬢さん。この街には朝が来ないからですよ」
ホウシュは首を傾ぐ。
「旅人さん、旅人さん。どうかこの他の地を知らぬ我が身にお教えくださいな。朝とは、そない良いものでしょうか」
「ええ、まだまだ若輩者でありますが、愛らしい稚児へ、お教えしましょう。朝とはね、希望なのですよ。暗い夜のあとには必ず日が昇ることを、人は希望と呼ぶのです」
「成る程、成る程。希望、ですか。確かにクルシエには希望は、ないでしょう」
旅人は満足そうに頷き、悲しそうな顔に戻った。思考に耽るホウシュをどこか憐みの眼差しで見つめて、そうしてクルシエを見た。
ホウシュもクルシエを見た。
クルシエは良い街だ。ホウシュの生まれ育った大切な街だ。家家には灯りが揺れ、市には果物や魚がたくさん並び、この地方に伝わる特殊な柄の布があちらこちらに垂れている。
人々は明けぬ夜に踊り、騒ぎ、時に沈みながら日々を懸命に生きている。美しい空を見上げ、闇に安寧を抱き、笑い、泣き、いつだって全力。それがクルシエの民である。
ホウシュは、希望とは何だろう、と思った。
クルシエの街にはないものなのだろう。だって朝が来ない。朝という概念が存在しない。ということは、クルシエに足りないものであるはずなのだ。
けれどホウシュは生きていてこの方、クルシエに足りないものがあるとは欠片も思ったことがない。
その、希望、とやらを必要と感じたことがないのだ。
ホウシュは旅人を見上げた。
「もうし、もうし、旅人さん。希望とは、必要なものなのですか」
旅人は驚いてホウシュを見た。その表情は真剣で、旅人はまた驚いた。そんなこと、と言ってしまうのは楽だったが、少女の目がそうさせようとはしなかった。
「愚考します。ホウシュは十年生きてきた中で、その、希望、とやらを必要に感じたことがござりませぬ故。
ホウシュは朝を知りません。ホウシュは希望を知りません。ですがホウシュは不幸ではない。ホウシュは親の亡き子ではありますが、大層幸せにございます」
「……」
「旅人さん、旅人さん。貴方様の目には、クルシエはどう映りますか。朝が来ない街です。希望のない街です。ですがこの通り、民はそのことを疑問にすら思いません。
クルシエは満たされています」
「……ええ、そうですね」
「先程旅人さんは、わたくしのことを憐みなさいました。悲しそうな顔をなさいました。わたくしには分かりません。そのようなことをされる理由は一つだってない、そう存じます」
「ええ、はい」
「……恐れながら、再度お尋ねします。
希望とは、必要なものなのでしょうか」
旅人はなにも答えなかった。代わりにまた、クルシエを見た。人々の笑顔を、街の明かりを。
答えはもう分かりきっていた。