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「それではお嬢様、きちんと温かくしてお休みくださいね」
アンはドアノブにかけていた手を引っ込めて私を振り返ると、真剣な顔で念を押した。
苦笑いを返して、私は寝転がったまま腰あたりにあった掛布団を見せつけるように手繰り寄せた。
「もう、何回も言わなくても分かったから。これでいいでしょ?」
「よろしいです」
満足そうにうんうんと頷いたアンに「あれ、私仮にもお嬢様だよね?」と内心首を傾げる。
「それではお嬢様、おやすみなさいませ」
「おやすみ」
部屋の電気を消して部屋を出て行ったアンを見送ると、私は天井を見つめて息を吐いた。
思い出されるのは先ほどのパーティー会場での出来事。
* * *
三人の婦人と対面している少女に、私の視線は釘付けになっていた。
「あなた、何処の誰だか知らないけれどマナーも何もなっていないわね」
「ロード様、どうせ名も知れない成り上がりの家の子なのよ。仕方ないわ」
「そうよ、気になさることないわ」
嘲笑する婦人達に、困ったように眉を下げる少女。ぱっちりとした瞳を伏せ、俯きがちにしていてもその可愛さが分かるほどのビジュアル。
____彼女こそがこのゲームのヒロイン、リリス・テンドだ。少し地味目のドレスが彼女の可愛さをより引き立たせている。
どういう事かというと、つまりは控えめに言って可愛い。
前世の私はヒロインの可愛さも購入の際の基準にしていた。スチルではヒロインががっつり出るから特に大事だし、もはや推しがヒロインというゲームすらあったほどだ。
目の前で繰り広げられる絵に描いたようないじめの場面に「茶番か?」と思わずにはいられなかったが、ここがゲームの世界で、さらにいじめられているのがリリスその人であるならばこれは重要な『イベント』に違いない。
「あの、私は」
「そもそもあなた、本当にここの招待状を受け取っていまして?」
「え」
「招待状がないとこの祝賀パーティーに来れないのよ?」
「いえ、私はちゃんと招待状を頂いています」
「本当かしら? 疑わしいわ」
「……」
見れば見るほど何百回とみたことある光景だなぁ……。確かにリリス可哀想だけど、この後の展開なんてゲームやってない私でもわかる。どうせ攻略対象の誰かが助けに来て「この女性は王族の方だぞ、失礼なのは君の方だ」なんて言って間に入ってくれるんでしょはいはいテンプレテンプレ、ごちそうさまです。
「さっきから何なの? 伯爵夫人であるわたしに向かって口答えするなんて」
「すみませんそんなつもりは、」
ロード婦人は眉を吊り上げて、リリスを睨みつけている。
「大丈夫かしら、あれ。放っておいて」
隣でそう呟いたハンナに、私は焦り始めていた。周囲を見回すが、ヒートアップしていく婦人たちを止めるものは未だ現れない。
お兄様でもアルでもダンでも、誰でもいいけどまだ来ないわけ? ここで颯爽と現れて助けるんじゃないの?
「いい加減にして頂戴、どうせさっきの招待状も偽物で本当はここにも衛兵の目を掻い潜って侵入したんでしょ?」
「いえ、ですから私は」
焦っている間にも言い合いは加速していく。
「どういう発想で侵入なんて思いつくのかしら。そりゃああの子、初めて見る娘だけど」
「あぁいうのはただ人に難癖つけたいだけなんだから、被害妄想が激しいだけよ」
不思議そうに話すハンナに早口で言葉を返しながらも視線は少女から目を外さなかった。誰もかれもが、触らぬ神に祟りなしといった様子で事の成り行きを見守っている。その中に攻略対象の姿はない。
誰か、早く来いよ! どんだけこの茶番劇見せるんだこのゲーム! というかお兄様たちは何処行きやがったまじで!
内心悪態つきまくりだが、長年培ったポーカーフェイスが崩れることはない。伯爵令嬢の中身が「こんな」だと知られたその日にはドン引かれること間違いなしなので一生隠し通す所存ではあるが。
「っ、あなたにはこっちの方がお似合いなんじゃない?」
「え」
視線の先で、婦人がテーブルに置いてあったシャンパン入りのグラスを手にしようとしている。
まずい。
さっと周囲に視線を走らせるが、やはり彼女を助けようとする人影はない。
「ねぇルーナ、ちょっとまずいんじゃ____」
ハンナの言葉を最後まで聞く前に、私は走り出していた。リリスまでの距離は五メートルもない。ドレスを着ているせいで走りにくいが、大丈夫、きっと間に合う。
私がリリスの前に出るのと、夫人がグラスを振りかぶったのはほぼ同時だった。驚いた夫人の顔が目に入る。咄嗟にグラスを引くそぶりを見せるが、今からじゃ間に合わないだろう。
パシャ__
冷たい液体が頭に掛かる。俯いたおかげで顔はよけられたから私としては上出来だ。
きゃあ、と小さな悲鳴と共にざわめきだす観衆たち。
ぽたぽたと髪から滴るお酒の匂いに顔を顰める。
「ルーナ、ヒュート様……」
目を剥いてこちらを見つめるロード夫人たちは、まさかといった表情だった。
そんな顔で見つめられても、私も予想外の展開なんだなぁこれが。
「ロード夫人、これは聊かお痛が過ぎるのではありませんか?」
「あ、わ、たくしは……」
私が口を開けばすっかり青ざめてしまった夫人に、あくまで笑顔を絶やさずに言葉を続ける。
「彼女が忍び込んだんじゃないかと仰っていましたけれど、それはこの会場を警備している王国騎士の方々へ失礼に当たるのではなくて?」
「わ、私はただこの方に!」
「あら、『あなた』が、私に口答えするの?」
「……申し訳ありません」
一気に畳みかけると、夫人はしゅるしゅると風船がしぼむように小さくなっていった。
さて、ここで一つ今世で得た知識を一つ。と言っても私も難しくて詳しいことはよくわからないのだが、私もロード夫人も伯爵家の人間だ。しかし身分的には私の方が上なのである。なんでもヒュート家は王家直々に叙勲され、ロード家は上級貴族に叙勲されたという違いからこのような差が生まれるらしい。だから私は夫人に対してこんなデカい態度が取れたわけである。
そんなこんなで、リリスを庇ったことは別として人生初の悪役令嬢っぽい振る舞いを出来たことにちょっぴり悦に浸っている私はさらに続ける。
「謝る相手は他にもいらっしゃるのではなくて? 知らないふりをしているそこのお二人もね」
しれっとその場から立ち去ろうとしている夫人二人を引き留める。
「申し訳ありません、でした」
不本意、と顔にでかでかと書いてある三人に、追い打ちをかけるように告げる。
「先ほど彼女が見せた招待状、私の目が間違っていなければ王族の印が捺されていたようだけれど」
彼女たちは途端に顔を白くさせて、ぺこぺこと謝り始めた。背後で成り行きを見守っていたリリスは慌てた様子で私の横に躍り出ると、彼女たちに顔を上げるように言っている。
私はそっとその場を離れようと踵を返すと、ハンナに大声で名前を呼ばれてしまう。
「ルーナ! 大丈夫? あぁ、こんなに濡れて……!」
駆け寄ってきたハンナが私の髪を見て嘆く。
「大丈夫よこれくらい。お風呂で流してしまえばどうということはないし。……というか私お酒臭いからあんまり近寄らないほうがいいわよ? それにちょっとベタベタしてるし」
自分の髪の毛に触ると、普段の指通りはどこへやら。肌もべたつくし、早くシャワーを浴びたい。
「そんなの気にしないわ! さっきボーイにタオルを用意するように言ったから、別室に移動しましょう」
「あ、ありがとう、用意が早くて助かるわ」
いつの間にそんな手配を……。
「ルーナ!」
早足でこちらに向かってくるのはグレイにアルにダンだ。騒ぎを聞きつけてきたらしいが、今頃来たってもうイベント終わったわ! とは流石に言えず、笑って三人を迎える。
「お兄様、お二人も」
「大丈夫、には見えないね」
アルは私の顔にへばり付いた髪の毛をどかしながら険しい表情をした。その横で同じような表情をしているダンは、黙って私の手を握った。普段一番騒がしい彼がこんなに静かなのは珍しい。それほどまでに心配させてしまったのだろうか。
「別室に移動しますから、お話は後にしてください」
ハンナが責めるように声を上げ、私の腕をぐいぐいと引っ張る。
「そうだね」
「行こうか」
「早くしねーとルーナ風邪ひいちまうしな」
「待ってください!」
会場を出ようとした私たちを背後から引き留める声に、足を止めて振り返る。
「ありがとうございました」
大衆の注目を集めながら、リリスが深々と頭を下げている。いつの間にかパーティーの喧騒は止み、辺りは静寂に包まれていた。私は彼女に向き直り、口を開く。
「気にしないでください、私がしたくてしたことですから。……それと、王族の方がそう簡単に頭を下げるのはよくありませんわ。お気を付けください。それでは、失礼いたします」
彼女が顔を上げる前に、私は踵を返して歩き出した。
* * *
寝返りを打って目をつむる。衣擦れの音とスプリングが軋む音が耳に届いた。
あれから私はグレイと一緒に一足先にパーティー会場を後にした。
帰ってきたときの使用人たちの慌てよう__特にロイとアン__は酷かったが、なんとか落ち着かせやっと寝床に着くことができたわけだ。
しかし、不可抗力とはいえリリスに関わってしまったのは不覚だった。私としては全くもって関わるつもりはなかったのけれど、あのままじゃリリスがシャンパンを被ることだったし、目の前でそんなことされたらこっちも気分悪いし仕方ないっていうか……って、自分に言い訳してもなぁ……。
この出来事が今後にどう影響してくるのかは分からない。というか私にはどういう展開になったらゲーム通りなのかも分からないから、現状自分が思った通りに行動するしかないのだが。
このゲームをプレイしていない私としては、リリスと攻略対象たちを陰から見守るモブにでもなりたいところだけど、悪役令嬢の立ち位置にある以上そうも言ってられないだろう。
目を開けると、カーテンの隙間から銀色の月明かりが一筋部屋を横切っていた。
____会場で感じた視線。あれは、リリスだったのだろうか。それとも、なにか別の……__
いや、答えが出ない問題を考えるのは止めて今は眠ってしまおう。
幾分か興奮している頭をシャットダウンさせなければ、と再び目を閉じる。
頭の中を飛び回っている問題を放り投げて、私は夢の中に飛び込んだ。