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嘘だろオイ。
最悪だ。もう駄目だ、絶望だ。
公式サイトでしっかり「ヒロインに何かと突っかかってきて、嫌がらせをする伯爵令嬢。グレイの妹」と紹介されていたのを思い出してしまった。
一番恐れていた事態だし、正直今の私の精神衛生はよろしくないが、冷静に考えてみよう。
「私」がルーナ・ヒュートであるということで、原作が変わる可能性がある。そもそものシナリオを知らないので今までの私や私の周りの人間が原作通りに生きているのかさえ分からないが、少なくとも私は悪役になんてなるつもりは毛頭ない。死にたくないし。既に四人もの攻略対象と仲良くしている以上、彼らと関わらないなんてのは無理な話だ。しかし、ヒロインと関わらなければある程度の危機は回避できるのではないだろうか?
それに、そもそもこのゲームにルーナ・ヒュートが死ぬルートがない、という場合も考えられる。
原作を知らない私にできる事はヒロインである女の子にできる限り近づかないこと。
この学園が物語の舞台になっている以上、すでに「始まっている」と考えていいはず。ということはこの大講堂のどこかにヒロインがいる。
私はさっと視線だけを周囲に走らせるが、人数も多いし私の位置からは見えない顔の方が多い。
公式サイトで顔は知っているから、会えば分かるはずだ。見かけたらできるだけ離れた場所にいよう。
せめて、大まかな物語の展開だけでも知っていたらあらかじめ対策も立てられるんだけどな……。なんで発売前に死んだんだ自分。本当に、なんで……。
そこまで考えてふと、不思議な感覚に襲われる。
__あれ、私なんで死んだんだっけ……?
「__それでは、以上をもちまして、第××回聖セントラル学園入学式を閉会します」
はっと、現実に引き戻されると同時に周りに合わせて立ち上がる。式が終わると同時に喧騒に包まれる大講堂。後ろで開かれた扉に押し寄せる人の波を見て、私は再び腰を下ろした。
もう少し人が捌けるまで待っていよう。
「あ、ルーナ!」
前方から声を張り上げて私の名前を呼んだのはダンだった。今日もその笑った口から八重歯を覗かせながら、ぶんぶんと手を振っている。
公爵の子息である彼が歩けば自然と人の波も引くようになくなり、私の席まで道ができる。
「久しぶりだな! 元気してたか?」
ダンはフォルン家特有の赤みがかった茶色い髪を少し揺らしながら小走りで私に駆け寄ると、隣にドカッと腰かけた。笑いかけてくるダンの顔を見て、こいつまたイケメン度が増したな……と思わず目を逸らす。
「まぁまぁね。ダンは相変わらず元気そうで何より」
本当は公爵の息子相手にこんな口を利くことなんてできないのだが、ダンは堅い口調が嫌いらしく崩れた口調でないと不機嫌になるのだ。
「おう! これからお前も帰るんだろ?」
「えぇ、そうだけど」
「なら乗せてってくれよ! 兄ちゃんがお前のとこ行ってるはずだからさ」
「え、アルがうちに?」
彼の兄であるアルグレードも、彼同様あまりお堅いのが好きじゃないらしく、愛称で呼ぶように言われている。
流石に年上だからタメ口は聞けないが。
「そうそう! グレイと剣の稽古をする約束をしてたらしいぜ」
「そうなんだ……。それじゃあ、一緒に行こうか」
「よっしゃ!」
大講堂を出て待たせている車に乗り込んだ途端、久しぶりに会えた反動からダンの話は止まらなかった。敷地内の庭を散歩してたら野生の熊とで遭遇して喧嘩した話から始まり、父親の食べる料理に悪戯してタバスコをぶっかけて怒られた話まで。久々に聞いたダンの話はパンチのある物ばかりだったが、家に着くまで止まらなかったそれのおかげで私は余計なことを考えずに済んだし、楽しそうに話すダンを見ていると自然と笑みが零れていた。
家に着き、ダンと居間に向かうとそこには既に稽古を終えたグレイとアルグレードがいて、紅茶を飲みながら談笑していた。
「ルーナ、お帰り。ダンも久々だね」
部屋に入ってきた私たちに気づいたグレイは立ち上がり、私を抱きしめる。
あれから三年経った今ではグレイもすっかり大きくなり、こうして抱きしめられると私の身体をすっぽり覆うほどだ。
稽古の汗を流したのか、お風呂の良い匂いがする。
「久しぶりだな、グレイ!」
「ただいま戻りました。アルも、お久しぶりです」
グレイから体を離し、兄の後ろにいたアルグレードに向き直る。
「久しぶり、元気そうで何よりだよ」
ツンツン頭のダンとは逆にさらりとした赤茶色のアルグレードの髪が、開いた窓から入ってくるそよ風に揺れた。
こいつもこいつでキラキラオーラが増してるし……。
「二人も入学したことだし、さらに学園生活が楽しくなるねぇ」
四人で椅子に座り落ち着いたところで、グレイはぽやんとした笑みを浮かべてそう口を開いた。
「そうだね。昼食も一緒に食べられるし、放課後はサロンでお茶会もできるし。二人との時間が増えて嬉しいよ」
グレイに同意して私とダンに交互に微笑みかけるアルグレードは、自然とこういうセリフを言える男なのだ。末恐ろしい。
「俺も! 明日から楽しみだなー」
「ダン、残念だけど明日は休日だよ」
「あ、そっか。うわー、明後日が待ち遠しいぜ!」
くーっとこぶしを握って悔しそうにするダンの様子を三人で笑っていると、部屋に入ってきたロイが控えめに声をかけた。
「お話し中に申し訳ありません。昼食の用意が整いましたので、お知らせに来ました」
ロイはこの中で一番、三年間で変化があった。
昔のような顔の幼さは無くなり、凛々しく、すっかり大人の男の人になったのだ。つい一ヶ月ほど前彼は無事に学園を卒業し、今では執事としての立ち居振る舞いがより一層様になっている。
ロイの卒業式に出席した時は「私と入れ替わりでお嬢様が入学するなんて神はなんと残酷なんだー!」と号泣されたのはいい思い出である。
まぁ、そんな友人としての私とグレイと、彼の関係が未だに変わっていないのはとても嬉しいことだ。そしてその関係に、アルグレードとダンが加わったのも。
「もうそんな時間か、それじゃあ僕たちはそろそろ」
「あ、お待ちください。実は、シェフがお二人ももしよろしければ一緒にお食事をどうか、と」
「え、いいの? そんな急に」
「えぇ、折角いらしているので、ご迷惑でなければ是非と」
退室しようとした公爵兄弟を引き留めたロイに、二人は顔を見合わせた。
あまり似ていない二人だが、こういう息ぴったりなところは兄弟だなと思わせる瞬間だ。
「じゃあ、お言葉に甘えていただこうかな」
「フォルン家のシェフにはご連絡しておきますね」
「頼むぜ、ロイ!」
「はい、ではどうぞこちらへ」
五人で学園生活について話しながらダイニングルームに向かっていると、アンが背後から私の名前を呼び、揃って足を止める。
心なしか沈んだ様子のアンが、不安そうな表情で私を見た。
「どうしたの、アン」
「その……、旦那様がお呼びです」
久しぶりに訪れた父の執務室は、相変わらず父の几帳面な性格がそのまま表されたかのようにしっかり整理されていた。
机の前に立ち、私に背を向けて資料に目を通す父はゆっくりと振り返るとその鋭い眼光で私を射抜く。
視線が交わったのも一瞬のことで、父の視線はすぐに手元の資料に戻った。
父の顔をこうしてまともに見たのはいつぶりだろうか。
短い髪にはところどころに白髪が混じっているが、その端正な顔立ちにあまり衰えは見られない。
眉間に寄る皺が無い父の顔を見たことはなく、そこにはいつも皺が刻まれていた。
「お久しぶりです、お父様」
頭を下げる。相手からの返答はないが、元から期待できたものじゃない。
父親であるディノンは私が物心つく頃にはこうだった。家庭に重きを置くより家を大きくすることを一番に考える人。父の喜ぶ顔は見たこともない。
「今夜入学祝賀パーティが行われるのはお前も知っているな」
「はい」
パラパラと紙が捲れる音の上から父の低い声が上塗りされて耳に届く。挨拶が返されないのは今に始まったことではないし気にしないが、マナーに煩い父がそれってどうなんだと思うことはある。
「そのパーティには勿論、公爵家や王族の方たちもお見えになる。くれぐれも、ヒュート家に恥じない振る舞いをしろ。学園生活にしてもそうだ。お友達ごっこもほどほどにして、ヒュート家としての手を広げるチャンスでもある。分かっているな?」
「はい、承知しております」
お友達ごっこ、ね。
「理解しているならいい。下がれ」
「失礼いたします」