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あれから更に三年の月日が経ち、私は十三歳になった。
聖セントラル学園の入学式に向かう車中、私はこの世界のことに思いを巡らせていた。
十歳の社交界デビューの時、私は新たに二人の「キャラと思しき人物」に遭遇していた。
一人目は公爵であるフォルン家長男のアルグレード。去年一足先に学園に入学したグレイと同い年で同じクラスになりすっかり意気投合したらしく、よく休み時間にチェスをしたり休日には一緒に馬で遠乗りをしたりしているほどだ。私から見た印象は「王子様」、この一言に限る。いや、実際には公爵なのだが、その言動や振る舞いは正に白馬の王子様そのもの。
グレイから聞いた話によると、あるときは校舎の陰で泣いている女の子にそっとハンカチを差し出して話を聞いてあげたり、またある時は図書館で高いところに手が届かない女の子の為に本を取ってあげたり。
そして何より、顔が良い。相手が公爵であるから告白こそされていないものの、虜にしてきた女の子は数知れずだろうことは伺える。
そしてもう一人はそのアルグレードの弟君であるダン・フォルン。私と同い年で、兄であるアルグレードと比較するならば随分と方向性の違う性格で、いい意味でその身分に似合わない言動をする人物だった。太陽のような笑顔を絶やさず、笑ったときに見える八重歯がとても可愛らしいダンは、思ったことは何でも口にするタイプで猪突猛進なところが玉に瑕。やんちゃで、元気で誰とでも気さくに話すその性格から人望も厚いだろうなと思わせる人柄だ。
そして勿論、この男も顔が良い。
そんな二人との邂逅は、私に再び前世での既視感をもたらしたが、リストアップされた人物のことを思い出そうとしても、頭に靄がかかったような感覚に陥り、何度やってもそれ以上何も思い出せなかったのだ。
揺れる車の中から、次々と移り変わる外の景色をぼんやりと眺める。
私は、そろそろこの世界のことを「作品」として捉えるのをやめた方が良いのだろうかと思い始めていた。
前世を思い出してからというもの、いつも自分の立ち位置や周囲のことを気にして生きてきた。しかし、一向に情報は掴めないまま三年。私は私の、ルーナ・ヒュートとしての人生にそろそろ向き合わなければならない。
前世の記憶は頭のどこかに閉じ込めてしっかり封をして、そしてこの人生を気持ち新たに始めた方が良いのかもしれない。
「お嬢様、足元にお気を付けください」
いつの間にか車は止まり、運転手が扉を開けて待っていた。
「ありがとう」
車から降り、学園用の真新しい靴を地面に着けた________瞬間。
「__っ!」
爪先から頭まで電流のような衝撃が駆け抜け、視界が揺れる。
そして頭の中でショートした電気がバチバチと火花を散らすように刹那的に浮かぶ前世の記憶の数々。弾けるように繰り返し起こるそれは、ほんの数秒にも満たない時間だった。
突如として起こった現象に耐えられる筈もなく、力が抜けて膝から崩れ落ちる。
「お嬢様!」
倒れかけた私を慌てて支えた運転手は、そのまま私の身体を車内に座らせた。未だ定まらない焦点に目を閉じる。震える手で頭を押さえ、ふーっと深呼吸をすることで頭の中の熱を吐き出そうとするが、暫くかかりそうだ。じっとりとした嫌な汗が額から頬に伝った。
「大丈夫ですか!? 今日はこのままお帰りになられた方が、」
「平気。ただ少し、眩暈がしただけ……。少し座っていれば良くなるわ」
深呼吸を数回繰り返していると、幾分か落ち着いてきた。問題は運転手の方だった。
「お医者様をお呼びした方が」、「もしやあの時の傷が……!?」と、完全にパニックになっている彼を宥めるのに少し時間はかかったが、なんとか入学式に出席することはできた。
普段なら「あの時の傷」というワードに中二心が疼くところだが、今はそれどころではない。
大講堂に集められた新入生は、壇上で挨拶をしている学園長の話に耳を傾けている。
無駄に長いその時間は、私にとっては頭の中を整理するには丁度いい時間だった。
先ほど思い出した記憶が、周囲の人間を見たときの既視感や一部の記憶にかかる靄をはっきりとさせた。
____この世界、前世にあった乙女ゲームで間違いない。
そう、間違いないのだ。あの既視感も本物で、グレイにロイ、アルグレードやダンはやはり攻略対象で、私がまだあっていないだけで他にも二、三人いた。物語のヒロインは王都のはずれにある小さな村に住んでいたがある日王族であることが判明し、聖セントラル学園に入学することになる。そこで出会う男の子たちとの恋や、立ちはだかる壁に立ち向かいながら奮闘していく、というような内容だった、気がする。
……気がする、というのは、私、このゲーム______プレイしてない!
え、なんで!? こういうのって普通やり込んだゲームとかじゃないの!? なんでプレイしてないゲームに転生してるの!? おかしくない!?
……いや、落ち着け自分。そもそもこのゲーム、予約はしていたのだ。公式サイトのゲームの設定やキャラクター紹介を見て、「王道だけどこういうの好きだしなぁ」と、予約したのを覚えている。公式が出していたゲームのプロモーションビデオもしっかり視聴した。腐女子の友人にも、「好きな声優さん出てるからたまにはやってみたら?」とかなんとか薦めた記憶もある。今思えば腐女子に乙女ゲーム薦めるってとんだ愚行だな。
だが私は、ゲーム発売日の二週間前に人生を終えてしまった。
故に私はこの世界の設定も、キャラクターのことも薄っすらとした知識しかない。逆に今まで生きてきた時間で得た知識の方が断然多いくらいだ。
そして一番重要なこと。それはルーナ・ヒュートの立ち位置だ。
自分のことを考えた途端、思わずため息を吐いた。眉間にしわが寄る。
勿論、ルーナ・ヒュートはヒロインではない。生まれも育ちも伯爵家の時点でヒロインの線は消えているのでそれはまあ良いとして……。
私の考えうる最低の予測が的中してしまった、と言えばわかるだろう。
ルーナ・ヒュート、悪役令嬢でした。