13
「あーもう煩いな、これから私は寝るの! 昨日も遅くまで作業してて疲れてるんだから耳元でぎゃーぎゃー騒がないでよ」
「別に騒いでないでしょ! 大体今何時だと思ってるのよ?」
「知らないわよそんなこと。時間なんて気にしたら負けよ、負け」
ロイの背中越しに聞こえてくるのはハンナともう一人の応酬だ。知らない声は女性にしては少し低めの通る声だ。続いて欠伸が聞こえる。
「全然意味が分からないのだけれど」
「意味なんてないからそれで正解よ……って、誰あんた」
「話したでしょ、私の友達が来てるって。彼はその付き添い」
「いつそんな話したの?」
「今しがた話したでしょう! 今日はお願いがあってきたって!」
「そうだっけ?」
記憶にないな、とまたも欠伸交じりの声が耳に届く。それに対して怒った口調で抗議するハンナ。二人の掛け合いから、気心知れた仲だということが容易に伺える。
ロイは軽く会釈するも、私の前から退こうとしなかった。
私も挨拶をしようと体を横にずらすが、それに合わせるようにロイが私の前に移動する。
「お嬢様、私の嫌な予感センサーがビンビンに働いておりますので今しばらく大人しくしていてください」
「何それ」
小声で後ろにいる私に耳打ちするロイは難しい表情のままだ。
断固として譲らない姿勢のロイと私が話している間にも、ハンナと女性の応酬は続く。
「だから、今日はお願いがあってきたの」
「じゃあ残念ね、そのお願いは聞いてあげられない。私も今抱えてる案件が中々終わらなくて大変なの」
聞こえてくる言葉に私は落胆した。
まぁ、人気の仕立屋さんに急にお願いしても聞いてもらえる確率は低いか。こんなに素敵な服を作る人にカフェの制服なんて頼めばさぞかし可愛い衣装ができるだろうと期待していたが、彼女が忙しいなら諦めるしかない。
「あら、あなたにもそんなときがあるのね。まあお願いは何が何でも聞いてもらうけれど」
「最近全くインスピレーションが湧かないから困ってんのよ。無理無理、帰んな」
「……せめて内容を聞くだけでも」
「お願いを聞こうにもアイデアがない今の状態じゃ何やってもダーメ。ほら、そこの兄さんも分かったら……____」
「あっ、お嬢様、」
せめてローミルに挨拶だけでもしたかった私は、ロイの不意を突いてひょこっと頭だけをロイの横から出した。すると、赤髪の美人な女性とバチッと目が合う。
彼女は私を呆然と見つめて、その眼を徐々に見開いていく。正直初対面の美人に見つめられるのはかなり精神削られるからやめていただきたいのだが。
私は耐えられず、彼女の視線から逃げるように目を逸らした。
次の瞬間。目の前を赤が横切り、私の眼前には先ほどの美女の顔が迫っていた。
「わ、」
「白磁のように滑らかな肌に艶のある黒髪、ぷくっとした唇にぱっちり二重の目……お嬢さん、お名前は?」
「……え」
その髪と同じ、燃えるような紅い瞳が私を見つめ、荒い息が私にかかったのも束の間。慌てて身を引いた私にずずいと迫ってきそうな彼女をせき止めるようにロイの身体が間に割って入る。
「ちょっと、邪魔なんだけど」
「申し訳ありません、お嬢様の身に何かあったらいけませんから」
ロイは余所行きの笑顔で彼女にそう言い放った。私の身に一体何があるっていうんだ。
「……ロイ、もう手遅れよ。ローミルは一度ロックオンした相手は絶対逃さないから」
ハンナはそう言ってロイの肩をポンと叩くと首を横に振った。
ロイがハンナに視線を向けた一瞬の隙をついて私の前に現れた女性、彼女こそローミル・ジュネその人である。
あれだけ実力のある人だから勝手にもっと大人の女性を想像していたが、思っていたよりも若い。ロイとあまり変わらないくらいじゃなかろうか。
「名前なんていうのかしら、お嬢さん?」
「る、ルーナといいます」
「なっ、いつの間に!?」
ロイは、私の手を握る彼女を見るや否や私たちを引き離す。
「お嬢様に不埒なことをしないでいただけますか!?」
「何よ、手を握って見つめ合ってただけじゃない」
「あなたがすると妙に色気があるからダメなの!……とりあえず、座って話をしましょう」
ハンナはローミルの首根っこを掴むと彼女を中央に設置されていた椅子の一つに座らせ、ハンナはその向かいに座った。
「でも、お忙しいんじゃ……」
「私の心配をしてくれるなんてなんて優しいの! でも大丈夫、今忙しくなくなったから」
「……?」
ウインクを飛ばしてくるローミルに首を傾げる。
そんな急に忙しくなくなるものだろうか。
ハンナはため息を吐いた。
「今なら、ハンナ様が『会わせたくない』と仰っていた理由が痛いほど分かります」
「ロイ、あなたならそう言ってくれると思っていたわ」
ロイがキッチンを借りて淹れてくれた紅茶を飲み、ローミルに早速本題を切り出す。
「実は、来月に予定されている文化発表会での制服の仕立てを貴女にお願いしたくて」
せっかくローミルに頼むのならと、どういう雰囲気にするかなど全く決めていない旨を伝えると彼女は少し考えこんだ後、紅い目を妖しく光らせた。
「……いいわよ」
「本当!?」
「ただし!」
身を乗り出した私たちに、ぴっと人差し指を立てたローミルは鋭い眼光をもって私を射抜く。
「ルーナちゃんが私のモデルになってくれるというのが条件」
「え、私?」
戸惑う私をうっとりと見つめて両手を合わせたローミルはさらにこう続ける。
「そう! ルーナちゃんは私にとって理想のモデル! 会った瞬間にびびっと来たの。今まで干からびていた川が、恵みの雨のおかげで濁流に変わったのよ!」
「は、はぁ……。お役に立てたのなら良かったですけれど」
このテンションは今までに会ったことのないタイプで、どう反応していいのか分からないものがある。
正直その勢いに引いてしまうが、なんとか笑顔を意識する。笑えているかは別として。
「今後、私のインスピレーションと活動の為にモデルになってくれるというのなら! そのお願い引き受けてあげるけど……どうかしら?」
「えっ」
ローミルは妙に艶っぽい上目遣いで私に視線を送った。
「ルーナ、聞くことないわよ」
「そうですお嬢様。こんな変た……明らかにお嬢様を如何わしい目で見ているような人のモデルだなんて何をされるか分かったものではありません!」
「おい、もじゃ男。今何を言いかけた」
「いえ、別に。というか変な名前で呼ばないでください」
わいのわいのと楽しそうに言い合っている三人を仲がいいなと見守る。
「あの、そんなことでいいのなら喜んでお受けしますけれど……」
「ィィィイエスッ!」
「本気なのルーナ?」
「お嬢様!」
喜んで、くらいのところで食い気味に叫びガッツポーズを決めたローミル。対して信じられないとでも言いたげな表情を浮かべたハンナとロイは私に詰め寄った。
「だって、モデルになるだけでしょ? ローミルさんだって忙しい中引き受けてくださるのだし、それくらいは」
「早まらないで! 文化発表会の為にあなたが犠牲になることなんてないのよ!」
「考え直してくださいお嬢様! ローミル様はお嬢様に近づける人間ではないと私の直感が告げております!」
「ふ、二人ともローミルさんに失礼ではなくて? ……それに、」
鬼気迫る勢いの二人に気圧されそうになりながら、私は二人を押しのける。
「クラスの女子生徒の方たちにはローミルさんにお願いするという条件でカフェに賛同いただいたようなものでしょ。今更別の人に頼んだら彼女たちに合わせる顔がないわ」
そう言うと、しゅるしゅると萎んでいく二人。
何がそんなに不満なのだろうか。確かに少し……うん、少しだけ変態チックな人だけれど、別にモデルになるくらいどうってことないだろう。それに有名なあのローミル・ジュネのモデルだ、中々なれるものではない。
いつの間にか私の手を握りしめ荒い呼吸を繰り返しているローミルが、ロイに羽交い絞めにされて回収されていく。
「ルーナ、ほんっとうにいいの!? 隙あらばルーナの匂いを嗅ごうとする変態よ!?」
ハンナはロイと格闘しているローミルを指さしながら私に訴える。
「可愛い子の匂い嗅がせて」と、事案な発言をする彼女を見て私は思わず視線を逸らした。
「…………ローミルさん、匂いは嗅がないでください」
「え!? なんで!?」
「なんでもです」
とまぁ、こうしてローミルとの交渉は無事(?)成立し、私たちは彼女の家を後にした。クラスの女子生徒十三人分の制服を一ヶ月で作るのは彼女一人では無理があるので、私の家から使用人を何人か派遣することになった。
そして彼女のモデルになるという件。後に一日がかりでいろんなポーズを取らされ、ローミルにエロカメラマンのごとく全身を嘗め回される日が来て後悔することになったのだった。