10
翌日、朝からダンにお呼ばれしていた私は、フォルン家を訪れていた。
玄関ホールまでわざわざ来ていたダンは、剣の稽古をしていたらしく練習着姿で出迎えてくれた。汗で濡れた髪からぽたぽたと水滴が零れているところを見ると、余程ハードな練習だったのだろう。
「本当に今日でよかったの? 忙しいんだったらまた後日でも」
「んーにゃ、今日でいいんだ!」
ダンから紹介したい人がいると言われて来たが、一体誰なのだろうか。
ダンは使用人の男性に声をかけ私をパーラーに通すように言いつけると、着替えに行ってしまった。
大人しくパーラーで出された紅茶を飲みながらダンを待っていると、十分もしない内に着替えたダンが戻ってきた。しかしその後ろには、背の高い男の人を伴っている。
その男に、私は見覚えがあった。
「わりぃ待たせちまって」
「いえ、気にしてないけど……」
ちらり、と私がダンの背後で微動だにせず佇んでいる男に目をやると、ダンは自分の身体を横にずらして男と私が向き合うようにした。
「ルーナ、こいつはギルデンツ・ステイル。俺の剣の師匠なんだ! ギル、こっちはルーナ、俺の大親友だ!」
ずっと紹介したかったんだ、とご機嫌な様子で腰に手を当てたダンとは反対に、私のテンションはダダ下がりだった。
目の前で仏頂面をして、私のことなど興味ないとでも言いたげに明後日の方向に視線を向けている彼。もうお察しかと思うが、攻略対象である。
ギルデンツ・ステイル、通称ギル様。確か王国騎士団団長の息子で、自分も騎士を目指しているが親の存在が強いせいで「才能」という一言で片づけられ努力を周りに認めてもらえない一匹狼キャラだったはず。
「よろしくお願いいたします、ステイル様」
「……」
ギルデンツは軽く頭を下げた私にちらりと目を向けたかと思えば、すぐさま視線を逸らした。
なんという塩対応。
「ギル! ルーナが挨拶してんのに無視すんなよ!」
ギルデンツよりも幾分身長の低いダンはぴょんぴょんと跳ねて視界に入る。ギルデンツはダンを視界に入れるとその口を開いた。
「ダン、もう用が無いのなら俺は帰る」
「は? あ、おい、待てよギル!」
そう言って、ギルデンツはダンの返事も聞かずに出て行ってしまった。その背中を見送った私たちの間には気まずい雰囲気が流れ、顔を見合わせる。
「あー、悪いなルーナ。悪い奴じゃないんだけど、なんというかあんまり人に興味がないんだ」
「気にしてない。それより彼、王国騎士団の団長様の息子さんなのよね? そんな人に剣を教えてもらえるなんて、凄いわね」
「……そのこと、なんだけどさ」
私の言葉に、ダンは苦笑いを止めて真剣な眼差しを私に向けた。いつも見ないダンのその表情に生唾を飲み込む。
珍しく話し方を迷っている様子の彼の言葉を待つ。
「……俺さ、王国騎士になりたいんだ」
「……」
「ほら、俺次男だろ? 兄ちゃんは家を継がなきゃいけねーから、次男の俺は将来兄ちゃんの補佐をしろって父さんから言われてたんだけど……」
そこで言葉を切ったダンの視線は、ここではないどこか遠くを見つめていた。その宝物を目にした少年のような瞳には見覚えがある。
「昔、ルーナにも話したことあったよな。屋敷抜け出して街に出かけたときに騎士たちに助けられたこと」
「……えぇ」
それはまだ私たちが出会って間もない頃。兄であるアルグレードが父に連れられ町に出かけると聞いて付いていこうとしたダンだったが、数日前から風邪を引いていたダンは大事を取って留守番するように言われていた。しかしそんなことで納得のいくダンではなく、使用人の目を盗んで屋敷を抜け出したのだが、身なりの良い子供は町のごろつきの格好の餌食。襲われそうになっていたところを町を巡回していた騎士が助けたそうだ。
勿論ダンはしっかりと各方面からお叱りを受け、挙句に治りかけていた風邪も拗らせてまた熱を出す羽目になった。
しかしそれからというもの、ダンはすっかり王国騎士たちに夢中になった。今までサボっていた剣の稽古は積極的に行うようになり、私と遊んでいても口を開けば「剣」と「騎士」のオンパレード。
もう分かったからと言いそうになる度に、彼の輝いた瞳を見てはその言葉を飲み込んできた。
「あの時からずっと、俺の中でブレない思いがあるんだ。『あぁ、俺もいつか誰かを助けられる人になりたい、誰かを守る人になりたい』って。自分が人を助けられるって、本当にスゲーことだと思うんだ。だから……、だから俺、誰になんて言われても騎士になる」
清々しい彼の表情を見て思った。もう決めたことなんだと。
公爵家の息子が身分の低い騎士になるという事は、周りからいろいろと言われるだろうし、王国騎士になるのはそう簡単なことではないだろう。
しかし、ダンはもう決断したのだ。自分の生きる道を。
私は彼の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「ダンがそう決めたのなら、私から言えることは一つしかないわ」
ふーっと息を吐いて、大きく吸い込む。
「がんばれ!」
私ができることは、ダンの後ろから背中を押して、彼が不安を感じて振り返るたびに隣に駆け寄って傍にいること。
ダンは目をぱちくりさせた後、照れたように、にひひと笑った。