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「どっこいせ!」椅子に掛けるゲロエの掛け声が響かないのは食堂が混雑して人の声で入り乱れているからだ。「おほほ、根菜のスープ美味そう!」
「それマジで言ってんの?」と無表情で問うトグヴがゲロエの横に着席し、「さして美味しくもないと思う」と真面目臭い顔で答えるウライが着席した横の席に、サダファも座る。硬い座面がひんやり冷えているのは季節のせいとそれ以前に誰も座っていなかったからだ。
「根菜のスープって噛めば噛むほど味が出るんだよなあ」ゲロエが愛おしそうに見つめる根菜のスープは具材の影響か薄ら黒く色づいてあまり美味しそうではない、というか、この国の料理はシンプルなチーズ以外たいていまずいとサダファは知っている。もちろん、そんなことは周知の事実で、ゲロエも冗談で言っているのだ、このお調子者は。
「なあサダファ、美味いよな?」と同意を求められ、「そうでもない」と感慨もなく答えると「分かってねえなー」とゲロエが大袈裟に言う。隣の隣に別のグループが着席するのが目の端に映る。
「根菜のスープなんて、どう調理しても美味くならないだろ」と言ってスプーンで掬ったそれを啜るトグヴには特別何の感動も見て取れない。まるで訓練、あるいは課せられた作業をこなしているみたいだ。
「まあ、塩とか、案外砂糖とか入れたりしたら美味しくなったりするかもしれないな」ウライは優しいからすぐにフォローに行くが時々フォローしきれず頓珍漢なことを口にする。
「砂糖入れたら美味くなるスープなんて、ないだろ」突っ込みを入れながら啜ったスープはやはり美味くなかった。率直に言って不味かった。ゲロエに視線を遣ると、少し考えてから「いや、回り回って案外ありなんじゃね?」と言い、もりもりと食べる。ライ麦パンに噛みついて、肉塊を噛み千切るみたいに大袈裟に食いちぎってみせる。「そんなには硬くないだろうよ」と思わず突っ込みをいれてしまうとゲロエは嬉しそうにへへっと笑う顔が悪戯小僧のようで少し愛らしい。
「この国はなんだってこんなに飯が不味いんだろうな」トグヴがもそもそとパンを咀嚼しているが別にしかめ面でなく無感動の表情だ。「飯が不味いと士気が下がるのと、飯が美味くて士気が下がるのと、どっちが正解なんだろうな」
「いいよなボンダミ人は。飯美味くて」ゲロエが言う。
「……まあ、激賞するほどじゃないけどな」
「あ、否定はしないんだ」食いつくゲロエに「こないだ食わせてもらったチーズ、ガリバスの完敗だったろ」とトグヴが冷静に言い、やはり無表情無感動でパンを食べている。
「チーズぐらいはイケてるはずなのにな、ガリバス」とウライが言うとなんだか話が暗くなり、「ま、あれだよ!」とゲロエが唐突に大きな声を出す。「うるさいよ」「ほら、あれだ、オレたちだって兵長やなんかに昇進すればもっと美味いもん食えるって! オレたちに食わせてんのは下の下だよ、そりゃ一兵卒にゃ美味い飯は回ってこない、君、美味い飯が食いたいか? ならば戦果を挙げて国を助けなさい!」とゲロエが敬礼のポーズを取る。ふふっ、と嬉しそうにウライが微笑み、しかしサダファはどういう顔をすればよいか分からない。国を助ける。ボンダミ人としてガリバス王国を助ける。当たり前のように国を助けると言われても、異邦人たる自分にはいまいち響かない。
と、「適当に笑っておけばいいよ」とパンを手で引き千切りながらトグヴが言い、顔に出ていたか、と苦笑してしまうサダファに一瞬、刹那、トグヴが笑いかけたように見えたがすぐパンで口を塞ぐのでよく分からなくなってしまう。
二人のやり取りに首を傾げたウライが、二コマ遅れで理解したらしく、やはり苦笑して、それから真面目な顔つきで「サダファ」と言う。
「ん?」
「国を守りたいって気持ちは、正直大事だと思う。それは理念だから。行動の原理原則となる部分だから、それが無いのとあるのとじゃ、やっぱり行動に差が出ると思う。でも」
「でも?」
「ボンダミ人がガリバスを守るっていうのも、別に、あっていい生き方だと思う。そりゃ、就職差別で他に就職できないって話は聞くけど」トグヴの目がウライに向かう。「でも、オレたちはサダファが頑張っているところを見てきた、一緒に訓練受けて、真面目に戦う練習をしてきた。だからオレたちはもう仲間だよ。国を守るっていうのがいまいちピンと来なくとも、それでいい。行動原理が何であろうと、サダファは信頼していいって、オレたちは分かってるから」
微笑むウライに微笑み返し、二人で納得したように軽く頷き合う。トグヴは話の途中で目を下ろし、無感動に根菜のスープを食べ始めていた。ゲロエは肩をすくめ、「ったく、ウライは頭が硬えなあ」と首を振る。「大事なのは理念とかじゃなくて気持ちだよ気持ち。背中を預けられるかどうかだよ。オレは死にたくないし、サダファにも死んでもらいたくない。当然、トグヴにも死んでほしくないしウライにだって死んでもらいたくない。だからつまり、自分が死ぬとこも仲間が死ぬとこも見たくないんだよ。ぶっちゃけ国がどうとかじゃないんだよ突き詰めると、現場で戦う兵士は!」
過熱してきたゲロエにぽそっとトグヴが言う。「国を助けろ話を振ったのはお前なんだけどな」パンを頬張る。
「それは……」揚げ足を取られて助けが欲しそうにこちらを向くゲロエに、少し考えてから言う。
「ここ、セイナは中部だからな、ロンダリがここまで攻めてきてくれれば四人仲良く戦えるけど、案外、全員別々にスリヨエ奪還に向かわされて、別々に死んだりな」
「お前なあ」とゲロエとウライが呆れたように嘆息し、それからウライが、親が子の悪戯を見過ごしてやる時のような、楽しげな表情を見せ、
「ま、オレたち四人で最高の戦果出して、ロンダリの奴らの顔面を蒼白にしてやろうぜ」
「そして昇進して美味い飯!」とゲロエが言うので「今度は飯のためになってんじゃん」と突っ込みを入れるとゲロエが口を両手で塞いで、一同が笑う。
「昇進しなくてもルーユ嬢の飯なら何でも美味い!」とゲロエがおっかぶせるので「今度はこの食堂の看板娘に手を出す話か!」と煽るとゲロエが生き生きと『今日のルーユ嬢』を語り出す。同じ食堂で食っているのだから当然自分たちもルーユ嬢の接客ぶりを、わざわざ報告を受けずとも知っているのだが敢えてゲロエに喋らせ、下世話な話に持って行く。この四人で日々を過ごして、いつか対ロンダリに召集され、戦役を生き残ったならばまた四人で集まって、それで、ゲロエが愛しのルーユ嬢にこっぴどくふられてくれたら最高なのにな、とサダファは思う。苦労の決して少なくはなかった人生だけど、そうなってくれたら最高だったなって全部を肯定できるのにな、と、吐き出した息は根菜臭かった。