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「生姜が欲しいんだが。できればルンタン産の」
ドアを開いた屈強の男に瞬間的に怯みながらもウリスは即座に態勢を立て直し訊く。屈強の男はしかめ面でウリスを見下ろし、しばらく黙して後「なんで?」と問い返した。
「ここに来れば生姜が手に入ると聞いたんで」とウリスは淀みなく答える。「スヴェミと言えばタイル酒が有名でしょう? 生姜を効かせた」
屈強の男はやはりの無言でウリスを威圧し、だがしばらくして「入れ」とだけ言うと踵を返して家の中に入っていく。ウリスは慌てて、しかし一呼吸入れるとすぐに落ち着いた足取りでウリスを追った。
「ここだ」
と通された部屋は小綺麗に掃除された、壁にちょっとした絵画の掛かりレースの飾りのついた布がテーブルの上に敷かれた、中流より少しばかり上の生活をしていることが窺える部屋で、しかしそこに生姜など欠片もない。タイル酒もなければ高級サロンのような浮ついた会話など、求めるべくもないのだ。
ばたん、と、後ろで屈強の男がドアを閉める音がした。
「さて。こんにちはが、適当かな」
正面、レースのカーテンを引いた窓に背を持たれていた男が、柔和に微笑みながら部屋中央の卓に座る。「座りなさい」と小さく頷くのでウリスは警戒しながらも悠揚迫らぬ態度で着席する。いつの間にか窓辺には女が男と入れ替わるように立ち、見るともなく外を見ている。いや、警戒している。
「私はウェズリという者だ」柔和な男が話す。「ルンタン産の生姜の頭目、とでも言おうか」
「……ウリスです」
「ウリス、ね」ウェズリはねっとりとした視線でウリスを見る。「いい名前だ。ウリス。君の家は貴族だったりするのかね?」
「……いえ」とだけ答えて黙る。それがウェズリの気に入ったらしい、少し前かがみに「余計なことは喋らない質かね?」と訊くので「積極的に語るべきことがないだけです」と答える。
「とても面白い返答だ。よろしい」と微笑んでウェズリが人当たりの良い笑みを浮かべる。「では語るべきことを語るとしようか。……『奴』のことはどれだけ知ってる?」
「……そうですね、詳しくは知りませんが、スヴェミに亡命して、護衛をつけてもらい、身の安全を確保した上で反『ロンダリによる平和』運動を展開しているとか」
「うん」とウェズリが頷く。
「その政治活動を通してロンダリ人に王を殺害するよう働きかけている、らしいですが……」
言い淀んだところで「ですが?」とウェズリが復唱する。
「ですが、それはおそらく、『奴』……いや、もうまどろっこしい言い方はやめましょう、ゴレド、彼の活動を王の殺害に結び付ける悪意を持った流言の類でしょう」
ウェズリが微笑み止んで片方の眉を上げる。「ふむ」
緊張を覚えながら、ウリスは続ける。「実際のところは、ゴレドは『ロンダリによる平和』に反対しているだけであって王の殺害なんて少しも意図しちゃいないでしょうね」
窓辺の女が微動したところに、背後に目でもついているのかウェズリが「テクラ」と呼び止め、女は動きを止め再び窓外の監視を続ける。
「つまり君は」ウェズリは短い顎髭をこするように触る。「ゴレドが不当に迫害されていると、そう考えている?」
沈黙。ウリスは何も言わないし、ウェズリも間を埋めてくれるわけではない。柱時計の振り子の音がカッ、カッ、カッ、と鳴るのが脅迫的で耳障りだ。ここまで切り込んだのは半分予定外だし半分は予定内だ、考え、思想なんてものは作りこんだところでいずれぼろが出るのだから初めにすり合わせておくべきで、変に隠し立てしてもしょうがない。だから言っておくに限る。ただし、命がけで。
「不当、とまでは言いません。ただ、全体を害する恐れがあるから、パンに付いたカビを除去するのと同様に取り去らなければならない、というだけの話です。そこに正解も不正解も、正義も悪もありません。ただ方向性があるだけです」
ウェズリが息を吸い、止める。まるで潜水でもしているかのように時を止め、やがて再びの柔和な笑みと共に息を吐く。
「骨のある奴が来ると聞いていたが、ある意味骨のない奴だったな。軟体動物のような」
背骨はありますよ、と答えようとしてウリスは口をつぐむ。それは余談だと思った。
「君の後ろで見張っている男がシング、窓外を見張っているのがテクラだ」ウェズリの紹介に合わせてテクラが軽く会釈するので会釈を返す。「君の仲間だよ」という言葉の、仲間、に引っかかる。ウェズリはウリスの顔の強張りを感得し、しかし何事もなかったように話を続ける。
「ゴレドはここルンタンのフファン家の敷地に匿ってもらっている。奴さんの支持者を鼓舞する集会、まあ宣伝場みたいなものかな、そこに出ていく時以外はいつも屋敷に籠り切りなんだがね、これがどうにも耐えきれなくなったか、王都アンミにお忍びで旅行するつもりらしい」
「らしい、ですか?」
「気に食わない、かな?」ウェズリの、顎髭を撫でる手が止まる。目を細める。「なら、首都アンミに旅行に行く、と断言しよう」
「そこで『する』わけですね」
「そうだ。詳しくは後日話すが、我々が支援して、君が彼を殺す。そう、暗殺するわけさ。『する』なんてまどろっこしい言い方をするのは、主義に反するのだろう?」
「……失敗すれば、狂気の暴漢として私を尻尾切りして、また新たな『私』を仲間に暗殺の機会をうかがう、ということですよね?」
「まどろっこしい言い方を止して直截に言うと、そうだ」ウェズリが達観したように鼻で笑う。「私にシング、テクラは再び組織として暗躍し、新しい刺客を迎え入れ、再度暗殺に挑戦することになる。もちろん、失敗を前提に行動はしたくない。失敗すれば警戒されるわけだし、確実に殺す気概がなければ、ね」
「……ですね」耳の裏を掻く癖が出ているのに気づく。やはりいくらか緊張しているらしい。
「……やめるかね?」ウェズリが何気ない調子で、それこそ、父親が子供を遊びに誘うような気楽さで言う。
「いえ、やります。だいたいが……」ここまで来て逃げればウェズリたちに殺されるのは自明だ。ウリスが黙るとウェズリは「ん?」と先を促すような視線を送るが、すぐに首を振る。
「そうだな、すまんすまん。ここまで知った以上、やらないなんて選択肢はない。何もせず我々に殺されるか、ゴレドの護衛に殺されるか、はたまた任務をやり遂げるか……」
「殺されるのは真っ平ですから、やり遂げてみせますよ、必ず」
確信的にウリスが言うとウェズリは嬉しそうに、一瞬舌で唇を舐め「そうか」と笑う。空気がやや弛緩したところで「ところで、なぜ、ここに?」と尋ねる。
「それは」ウリスは目を閉じて、開く。「生姜のいい匂いがするからです。タイル酒のいい匂いが」
ウェズリは一瞬瞠目し、それからにやりと笑う。窓辺のテクラも微かに微笑んだ。
「君は、いい目をしているね」とウェズリが言う。「狡知の目だ。君はこの世の仕組みを知っている。徒手空拳の人間が何を選択すべきか、あるいは、何を選択できるかを理解している。そこに空腹が重なれば、人間、美味しいものを食べに行くのが性だ」右手を差し出す。「今日はろくにおもてなしできなくて申し訳ないが、今度こそ、一緒にタイル酒を飲み干そう」
「生姜の効いた、スヴェミならではの、ですね」ウリスはしっかりとした手でウェズリと握手した。