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 ラウロは騒々しいほうが落ち着く質だ。忙閑判然としない女たちが右に左に行き交い、少し怒ったように商品名を店主に告げ、買い物袋を広げる姿が市場のあちこちにある。そんな混然とした昼時の光景が、ラウルには好ましく思えた。当然、店主をやっているからには市場が雑踏しているほうが心地よい、という心理の働くのを除いても、である。

「らっしゃいらっしゃい! ルリア産のりんごはどうだい! マルモから届いた新鮮なオレンジもあるよ! 美味しいよ!」

 声を張るとちらほら振り返る人がいるがそのまま歩き過ぎてしまうのがほとんどで、しかしいちいちそれに怯むほど神経は繊細でなくなった、そんな駆け出しの日々は終わって今じゃ貫禄さえある店主だと、自分としては思っている。と言ってもまだ二十八歳、老け込んだ味のあるおっさんになったつもりもなく、まだまだ精気煥発の若旦那気分だ。

「地元産の果物も売ってるよ! 安心安定の品質さ!」

 大声を出していると一人こちらを振り返ったのは常連客のエータスで、ちょこちょこ走りで向かってくる途中に通行人とぶち当たりそうになりこっちがひやっとする。おっちょこちょいな人はいともたやすく他人をはらはらさせる、それはもうある種天賦の才と言ってもよいだろう。

「こんにちは」

 挨拶に「こんにちは、いらっしゃい」と音量を絞って応対する。「りんごかい?」

「あ、はい」エータスは何気ない手つきで商品棚に並べたりんごを手にし、「ルリア産?」と訊く。

「そうだよ。いつもの農家」

「あ、じゃあ、これを、そうだなあ、四つ? うーん、五つにしようかな?」

 りんごを手に悩み始めるのを、あまり凝視してしまわないように他に視線を飛ばしながら、エータスの気持ちが固まるのを待つ。エータスは首を鶏のように何度も傾げながらやがて決心がついたのか、「やっぱり四つで」とラウルを見る。

「あい」と答えてラウルは手早く、しかし傷まないよう慎重にりんごをエータスの買い物袋に四つ、入れる。それからオーストル産りんごをおまけで一つ、入れる。

「あの……」

 何か言いかけたエータスを手で制し、おまけ、おまけ、と声に出さず口を動かすと、察したエータスが若干気後れしたようにはにかみ、ありがとう、と唇で言って四つ分の代金を支払い、踵を返した。エータスは大のりんご好きだから素直に喜んでくれただろう、などと言うとひいきして固定客を得ようなんていうこすからい作戦のように思われるかもしれないが、実際、突き詰めるとそうなのかもしれないが、次回来店する際に焼き上がったりんごパイを一欠けらおすそ分けしてくれるかもしれない、彼女の焼くりんごパイは最高だった。

 なんて、やっぱり打算じゃないかと苦笑するうちにまた常連客が訪れる。

「こんにちは」

 サンンだ。腰の曲がり始めたこのお婆さんは梨好きで柔らかい点で梨は他の果物より優れている、と考えている。「国内産かい?」いつもの質問だ。

「ああ。紛れもないスヴェミ産だよ」

「ルリア産?」

「もあるし、西方のスフタ産もある」

「わたしゃねえ、梨ならミール国のヌール産が一番美味しいと思ってる」

「毎回聞かされるんだ、もう憶えたよ。ただね、つてがあるわけでなし、関税だってかかる。そりゃ、ミールは農業大国だからね、スヴェミが頑張っても味じゃ負ける。でも産業は保護しなきゃならない。分かるね?」

 サンンは、ふん、と鼻を鳴らす。

「一タレ、いくら?」

「八ヤスミンだよ」

「いつもより少し安いね。質が悪いのかい?」

「まさか」ラウロは大げさに肩をすくめてみせる。「営業努力と」サンンの耳に口を寄せる。「ちょっとしたサービスさ」

 また鼻を鳴らしてサンンは、銅像のように固く引き結んだ口元で何も言わずに去っていく。苦労が刻み込まれた眉間の皺を見るに愛想を求めてもしょうがないのだろう。あるいは彼女は愛想など見せてもしょうがない時代を生きてきたのかもしれない。

 そんな感傷に似た感想を抱いていると今度はいかにも所帯染みたとでも言うべきか、首周りの襟がくたくたになっている女が、いくらかせかせかとした足取りでこちらに向かってくる。

「いらっしゃい!」

 声をかけると女は薄く笑い、品物の上に視線をさらりと走らせ、さして間もなく言った。「ここの、オーストル産の生姜、ある?」

 一瞬心臓が鷲掴みにされたようにきゅっと縮み、耳の裏に強まる拍動を感じる。落ち着け、と自分に語りかける。これは大したことじゃない、それこそ店頭でエータスやサンン相手に商うのと同じで、変に意識する場面じゃない。

「……うちは果物屋だからね、生姜は扱ってないよ」

「生姜、売ってないの?」女が重ねて問う。

「りんごや梨やオレンジはあるが、生姜は、あいにく」

「そうなの? 生姜欲しいんだけどな」

 女は相変わらずの薄ら笑いだ。りんごを手に遊ばせているが特段選んでいるような様子にない。

「もし」ラウルは慎重に言う。「オーストル産の生姜がどうしても欲しいってんなら、市場を出て北に、あっち方向な、交差点を三つ越えて右手の、三階建ての白い館に行ってみるといい。生姜が欲しいって言えば分かるはずだ。なんせ農家だからな」

 ラウルの言葉を理解したのか理解していないのか女は黙って佇立し、その奇妙な間にラウルは怯んで言葉を重ねようとしたがその瞬間女が「ありがと」と短く言ってくるり回って去っていった。

 ふう、と、運河で堰き止めていた水が流れ出るかのように大きな息を吐き、すぐさま「こんにちはラウルさん」と掛けられた声にびくりと体を固くする。

「今日はご主人様に頼まれて、りんごを買いに来ました。できるだけ安く済ませるように言われてるんで、傷物や色の悪い二級品があったりしませんかね? まあ、こんなところでけちっても仕方がないと私は思うんですけどね、せっかくの誕生日なんだから」

 へへっ、と男はまだ幼さの残るあばた面で笑う。ラウルは背中と脇に汗が噴き出たかのように錯覚しながら、でも、大丈夫だ、聞かれちゃいないし、聞かれても大丈夫なんだから、と自らに言い聞かせ、応対する。

「そこの地元産のはどうだい? ルリア産よりかは安いし、味もまあまあだ。悪かない。たくさん買うなら割引してもいいし」

「本当? ありがたいねえ、何だったら自分の懐にいくらか入れちゃったり、なんてね」

 あはははと笑うサネイの顔には言葉の割に悪意は微塵もなく、彼の笑い声を聞くうちにラウルの鼓動も平静に戻り、こうして人は悪を為すんだろうなという罪悪感のような何かも消え、あとには奇妙なまでの凪が残った。

 こんにちは、と、また一人、客がやってきた。


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