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   2.


 やっちまえ、だの、ぶっ潰せ、だの、男くさい空間に投げ入れられてもミャンはいつものクールなミャンだ、と開けた窓、校舎二階から見下ろしてアイノは思う。

 乾燥しすぎて砂埃の立ちそうなグラウンドの、中央より校舎側に寄った空間でボールのぶつけ合いをやっている男の子たちは乱暴の極みでアイノは苦手だけれど、ミャンは、他の男子と同じくボールのぶつけ合いに興じているミャンは、しかし、汗からも怒声からも、あるいは痛みからも絵画のように離れている。ようにアイノには見える。彼はどこか非現実的な存在のように思える。半袖に顕な腕を触ったら、雪のように冷たいのかもしれないし、存外暖炉の火のように温かいのかもしれない。触ったことがないのでどっちなのかは分からない。

「はあ」

 触ってみたいなあ、と思うとため息が漏れてしまう。あわよくば細く引き締まったあの腕に、自分の腕を絡めてみたい。そんな願望を持ったのはいつからなのだろう。人間なんていい加減だ、昨日の自分さえ満足に憶えていない。けど、あるいはだから、確かなものに触れてみたい。

 と、耳のそばで「こら!」と叱責され反射的に「はい! ごめんなさ――」と言いかけて、ふぅ、とまたため息が出る。安堵のため息。

「もう、脅かさないでよ」

「ごめ、ふひひ」とキャスパは奇妙な笑い声を立て、アイノの横に並ぶ。「でも、アイノ、そんなに熱心に見てたら、ばれっばれだよ」

「ばれ? 何が?」と訊いてすぐにキャスパの意図が分かり、かあっと顔が熱くなるのを感じる。「ち、違うもん!」

「うひひ」キャスパは嫌な感じに笑う。「はっきり言ってアイノ、分かりやすすぎだから。そんな露骨に見てるとミャン本人だけじゃなくキテュハとかが気づいて、囃し立てられて最後は泣くんじゃないの?」

「泣かないもん! ていうか、別に好きとかそういうんじゃないし……」

「語るに落ちるっていうのは今のアイノみたいのを言うんだよ」

「……」

 恥ずかしさに満ちて、顔が真っ赤になるのが分かって、何か言おうと言葉を探すのに代わりに涙が出てきそうになって、一人だけ課題をクリアできず居残りさせられたかのような惨めさを感じる。好きだなんて一言も出てないのに、どうしてこう、わたしはどんくさいんだろう。

「まあまあ泣くなって、ってあたしから話振っといてなんだけどさ」キャスパがアイノの肩に腕を回す。「そんな顔しないの。でも、キテュハの前じゃ気をつけな。あいつ、繊細さの欠片もないから、あんたがミャンのこと好きだって知ったら絶対言いふらすよ。だから用心は大事だよ。あ、でもわざと熱視線を送って目が合えば気になってきて……なんて技が効く感じじゃないか、ミャンって。いかにも鈍そうだもん」

「鈍く、ないよ、きっと」つい庇ってしまう。

「はいはい」とキャスパは横着な様子で言う。

 と、グラウンドからキテュハの悲鳴が聞こえ、目を遣ればキテュハが土に両膝を付き、背を少し反らし身を捻って苦悶している。状況を鑑みるにミャンの投げたボールに当たったキテュハが痛がり、その痛みの主張のために遊びが中断しているようだ。

「ははは、馬鹿だ、キテュハの奴やられてやんの」キャスパが愉快そうに笑う。

「けっこう痛そうだよ」と気遣うもキャスパの口元は緩みっぱなしだ。

「キテュハが根性なしなんだよ。それでやっちまえだのなんだの、そんなんでもしスリヨエなんかに送り込まれたらどうすんのって話」

 けたけた笑うキャスパだけれどアイノは沈んだ気持ちになる。「……ねえ」と訊く。

「うん?」

「ほんとに……ほんとに……」

「何?」半笑いの顔でキャスパが訊く。

「ガリバスって、わたしたちぐらいの子も、兵士にして戦わせてるの?」

 ほんの一瞬、キャスパは嫌悪らしき表情を浮かべたがまたすぐにへらへら笑う。「らしいけどさ、でも、特殊な例じゃないの? それって。国境沿いならなくはないかもだけど、セイナのあたしらは別に心配することなくない?」

「でも……」

「それに」少し強い調子でキャスパは言う。「万が一兵隊にとられたとして、あたしらじゃどうにもなんないし。考えてもしょうがないよ、そういうのって」

 キャスパが言葉を切って、二人の間に気まずい雰囲気が漂うところにグラウンドからキテュハたちの野蛮な声が聞こえる。男の子たちは生き生きとボール投げに興じている。ミャンがボールをキャッチして、少しの助走と共に投げたボールはキテュハに当たり、不規則に弾んだボールがグラウンド手前側に転がる。キテュハが痛そうに体をさすりながらボールを取りに歩く。

「看護師……」と思わずアイノは呟いた。

「看護師?」

 自分でもなぜ看護師と言ったのか分からず、少しの間考え、そっか、と得心する。

「看護師になれば、もしミャン君が兵隊に行っても、一緒に行けるかな、って」

 キャスパから漏れた息が感心なのか失笑なのか嘆息なのかは分からない。けれど、起死回生の一手とでも言うべきか、自分の取るべき道はそこにしかないような気が、アイノにはした。

 と、下でボールを回収していたキテュハがいきなり「何見てんだこらぁ!」とこちら側にボールを投げ込んできて、アイノの体はびくりと収縮したがろくに動けず、ボールはアイノとキャスパの間を通って廊下にてんてんと跳ねている。キャスパがいち早くボールを手に取り、「危ないでしょ、この馬鹿キテュハ!」と力を込めて投げ返したボールはしかしあっさりとキテュハにキャッチされてしまった。二人は口論となり、その横で呆然と見ていることしかできなかったアイノが何気なくグラウンドに目を向けると、ミャンと視線が合った。ミャンが少し微笑んだ。ような気がした。


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