悪意の鞄
十年ほど前、私は中学三年生だった。
今でこそ、そこそこ落ち着いた人間になった私だが中学生の時は控えめに言って出来た人間ではなかった。
もちろん、そんな人間だからといって友人やクラスメートに対してイジメをするような陰湿な事をした覚えはない。しかし、教師に対しては扱いにくい生徒であったのは確かだろう。
話はそんな中学時代の話だ。こんな前振りだからといって何の魅力もない武勇伝を話すつもりなどない。
確か夏、水泳の従業の後に起こった事件だ。
よくある話だ。〇〇の財布がない!そんな感じだったと思う。
お決まりの魔女裁判のようなクラス会議が始まる。子供心に一人一人に話を聞いていったほうが早いと、そう感じた。
当然のように犯人は出てこない。担任は熱心に説教を繰り返していた。
「大事になる前に」だとか「鈴が付いた財布らしい。間違えて持っていないか」そういった言葉を繰り返し、繰り返し生徒の顔を見ながら喋っていた。
確か担任は新任の先生で、数学を担当していた。親、子供関係なく真摯に接していて評判がよかったのを覚えている。
しかし、そんな教師がいくら説教を繰り返しても誰が返事をするわけもなく時計の針の音だけが耳障りなリズムを繰り返していた。
さすがに、PTAに問題になっては不味いと思ったのか普段出もしない学年主任や教頭まで出てきた。
担任がしたような話をするが、効果などあるわけがない。そこで彼らは普段から生活態度が良くない私たちに目を付けた。
私たちはそもそも盗まれた生徒と関わりなど殆どなく、席も大きく離れているにも関わらず一方的に犯人扱いをされた。
もちろん、クラスメートや担任は私たちがそういった事をするようなタイプでは無いと他の教員にも主張してくれたが、聞く耳持たずといった感じであった。
少なからずショックを受けた私たちであったが、
「確たる証拠が見つかった訳ではない」という担任の励ましもあって学校には来ていた。
そんな事件から一週間ほど経った早朝。
母親から普段の行動に問題があるから疑われるという、至極真っ当な意見を前向きに捉え、他の仲間以上に生活習慣を徹底しようとした私は登校も早く行った。
その日も一番に登校したであろう私は職員室に鍵を取りに行ったが、鍵は既に誰かが持ち出していた。
自分より早く来る人間がいるとは予想外であったが、特に何も考えなかった私は二階、三階と階段を上がり、教室に入った。
窓も閉まったままで、ドアの鍵が開いていた以外何も教室は変わっていないように見えた。しかし、教員机の下に普段あまり見られないような高級そうな黒い鞄が置いてあった。
今から考えると別に高級な鞄でもなかったがエナメルバッグを
カッコワルイと常々考えていた私には、それが魅力的に見えた。
何の卑しい考えもなく、ただ純粋に鞄を持ちたくなった私は軽い気持ちで鞄を持ちあげた。
重い。こんな鞄に何を入れれば、ここまで重くなるのか持ち主に聞きたくなるほど重いモノであった事を覚えている。
重量に耐えきれず、鞄を置く。何か音がする。…鈴?
咄嗟に鞄の口を開く。
そこには財布があった。黒が基調の白いラインが入った鈴が付いている財布だ。
後ろから手が伸びてきた。その手は鞄の口を閉める。
振り向くと担任が立っていた。真顔で私を見つめている。
冷たい目。そんな目が私を舐めるように眺める。
言葉が出ない。喉が急にカラカラになり、心臓が抑えきれぬほどなり苦しい。
その後も良く覚えている。クラスメートが登校し、担任に挨拶する。担任は反対側向き挨拶を返す。そして、こちらに再度振り向き挨拶をしてくれた。その顔は先ほどとは違う優しさに満ちた顔だった。
その後も私たちの関係が劇的に変わる様な事はなかったが、結局卒業式になっても私たちの容疑は晴れないままだった。
財布も盗まれたクラスメートの元に返ってきていない。
もしかしたら、私は担任に対して酷い勘違いをしているのかも知れない。しかし、私の中での彼の印象は早朝の冷たい顔のままだ。
目に見える悪意は恐ろしいが逃げようがある。近寄らなければ良いのだ。君子危うきに近寄らずとはよく言ったモノだ。
本当に恐ろしいのは目に見え辛い悪意だ。良い人だと思っていた人が裏では何をしているか分からない、これほど恐ろしいモノはない。