ちょっとエッジな女子高生
2017/06/24 投稿
その欲求が異常だと自覚したのは、ずいぶんと育ってからだった。
小学校に入る前から工作で使うハサミが好きだった。中学生になってからはカッターナイフや包丁や、そういったものを扱うことに喜びを感じていた。
必要ない時でさえ、ポッケにハサミかカッターが入っていないと落ち着かなかった。
高校生になるころには、刃物に対するわたしの感情が――つまり、愛情にも似た依存が――世間一般には理解されがたいことだと、わかっていた。少なくとも、通販で買った小ぶりなサバイバルナイフをキャンプ用だとうそぶく程度の、世間に対するごまかしかたをおぼえる程度には。
なぜ、わたしは刃物を持ち歩かないと不安になってしまうのか。その理由を考えたことがないわけじゃないけれど、家庭環境に問題があったわけでも、過去に大なり小なりトラウマがあるわけでもない。わたしはえらい学者先生ではなく、ただの女子高生にすぎないので、「いつの間にかそう育ってしまったのだから仕方がない」としか言えないのである。
いつも小ぶりなナイフを持ち歩いてはいるけれど、自分を切ったことはないし、他人を切ったこともない。
刃物を所持していなければ不安を覚える異常性を持ってはいるけれど、刃物で他人を傷つけることを忌避する正常性だって、わたしは持ち合わせているのだから。
つまり、悪趣味な物言いを許してもらえるのならば、わたしは心ではなくポッケにナイフをしのばせているだけなのだ。
☆
指を二本立てた男がいる。
さわやかな笑顔で、ぱりっとした青いスーツを着ていて、背が高い。
「どうかな」
と、聞かれる。
どう、とはどういうことか。わたしはきょとんとしてしまった。
学校からの帰り道。夕方の駅前。テスト前だから、と図書室で友達と勉強していたのだけれど、少し根を詰めすぎてしまって、遅くなってしまった。
だから、普段は出会わない、こうした男に出会ってしまった。
「もちろん、ホ別だよ」
そこまで言われて、初心なわたしはようやく、「ああ、誘われているんだな」と理解し――嫌悪した。
眉をしかめて、わたしは男の横をすり抜けて駅へと向かう。
「あ、待ってよ。それなら、これでどう?」
男はわたしの横について歩きながら、指を一本追加して、三本立てて見せた。無視する。
「つれないなぁ」
「……あの。それ以上ついてくるなら、警察を呼びますので」
そういうと、男はひどく気分を害した様子で、わたしをにらみつけた。
――少し怖くなって、わたしはポッケの中に手を入れて、ナイフの柄を握りしめた。
じわり、と手のひらが熱を持つ。その熱が、わたしに勇気をくれる。
「本気、ですよ」
男は舌打ちをして、きびすを返して去っていった。
ほう、と一息吐く。
ポッケの中には、ナイフが一振り。しっかりと、ある。
他人を傷つけるためのものではない。
自分を傷つけないための、わたしの軸。
だから。
ナイフを持っているから危険なのではなく――むしろ、ナイフを失ったわたしこそが、より危険なのではないかと、最近はそう思うようになった。
ナイフを持っていないわたしは、文字通り、なにをしでかすかわからない。
社会と自分のズレを自覚し――けれど、社会はわたしのズレに理解を示してくれたりはしないから。
だから、わたしのほうが社会にあわせていくしかないのだろう。
電車に乗って家に帰る。
車内では、だれもが疲れた顔をしている。サラリーマンも、主婦も、学生も。たぶん、わたしも。
――もしかすると。
この車内のだれもが、ナイフを持っているのかもしれないと、ふと思った。
社会規範から外れようとする自分を、しっかりと『普通』に見せかけるための軸を。
あの学生がずっと見ているスマートフォン。あのサラリーマンが何度も何度も確認する腕時計。この女子高生がポケットの中で握りしめるナイフ。
きっと、みんながズレていて。
みんな、そのズレを隠して生きている。
社会なんていう、よくわからない『正解』をなぞらないと生きていけないから。
そう考えると――わたしのナイフも、大したことはないんじゃないか、なんて考えてしまう。
だれもがみんな、依存しているのかもしれない――ポッケにナイフをしのばせるのではなく。
他者に見せられない、社会からズレた己の心そのものを、ポッケにしのばせて、生きているのかも。
電車を降りる。実家の最寄り駅。徒歩五分。田舎道を歩く。ポッケの中にはナイフが一振り。握りしめて、夜空を見上げる。
きっと、生涯、わたしはナイフでだれかを傷つけることはないだろう。
お題:「刃物依存症の少女」裏側ざん氏より