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IX




 私は、とぼとぼと道を歩いていた。

 どこの道かは分からない。ただ、今度は目的地もなかった。家という名の私たちの空間は今、固く堅く閉ざされているから。


 真っ暗な道はあちこちで曲がり、真っ直ぐになる。不透明な行き先に、不安ばかりが募った。

 電柱の影から不審者とか出てきたらどうしよう。私、気づける自信ないや。強盗にも痴漢にも、あっさり捕まっちゃうだろうな。今日は諒平は私のこと、守ってくれないし。



 ああ、公園があった。

 もうどこかも知らない丘の上に、家々の間に挟まれて児童遊園がある。なんか見たことある配置だなと思いつつも、私は足を踏み入れた。

 中に入ってみると、挟まれていない部分の辺からは下の方の街が一望できた。遠くでちかちかと輝く明かりは、市役所のある町田駅の辺りか、はたまたその先にある神奈川県相模原市の市街地かな。

 私は黙ったまま、園内に置かれていたブランコに腰を下ろした。きぃ、と掠れた悲鳴を上げて、ブランコは小さく揺れた。

 ブランコ、冷たい。まるで夜の冷気を半分くらい、溜め込んでるみたいだ。



「……寒……っ」


 私は肩を震わせた。

 強がるのもそろそろ限界だ。寒い、寒すぎる。

 今の私の格好は、パートの職場から帰った時のままだ。諒平が好きかなって思って選んでた足見せ系のミニスカートが、冬の夜風の加勢を受けて私に牙を剥く。なんで私、コートを着て来なかったんだろう。後悔先に立たず、だ。


 いいな、諒平は。この街のみんなは。

 きっと今ごろ、暖かい部屋の中でぬくぬくしてるんだろうなぁ。

 惨めな気持ちを拭い去りたくて、でもどうしようもないのも分かってて、私はスマホを取り出す。


 白旗、上げよう。

 そんなに諒平が怒ってるだなんて私、思ってもみなかった。私の言ったことが正しいかどうかは置いておいても、言い方が悪かったのは認める。だから、家に入れてほしかった。

 意地を張ったって、何にもならないもん。ただ私の身体が、もしくはそれ以外の何かが、冷えるだけ。

 スマホの電源ボタンを押すと、私は通話アプリに指を持っていった。


 スマホの動作の方が先だった。

【電池残量がありません。充電してください】

 メッセージボックスが点滅したかと思うと、スマホは勝手に停止したんだ。

「ああっ……」

 そんな、このタイミングで充電切れ!?

 何度ボタンを押し直しても、もう元には戻らない。ダメ、何一つ反応しないよ……。

 私と諒平を繋ぐ要素が、全て途切れた。そのままずっと意地を張り続けろ、とでも宣告されたみたいだった。実際、その通りだ。

 ああもう、だからあの時、充電しておきたかったのに! こういう非常事態の時のためにスマホはあるんじゃん!

 私はぐったりとブランコにもたれた。ぎいい、とブランコは錆び付いた音を立てた。

 どうすんのよ、この状況。責任取ってよ諒平……。




 どうして、こうなっちゃったんだろう。

 あの時、スマホを充電できていたら、諒平がちゃんと私に気を配ってくれていたら、私の怒りはここまでにはならなかったんだろうか。

 怒りに任せて私が言いたい放題言わなかったら、諒平はいつもみたいに私を許してくれたのかな。

 『バカ』とも言った。『最低』とも言った。それが諒平にどれほど突き刺さる言葉かなんて、私には判断のしようもなかったよ。あとで後悔するくらいなら、使わなきゃよかったのに。あんな言葉。


 悪いのは私だけじゃない。

 でも、諒平だけでもない。

 私の考え方は、本当に正しかったのかな。今はそれさえ疑わしく思えてくる。

 確かに、私だって疲れてた。だからそれを理由に振りかざす諒平が、許せなかった。諒平がどんなに疲れてるか、私は想像もしなかったのに。

 家事なんて手も出せないくらい、諒平だって働いてるんだ。私たち、久しくお出掛けさえもできてない。そればかりか夜さえも、ただ同じ空間で暮らしてるだけの関係に成り下がってる。



 ねえ、諒平。

 覚えてる?

 覚えてないよね。

 今日、十二月三十日って、結婚記念日からちょうど半年の日なんだよ。

 だからってお祝いをしたい訳じゃないし、カレンダーにだってそう書いてた訳でもないし。私が思い出したのだって、昼間にパートから帰ってきて洗濯物を干していた時だったし、さ。

 でも私、たまには振り返って立ち止まってみたかったんだよ。結婚したあの日、私たち決めたじゃない。どんな時にも助け合って、夫婦仲良く暮らしますって。

 実際、最初の頃はそうだったじゃない。いつも隣で笑い合いながらいちゃいちゃするだけの余裕が、あの頃の私たちにはあったじゃない。

 でも、今は……。


 私はただ、そんな現状が不満だったし、嫌だった。

 夫婦生活ってそういうものじゃないじゃん。楽しいことも悲しいことも二人で享有するのが夫婦じゃん。私は今も昔も、そう信じて疑わない。

 結局、そんなもの所詮は理想でしかないよ。でも、だからって諒平のこと、嫌いになんてなれないよ。これからもいっぱい愛したいし、いっぱい気持ちを伝えたい。これからもずっと何年間も、一緒に仲良く暮らしていきたいよ。

 ケンカはもう嫌だ。憎みあいたくない。諒平を敵にしたくない。


 でも今の私なら、嫌われても……。



 ケンカの時に諒平が見せた怒りの表情が、泡のようにいくつも頭の奥をすり抜けた。


 きっと、もうダメだ。あんなに怒らせちゃった。私が憎んだ以上に、腹を立ててるに違いない。私たちはもう、昨日までの夫婦には戻れない。昔の仲良し夫婦には、とっくに戻れなくなってるんだ。

 私は膝と一緒に、心に生まれたその諦感を抱きしめた。ただ、ただ、寂しかった。





 諒平は、真面目な人だ。

 そして、一途に私のことを想ってくれる。

 私に何かあったと知れば、職場からでも電話してくれた。何とかして時間を工面しようとしてくれた。寂しいときは精一杯優しい声で、「好きだよ」「愛してるよ」って言ってくれた。

 その配慮が、気持ちが、私は本当に嬉しかった。

 たとえ他の部分がダメだって、好きだった。嫌いになる理由なんてない。不満が、あるだけ。

 でも私のそんな想いは、諒平には伝わってない。たぶん、半分くらいしか。


 動かなくなったスマホを片手に、氷でできているみたいに冷たいブランコの鎖をもう片手に握って、私は歯を食い縛った。



 もう、意地なんて張りたくなかった。



 ねえ。

 寂しいよ、諒平。

 独りは、寒いよ……。


 だから、好きって言ってよ。

 おこがましいって言われたら、認める。謝るよ、私。

 私いつも、自分から謝ることなんてなかったよね。今日は謝る。約束するから。

 だから、私のわがままも許してください……。






「迎えに来てよ……」


 ほろり、涙がこぼれた。








次回更新は30日午前八時です。

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